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独断と偏見による阪神タイガース平成ベストナイン!!

結局のところ野球は阪神以外あんまり詳しくない

 

どーもこんばんは

 

オリックスについては強制学習させられつつあるけど

 

 

 

さてさて、平成の世も終わるという事で、世間では様々な「平成最後の○○」だとか「平成歴代○○ランキング」なるものが乱発しております。実際に当ブログでも現在進行形で乱発してますし。

 

 

「もう飽きたわ…」とお思いの方もおられるでしょうが、よくよく考えたら令和が何年続くかわからないし、今回のように「平成終わりますよー」なんてしっかり予告されて終わる方がレアと言えばレアなわけです。ですのでこのムーヴメントはしがめるだけしがんでやろうと。

…で、今回は何をするかと言うと、以前平成ベストイレブンという事で日本代表、そして個人的に好きなガンバ大阪京都サンガで選定させて頂きました。

 

 

じゃあ今回は?うし、せっかくなんで野球もやろう。阪神タイガース歴代ベストナインやります!!ついでに六甲おろしロックバージョンも聴いてみてね!!↓

 

 

 

阪神タイガースの平成と言えば、まずはもう各所で散々ネタにされまくっている伝説の暗黒時代から始まりました。しかし1999年に就任した野村克也監督の下で若手が育ち、2002年に就任した星野仙一監督の下で花開き、そこからはそこそこ強いチームとしての時代を築きました。今また暗黒ぶり返しかけてるけど…。

基本的に当ブログでは過去の企画でもそうですが「自分がリアルタイムで観た」事を選出の基準としているので2000年代以降からの選出となりますが、そこはご了承下さい。それでは行ってみましょう!

 

 

 

1番 ショート 鳥谷敬(2003〜)

 

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ちょうど鳥谷がデビューした辺りから野球を見始めましたが、個人的に阪神で一番好きな選手です。小学校の時、週一で友達と集まって野球しようみたいな草野球的な事をしていた時も鳥谷に憧れてショートをやったりしてましたし、(右打ちのくせに)バッテイングフォーム真似したりしてましたねぇ…。

平成というよりも、2010年代の阪神の最大功労者の1人である事は間違いなく2000本安打達成の時には思わずシャツも買っちゃいました。近年は2017年を除いてスランプ気味ですが、もう一度復活してくれる事を祈っています。開幕戦のスリーベースは声出たもん…。さぁ君がーヒーローだー、鳥谷たーかーしー。

 

 

 

2番 センター 赤星憲広(2001〜2009)

 

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名前にちなんで「レッドスター」と呼ばれてファンから愛された盗塁王名前にちなんだ仇名としてはあまりにも完成され過ぎてる…。

怪我の影響もあって現役選手として過ごした期間はずっと主力で出続けた選手としてはやや短めだったものの、その間に残した数字とインパクトは絶大で、盗塁王に関しては新人だった2001年から5年連続で獲得し、生涯打率は.295を叩き出した21世紀の阪神タイガースを象徴する選手の1人である事に異論を唱える人はいないでしょう。

現在は日本テレビ系を中心に解説者として活躍。解説では関西ローカルの癖の強過ぎる方達のフォローに回ったり何かと大変そうですが、全国系では野球以外のスポーツも語ったり、2014年には何故か劇場版名探偵コナンに出てたり何かと手広く活動中。

 

 

 

3番 ライト マット・マートン(2010〜2015)

 

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阪神ではセンター、及びレフトでの出番がメインでしたが、今回はライトということで。

ランディ・バースが退団した1988年以降、色んな外国人野手を獲得したものの、NPB経験がある選手以外はことごとくハズレまくった阪神だったのでマートンの時も「どうせ夏には鳴尾浜行ってるやろ…」なんて思っていましたが、加入初年度からNPBのシーズン最多安打記録を更新(現在の最多記録は西武の秋山翔吾が2015年に記録したものの為、マートンの記録は右打者、及びセリーグの最多記録)

1番やクリンナップなど、打線の主軸として6シーズンに渡って貢献し、首位打者最多安打ベストナインを獲得するなど、21世紀の阪神の外国人野手では最も活躍した選手でしょう。気性が荒い面もありましたが、圧倒的な活躍のみならず「アイドントライクノウミサン」→「ノウミサンアイシテル」などのエピソードからファンからも非常に好かれた選手で、帰国後も何かと日本、阪神の事を気にしてくれている様子。

 

 

 

4番 レフト 金本知憲(2003〜2012)

 

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金本を阪神に誘った張本人である、2002年に就任した星野仙一監督と並んで「この人が居なければ多分阪神は暗黒を抜け出せてなかった」であろう選手の一人で、野球殿堂入りも果たすなど説明不要のレジェンド。鉄人。永遠のアニキ。2006年にカル・リプケンを上回って更新した連続フルイニング出場記録は最終的に1492試合まで伸びており、2004年に左手首を骨折しながらヒットを打ったシーンは伝説そのもの。長らく阪神の4番を務めましたが、「併殺打を全然打たない」「ホームランホームランというよりもランナーを活かすバッティングが多い」など、良い意味で4番っぽくないタイプの4番だった事も特徴です。

2016年からは監督にも就任。2017年は2位になったものの、甲子園での戦績が悪く、監督としては成功したとは言い難いものの、退任後の今季は新井さんと解説している時の穏やかな感じを見ていると阪神ファンとしても少しホッコリしたとか。

 

 

 

5番 サード 今岡誠(1997〜2009)

 

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デビューイヤーから1軍を主戦場とするなど期待されていたものの、デビュー当初はどこか伸び悩んでいる感もありましたが、星野仙一監督就任以降は攻守ともに開花。星野体制では1番セカンドとして、岡田彰布監督体制では5番サードとしてセリーグ優勝に貢献し、特に2005年に記録した147打点は1シーズンの記録としてはプロ野球歴代3位という成績を残しました。

その後は怪我などにも苦しみましたが、残した成績のインパクトは絶大。引退後は阪神の二軍コーチを経て現在は千葉ロッテマリーンズの二軍監督を務めています。

 

 

 

6番 キャッチャー 矢野燿大(1998〜2010)

 

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元々が関西出身という事もあってか、生え抜き感凄く強いけど実は生え抜きじゃない阪神のレジェンドの一人。中日ドラゴンズ時代は中々出番に恵まれなかったものの、阪神移籍後は正捕手に定着し、長年に渡って守備の要を担うと同時に打者としても活躍。特に2003年は打率.328を記録し、MVPの投票では2位にもなりました。その後はJFKなどの強力な投手陣を的確なリードで支え続けて2010年に引退。引退試合は未だに阪神ファンのトラウマだったりもしますが…。

引退後は解説者、小久保裕紀監督の侍ジャパンバッテリコーチを経て2016年から金本監督の就任に伴いコーチに就任。2018年には二軍監督としてファーム日本選手権を制し、今季からは阪神タイガースの監督に就任しました。今季のこれからの活躍に期待です。

 

 

 

7番 ファースト 関本賢太郎(1997〜2015)

 

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球団在籍年数19年という数字は藤田平川藤幸三に並ぶ球団史上3位。内野の様々なポジションをこなすなど万能系の選手で、二塁手としてのポジションを長らく藤本敦士平野恵一らと争いますが、関本を他の塁に回す事で併用を実現していた事もしばしば。2007年には連続守備機会無失策記録も更新しました。また、2011年には一度4番で起用された為、一軍で1〜9番全てを経験したという記録も達成しています。

桧山進次郎の引退後は新たな「代打の神様」と呼ばれるようになるなど、勝負強さを見せましたが2015年に引退。引退後は解説者として活動し、甲子園球場阪神電車には「甲子園には駐車場は無いから公共交通機関で来てね」という旨を伝える関本のポスターが大量に貼られています。

 

 

 

8番 セカンド 藤本敦士(2001〜2009)

 

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ドラフト7位という下位指名で入団ながらも、野村克也監督が売り出した「F1セブン」の一人として一年目からコンスタントに試合に出場し、阪神が復活していくまでの過程を体現した選手の一人で、2003年の日本シリーズでのサヨナラ犠牲フライは今なお語り草。特にその2003年は8番打者ながら打率3割超えを記録し、7番矢野燿大、8番藤本敦士の流れは「恐怖の下位打線」と言われたほど。2004年以降は鳥谷敬の台頭もあってセカンドにポジションを移し、そこでも2005年の優勝に貢献するなどしました。

2009年に退団した後、2013年にヤクルトで引退。現役最終戦の相手も阪神で、その後再び阪神にコーチとして復帰を果たしました。

 

 

 

9番 ピッチャー ランディ・メッセンジャー(2010〜)

 

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今季で在籍10年目。気がつけば阪神の外国籍選手としては歴代最長の在籍期間となり、今季からは選手登録が日本人枠になった文句無しの新たなレジェンド。

来日1年目は中継ぎピッチャーとしてイマイチな成績に終わったものの、2年目となる2011年からは先発ローテーションに定着。2013年から開幕投手を務めるようになり、2014年の日本シリーズでは第1戦で先発投手を務めるなど、今や名実ともに阪神のエースとなりました。最多勝利を1度、最多奪三振を2度、月間MVPも3度獲得しており、2018年には遂に念願のオールスター初出場を果たしています。

その貢献度は一部では「将来は阪神の監督に」という声もある上がったりしている程。ラーメンへの想いが熱すぎる事は余りに有名で、甲子園で販売されているメッセンジャープロデュースのラーメンはかなりの人気メニューに。

 

 

 

代打 桧山進次郎(1992〜2013)

 

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阪神在籍は実に22シーズン。まさしくレジェンドで、現在は関西圏の番組を中心に解説者として良く見かけますね。

1995年頃からレギュラーとして定着し始め、1997年以降は優勝した2003年も含めて4番を務める事も多くありました。2003年の日本シリーズでは第5戦で決勝点となるタイムリーを記録するなど、優勝と阪神の躍進に大きく貢献。2006年以降は代打での出場がメインとなりましたが、そこでの活躍や勝負強さから八木裕に代わる「代打の神様」と呼ばれるようになり、2013年のクライマックスシリーズ、現役最後の試合、現役最終打席では見事なホームラン。広島に惨敗し、暴動が起こりかねない空気だった甲子園を感動の輪に包みました。その際の実況「だから阪神ファンはこの男を『神様』と呼んだ」は後世に語り継がれるべき名シーンです。

 

 

 

中継ぎ ジェフ・ウィリアムス(2003〜2009)

 

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2003年から阪神に入団すると、シーズン途中からクローザーを務めて大活躍し、18年ぶりの優勝に多大なる貢献を果たしました。2005年からはクローザーを久保田智之に譲り、藤川球児を含めた3人でプロ野球史上に残る最強リリーフ陣「JFK」を形成。2007年には60登板で防御率0.62という成績を残しました。あのスライダーはえげつないの一言。プロスピやらパワプロやらで使うと完全にチートピッチャー。

JFKの中でのリーダー的存在であった事を藤川球児が証言しており、また2006年にはメジャーリーグ移籍の話が持ち上がったものの、チームメイトの引き止めや阪神への愛情から残留を決断してくれたなど今尚支持は厚い選手の一人です。

 

 

 

抑え 藤川球児(1999〜2012、2016〜)

 

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先発投手としては大成する事が出来ず、一度は戦力外リストにまで入ってしまいましたが、リリーフに転向してからは一気に才能が開花。2005年にはJFKの一角として一気に大ブレイクを果たし、火の玉ストレートと呼ばれた直球を武器に阪神の顔となっていきました。2006年途中からクローザーに定着。そこから阪神のみならず、球界を代表するクローザーとしてWBC日本代表にも2度招集されました。

メジャーリーグ挑戦の後、地元・高知でのプレーを経て2016年から阪神に復帰。2016年は期待外れの成績に終わったものの、2017年以降はさすがの存在感を見せ、特に2017年の2位に多大なる貢献をしました。今年もベテランの底力に期待されます。

 

 

 

監督 星野仙一(2002〜2003)

 

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暗黒時代まっしぐら。もう散々な言われようだった阪神を弱小から勝てるチームに変えてみせた立役者です。その指導法には今でも賛否両論あるものの、確かな事は少なくとも星野監督が来ていなければ阪神は恐らく暗黒から抜け出す事は出来なかったであろう事。阪神の指揮を執ったのは2年のみでしたが、その2年間で残した功績は余りに大きいものでした。

その後、日本代表を率いて挑んだ北京五輪では期待外れの成績に終わったものの、2011年から就任した楽天を2013年に日本一に導くなど、プロ野球史に残る名将でした。

 

 

 

…こんな感じです!

今年は去年より甲子園行きたいんですけどね…去年1回しか行けてないから…私行くといつも負けるけど令和になれば勝てるはず…(白目)

 

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ちなみに近々またオリックス連行されます。

ではでは(´∀`)