ただいまマクド、雨が降り出しました。帰れない。
どーもこんばんは
さてさて、今回も以前更新した此方の続きです。
概要や主旨は此方のブログを見てください!
それでは早速参りましょう。
10位 レオ・シルバ(アルビレックス新潟、鹿島アントラーズ)
先日のACLでの大活躍も記憶に新しいスーパーボランチですね。
優秀なブラジル助っ人を獲得する事に定評のある新潟に加入した2013年からチームの絶対不可欠な存在として君臨。圧倒的なボール奪取力などの守備面はもちろん、正確なシュートやプレースキックでも力を発揮するなど隙の見当たらないMFで、言い方は悪いかもしれませんがレオ・シルバが移籍した年に新潟はJ2に降格してしまった事を見てもその存在の大きさが伺えます。
鹿島でもその実力を発揮しているレオ・シルバですが、新潟のメインスポンサー亀田製菓のハッピーターンが大好きという事でも有名。魔法の粉患者の1人です…。
9位 ディエゴ・フォルラン(セレッソ大阪)
1年半のみの在籍で、尚且つフォルラン自身も期待されていた程の活躍は出来ずにC大阪もC大阪でこの年はJ2降格を余儀なくされた事もあり、所謂活躍ランキングでは残念ながらフォルランは入らないと思います。
ですが今でこそDAZNが参入し、イニエスタやF・トーレス、ポドルスキクラスとまでは言わずとも色んな国から有力な外国人選手が来日する事が珍しくなくなりましたが、当時はJリーグが金銭難に陥っていた時期で来るのはよくわからないブラジル人か韓国の大学生ばかりで、外国人枠なんて埋まっていない方が普通の状況でした。そんな中C大阪に突然加入したのがフォルランだったので、その時の衝撃は此方に免疫がついていないという意味ではイニエスタやF・トーレス以上だったかもしれません。
プレー的には期待ほど活躍できませんでしたが、それでもチーム得点王。随所にさすがと思わせるプレーを見せましたし、特に長居でのフォルランが2ゴールを挙げた大阪ダービーは私が生観戦した試合の中でも屈指の名試合でした。
8位 ジョシュア・ケネディ(名古屋グランパス)
日本サッカーにとっての大きなトラウマ、ドイツW杯日本vsオーストラリアの試合にも途中から出場し、オーストラリアの逆転勝利とベスト16進出にも貢献したストライカー。当時から「なんかめっちゃでっかいのいる」と日本ではそれなりに有名だった事もあり、Jリーグ参戦が決まった時は驚きましたね。
名古屋に入団してからはすぐにチームにフィットし、各Jリーグチームにとってはケネディのいる名古屋のフィジカルサッカーはとんでもない恐怖でした。ドイツW杯、南アフリカW杯にも参加したようにオーストラリア代表の常連でしたから、特に名古屋ファンなんかは普段の心強さを知っている分日豪戦の時は怖かったのではないでしょうか。
フィジカルにばかり目が行きがちですが、足元の技術も非常に高く、ポストプレーなども一級品でした。
ブラジルの名門サンパウロ時代にはセレソンの一員として日韓W杯予選を戦い、ブンデスリーガのバイヤー・レヴァークーゼンではロブソン・ポンテ、ディミタール・ベルバトフとの「デンジャラス・トライアングル」と称されたトライアングルでチャンピオンズリーグではレアル・マドリードを3-0と下すなど十分すぎる実績を持って来日。
1年目はチームに馴染みきれずチームもJ2に降格してしまいましたが、2年目となる2006年から真価を見せ始め、1年でJ1復帰を果たすとJリーグ屈指のファンタジスタとして活躍しました。2008年、浦和戦アディショナルタイムでの同点ゴールは未だに語り草となっています。
6位 マルキーニョス(横浜F・マリノス、鹿島アントラーズなど)
2001年に東京ヴェルディ1969に加入してから2011年の途中退団を除くと2015年にヴィッセル神戸を退団するまで実に15シーズンもJリーグに在籍していたストライカー。在籍チームも東京V、横浜F・マリノス、ジェフユナイテッド千葉、清水エスパルス、鹿島アントラーズ、ベガルタ仙台、神戸と実に7チームに及び、Jリーグ外国籍選手の最多得点記録の保持者です。
2003年に横浜でリーグ優勝に貢献した事を皮切りに、2007年に加入した鹿島では3連覇の立役者となって2008年には得点王とMVPをW受賞。ベテランとなってから加入した2度目の横浜と神戸でも2桁得点を記録するなど、Jリーグ史上屈指のストライカーとして活躍しました。
2003年に当時J2だった川崎に入団すると、2004年には中村憲剛、我那覇和樹らを擁したJ2史上最もえげつなかったチームのエースストライカーとして39試合37得点というトンデモな成績を残します。
Jリーグ屈指の攻撃陣を形成し、一気に強豪クラブへの階段を駆け上がり始めた第一次黄金期川崎で中村憲剛と共に象徴的な存在で2007年には得点王を獲得。その活躍は川崎のサポーター有志によって銅像を建てる事が決まった程でした(ジュニーニョの「現役の間は待っていて欲しい」との要望もあって現在は保留中)。
強烈なシュートと圧倒的なスピードは少しでもスペースを与えたら止めれる気がまるでしませんでしたね……サンガがJ1上がった年のホーム開幕戦でこの人らに7点も取られてボッコボコにされた事があってだな…。
4位 ワシントン(東京ヴェルディ1969、浦和レッズ)
ブラジル代表として日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2001にも出場した実績抜群の怪物ストライカー。
2005年に東京Vに入団すると、J2降格の憂き目を見たチームの中で22得点を叩き出すなどして孤軍奮闘。翌年に加入した浦和ではロブソン・ポンテとのホットラインで26得点を挙げ、前述のコンフェデ杯ではブラジル代表でツートップを組んだ戦友のマグノ・アウベスと同点で得点王を獲得し、チームのリーグ優勝に大きく貢献。翌年には日本勢として初となるアジアチャンピオンズリーグ制覇にも導きました。
屈強なフィジカルを活かしたパワフルなプレーはまさしく「怪物」と表現するに相応しく、ガンバファンだった私にとって、当時ナショナルダービーとも言われていたG大阪vs浦和の試合では恐怖以外の何者でありませんでした。なんていうか、もう完全にチートだったよね。
7位にランクインしたフランサとともにバイヤー・レヴァークーゼンでレアルを撃破するなどの活躍を見せ、エメルソンの抜けた2005年夏に浦和に入団。レヴァークーゼン時代にはヨーロッパで「なぜポンテをセレソンに呼ばないのか?」という議論が起こったほどの選手で、浦和でもその力を存分に発揮。特に前述のワシントンとのホットラインはJリーグ史上でも屈指の攻撃ユニットだったと言えるでしょう。
2006年のリーグ優勝、2007年のACL制覇の立役者となって2007年はMVPも受賞。6シーズンに渡って浦和で活躍し、現役を引退した現在は中島翔哉の所属するポルティモネンセのテクニカルディレクターを務めているので、今でもたまに来日したり、日本選手に対してのコメントなどでメディアでちょこちょこ目にしますね。
ACミランと戦った2007年のクラブW杯はJ1最終節で負った怪我の影響で欠場。もしあの時ポンテが居たら…と思うレッズファンは少なくないのでは。
2007年のゴールデンウィーク……土砂降りの雨が降る西京極のゴール裏、そのど正面で私が見たあの光景と衝撃は多分一生忘れないでしょう。
川崎、札幌、東京Vで活躍し、ブラジルW杯はセレソンのレギュラーとしてプレー。FCポルトやゼニト・サンクトペテルブルクといったチャンピオンズリーグ常連チームでエースを張るなど、香川真司やドゥンビアと共に「J2が育てたワールドクラス」として称される選手の中でも最高峰です。
「怪人ハルク」の異名がぴったり似合うフィジカルモンスターっぷりと強烈な左足のシュートはJリーグファンのみならず世界のサッカーファンの度肝を抜き、冒頭のサンガとの試合を観戦してハットトリックを決められた時には「こんなんJ2でプレーさせたら反則やろ止めれる訳ないやんけ…」と途方に暮れた当時小学生の私。
現在は中国の上海上港でプレー中ですが、将来的にJリーグに帰ってきてくれたりなんて事はあるのでしょうか。
1位 アンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)
無論、現段階での活躍という観点で言えばここまでにランクインしてきた選手の方が上ですし、そういうランキングであればイニエスタはまだ採点材料が少ないのでランクインはならないでしょう。ですがこのランキングは結果よりもインパクト、印象重視。もはやランキングの概念すら無視したようなコメントになりますが、その点に於いてイニエスタはもう来た時点でぶっちぎりですよ。というより、今そんなレベルの選手がJリーグでプレーしている事を改めて再認識しておきたいと言ったところでしょうか。
海外ではバルサ推し、なんなら個人的にはメッシよりも好きだったし、シャビ派かイニエスタ派かでもイニエスタ派だった私にとって、イニエスタを生で見た時の感動はもう言葉では表しきれないものでしたし、実際に一つ選手としての次元が違いましたよね、やっぱり。
テレビで観るのは観るけど、スタジアムに行こうとまでは……というアナタ、イニエスタはJリーグにいる内に観に行った方がいいですよマジで。
というわけで、このようなランキングになりました。
こんな事をグダグダと語りながらお酒とか飲むのも楽しそうですね。私お酒飲めないけど!
ではでは(´∀`)