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そして大阪に還る〜令和初のJリーグ閉幕を前に印象に残るシーズンを振り返ろう企画・第1回 2005年J1優勝争い〜【2005年J1最終節特集】

2019年のJリーグも残すところあと僅かとなり、相変わらずの混戦模様となっている。

今年、2019年は言い換えると令和元年。となれば、平成に産声を上げたJリーグに於いて「令和初の王者」「令和初の昇格チーム」「令和初の降格チーム」が誕生するのだ。

そこで今回からは、過去のJリーグの歴史の中から印象に残った、大混戦のJリーグ優勝争い、昇格争い、残留争いを振り返る企画を進めていこうと思う。贔屓のチームを持っている方には良い思い出もあれば悪い思い出もあるだろう。ノスタルジーを楽しむものとして、暇な時にでも読んで頂きたい。

第1回の今回は、Jリーグが2ステージ制を止めて1ステージ制に本格移行し(※1)、18チーム制として初のシーズンとなった2005年のJ1優勝争いを振り返る。

 

2005年のJ1チーム

鹿島アントラーズ(前年6位)

浦和レッドダイヤモンズ(前年2位)

大宮アルディージャ(前年J2、2位)

ジェフユナイテッド市原・千葉(前年4位)

柏レイソル(前年16位)

FC東京(前年8位)

東京ヴェルディ1969(前年9位)

川崎フロンターレ(前年J2、1位)

横浜F・マリノス(前年1位)

アルビレックス新潟(前年10位)

清水エスパルス(前年14位)

ジュビロ磐田(前年5位)

名古屋グランパスエイト(前年7位)

ガンバ大阪(前年3位)

セレッソ大阪(前年15位)

ヴィッセル神戸(前年11位)

サンフレッチェ広島(前年12位)

大分トリニータ(前年13位)

 

※1 初めての1ステージ制という訳ではなく、1996年にも1年だけ1ステージ制を採用した事があった。

 

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序盤戦〜中盤戦

 

優勝候補の本命と目されていたのは当時リーグ2連覇を成し遂げていた岡田武史監督率いるマリノス、それから王座奪還に向けて監督にアテネ五輪U-23日本代表を率いた山本昌邦監督を招聘し、更に茶野隆行村井慎二崔龍洙、そして日本代表守護神の川口能活といった大型補強を実施した磐田の2チームだった。この2チームに対し、前年のチャンピオンシップに進出した浦和、近年上位をキープしている鹿島、千葉、ガンバといったチームがどこまで絡んでいけるか、そこがシーズン開幕前の予想であった。

しかしいざシーズン開幕を迎えると、これらのチームの開幕ダッシュ失敗が相次ぐ。開幕5試合の時点でガンバは1勝3分1敗と勝ち切れず、更に酷いのは磐田は1勝1分3敗、浦和に至っては初勝利を第6節まで待たなければならない事になった。代わりに開幕ダッシュに成功し、序盤をリードしたのはFC東京、名古屋、広島といった面々。特にネルシーニョ監督に率いられた名古屋は、夏頃まで2位の座をキープしていた。

しかしリーグ全体の構図が「首位鹿島を追う」という形で固まり始めると、開幕ダッシュだけで終わったFC東京に続き、夏頃には名古屋、広島が早くも不振に陥り始めてしまう。それと同時に、開幕前の時点で優勝候補と目されていた浦和、磐田といったチームが盛り返してくる中、ガンバが第11節名古屋戦以降8試合無敗を記録すると、第13節で東京Vに7-1で圧勝し、2位に浮上。第13節からの「HOT6」と呼ばれる夏場の6連戦で5勝1分と鹿島を猛追すると、リーグ戦はいよいよ鹿島とガンバのマッチレースという様相を呈すようになる。

 

後半戦

 

後半戦に入ると鹿島の勢いに陰りが見られた一方、アラウージョ大黒将志フェルナンジーニョという最強トリオを前線に配したガンバの調子は衰えなかった。第20節、第21節で磐田、マリノスという近年の王者を撃破すると、第22節で東京Vに勝利し、勝点1差で迫っていた鹿島が浦和と引き分けた事でガンバが遂に首位に浮上する。

そして9月24日の第25節、勝点48で首位のガンバ、勝点47で2位の鹿島が万博記念競技場で直接対決の刻を迎えた。まさしくこの一戦こそ2005年のJ1優勝争いの行方を大きく左右すると言われていたが、試合は2-2で迎えた後半ロスタイムにアラウージョのゴールでガンバが逆転するも、その直後にアレックス・ミネイロのゴールで鹿島が同点に。優勝争い天王山は3-3という壮絶な撃ち合いで引き分けという結果になるのだが、結局この試合で勝敗がつかず、勝点1を分け合う結果となった事が最終盤の大混戦に繋がる事になる。

 

2005Jリーグディビジョン1第24節

ガンバ大阪3-3鹿島アントラーズ

2005年9月24日19:04@万博記念競技場(大阪府吹田市)

G大阪得点者:アラウージョ(23分、89分)、大黒将志(53分)

鹿島得点者:小笠原満男(9分、40分)、アレックス・ミネイロ(89分)

 

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この試合が終わった直後はガンバと鹿島の一騎打ちが続くと見られたものの、ガンバは第28節大分戦、第29節FC東京戦で初の連敗を喫する。第30節での浦和との上位直接対決は制したが、そこから名古屋、大宮という残留争いを強いられているチームに対して連敗を喫し、勝点を積み上げられない。一方、鹿島はガンバとの直接対決から6試合無敗を達成した…が、この6試合の内訳は1勝5分。ガンバを逆転するどころか、ガンバと鹿島が揃って足踏みをしてしまう事になるのだ。

上位2チームが低迷する中、勝点を淡々と積み上げ、ここに来て優勝争いのメインステージに駆け上がってきたのが浦和、そして第19節清水戦での引き分けから無敗を継続し、最終的にこの無敗記録を当時のJ1記録(※2)となる16試合にまで伸ばす事になるセレッソだった。第32節でガンバが大宮、鹿島がマリノスに敗れ、ついでに浦和が千葉に敗れた一方でセレッソは大分と引き分けた事で遂に2位にまで順位を上げてガンバと勝点で並び、ラスト2試合を迎えた。

 

※2 現在のJ1記録は大宮が2012〜2013年に記録した21戦無敗。セレッソは2005年は無敗のままシーズンを終えたが、2006年の開幕戦で名古屋に敗れた事で記録は止まっている。

 

第33節

 

第32節終了時点の順位表

1位 ガンバ大阪(57)

2位 セレッソ大阪(57)

3位 鹿島アントラーズ(55)

4位 浦和レッドダイヤモンズ(53)

5位 ジェフユナイテッド市原・千葉(53)

 

優勝争いは第33節の時点で上記の4チームに絞られていた。全9試合が11月26日の15:00に同時キックオフとなったが、まず浦和が終盤のオウンゴールで磐田を下し、1-0の勝利を収める。一方、鹿島は清水と2-2のドローに終わり、最終節に望みを繋げられるかどうかはガンバとセレッソの結果に委ねられる事となった。

首位とはいえ、セレッソに勝点で並ばれているガンバは最強2トップとされていたアラウージョを累積警告で、大黒将志を負傷で欠くという厳しい状態で千葉との直接対決に挑む事になった。そんな中でも、29分に遠藤保仁のFKで先制点を奪うが、イビチャ・オシム率いる千葉の阿部勇樹山岸智にゴールを決められて前半のうちに逆転を許すと、後半の猛攻も実らず試合終了。一方、日産スタジアムマリノスと対戦したセレッソ森島寛晃のゴールで先制するも、試合終了間際に松田直樹にゴールを許して引き分けに終わる。しかし勝点1を積み上げた事で、なんとこのタイミングでセレッソが首位に躍り出る事となったのだ(※3)

 

2005Jリーグディビジョン1第33節

浦和レッドダイヤモンズ1-0ジュビロ磐田

2005年11月26日15:03@埼玉スタジアム2002

浦和得点者:オウンゴール(79分)

 

2005Jリーグディビジョン1第33節

横浜F・マリノス1-1セレッソ大阪

2005年11月26日15:04@日産スタジアム

横浜FM得点者:松田直樹(89分)

C大阪得点者:森島寛晃(45分)

 

2005Jリーグディビジョン1第33節

清水エスパルス2-2鹿島アントラーズ

2005年11月26日15:04@日本平スタジアム

清水得点者:マルキーニョス(31分、63分)

鹿島得点者:野沢拓也(44分)、深井正樹(82分)

 

2005Jリーグディビジョン1第33節

ガンバ大阪1-2ジェフユナイテッド千葉

2005年11月26日15:05@万博記念競技場

G大阪得点者:遠藤保仁(29分)

千葉得点者:阿部勇樹(33分)、山岸智(42分)

 

※3 勝点57で並んでいたガンバとセレッソが勝利は逃した事で、鹿島も最終節に優勝の望みを繋いだ。

 

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最終節

 

第33節終了時点の順位表

1位 セレッソ大阪(58)

2位 ガンバ大阪(57)

3位 浦和レッドダイヤモンズ(56)

4位 鹿島アントラーズ(56)

5位 ジェフユナイテッド市原・千葉(56)

 

最終節対戦カード

鹿島アントラーズvs柏レイソル@カシマサッカースタジアム

ジェフユナイテッド市原・千葉vs名古屋グランパス@フクダ電子アリーナ

アルビレックス新潟vs浦和レッドダイヤモンズ@新潟スタジアム(※4)

川崎フロンターレvsガンバ大阪@等々力陸上競技場

セレッソ大阪vsFC東京@大阪長居スタジアム(※4)

 

最終節の時点で1位セレッソから5位千葉までの勝点差は僅かに2。ただ、この5チームの中で得失点差で最も優位に立っていたのは浦和の+24で、現実的に浦和を得失点差で逆転出来る可能性があったのは得失点差+22のガンバだけと考えられた。一方、唯一自力で優勝を決められる立場にいたセレッソはこの5チームの中で得失点差的には圧倒的に不利で、勝点で並んだ場合セレッソが上に立つ事は困難と見られていた為、NHKでは「勝ったクラブのうち(試合前時点で)最も順位が上のクラブが優勝(※5)」という説明がされている。この辺りの詳細はWikipediaの2005年J1最終節の項を見て頂きたい。

この5チームの中でリーグ優勝の経験があるのは鹿島のみ(※6)。逆にセレッソとガンバはカップ戦でのタイトルの経験も無かった。特にセレッソは2000年の1stステージでは今回と同様に「最終節にホームで自力で優勝を決められる」というシチュエーションから優勝を逃した経験がある。

この年の優勝争いの大きな特徴は、5チームが最終節まで優勝を争うという時点でも十分以上であるが、最終節に直接対決が一つも組まれておらず、結果的に全9試合中半分以上の5試合が優勝争いに関係する試合となった事(※7)だ。これにより「他会場の結果」というものが大きな鍵を握る様相になった事は間違いない。対戦相手を見ると、5チームのうち最も順位が高いのはガンバと対戦する川崎で、逆に最も低いのは鹿島と対戦する柏で、既にJ1J2入れ替え戦(※8)の出場が決定していた。

 

※4 例えば、試合前の時点で最も不利な順位にいる千葉は自分達が勝利した上で、セレッソが引き分けなら、得失点差でセレッソを上回る事が出来、得失点差で千葉よりも優位なガンバが引き分けだった場合は勝点でガンバを上回る事が出来る。一方、浦和と鹿島のどちらかが勝利した場合は、得失点差で劣っている為優勝は出来ない。

※5 前者は現在のデンカビッグスワンスタジアムで、後者は現在のヤンマースタジアム長居。だが両者とも2005年以降にネーミングライツを導入したスタジアムである為、この名前が正式名称である。

※6 年間王者経験があるのは鹿島だけだが、浦和は前年の2004年にステージ優勝を果たしている。また、当時はチャンピオンシップがあった為2位という結果になったが、年間勝点では優勝した横浜FMを上回っていた。

※7 残りの4カードは広島対清水、大宮対横浜FM、東京V対大分、磐田対神戸。残留争いは第33節の時点で柏の入れ替え戦出場、東京Vと神戸が自動降格という決着がついていた。

※8 2004〜2008年までの5シーズン導入されていたシステムで、J1の16位とJ2の3位がホーム&アウェイで戦って昇降格を決める制度。2018年からは、2012年から始まったJ1昇格プレーオフのシステムの中に組み込まれる形で形を変えて復活した。尚、このシステムで昇格した甲府、神戸、京都の3チームは、翌年のJ1残留に成功している。

 

 

試合は各地で続々とゴールが生まれる。まず3分の時点でセレッソ西澤明訓のゴールで先制点を奪うと、4分には浦和、7分には鹿島、12分にはガンバと千葉を除く4チームが先制点を奪った。しかし前半のうちに浦和と鹿島が2点目を奪ってリードを広げた一方、セレッソとガンバは前半に同点弾を許してしまう。特にセレッソゼ・カルロスのPKがFC東京のGK土肥洋一に阻まれるなど不穏な空気となった。千葉と名古屋の試合は前半をスコアレスで終えている。

これにより、前半終了時点での途中経過ではセレッソ、浦和、鹿島の3チームが勝点59で並ぶ事になり、前述の法則に基づいてリードしている中で最も順位が上である浦和が1位、鹿島が2位という状態で前半を終えた。

 

前半終了時点での順位表

1位 浦和レッズ(59) vs新潟 ○2-0

2位 鹿島アントラーズ(59) vs ○2-0

3位 セレッソ大阪(59) vsFC東京 △1-1

4位 ガンバ大阪(58) vs川崎 △1-1

5位 ジェフユナイテッド市原・千葉(57) vs名古屋 △0-0

 

後半が始まると、最初に動いたのはまたしてもセレッソだった。48分、ゼ・カルロスのシュートをDFジャーンが跳ね返したところを、西澤明訓が再び蹴り込んでセレッソが勝ち越す。西澤や森島は、5年前に目の前で優勝を逃した悔しさを知る選手だった。同じ場所で、同じシチュエーションで今度こそ…そんな想いが加速していく。

これに続いて浦和、鹿島が共に3点目となるゴールを決めると、ガンバも56分にフェルナンジーニョのFKからガンバユース1期生の宮本恒靖がヘディングシュートを決めて勝ち越す。しかしこの3チームにとっては、自分達がどれだけ快勝を収めてもセレッソがこのまま勝てば優勝の可能性は無くなってしまう…緊迫感のある状況が続く中、等々力ではガンバが再び川崎に追い付かれて2-2。このまま行けば1位セレッソ、2位浦和、3位鹿島、4位ガンバという状況で試合はラスト15分に突入した。ガンバは今季限りで引退を表明していた松波正信を投入し、セレッソはレジェンド、森島寛晃を下げて逃げ切りを試みる。

 

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ラスト10分に入ると、浦和と鹿島が更に1点を追加し、もはや半分死体蹴りのような状態になっていた(特に鹿島)。この2チームが勝利をほぼ確定的にした事で、優勝争いの行方は自ずとセレッソ、ガンバ…今までタイトルを獲得した事の無い大阪の2チームの結果に委ねられる事になった。

79分、ガンバは当時19歳の家長昭博ペナルティエリア内で倒されてPKを獲得。キッカーはPK職人と言われていた遠藤保仁だったが、遠藤はちょうど1ヶ月前、両チームともに初タイトルを賭けた試合となった千葉とのヤマザキナビスコカップ決勝のPK戦でPKを失敗してしまっていた。これでオリジナル10の中でタイトル経験の無い唯一のチーム(※9)となっていた事で、このリーグ戦に賭ける想いはより強くなっており、それに応えるように遠藤もこのPKを成功してみせる。

しかし、セレッソセレッソで2000年の悪夢を払拭できるシチュエーションはこの日しかないという気迫が前面に出ていた。FC東京の猛攻を受けるが、GK吉田宗弘のファインセーブやDF柳本啓成ゴールラインギリギリでのクリアなど、奇しくもガンバ在籍経験のある2人を中心としたDF陣が踏ん張り、歓喜の瞬間に向けて最後の試練に立ち向かっていた。

実際、15試合無敗の状態でこの試合に突入したセレッソの踏ん張りには凄まじいものがあり、2005年の王者はセレッソで決まりそうな雰囲気が漂い始める。浦和や鹿島、そしてガンバはもう自分達が出来る事は多くは残されていない。優勝の為には、自分達のフィールドでは無いところで起こる奇跡を待たねばならなかった。しかし運命とは恐ろしいもので…。

 

※9 ただし、広島の優勝は1994年のステージ優勝のみで、厳密な意味では広島もタイトル未経験チームとする意見もあった。その広島は2012年にJ1を制覇し、これでオリジナル10の10チームは正真正銘全チームがタイトルを獲得した事になる。

 

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後半ロスタイムに突入する直前、FC東京コーナーキックを獲得する。セレッソにとってはもうこれを耐えれば優勝はほぼ決まりであろう。このコーナーキックを守り抜く為、セレッソは交代枠も使い切って守備を固めた。コーナーキックのボールはセレッソのゴール前で混戦状態となる。FC東京が人数を圧力をかけてきた為、セレッソもボールをエリア外に弾く事が出来ない。そんな応酬の末、中途半端にしか蹴れなかったクリアボールはFC東京のMF、今野泰幸の下へ……その1秒後、ネットが揺れると同時に誰もが優勝を信じた長居スタジアムの4万人を超す観衆は一斉に鎮まり返り、ピッチの中の選手は蹲る者もいれば、ベンチの森島寛晃小林伸二監督は思わず頭を抱えた。

そしてほぼ同時刻、長居からの情報が入り始めた等々力では更なる奇跡が生まれる。FKをショートパスで繋いだガンバは、途中出場寺田紳一のパスをアラウージョが流し込んで4点目(※10)。アラウージョはガンバサポーターが陣取るゴール裏に向かって駆け出すと、既に狂喜乱舞の状態となっていたガンバサポーターが客席から飛び出し、選手達ともみくちゃになって抱き合い歓喜を共にする。同じ大阪のチーム、同じ時間…2つの光景は余りに対照的だった。

ガンバがリードを広げた事で、残されたロスタイム3分で3点目を獲得する事しか優勝の道が無くなったセレッソは何とかボールを前に進めようとするが、焦りでボールロストを連発し、最後の攻撃さえも仕掛けられない。そして93分、長居で試合が終了した数秒後に等々力でも試合終了の笛が鳴り響く。ラスト数分…そのタイミングで優勝の座はピンクの大阪から青と黒の大阪へ。Jリーグ史上最も大混戦となった優勝争いを余りにも劇的な形で制したのはガンバ大阪だった。

 

2005Jリーグディビジョン1第34節

川崎フロンターレ2-4ガンバ大阪

2005年12月3日14:04@等々力陸上競技場(神奈川県川崎市)

川崎得点者:寺田周平(37分)、谷口博之(62分)

G大阪得点者:アラウージョ(12分、89分)、宮本恒靖(56分)、遠藤保仁(79分)

 

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2005Jリーグディビジョン1第34節

セレッソ大阪2-2FC東京

2005年12月3日14:04@大阪長居スタジアム(大阪府大阪市)

C大阪得点者:西澤明訓(3分、48分)

FC東京得点者:鈴木規郎(20分)、今野泰幸(89分)

 

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2005Jリーグディビジョン1第34節

鹿島アントラーズ4-0柏レイソル

2005年12月3日14:04@県立カシマサッカースタジアム

鹿島得点者:野沢拓也(7分、53分)、アレックス・ミネイロ(44分)、本田泰人(79分)

 

2005Jリーグディビジョン1第34節

ジェフユナイテッド千葉2-1名古屋グランパスエイト

2005年12月3日14:04@フクダ電子アリーナ

千葉得点者:阿部勇樹(89分)、坂本將貴(89分)

名古屋得点者:鴨川奨(81分)

 

2005Jリーグディビジョン1第34節

アルビレックス新潟0-4浦和レッズ

2005年12月3日14:04@新潟スタジアム

浦和得点者:堀之内聖(4分)、ポンテ(13分)、マリッチ(60分)、山田暢久(80分)

 

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2005年のJ1リーグ

 

2005年J1リーグ最終順位

1位 ガンバ大阪(60)

2位 浦和レッドダイヤモンズ(59)

3位 鹿島アントラーズ(59)

4位 ジェフユナイテッド市原・千葉(59)

5位 セレッソ大阪(59)

6位 ジュビロ磐田(51)

7位 サンフレッチェ広島(50)

8位 川崎フロンターレ(50)

9位 横浜F・マリノス(48)

10位 FC東京(47)

11位 大分トリニータ(43)

12位 アルビレックス新潟(42)

13位 大宮アルディージャ(41)

14位 名古屋グランパスエイト(39)

15位 清水エスパルス(39)

16位 柏レイソル(35)

17位 東京ヴェルディ1969(30)

18位 ヴィッセル神戸(21)

 

このシーズンの混戦ぶりを最も表しているのが、優勝したガンバの勝点が18チーム34試合制となったこのシーズン以降、現在に至るまで最も少ない勝点であると共に、敗戦数が2桁でありながら優勝した唯一の事例(※10)であるという点である。ガンバにとっても、2005年以降で優勝を逃したにも関わらず、優勝したこのシーズンの勝点を超えていたシーズンは5シーズンもある。

結果的に、NHKによる「勝ったクラブのうち(試合前時点で)最も順位が上のクラブが優勝」という説明はある種のフラグとなっており、最終節で優勝を争った5チームのうち、優勝したガンバを除く4チームの勝点が並んだ結果、セレッソは最終的に5位にまで転落した。現行のJリーグに照らし合わせると、セレッソは優勝どころかACL圏内も逃している(※11)。

このシーズンは優勝候補本命と目された磐田、マリノスの低迷など予想外の展開も多く、その象徴の一つが古豪・ヴェルディのJ2降格だろう。その他、前述のようにガンバと共に千葉が初タイトルを獲得しているなど、フォーマットの変更だけでなくJリーグの歴史の大きな変換点とも言えた結果がもたらされたのが2005年のJ1リーグだった。1995年のJ1昇格後はJ2降格の無かった柏も入れ替え戦甲府に敗れて初のJ2降格を喫している。

 

※10 年間勝点は3位ながらチャンピオンシップを制して優勝した2016年の鹿島を除く。

※11 2005年当時はACLの出場枠は2枠のみで、Jリーグ優勝チームと1シーズン前の天皇杯優勝チームであった為、このシーズンに関しては優勝を逃した時点でセレッソACL出場は無く、2006年のACLに出場したのは優勝したガンバと2004年度の天皇杯王者であるヴェルディだった。

 

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その後…

 

後半ロスタイムに同点ゴールを決め、セレッソの優勝を阻止する=間接的にガンバを優勝に導くゴールを決めた事となった今野泰幸は、この7年後となる2012年からガンバの選手として7シーズン半プレーした。ガンバ移籍後、MBSで放送されている「ガンバTV〜青と黒〜」に今野が初出演した際には、MCのたむらけんじがこの事に関してお礼を言う一幕もある。また、2013年にJリーグ20周年を記念したベストマッチランキングに於いて、川崎フロンターレvsガンバの試合が9位にランクインした。

また、この試合でアラウージョの得点の際にガンバサポーターがピッチ内に雪崩れ込んで来た事をきっかけに、観客の侵入を防ぐ為に可動式の柵が設けられるように改修された。

 

 

この時、最後まで優勝を争った5チームのその後は2000年代は明暗がかなりくっきりと分かれる事になる。

優勝を果たしたガンバは、西野朗監督の下で遠藤保仁明神智和橋本英郎、二川孝弘の「黄金の中盤」を中心に黄金期を築き、Jリーグ優勝を皮切りに2000年代の間にナビスコ杯、天皇杯も獲得。天皇杯では連覇も達成し、2008年にはACLも制した。翌年のリーグ戦では浦和が、最終節の直接対決でガンバを撃破し、2007年にはACLも制するなどJリーグ史上最強チームとも言われる力を持つようになり、このシーズン以降ガンバ大阪vs浦和レッズのカードはしばしば「ナショナルダービー」と称されるようになる。この翌年にあたる2006年はパッとしなかった鹿島も、2007年からはJ1で3連覇を達成。2000年代後半のJ1リーグは上記の3チームが独占し、2005年以降の国内3大タイトルの多くをこの3チームのいずれかが獲得した(※12)

一方、あと一歩のところでタイトルを逃したセレッソの初タイトル獲得は12年後の2017年ルヴァン杯まで待たなければならなかった。それどころか、翌2006年にはJ2降格を喫し(※13)、3シーズンをJ2で過ごす羽目になる。千葉に関しても、翌シーズンこそナビスコ杯の連覇を達成したが、同年、千葉を強くしたオシム監督が日本代表監督に引き抜かれる形で退任。これ以降クラブは低迷期を迎え、主力が大量流出した2008年の降格は何とか免れたものの、翌2009年に最下位でJ2に降格すると2019年に至るまでJ1に復帰すら出来ていない。

ちなみに翌シーズン、2005年同様ガンバと浦和が優勝争いを引っ張る中で、セレッソや千葉に代わって上位に食い込み、優勝争いに絡んできたのが川崎、そして清水の2チームだった。

 

※12 実際、2005年から2009年までのリーグと天皇杯はこの3チームが独占している。内訳はガンバがリーグ1回(2005)と天皇杯2回(2008、2009)に加えてナビスコ杯を1回(2007)、浦和はリーグ1回(2006)と天皇杯2回(2005、2006)で、鹿島がリーグ3回と天皇杯1回である。この間、この3チーム以外で3大タイトルを獲得したのは全てナビスコ杯によるもので、2005、2006年の千葉、2008年の大分、2009年のFC東京の3チーム。

※13 このシーズンのみならず、2000年にあと一歩で優勝を逃した翌年にもJ2降格を喫していた事から「セレッソが優勝争いに絡んだら翌年降格する」というジンクスめいた言説も生まれた。これ以降セレッソはJ1で3度3位になっているが、その中でも優勝争いに絡んだ2013年の翌年にあたる2014年にもJ2降格を喫している。

 

 

 

今シーズンは今のところ鹿島、FC東京横浜FMの3チームが激しいデットヒートを繰り広げている。果たして令和最初の王者となるチームはどこになるのか。また、あの緊迫感が凄まじい最終戦となるのだろうか。