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ボヘミアンラプソディ、映画と史実の若干の相違点【ネタバレ注意】

染谷……

 

どーもこんばんは

 

 

さてさて、イギリスの伝説のロックバンド、QUEENを描いた映画であるボヘミアンラプソディ」は11月9日に日本で公開されてからというもの、アナと雪の女王」や「君の名は」を超える勢いの右肩上がりの興行成績を見せて現在もロングヒットを記録しています。

メディアでもワイドショーのみならず、ゴールデンタイムのテレビ番組でもQUEENフレディ・マーキュリーの特集が組まれたりするほど、映画のヒットが巻き起こした影響は社会現象とも化しつつありますね。

 

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かくいう私も、兼ねてからQUEENが好きだった事もあって3回観に行ってしまいました…。

最後のLIVE AIDのシーンなんかは特に、絶対に映画館の大スクリーンと大音量で観るべきだと思うので、気になっているけど観に行っていない、という方は是非観に行くべき作品だと思います。

恐らく少し経てばAmazon Primeなんかで配信もされると思いますが、正直この映画は映画館で鑑賞するのと配信などで観るのは面白さが段違いだと思うので…。

 

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で、じゃあ今回のブログのテーマはなんぞや、と言うと、この「ボヘミアンラプソディ」という映画はQUEENというバンド、それにまつわる人物の事実を基にしている事は勿論ですが、言ってしまえば大河ドラマなどと同じで、映画として面白くする為にいくつか史実とは異なる部分を盛り込んだりしています。

 

 

 

個人的にはこれまでに観てきた映画の中でも屈指レベルに面白かったですし、制作チームにはブライアン・メイロジャー・テイラーといったQUEENメンバーも関わっているので史実と異なる点がある事にやいやい言うつもりはありませんが、今回は一つのトリビアとして、映画と史実が異なる点をいくつか挙げていこうと思います。

「へぇー、そうなんやー」くらいの感覚でお楽しみください。

 

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…となると、当然映画をまだ観ていない人にとってはネタバレ注意案件の記事になります。

前述の通り、基本は史実に基づいているのでネタバレもクソもないと言えばそこまでですが、やはり今回はブログの内容的に映画の核心部分も書く事になっちゃうので、まだ映画を観ていない方はここから先は自己責任でお願いします。

言いました!言いましたよ!知りませんよ!

では、次からスタートです。

 

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①フレディのエイズが発覚した時期

 

映画→LIVE AIDの前

史実→LIVE AIDの後

 

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映画の中ではフレディがソロアルバムを制作中から兆候が見え始め、LIVE AIDのリハーサルが開始された辺りで発覚&メンバーに告白していました。

フレディがエイズを告白した「フレディ、君は伝説だ」「当然さ…『僕たち』がね。」のシーンは屈指の名場面ですが、史実としてはLIVE AIDの時点ではまだフレディはエイズという事を認識していませんでした。

後年の関係者などへのインタビューによると、フレディがエイズと診断されたのはLIVE AIDの2年後にあたる1987年頃で、他の3人のメンバーには1989年に発売されたアルバム「The Miracle」の製作中に告白したと言われている事ですから、1988年頃と推測されます。

ボヘミアンラプソディ」は厳密なノンフィクションという売り方でもありませんし、そうなればLIVE AIDをクライマックスシーンにする以上はここの時系列を弄る事は必要だったと言えるかもしれません。

 

 

②ジム・ハットンとの出会い

 

映画→フレディのパーティーの後片付けをしているジムに声を掛け、その後電話帳で連絡先を調べて再会した

史実→クラブでフレディがナンパ。何度か断られた末にパートナーとなる

 

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LIVE AIDのシーンやエンドロールにも登場したフレディのパートナーとなるジム・ハットンとの出会いについては、映画ではフレディ邸でのパーティーの後片付けをしていたジムに声を掛け、その後電話帳から探しまくって再会…という流れでしたが、史実ではクラブでフレディがジムに声を掛け…と、出会い方としてはそれなりによくある出会い方でした。

 

 

 

余談ですが、木村拓哉主演のドラマ「プライド」にも起用されて日本で大ヒットした曲、「I was born to love you」は元々フレディのソロ曲で、映画でも流れた「Love of My Life」がメアリーに捧げた曲であるのと同様に、「I was born to love you」はジムに向けての曲という説もあります。

 

 

③フレディのソロ活動がグループに及ぼした影響

 

映画→亀裂が入って実質活動休止状態に

史実→そもそもフレディより先にロジャーがソロ活動をしていた為、特に大きな影響はなし

 

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映画の中では、フレディがCBSソニーとソロでの契約を結び、それが引き金となってメンバー間に亀裂が走って実質解散状態にまで陥りました。

しかし史実ではフレディのソロ活動は(個人個人で思う事はあったかもしれないけど)QUEENの活動にそこまで大きな影響を及ぼした訳ではなく、そもそもソロ活動に関してはフレディよりも先にドラムのロジャー・テイラーが行なっており、フレディにしてもロジャーにしてもQUEENでの活動を前提にした上でのソロ」くらいの位置でしたので、フレディのソロ活動がグループに亀裂を及ぼした事はないと思われます。

 

 

QUEENの活動休止

 

映画→③のソロ活動が起因で1対3に割れる構図になり、そのまま活動休止

史実→1年ほどの空白期間はあったが、解散に近い状態での活動休止は無かった

 

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③でも述べたフレディのソロ活動からの口論をきっかけに映画では解散に近い状態にも陥っていましたが、③でも述べたようにあそこまで露骨な状態には陥っていません。実際に映画では「LIVE AIDは久し振りのライブ」みたいな言い方もしていましたが、厳密にはLIVE AID直前まで1984年の「The Works」というアルバム発売に伴うツアーを行っており、LIVE AIDの2ヶ月前には東名阪で来日コンサートも開催されました。

 

 

 

しかし、1980年代前半頃にはメンバー同士の口論は実際に多くなっており、映画の中でフレディが言っていた通り「アルバムを出してツアーを繰り返す生活」に物足りなさを感じていたのは事実のようで、LIVE AID前の解散危機にあった事は事実のようです。実際にLIVE AIDでのパフォーマンスが無ければ本当に解散していたかもしれない」というメンバーのコメントもあるので、そういう視点でLIVE AIDを見直してみるのも面白いかもしれません。

 

 

LIVE AIDへの出演経緯

 

映画→QUEENに出演オファーは知らされず、後にフレディがマネージャーに出演させてくれるように求めた

史実→当初QUEENはオファーを断っており、主催者やマネージャーの説得によって出演を決めた

 

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LIVE AIDを開催するにあたって、主催者であるボブ・ゲルドフは世界的に有名なバンドの出演が不可欠と考えた結果、ピーク時よりも人気は落ち着いていても未だ世界的に影響力を持つQUEENの出演は必須であるという事でQUEENにも当然オファーを出しました。

映画ではフレディの個人マネージャーでもあったポール・プレンターがオファーを握り潰した事になっていましたが、史実では当初は④でも述べたQUEENの活動へのモチベーションの低下と20分しかない出演時間からQUEEN側から出演を断っています。

 

 

 

それでもQUEENの出演を諦め切れないボブはQUEENのマネージャーを務めるジム・ビーチ(マイアミ・ビーチ)を通じてフレディに直接交渉し、「今のQUEENの状況を打破する為にも出演するべき」と説得。その結果、LIVE AID出演を決めたQUEENは観衆の心に刻みつけるどころか自分達の活動の閉塞感すら吹き飛ばしてしまうパフォーマンスを見せたという訳です。

 

 

⑥ジョンの加入時期

 

映画→フレディとほぼ同時期加入

史実→フレディ加入後、数名のベーシストの入れ替わりを経て加入

 

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元々QUEENというバンドの前身はギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラー、そしてベース兼ボーカルのティム・スタッフェルの3人で組んでいた「SMILE」というバンドで、ティムが脱退した事と同時に以前から親交のあったフレディがボーカルとして加入しました(ここも若干映画と史実が違う)

ですが、映画でブライアンとフレディによる「ベースは弾ける?」「弾けない」というやり取りがあったように、ベース兼ボーカルを務めるティムの脱退は実質2人分のメンバーが抜けたという事も意味するので、フレディがベースを弾けない以上、バンドとして成立させる為にはベーシストを加入させなければなりません。そこでバンド名を「QUEEN」と改めたバンドはベーシストのオーディションなどを行い、数名のベーシストが入れ替わった結果、最後に加入したのがジョンでした。ジョンについてはベースのテクニックは勿論ですが、それよりも温厚な人柄や後に自作のアンプを製作してしまうほど電気工学に強かった事が加入の決め手だったとも言われています。

その為、QUEENが「QUEEN」と名乗り始めたのは1970年と言われていますが、公式ではジョンが加入してメンバーが固まった1971年がQUEENの結成年とされています。

 

 

…とまぁ、一部を挙げるとこんな感じになります。

この他にも例えば、We Will Rock You」の製作時期など大なり小なり史実と違う点はありますが、そもそも製作にはブライアンとロジャーという本人が関与している訳ですし、前述したように「ボヘミアンラプソディ」はそもそも厳密なノンフィクション映画として売っている訳ではありませんから、これはこれで映画としてよりドラマティックになる為の脚色だったと思います。

ただ、一つの豆知識的な感覚として頭に入れておくと、また違った角度で映画を楽しめるかもしれませんね。

ちなみにポールは映画より史実のがクズだった説あるみたい。

 

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やっぱり何度観ても「Don't Stop Me Now」をあのタイミングで入れてくるのは神過ぎる。

ではでは(´∀`)