ロシアvsエジプト終わりのサンクトペテルブルクの街の喧騒を眺めながら、マクドナルドを買ってホテルへと戻る。
日本ではお手頃ファーストフードの1つに過ぎないマクドも異国では何故かやたらと落ち着く味になっていた。バリバリアメリカ発祥のチェーン店にも関わらず何故かああなる。
そうこうしている内に、サンクトペテルブルクというあまりにも優雅すぎる街から離れる時間は近付いていた。
この後モスクワに戻ればお土産購入やちょっとモスクワを彷徨き、もう翌日には大阪には帰っている。
その前に再び戦わねばならないのが、またあの例の寝台列車だ。
モスクワ→カザンは11時間、カザン→サンクトペテルブルクに至ってはは20時間という水曜どうでしょうでお馴染み「はかた号」も真っ青の走行時間。あの番組で大泉洋がサイコロを降り、はかた号に乗らされてヒィヒィ言っている姿をただただ笑っていた私だったが、寝台列車に乗っている時間についてはその全てが水曜どうでしょうをなぞっているかのような気分だった。
ご存知のように、ロシアは国土面積が尋常ではない。ここまでの寝台列車のせいで、完全に私は時間感覚が麻痺してしまっていた。
友人に問う。
私「サンクトペテルブルクからモスクワって何時間くらいかかるん?」
友人「8時間くらい。」
私「あー、そんなもんか。」
「あー、そんなもんか。」
8時間という答えに対してこの言葉が無意識に出た瞬間は結構ヤバいと思った。
帰国して最初に阪急に乗った時は、やはり梅田→京都も一瞬に感じたものである。
この寝台列車ではペルー人の親子と相部屋で、友人とペルー人の謎の戦いのような話や添乗員とのコントのようなやり取りなどネタは幾つかあったが、文章化するのが少し難解なのでここでは省く。
ともかく、もはや一瞬にすら感じた最後の寝台列車8時間の旅を終えて1週間ぶりにモスクワへと辿り着いた。
ロシア滞在最終日となったこの日、まずはロシアのお土産横丁とも言えるヴェルニサージュへ。期間が期間であるので、当然と言えば当然だがやはり各国のサッカーユニフォームを着ている人間が非常に多かった。
なんなら、好感を持ってくれていたのか単にデザインが好みなだけのかはわからないが、赤の広場付近でも多く見られたのだが日本代表ユニフォームを着ている外国人がちらほら居たのは少し意外だった。中には夫が日本人でロシア人の妻が日本ユニを着ているパターンもあったらしい。
露天の店主も店主で、外国人にマトリョーシカを始めとした商品を上手く売ろうと、色々とネタを仕込んでいた者も多かった。
実際私達も日本人をターゲットにした店主にそのネタを披露された。
拙い日本語で「アベ、アベ…」と言いながら見せてきたのは安倍総理の顔をペイントしたマトリョーシカ。プーチンはもちろん、トランプを始め各国首脳陣の顔をペイントしたマトリョーシカは多く売られていたのでここまでは不思議ではなかった。
しかしこの店主が凄かったのは、この後何かを揶揄するような早さでマトリョーシカの中から次々とそれぞれペイントされたマトリョーシカを取り出していく。
「アベ、ノダ、カン、ハトヤマ、アソー、フクダ、アベ!」
あの超絶怒涛のスピード感とキレの良さはブログではどうしても伝わらないのが惜しい。
フクダからアベに戻った瞬間のロシア人店主のドヤ顔は凄まじかった。此方が爆笑してしまったのを見てやってやったぜ感が強かったのだろう。
陽気なヴェルニサージュを後にして1週間ぶりのアルバート通りへ。
W杯期間中にテレビなどでもちょこちょこ取り上げられていたらしいブラックスターバーガーを食べる。黒手袋を付けて食べるこのバーガーだが、脚色も何も無しに食べ終わる頃には手袋が肉汁でベトベトになっている。値段はハンバーガーの割にはかさむが、その分の価値は十分にあった。
サッカー仕様の飾り付けをしている建物もあったアルバート通りには、大会期間中限定でワールドカップミュージアムなるものが営業している。
これは最初にモスクワに行った時から目をつけており、その日は時間が迫っていた為、最終日のこの日に行こうと予め予定していた。
1週間前、ほとんどの人が勝てると思っていなかったコロンビア戦の項目に刻まれた1-2の数字。同じ日本人…なんて言うのは余りにもおこがましいのは百も承知だが、日本人として感慨深いものを感じた。
今回の大会で使用された公式球はこのミュージアムに送られるようになっていて、それ以外にも過去の大会で実際に使用された選手のユニフォームやスパイク、各大会のチケット、更には1986年メキシコW杯でディエゴ・マラドーナの5人抜きゴールと神の手ゴールが炸裂した伝説のアルゼンチンvsイングランドのメンバー表など、そうそうお目にかかる事など出来ない貴重な資料などが多く展示されていた。
そこまで規模の大きい施設という訳ではなかったものの、この充実度で無料というのはかなりなものだと思う。
夜が近づく。
日本では夏でも20:00にもなれば真っ暗だがロシアではまだ20:00なら明るい。
W杯という狂気的な魔物に包まれ、「白熱」と「狂乱」を同時に体現したこの国ともここでお別れだ。
ロシアという国は色々言われてはいるが先進国ではあるからインフラなども含めて過ごしやすく、観光としていつかもう一度行きたいと十二分に思える国だった。
だが、仮に将来何度ロシアに行ったとしても、この2018年6月のロシアに行く事は出来ない。そう思うと少し切なくて儚い。
W杯が終わって燃え尽き状態になるのは選手やスタッフなど、チームとして参加した人間だけだと思っていた。
燃え尽きとは違うが、ロシアから帰ってきて1ヶ月以上経ち、そろそろW杯そのものが閉幕してからも1ヶ月経とうとしている私自身、何故だか未だにフランスvsオーストラリアとロシアvsエジプトのハイライトだけ見れない。
夢なんて大袈裟なものとは違うが、人生の目標として一度はFIFAワールドカップを生で観に行きたかった。2006年ドイツ大会からW杯を見始めてからW杯を観るのはこれで4大会目。でも今抱いてる感情はドイツW杯とも南アフリカW杯ともブラジルW杯とも違うもので、そして次のカタールW杯とも違うものになるだろう。
オレンジ色の空の下、アエロエクスプレスはシェレメーチェヴォ国際空港に向かって走る。
空港にさえ付けば、後は一度中国でトランジットを挟んで関西国際空港へと戻るのみ、後は勝手に飛行機に揺られるだけだ。
W杯というものは結局のところ狂気だと思う。
どれだけオープンな人間でも、それでも人間だから感情にはどこかでブレーキがかかっている。
それでも自分がW杯と少しでも近づいた瞬間、それらのブレーキは全て壊れる。
W杯のチケット購入画面に着いた時ほどスマホをタップする手が震えた日はないし、スタジアムに入った時、両チームの国旗がバッと広がった時ほど言葉では言い表せない何かが走った事もない。そもそも海外にすら行った事のない私が急にロシアに行こうぜ、なんて誘われて、即答でいいよーなんて言えるほどの行動力なんてない。誘ってきた友人がロシアのスペシャリストとも言えるような人間だったという点で全幅の信頼を置ける人間だったという側面はあるにせよ、即答にまで至ったのはW杯の持つ力が大きい。
喜怒哀楽……どれをピックアップするかではなく、W杯という魔物を表すのに最も相応しい言葉は「狂気」なんだという事を身を以て知った。ここで優越感に浸ろうとするのもどうかとは思うが、この感覚はW杯に触れないと解らないものかもしれない。
その点においても海外未経験、ロシアでなんて過ごせる訳もない、英語の点数もロクに取れなかった私をロシアに導き、全てにおいてアテンドしてくれた友人には心からの感謝の意を示したい。
ロシアとは暫しの別れ、そしてW杯開催国ロシアとは永遠の別れだ。
名残惜しい想い、出来れば帰りたくねーな…なんて想いを抱えながら、トランジット先の中国・広州、そして日本へ向かう飛行機に乗り込んだ。
…11時間後、5時間待ちのトランジット先、広州の自販機で「緑茶」と書かれたお茶を購入。
一口飲む。
甘い。
なぜだ。
緑茶だろ?
でも甘い。
鬼のように甘い。
よく見ると隅っこに「低糖」という緑茶では見慣れない2文字。
1秒でも早く日本に帰りたくなった。
完。
ロシアW杯観戦記はこれで完結です!
お付き合い頂きありがとうございました(´∀`)