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順位とやらの定義〜令和初のJリーグ閉幕を前に印象に残るシーズンを振り返ろう企画・第2回 2000年J1優勝争い〜【2000年J1・2nd最終節特集】

2019年のJリーグも残すところあと僅かとなり、相変わらずの混戦模様となっている。

今年、2019年は言い換えると令和元年。となれば、平成に産声を上げたJリーグに於いて「令和初の王者」「令和初の昇格チーム」「令和初の降格チーム」が誕生するのだ。

そこで今回からは、過去のJリーグの歴史の中から印象に残った、大混戦のJリーグ優勝争い、昇格争い、残留争いを振り返る企画を進めていこうと思う。贔屓のチームを持っている方には良い思い出もあれば悪い思い出もあるだろう。ノスタルジーを楽しむものとして、暇な時にでも読んで頂きたい。

第1回では2005年の優勝争いを取り上げた。ガンバ大阪の劇的優勝で幕を閉じた2005年は、Jリーグが1ステージ制に移行して初めてのシーズンだった訳だが(※1)、それ以前のJリーグは2ステージ制で構成されていたのである。スポーツ的には1ステージ制の方が良いの一目瞭然だが、収益などの観点から2ステージ制を抜け出す事が中々出来なかったのだが、そんな中で「あるシーズン」は優勝争いの盛り上がりと同時に2ステージ制に大きな疑問を投げかける一年となった。2ステージ制というシステムが、盛り上がりと混乱の両方を呼び起こしたのである。第2回の今回は、2000年のJ1リーグ、2ndステージの優勝争いを取り上げていく。

 

※1 厳密には2005年が初めての1シーズン制という訳では無く、過去に1996年に1年だけ1シーズン制を採用していた。

 

2000年のJ1チーム

鹿島アントラーズ(前年9位)

ジェフユナイテッド市原(前年13位)

柏レイソル(前年3位)

FC東京(前年J2、2位)

ヴェルディ川崎(前年7位)

川崎フロンターレ(前年J2、1位)

横浜F・マリノス(前年5位)

清水エスパルス(前年2位)

ジュビロ磐田(前年1位)

名古屋グランパスエイト(前年4位)

京都パープルサンガ(前年12位)

ガンバ大阪(前年11位)

セレッソ大阪(前年6位)

ヴィッセル神戸(前年10位)

サンフレッチェ広島(前年8位)

アビスパ福岡(前年14位)

 

 

 

1stステージ

 

前年のTOP3である磐田、清水、柏の3チームも安定した順位につけ、昇格1年目となったFC東京が開幕3連勝を果たして「東京旋風」と呼ばれる検討を見せたたものの、1stステージは基本的に1995年以来となる優勝を狙う横浜FMと初優勝を目指すC大阪のマッチレースとなった。両チームとも開幕戦では敗北を喫したが、開幕戦以降は第13節までの12試合を共に9勝3敗で乗り切り、Vゴール勝ちが1試合あるセレッソに対して、9勝全てを90分勝ちで勝ち切ったマリノスが僅かに首位に立っていた(※2)。

そしてラスト2試合となった第14節、勝点差が僅かに1という状況で両者は直接対決を迎える。豪雨の中、三ツ沢球技場での一戦は両者一歩も譲らぬ激闘が繰り広げられる。試合はセレッソが2度リードを奪うが、その度にマリノスも同点に追いつくシーソーゲームとなった。勝てば優勝が決定するマリノスだったが、88分に斎藤大輔のゴールで勝ち越したセレッソが3-2で勝利し、遂に首位で最終節を迎える事になる。会場はホーム、長居陸上競技場。対戦相手は降格圏に位置する川崎だった為、長居を埋め尽くした40000人を超す観衆の誰もがセレッソの優勝を信じたが…形はどうあれ、勝利さえすれば優勝が決まるセレッソは1-1で延長戦に突入する。既にマリノスは90分で勝利を決めていた為、セレッソは1点さえ取れば優勝だったのだが、無情にも106分に浦田尚希にVゴールを決められてしまい、土壇場で1stステージの優勝はマリノスのものとなった。

前年をクラブ史上ワーストの順位で終えた名門は鹿島はこの年の1stステージでも苦しみ、8位で終えていた。また、この時点で残留争いには川崎、福岡、京都の他に、1997年の躍進を経て成績向上を期待されたものの、その1年だけの躍進の最大功労者パトリック・エムボマが退団してからまた低迷に陥ったガンバが巻き込まれていた。

しかしこれらの事柄が、この後の2ndステージ、いや、年間順位にまつわる理由をより複雑化させる事になる…。

 

2000Jリーグディビジョン1 1stステージ第14節

横浜F・マリノス2-3セレッソ大阪

2000年5月20日19:04@三ツ沢球技場(神奈川県横浜市)

横浜FM得点者:小村徳男(26分)、外池大亮(80分)

C大阪得点者:西谷正也(14分)、西澤明訓(49分)、斎藤大輔(88分)

 

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2000Jリーグディビジョン1 1stステージ第15節

ジェフユナイテッド市原0-2横浜F・マリノス

2000年5月27日15:04@国立競技場(東京都新宿区)

横浜FM得点者:エジミウソン(38分)、遠藤彰弘(69分)

 

2000Jリーグディビジョン1 1stステージ第15節

セレッソ大阪1-2川崎フロンターレ

2000年5月27日15:04@長居陸上競技場(大阪府大阪市)

C大阪得点者:西澤明訓(60分)

川崎得点者:我那覇和樹(49分)、浦田尚希(106分)

 

2000年1stステージ順位表

1位 横浜F・マリノス(30)

2位 セレッソ大阪(29)

3位 清水エスパルス(28)

4位 柏レイソル(26)

5位 ジュビロ磐田(25)

6位 FC東京(23)

7位 ヴィッセル神戸(22)

8位 鹿島アントラーズ(22)

9位 ヴェルディ川崎(20)

10位 サンフレッチェ広島(19)

11位 ジェフユナイテッド市原(19)

12位 名古屋グランパスエイト(19)

13位 ガンバ大阪(17)

14位 アビスパ福岡(15)

15位 川崎フロンターレ(10)

16位 京都パープルサンガ(7)

 

※2 当時のJリーグでは延長戦が設けられていた。これにより、90分での勝利は勝点3、延長戦での勝利は勝点2、引き分けなら勝点1、敗北は延長戦の有無を問わず勝点0であった。延長戦は2002年シーズンを最後にJリーグでは廃止されている。

 

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2ndステージ序盤

 

当然ながら、1stステージで最後まで優勝を争ったマリノスセレッソ、そこに3位清水と4位柏を加えたチームが優勝を争いを引っ張ると見られていた。しかし蓋を開けてみると、この4チームで開幕5試合を勝ち越せたのは柏のみ。折り返し地点にあたる第8節の時点で、マリノスセレッソ、清水という1stステージのトップ3がいずれも2桁順位に沈み、早々に優勝戦線から脱落。柏は悪くは無いものの、今ひとつ勝ち切れない試合が多い。

そんな中、2ndステージで開幕5連勝を飾ったチームが3チーム居た。一つは昇格1年目で「東京旋風」とも呼ばれる快進撃を見せたFC東京。そして1999年から不振が続き、1stステージでも8位に沈んだ鹿島。そして昨季も1stステージも13位で残留争いを強いられていたガンバの3チームだった。FC東京は開幕5連勝を飾った後、6勝目を第14節まで挙げられなかった事ですぐさま脱落したが、鹿島とガンバの勢いは止まらず、そこに柏、磐田を加えた4チームの争いで上位争いが展開される。

1stステージでは不振だった鹿島とガンバが急浮上してきた事には明確な理由があった。それは「若手の成長」である。2000年の前半といえば、シドニー五輪世代と呼ばれる1977〜1980年生まれの世代が準優勝を果たした1999年ワールドユースシドニー五輪予選を経て、続々とフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表デビューを果たした頃だ。それに該当するメンバーが多く名を連ねていたのが鹿島であり、ガンバであり、そして柏だった(※3)。成長過程という意味では、この3チームが2ndステージから調子を上げる事は自然な流れだったのかもしれない。

2000年のJ1で混乱が生じた理由、それはこの点だけでもわかる通り、1stステージと2ndステージで優勝を争っていたチームがまるで異なるのだ。鹿島やガンバは1stステージの優勝に絡みもしなかったし、それは2ndステージに於けるマリノスセレッソも同じ。この時点で、昨季同様(※4)年間順位が相当ややこしい事になる事は確定的であったのだ。そしてこの時期から、鹿島かガンバが優勝した場合に起こりうる「ある事」が危惧されるようになる。

 

※3 鹿島は中田浩二本山雅志小笠原満男柳沢敦、ガンバは都築龍太宮本恒靖新井場徹稲本潤一、柏は南雄太明神智和大野敏隆北嶋秀朗など、これらの選手以外にもシドニー世代の若手選手が多く主力を担っていた。

※4 前年度の1999年は磐田がチャンピオンシップで清水に勝利して年間優勝を飾ったが、1stステージを制した磐田が2ndステージで12位に沈んだ事で清水は年間総勝点で磐田を16もリードしており、それどころか磐田の年間勝点は7位であった事で、2ステージ制への問題視が強くなるきっかけが1999年であり、ある種のトドメがこの2000年であった。

 

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2ndステージ中断期間前

 

2ndステージに入っても鹿島とガンバの勢いは衰えず、逆に開幕ダッシュを決めたFC東京、名古屋、広島が脱落すると、柏が盛り返してきた頃には磐田も優勝戦線から後退した。トップ争いは相変わらず鹿島とガンバが飛ばしまくる展開となったが、開幕6連勝を飾った鹿島が第7節でセレッソ相手に2ndステージ初黒星を喫すると、ここから横浜FM、福岡、FC東京を相手に3戦連続ドローを喫するなど急に勝利から遠ざかってしまった。そして、シドニー五輪アジアカップ2000による2ヶ月の中断期間前最後の試合となる第10節、FC東京に引き分けた鹿島の裏でガンバが広島とのシーソーゲームに3-2で勝ち切り、1997年以来の首位に浮上する。

ラスト5試合を残して中断期間に入ったJ1だったが、この時点で優勝争いの行方は鹿島、ガンバ、柏の三つ巴となった。そして恐ろしい事に、この3チームがそれぞれとの直接対決を残していたのだ。経験と実績の鹿島、勢いのガンバ 、前年に初タイトル(※5)を獲得して機は熟した柏…1stステージとはまるで違う形の接戦の中、J1は2ヶ月の中断期間に突入する。

 

※5 柏は1999年のヤマザキナビスコカップで、決勝で鹿島をPK戦で下して優勝している。

 

2ndステージ第10節終了時点

1位 ガンバ大阪(23)

2位 鹿島アントラーズ(21)

3位 柏レイソル(20)

 

2ndステージ終盤戦

 

約2ヶ月ぶりのJ1となった第11節では、3チームとも半分より下の順位のチームとの対戦となった。まずガンバはビタウ、新井場徹が2ゴールずつ決めて、残留争いを強いられていた川崎を4-0で粉砕し、首位を維持する。それを追う鹿島も、苦しい展開ながら終了間際の85分に中田浩二のゴールで2-1で勝利を挙げ、柏も勝点3獲得はならなかったが、北嶋秀朗Vゴール勝ちで勝点2を手にした。勝点1だけ柏が離される形になったが、第11節では構図に大きな変化はなく、ここからこの3チームの直接対決が続いていく。

 

2ndステージ第11節

鹿島アントラーズ2-1清水エスパルス@国立競技場(※6)

柏レイソル2-1サンフレッチェ広島@日立柏サッカー場

ガンバ大阪4-0川崎フロンターレ@万博記念競技場

 

※6 鹿島のホームスタジアムは茨城県立カシマサッカースタジアムだが、2000年9月から2002FIFAワールドカップ開催に向けた改修工事に入った事から、代替本拠地として東京都新宿区の国立競技場を使用していた。

 

そして迎えた第12節、首位のガンバはホームに3位柏を迎える。ガンバ勝利すれば、少なくとも柏を優勝争いから遠ざける事が出来る一戦であったが、34分に攻撃の要であるビタウが報復行為で一発退場を受け、前半から10人での戦いを余儀なくされる。53分に砂川誠のゴールで先制を許すと、一度は同点に追いついたものの、ラスト15分にで柏に2点を奪われて万事休す。柏は順位こそ3位のままだったが、ガンバと鹿島を同時に射程圏内に捉えた。

一方その頃鹿島は、敵地西京極で残留を争う京都相手に3-1きっちりと勝利を収め、勝点3を手にした。これにより、第12節終了時点で鹿島が再び首位に浮上。勝点差2の中に3チームがひしめく大混戦となった。

 

2ndステージ第12節終了時点

1位 鹿島アントラーズ(27)

2位 ガンバ大阪(26)

3位 柏レイソル(25)

 

2000Jリーグディビジョン1 2ndステージ第12節

ガンバ大阪1-3柏レイソル

2000年11月11日14:00@万博記念競技場(大阪府吹田市)

G大阪得点者:新井場徹(66分)

柏得点者:砂川誠(53分)、渡辺光輝(79分)、北嶋秀朗(83分)

 

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第13節では鹿島が広島、ガンバが名古屋、柏が川崎と対戦した。昼間に行われた鹿島とガンバの試合は共に1-1で延長戦に突入する。延長戦に入ってすぐの92分、ガンバはニーノ・ブーレのゴールでVゴール勝ちを収めると、鹿島は延長戦も終了間際の116分に本山雅志のゴールでVゴール勝ち。両チームともなんとか勝点2は死守し、共に順位は守った。

勝点差を考えると、延長戦ではなく90分でケリをつける必要があった柏だが、この2チームに比べるとこの試合の対戦相手には恵まれていた。相手の川崎は試合前の時点で市原、神戸が勝利した事で降格が決まっており、そんな川崎を黄善洪の決勝点で下して勝点3を獲得。得失点差の都合で順位は変わらずとも、2位ガンバと勝点で並んでラスト2試合を迎える事になる。

 

2ndステージ第13節終了時点

1位 鹿島アントラーズ(29)

2位 ガンバ大阪(28)

3位 柏レイソル(28)

 

そして第14節、直接対決第2ラウンドは首位鹿島を勝点1差で追うガンバがホームで迎え打つ構図になった。ガンバは勝てば無条件で首位に立つ一方、負ければ優勝の可能性は消滅する。鹿島は敗れるとガンバに首位を奪われれば、勝って柏が負ければその時点で優勝が決定する試合だった。同時刻、柏はホームで上位に位置する名古屋との対戦に挑む。

試合は序盤から鹿島ペースで動いていく。ガンバも都築龍太宮本恒靖ら若い選手を中心に耐えるものの、30分には鈴木隆行、36分には柳沢敦にゴールを許し、早くも2点のビハインドを背負ってしまう。前半終了間際に新井場徹のゴールで1点を返したガンバは、負ければ優勝の可能性が無くなるという状況もあって猛攻を仕掛けるが、試合巧者の前に同点弾が遠い。若いチームの勢い…それはガンバをここまで押し上げた原動力であったと同時に、数々の修羅場を経て来た鹿島の前でそれは無情にも脆かった。試合は鹿島が2-1で逃げ切って勝利。鹿島は首位をキープし、ガンバはこの時点で優勝の可能性が消滅。21000人を超す大観衆が詰めかけた万博は溜息に包まれる。

一方、鹿島が勝った事で自分達も勝利が必須条件となった柏は、名古屋に先制を許してから猛攻を仕掛けるものの、名古屋のGK楢崎正剛を前にゴールが遠い。しかしそれでも70分に渡辺光輝のゴールで同点に追いつくと、76分にはエース北嶋秀朗のゴールで逆転に成功。ホームで苦しい試合をものにした柏が逆転優勝の望みを繋いだ。

この結果、ガンバの優勝の可能性は消滅した為、優勝の行方は鹿島、柏の2チームに絞られた。そして最終節、国立競技場で鹿島と柏が優勝を巡り、直接対決を行うのである…。

 

2ndステージ第14節終了時点

1位 鹿島アントラーズ(32)

2位 柏レイソル(31)

3位 ガンバ大阪(28)

 

2000Jリーグディビジョン1 2ndステージ第14節

ガンバ大阪1-2鹿島アントラーズ

2000年11月23日15:01@万博記念競技場

G大阪得点者:新井場徹(44分)

鹿島得点者:鈴木隆行(30分)、柳沢敦(36分)

 

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2ndステージ最終節

 

優勝の行方は鹿島か柏の2択に絞られ、そしてこの2チームが最後に直接対決を残すのみという決勝戦に近い構図となった。そう、早い話が90分だろうがVゴールだろうが「勝ったら優勝」であり、マリノスの待つチャンピオンシップの出場権を得る。この時は鹿島と磐田の2強時代の中に於いて、鹿島と磐田の両方に安定感が少し欠けていた時代でもあった。そこを突いて躍進を遂げたのが前年の清水であり、この年のセレッソマリノス、そしてガンバだったのだが、西野朗監督の下で前年には3位に入り、ナビスコカップも制した柏はまさに鹿島磐田の2強時代に風穴を空ける事が出来る存在と期待されていて、この最終戦はそれを証明する舞台…とも言えたのだった。ただ当然、勝点では鹿島が1点有利である以上、引き分けに終わった場合は鹿島が2ndステージの覇者に輝く。この点がこの後、試合の大きな鍵を握る事になる。

日韓ワールドカップまで観客動員に悩んでいたJリーグだったが、この日の国立競技場には50399人の大観衆が詰めかけ、運命の一戦を見守った。試合は15:04にキックオフの笛が吹かれる。試合は前半から一進一退の攻防が繰り広げられた。どちらが優勢という訳ではなく、攻めも攻めたり、守りも守ったり。ただ両チームとも決定機までは持っていけるものの、ゴールだけが奪えずに時間が過ぎる。後半に突入してもそれは同じで、スピードを活かした攻撃を共に繰り広げるが…どうしてもゴールが遠い。

 

 

 

結局、一度もゴールネットが揺らされる事は無いまま、試合は延長戦に突入する。当時のルールではVゴール方式の延長戦だから、ここでゴールを決めるという事は即ちそれが優勝決定弾という事になるのだ。そのサッカー選手として考えられる最高の瞬間を目指して攻め合った両チームだが、一向に点が取れない。延長前半が終わった時点で、鹿島も柏も交代枠は1枚しか使わず、全てはピッチの中で激闘を繰り広げられる22人に委ねられていた。

5万人を超す観衆は「勝てば優勝」というとびっきりのシチュエーションに相応しい激闘を固唾を飲んで見守る。得点が動かないからこそ、その緊張感は更に深まる。しかし、その激闘とシチュエーションの中で観客達の頭からはある事が抜け落ち始めていた。

 

「引き分けた場合どうなるのか?」

 

観客がその事を思い出し始めた時、鹿島は攻撃的なMFの小笠原満男を下げて守備的MFの本田泰人を投入。「鹿島」というチーム…それはジーコが作り上げた勝利至上主義チームである。リーグ戦は1試合1試合の積み重ねが結果に繋がるが、大きく言えば1試合負けたところで15試合のトータルで勝てばいいのだ。そして柏に負けさえしなければ、その権利は鹿島のものである。

1点を取るという事はどのチームにとっても難しい。しかし鹿島にとって、取った1点を守り抜く事はそう難しい事では無かった。この試合でゴールは決まっていない。しかし引き分ければ優勝の鹿島にとって、それはリードを有している事に等しく、後は試合を終わらせればいい。2018年のACL決勝(※7)でもそうだったが、「0-0でも勝ち」というシチュエーションに立った鹿島は、必ず0-0で試合を終わらせることが出来るのだ。ラスト10分、ボールをキープして時間を稼ぐ鹿島の前に、柏はもはや成す術がない。そしてタイムアップ……2ndステージを制したのは、その「らしさ」を存分に見せた鹿島だった。

 

※7 2018年のACL決勝で、鹿島はホームの第1戦を2-0で勝利した後、敵地での第2戦を0-0で締めて優勝を手にした。

 

2000Jリーグディビジョン1 2ndステージ第15節

鹿島アントラーズ0-0柏レイソル

2000年11月26日15:04@国立競技場

 

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2000Jリーグディビジョン1 2ndステージ順位表

1位 鹿島アントラーズ(33)

2位 柏レイソル(32)

3位 ジュビロ磐田(30)

4位 ガンバ大阪(28)

5位 横浜F・マリノス(24)

6位 アビスパ福岡(22)

7位 名古屋グランパスエイト(22)

8位 FC東京(20)

9位 セレッソ大阪(19)

10位 ヴェルディ川崎(18)

11位 サンフレッチェ広島(18)

12位 京都パープルサンガ(18)

13位 清水エスパルス(14)

14位 ヴィッセル神戸(11)

15位 川崎フロンターレ(11)

16位 ジェフユナイテッド市原(9)

 

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2000年のJ1

 

サントリーチャンピオンシップ2ndステージを制した勢いそのままに鹿島がマリノスを3-0で下し(※8)、3度目のリーグ王者に輝く。また、この前にはナビスコ杯も制していた鹿島は元旦に天皇杯も優勝。これにより、日本で初めてリーグ・リーグ杯・天皇杯の三冠を達成したチームという栄誉を手にした(※9)。残留争いは1stステージで最下位だった京都が2ndステージで何とか巻き返すも勝点が足りず、昇格1年目の川崎と共にJ2への降格を喫する事となった。

 

※8 マリノスホームの第1戦は0-0、鹿島ホームの第2節では3-0で鹿島が勝利した。

※9 2019年現在でも、三冠を達成したチームはこの年の鹿島、そして2014年のガンバ大阪の2チームのみである。

 

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…さて、このシーズンが未だに「問題のシーズン」として2ステージ制の話題になる度に取り上げられる要因は、2ステージ制のシステムと年間順位のズレである。

これまでも年間勝点で1位だったチームがチャンピオンシップで敗れて2位になるケースは多くあったし、前年は年間勝点1位の清水と、清水をCSで下して年間王者に輝いた磐田の勝点差が16もあった事で議論の対象になってはいた。それでも大概年間勝点1位のチームはどちらかのステージを制しており、そこまで2ステージ制の存続が危ぶまれる問題にまではなっていなかったのである。

しかしこの年は、1stステージと2ndステージの順位が大きく入れ替わっていた。それは散々述べたように、1stと2ndで優勝争いをした面子が全く違った事もその表れなのだが、1st2位のセレッソは9位、3位の清水は13位にまで落ち、逆に2nd優勝の鹿島は1st8位、4位ガンバは1stでは13位にまで沈んでいたほど。これは優勝争いに限った話でもなく、例えば1st14位の福岡も2ndでは6位にまでジャンプアップしていたり、逆に1stで7位まで上がった神戸も2ndでは14位だったり。磐田とマリノスは両ステージでTOP5を維持はしたが、マリノスの2nd5位は若干棚ぼた的で、磐田は優勝争いの主戦場には殆ど絡んでいない。多くのチームがどちらかのステージだけ好調だったこの年、柏だけが年間を通じて安定していたのだ。

その結果、チャンピオンシップを経た年間順位は以下のようになった。

 

1位 鹿島アントラーズ(55)8位/1位

2位 横浜F・マリノス(54)1位/5位

3位 柏レイソル(58)4位/2位

4位 ジュビロ磐田(55)5位/3位

5位 セレッソ大阪(48)2位/9位

6位 ガンバ大阪(45)13位/4位

7位 FC東京(43)6位/8位

8位 清水エスパルス(42)3位/13位

9位 名古屋グランパスエイト(41)12位/7位

10位 ヴェルディ川崎(38)9位/10位

11位 サンフレッチェ広島(37)10位/11位

12位 アビスパ福岡(37)14位/6位

13位 ヴィッセル神戸(33)7位/14位

14位 ジェフユナイテッド市原(28)11位/16位

15位 京都パープルサンガ(25)16位/12位

16位 川崎フロンターレ(21)15位/15位

 

基本、年間勝点で決定される年間順位であるが、1位と2位はチャンピオンシップの勝者と敗者という形で決まる。すると、年間勝点を最も獲得していた柏がチャンピオンシップにすら出場出来ないという事態が発生したのだ(※10)。無論、2nd最終節で鹿島に勝てなかった柏が悪いと言えばそれまでである。しかし年間勝点1位のチームがチャンピオンシップにさえ出れずに終わるという前代未聞の事態は大きな波紋を呼び、そして2ステージ制の在り方が本格的に問われるようになった。

2000年…このシーズンは柏レイソルの悲劇という犠牲を払い、Jリーグの今後に大きな影響を与えたシーズンとなっていたのかもしれない。

 

※10 年間勝点2位に関してもマリノスでも鹿島でもなく得失点差で鹿島を上回った磐田だった。この為、柏のみならず年間1位と2位が共にチャンピオンシップに出場出来なかった事になる。

 

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その後…

 

翌年にあたる2001年のJ1はチャンピオンシップで磐田を下した鹿島が連覇を飾ったが、年間勝点1位の磐田と2位の鹿島は17点も離れており、再びこの事が柏を絡めて議論される事になった。結局、2ステージ制は2004年を最後に廃止され、2005年からは1シーズン制が採用されている。2015年、2016年の2年間は営業面の観点からチャンピオンシップが復活する事になったが、この時には年間勝点1位のチームがチャンピオンシップにすら出られないという状況を防ぐ為に最大5チームによるトーナメント方式が採用された(※11)。これは言うまでもなく、この年の柏の件を踏まえての変更である。

この年に優勝を逃した柏はその後低迷期に陥った。翌2001年は上位を保ったものの、2002年からはスランプに陥り、結局この年から10年の間に2度のJ2降格(※12)を経験する。悲願のリーグ優勝を果たしたのは2011年の事だった。また、1stステージで後一歩のところで優勝を逃したセレッソは翌年に最下位でJ2降格の憂き目に遭っている。セレッソは2005年にも土壇場で優勝を逃し(※13)、2000年以降3度のJ2降格(※14)も経験した末に、2017年にようやく初タイトルとなるルヴァン杯を獲得した。ちなみに、この時の決勝の相手はこの年にセレッソの優勝を阻んだ川崎だった。

この2チームと対照的にこのシーズンが躍進のきっかけになったのがガンバで、翌年は中位だったものの、シドニー五輪世代の若手が多く主力を担うチーム(※15)は2002年にこの年のガンバの優勝を柏の監督として阻んだ西野朗監督(※16)の就任を機に花開き、黄金期を迎える事となる。

 

※11 年間勝点1〜3位チームと両ステージ優勝チームで、最大5チームがチャンピオンシップに出場する可能性がある方式となった。結果的には年間勝点1位のチームは2015年(広島)も2016年(浦和)もステージ優勝を果たしており、2シーズンとも出場チームは3チームで落ち着いている。

※12 2005年には入れ替え戦で、2009年には自動降格だが共に16位でJ2降格。チーム増加に伴う特例の制度制度により降格は免れたが、2004年には最下位に沈んでいる。

※13 この年と同様、勝てば自力優勝というシチュエーションで長居スタジアムFC東京を迎えたが、1点リードで迎えた終了間際に失点を許して2-2のドローに終わり、優勝をガンバ大阪にさらわれた。

※14 2001年、2006年、2014年の3回。いずれも前年に優勝争いをしていた為、セレッソは優勝争いをすると翌年降格するというジンクスまで生まれた。

※15 主なメンバーは宮本恒靖新井場徹、二川孝弘、橋本英郎大黒将志吉原宏太など。その後シドニー世代では山口智遠藤保仁加地亮明神智和らが加入している。尚、稲本潤一は翌年夏に海外移籍を果たした。

※16 余談だが、この年の優勝争いで涙を飲んだ柏とガンバで、ガンバの監督を務めた早野宏史監督と柏の監督を務めた西野朗監督は共に翌年途中で解任され、何の因果か西野監督は2002年にガンバ 、早野監督は2004年に柏の監督を次の仕事先に選んでいる。だが、2005年はガンバは優勝、柏は降格するなど、その明暗はくっきり分かれる事になった。


 

 

2003年などは複数チームが絡む中での直接対決だった為、純粋に最終節での決勝戦的な直接対決というシチュエーションはこれ以降だと2006年のみである。そして、今年もそうなる可能性はある。果たしてどのような結末を迎えるのだろうか。