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ロシアW杯直前の今だからこそ振り返ろう!第1回 西野朗の率いたガンバ大阪〜後編・最期まで美しく~

実は私、福知山とは小さくない縁があったりしまして

 

 

結局書くことのなかったこの記事の終盤で書いている移動というのも福知山に行ったりしていたわけで。

 

突然の大河ドラマ明智光秀の報にビビっております。

 

どーもこんばんは

 

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ついに福知山にスポットライトが…

何か機会と需要があれば、福知山の事もちょっと書こうかなと。

さすがに三段池公園はスタジアムガイドに載せる規模じゃないけど…

 

さてさて、今回は連載企画、西野朗の率いたガンバ大阪ついに最終回となる後編でございます。

 

しれっと続きから書き出して行きますので、初めてここに辿り着いた方は是非此方からご覧頂きたい↓

 

 

   

2008年にクラブ史上最高とも言えるシーズンを過ごした西野ガンバに残された目標は1年でのリーグ・ACLの両獲りしかありませんでした。

そこで2009年、クラブW杯は参加するだけで結構な賞金が貰えますから、3位の賞金も有効に活用してレアンドロチョ・ジェジン高木和道パク・ドンヒョクなど大型補強。さらにユースからは宇佐美貴史を昇格させ、退団も福元洋平ミネイロなどあまり出番のなかった選手に限られ、容陣は過去最強とも言える選手層でした。

しかし加地や二川といった西野体制で絶対的な存在である2人が負傷離脱で前半戦をほぼほぼ棒に振るなど、なかなかベストメンバーが揃わない状態が続き前半戦は不振に陥ります。連覇を目指したACLも、ベスト16での日本勢対決でホームというアドバンテージを活かせず川崎に逆転負け(当時は予選1位通過チームのホームでの1発勝負だった)。さらにナビスコ杯も横浜に敗れてベスト8で敗退し、公式戦ホーム6連敗を喫するなどお世辞にも良かったとはいえない前半戦でした。

しかしその後に欠けていたメンバーが少しずつ戻ってき始め、レアンドロの途中退団というアクシデントはあったものの昨シーズンのいい感覚を取り戻したガンバは終盤怒涛の追い上げを見せて優勝争いに踏み止まります。

結局、第33節の鹿島との直接対決に敗れて優勝は逃しますが、天皇杯ではベスト8でその鹿島を下して勢いに乗り、ベスト4では仙台を、そして元旦の決勝では遠藤の大活躍もあって名古屋に4-1の快勝。なんとか最後に1つタイトルを獲得してシーズンを終えることが出来ました。

 

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実際問題として、前回も述べましたが西野ガンバは2007、2008年をピークに完成形になりました。

翌2010年は西野体制も9年目。嫌でもマンネリというものが出てくるでしょうし、実際内部にはそういう兆候も多かれ少なかれあったと思います。

それが少しずつ影を見せ始めたのが2010年であり、尚且つ新しい刺激を与えてマンネリ打破への兆しを見せたのが2010年、そして西野体制ラストイヤーとなる2011年でした。

 

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2006年からここまで、大型補強の続いてたガンバですが、この年は新戦力としての補強はゼ・カルロスのみ。その他の入団はレンタルバック組やルーキー程度に留めて、基本的には昨年の布陣でいく構図となりました。

しかしゼ・カルロスは残念な事にキャンプの時点でハズレ外人である事が確定してしまい、ペドロ・ジュニオールもすったもんだの末退団。

その結果序盤戦は大スランプに陥り、リーグ初勝利は6節の大宮戦まで待つ事になりました。(今年のガンバは何節だって?聞くんじゃねぇよそんな事...)

しかしこの年の特徴は、これまで出番の少なかった若手が多く出番を掴んだ事。これが結果的にマンネリを深刻化させない要因に繋がりました。

昨シーズンまで出番の少なかった選手の中でも、武井択也は21試合に出場するようになり、特に特筆すべきなのはそれまでリーグ戦で無得点だったにもかかわらず、この年日本人得点王にまで輝いた平井将生、そしてご存知、宇佐美貴史がブレイクを果たしたのがこの2010年シーズンです。

   

大不振で幕を開けたシーズンも、W杯による中断明けの浦和戦に勝利して以降、橋本英郎の6試合連続ゴールなどもあったりしてグングン調子を上げていきます。

この年は名古屋が圧倒的な力を見せていたため優勝争いに関わる事はなく、ナビスコ天皇杯でもタイトルは取れず無冠に終わってしまいましたが、最終的には鹿島を追い抜いて優勝した2005年以降では最高となる2位でフィニッシュしました。

 

迎えた2011年、ガンバ大阪20周年となるこの年はもまた、スタートは微妙でした。ホームでは安定して勝てるけどアウェイでは中々勝てないという状態が続きます。

この年は宇佐美がドリブラーとして成長しており、また新戦力のFW、アドリアーノはスピード型のストライカーで、前半戦はカウンター寄りのサッカーを展開していました。

しかしその結果、ACLではベスト16で敗退し、リーグ戦も悪くはないけど良くもない成績。

さらに追い討ちをかけるように宇佐美がドイツへ、アドリアーノが中東へ移籍します。

 

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そのアドリアーノ、宇佐美の代役としてガンバは、ザスパ草津からラフィーニャを獲得。一見ランクダウンに見えるこの移籍ですが、結果的にこのラフィーニャが大当たり。しかもガンバのパスサッカーと抜群の相性を見せ、一気に後半戦のキーマンに躍り出ます。

 

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本来の攻撃的なパスサッカーを取り戻したガンバは夏場に一気に巻き上げて首位に立ち、安定した成績で走り始めます。

しかし第27節で降格圏にいた甲府戦にホーム無敗記録、連続得点記録を同時に止められる0-2の敗戦を喫してから歯車が狂い、29節の名古屋との直接対決に敗れ、その後山形、鹿島に連勝したものの、32節では新潟と引き分けているうちに柏、名古屋に順位を抜かれてしまいます。

 

そしてその新潟戦終了後、西野朗監督との契約満了が発表されます。

当時、金森社長の西野監督の切り方に憤りと疑問を感じたガンバファンは多いのではないでしょうか。

 

西野監督とクラブW杯を戦うべく、奇跡の逆転優勝を信じてラスト2試合に賭けたガンバは仙台、清水相手に2連勝。しかし優勝を争っていた柏、名古屋も負けずに2試合を乗り切り順位は3位。ですが獲得勝点はガンバ史上最高の勝点を積み上げ西野朗ガンバ大阪の10シーズンに渡る長い旅は幕を閉じました。

 

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この10年間で、ちょうどいい若手が同時に出てきたというタイミングもありますが、西野監督がガンバに残したものは今でもガンバのフィロソフィーとして息づいており、それほどガンバにとって西野朗という監督はとてもという言葉では言い表せないくらいに重要な人物であったと言えるでしょう。

   

2002年に就任し、優勝が2005年というように時間をかけてチームを作るタイプの監督なので、今回の代表での時間の無さは大きな不安要素の1つですが、以前もこのブログで述べたように、人選の是非はともかく西野ジャパンが好成績を残してくれたらそれが私にとっては1番嬉しいです。

 

連載にお付き合いありがとうございました

ではでは(´∀`)

 

   

 

ちなみに、先日加地亮やべっちFCで2度も西野監督のモノマネを披露しましたが、モノマネクオリティー中澤聡太氏の方が上と思われます...