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奪還〜ガンバ大阪2018振り返り企画〜第3話 真の絶望【2018.7〜2018.8】

【前回、前々回の続きになりますので、先に其方からお読み頂けると嬉しいです(´∀`)】

 

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デジャヴとは起こりうるものである。

2018年4月、日本サッカー協会は日本代表監督を務めていたヴァイッド・ハリルホジッチ氏をロシアW杯2ヶ月前というタイミングで解任し、当時技術委員長を務めていた西野朗氏を日本代表の新監督とした。

ガンバファンである私は、西野ジャパンのW杯をいつか見てみたいという想いは長らく持っていた。その夢は叶った格好にはなる。ただ同時に「このタイミングか…」という感情もとても大きかったのだ。ガンバファンの中には、この時の私と同じ感情を宮本恒靖氏の監督就任にデジャヴとして抱いた人も少なくないのではないだろうか。

ただ、ご存知の通り日本代表の監督交代については結果的に成功は果たした。だがガンバ大阪というチームは既にこの手の前科を6年前にも一度犯している。ただのクラブOBではない、ガンバのレジェンドを自ら傷物にした過去があった。杞憂に終わったとはいえ、西野氏が監督になったあの時は嫌が応にも想像してしまった「最悪のパターン」を再び想像せざるを得なかった。

 

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2012年の松波正信監督の時と比べて、家長昭博レアンドロ岩下敬輔といった有力外国人や当時の日本代表クラスを突然補強できる程の力は今のガンバには無く、クルピ解任のタイミングもタイミングだったが為にせっかく2ヶ月もあったリーグの中断期間もフイにしたのでチームをしっかり作れる時間もなかった。

ただ、救いだったのは宮本監督はトップチームでの指揮は初めてだったものの、Jリーグでの監督経験はガンバ大阪U-23チームの監督として1シーズン半経験していた事である。クルピ解任から1週間も経たずに迎えた第18節の鹿島戦、鹿島相手に改善の跡が伺える程には組織を組み立てられていたのは、真の監督初体験ではなかった事は大きいだろう。宮本監督が現役時代から、フィジカルで劣る部分をクレバーな頭脳と戦術眼でカバーするタイプだった事も一因だったと考えられる。

 

 

 

引き分けこそしたものの連敗は止めたし、あの時のガンバの状態を考えれば降格圏のチームが鹿島から勝点を奪えたとも考えられる。鹿島戦の後、その試合内容も込みでファンはそれなりにポジティブな感情を抱く事が出来た。

 

だが本当の悪夢と絶望が始まったのはここからの1ヶ月だった。

 

その始まりは第19節磐田戦だった。終始磐田に押し込まれる展開だったが、クルピ体制の時とは違って組織だった守備を見せたガンバはGK東口順昭のファインセーブ連発もあって失点を許さず、ファン・ウィジョが終盤に奪ったゴールは決勝点まで後一歩まで近付いた。しかしラストワンプレー、磐田DF大井健太郎のヘッドで勝点3はまたも遠ざかる。

更にガンバファンのメンタルを壊したのは第20節名古屋戦だ。当時最下位の名古屋相手に前半だけで2点リード。この日の前半は攻守ともに噛み合って完璧と言える内容だったが、後半に積み上げてきたスコアが一気に崩れ落ちる。

 

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宮本ガンバの最初の1ヶ月は、前半は大抵素晴らしい試合を見せる事が出来ていた。だがそれが後半になるといつも失速し、劇的な負け方、追いつかれ方を喫する日々が続く。宮本体制初勝利となった第21節FC東京にしても、ラスト5分のタイミングで一度追いつかれ、再度勝ち越せたからいいものの当時のガンバの癖を改善出来た試合ではなかった。

チームとして、そして選手個人のパフォーマンスは向上していた。東口順昭は相変わらずの守護神っぷりを見せているし、三浦弦太オ・ジェソクらは宮本監督就任以後は以前よりやり易そうにしている。小野瀬康介渡邉千真といった新戦力も持ち味を見せ、アデミウソンはスランプから脱し始めていたし、宮本監督がU-23で指導した高宇洋や一美和成といった選手も自身の存在感をアピールしてくれていた。

 

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第3節川崎戦第16節広島戦のように、最初の10分ほどの時点で「あっ、これは負けるわ…」と思ってしまったような試合で負ける事には敗北という事実以上のダメージは感じない。だが磐田戦や名古屋戦は勝てる試合と言える展開と内容だったのである。

 

それでも勝てない、どうしても勝てない…。

勝つ為の条件は少しずつ揃い始めていた。でも勝てないのだ。それも劇的な失点を喫して……ある意味、私にとっては2012年の低迷よりも病んだ1ヶ月だったかもしれない。

 

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第21節FC東京戦は本当に漫画のような感動的な試合だった。

あの試合は現地にいたが、対戦相手は2位を走る上位チームというだけでなく、ガンバを古巣とする選手が3人も居て、監督は昨シーズンまで同じスタジアムでガンバにタイトルを齎してきた長谷川健太監督である。

アデミウソンのゴールの瞬間は嬉しいという感情を感じる余裕もない程の何かが身を襲った。この試合の劇的度を高めるという意味合いでは前述の磐田戦と名古屋戦も「前振り」のような働きをしたのかもしれない。サッカーの試合で危うく本当に泣きそうになった…というか泣いていたかもしれないとすら思う程のゴールだった。

 

 

しかしそんな劇的な試合から1週間経たずに迎えた第22節札幌戦は再び悪癖を露呈する。またしてもアディショナルタイムの失点で勝点を取りこぼし、第23節仙台戦では渡邉千真のデビュー戦ゴールも実らず逆転負け。そして残留争いの大一番となった第24節鳥栖戦では何とまあ0-3の完敗。この日私は用事でDAZN観戦も出来なかったのだが、アプリで結果を見た時に絶句を文字通りに体現していたと思う。

 

 

 

 

 

「絶望」

 

大袈裟でもなく、そんな気持ちだった。

内容を見れば、クルピ時代と比べて遥かに進歩していた。前述のように個々の選手も活躍し始めるようになって来ていたから、希望は確かにあった為に本来の絶望の意味とは違うのかもしれない。

しかしいつも、いつもだ。試合が終わるその瞬間には芽生えた希望が目の前で折られていくのだ。この時に抱いた感情は「絶望」という言葉の本来の意味よりもよっぽど絶望に近いものを感じざるを得なかったのだ。これは2012年の8月頃に抱いていた「まあ最終的には残るやろ…」という楽観でも無ければ、J2落ちを覚悟したと言える感情でもない、まさしく形容し難い絶望を具現化したような夢を見せられている気分だった。

 

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いよいよガンバには後が無くなる。FC町田ゼルビアの躍進に期待し始めた頃、ガンバはこの年の王者となる川崎フロンターレとの試合に挑む日が訪れた。今のガンバとは相当な差が開いてしまった相手。どちらのファンでも無い人の多くはtotoでも川崎に票を投じただろう。

 

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しかしこの日からガンバは待ち望んだ「たった一つ」が叶い、余りに大きな、そしてドラマティックな2018年の終わりへと歩み始める事になる。

 

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つづく。