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Jリーグ平成ベストイレブン!外国人助っ人編その2

そろそろちゃんとしたサカつく出ないかな…。

 

どーもこんばんは

 

ホームスタジアムの真横に空港作りてぇ。

 

さてさて、先日から乱発しております平成回顧企画。今回もJリーグ平成ベストイレブン外国人助っ人編です!

 

 

 

前回がJリーグ活躍した人メインで行ったので、今回は活躍の有無を問わず、平成のJリーグに所属した選手でドリームチーム作ってみようや!という企画で行かせて頂きます。

 

 

中には期待外れに終わった選手もいたりしましたが…。それでは早速スタート!

 

 

 

GK ジルマール(C大阪など)

 

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ブラジル代表通算9試合0得点(1986〜1995)

FIFAワールドカップ出場(1994)

 

ブラジル代表のGKとしてロサンゼルス五輪銀メダル、そしてアメリカW杯優勝メンバーのさという実績を引っさげて1995年にJリーグ入り。セレッソJリーグ昇格元年から3シーズン守護神としてプレーしました。

引退後はブラジルで代理人を務め、ワシントンやファンなど有力な選手も担当。後にインテルなどで活躍し、カルテット・マジコの一員となるアドリアーノを無名時代に発掘した事でも知られています。

 

GKその他の候補選手

ジョニー・レオーニ(栃木SC)

チョン・ソンリョン(川崎フロンターレ)

ランゲラック(名古屋グランパス)

 

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DF ジョルジーニョ(鹿島など)

 

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J1優勝(1996、1998)

リーグカップ優勝(1997)

天皇杯(1997)

JリーグMVP(1996)

Jリーグベストイレブン(1996)

ブラジル代表通算64試合3得点(1987〜1996)

FIFAワールドカップ出場(1990、1994)

 

カフーマイコンダニエウ・アウベスなど、これまで数多くの世界的右サイドバックを輩出してきたブラジルの中でも歴代屈指の右サイドバックであるジョルジーニョは、レヴァークーゼンバイエルン・ミュンヘンといったドイツでの活躍を経て、バリバリのレギュラーとしてアメリカW杯で優勝した翌年にジーコの兄、エドゥーの誘いもあって鹿島に入団。そこから2度のリーグ優勝に加えて天皇杯ヤマザキナビスコカップのタイトルを鹿島にもたらし、1996年にはMVPを受賞しました。

2012年には監督として鹿島に復帰。リーグ戦では低迷し、残留争いに巻き込まれかけたもののヤマザキナビスコカップのタイトルを獲得し、柴崎岳昌子源といった若手を積極的起用しています。

 

 

 

DF サンパイオ(横浜F、柏、広島など)

 

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天皇杯優勝(1998)

ブラジル代表通算49試合6得点(1993〜1998)

FIFAワールドカップ出場(1998)

 

SEパルメイラスの黄金期の中心メンバーとして大活躍した後、1995年に当時から同僚であったジーニョ、エバイールと共に横浜フリューゲルスに加入。山口素弘と組むダブルボランチはJ屈指の安定感を誇り、フリューゲルスの中盤を大きな強みにしました。フランスW杯ではフリューゲルスの選手として出場し、開幕戦で大会のオープニングゴールを記録。1999年元旦、フリューゲルス最後の天皇杯の優勝メンバーの一人でもあります。

フリューゲルス消滅後はブラジルに帰国しましたが、2002年には柏に移籍して日本復帰。2003年に加入した広島ではJ2に降格したチームのJ1復帰に尽力しました。

 

 

 

DF ギド・ブッフバルト(浦和など)

 

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Jリーグベストイレブン(1995、1996)

ドイツ代表通算(西ドイツ代表時代含む)76試合4得点(1984〜1994)

FIFAワールドカップ出場(1990、1994)

 

VfBシュトゥットガルトで長らくプレーし、ドイツ代表でも欠かせない存在として1990年イタリアW杯では決勝でディエゴ・マラドーナを完封するなどして大活躍。西ドイツの優勝に大きく貢献しました。

その後1994年アメリカW杯後に浦和レッズに入団し、1993年はぶっちぎりの最下位だった浦和を上位に導き、ブッフバルト自身もベストイレブンを2度受賞するなど大活躍を見せます。1997年、浦和退団セレモニーで浦和駒場スタジアムを白馬に乗って回ったシーンは名場面。

引退後は浦和のテクニカル・アドバイザーを経て2004年からは監督に就任。前年にようやく初タイトルを獲得したばかりの浦和にステージ優勝、天皇杯、そしてリーグ優勝をもたらすなど、選手としても監督としても浦和のレジェンドとなりました。

 

 

 

DF レオナルド(鹿島など)

 

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Jリーグクロニクルベストゴール第1位(2013)

ブラジル代表通算55試合7得点(1990〜2001)

FIFAワールドカップ出場(1994、1998)

 

端正なルックスとエレガントなプレーから「レオ様」と呼ばれ、抜群の人気を誇った世界的な名選手。1994年アメリカW杯では左サイドバックとしてプレーしました。

大会後、ジーコの誘いを受けて鹿島に入団。1996年の夏にフランスのパリ・サンジェルマンに移籍したため同年の鹿島の優勝には立ち会えなかったものの、1995年の横浜F戦で決めたゴールは2013年にJリーグクロニクルベストゴールで第1位を獲得しています。

鹿島退団後は前述のPSGやACミラン、代表ではフランスW杯で活躍。引退後ミランのテクニカル・ディレクター、監督を経てインテルの監督に就任し、チェゼーナに所属していた長友佑都インテルに迎え入れました。

 

DFその他の候補選手

バジール・ボリ(浦和など)

洪明甫(平塚、柏など)

 

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MF ジーコ(鹿島など)

 

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Jリーグクロニクルベストゴール第9位(2013)

日本サッカー殿堂(2016)

ブラジル代表通算71試合48ゴール(1976〜1986)

FIFAワールドカップ出場(1978、1982、1986)

 

果たして、神様ジーコがもし来日していなければJリーグは、そして日本サッカーはどうなっていたのか…とすら考えさせるほど、日本サッカー界にとっては大偉人と呼べる存在です。サッカーの神様、ペレに「今までの間、私に最も近づいたのはジーコだった」と言わしめた程、ブラジル代表として輝かしいキャリアを過ごしたジーコが引退を撤回してまで当時の住友金属に入団した事は驚きをもって受け止められましたが、現在も鹿島には「SPIRIT OF ZICO」が掲げられているほど鹿島、そしてJリーグと日本サッカーに大きなものを残しました。

引退後は日本代表監督も務め、ドイツW杯に出場。その後は複数チームの監督を歴任し、昨季途中からテクニカル・ディレクターとして鹿島に復帰。同年のACL制覇に、フロントの立場から貢献しています。

 

 

 

MF ドゥンガ(磐田など)

 

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J1優勝(1997)

JリーグMVP(1997)

Jリーグベストイレブン(1997、1998)

ブラジル代表通算91試合6得点(1982〜1998)

FIFAワールドカップ出場(1990、1994、1998)

 

1994年アメリカW杯ではライーからキャプテンを引き継ぎ、絶対的主軸として優勝に貢献。キャプテンとしてW杯トロフィーを掲げた翌年に磐田に加入しました。

磐田が強くなる礎を築き、1997年には磐田を初めての優勝に導く大活躍を見せて同年のJリーグMVPを獲得。名波浩福西崇史奥大介といった、後に日本代表にも名を連ねる選手にも多大な影響を与えたと言えます。

引退後はブラジル代表監督に2度就任。南アフリカW杯では監督としてブラジル代表を率いました。

 

 

 

MF アンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)

 

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スペイン代表通算126試合13得点(2006〜2018)

FIFAワールドカップ出場(2006、2010、2014、2018)

 

FCバルセロナカンテラで育ち、ジョゼップ・グアルディオラ監督の築き上げたサッカー史上にも残る強さを見せたバルサのキーマンの一人で、スペイン代表黄金期に於いても最も欠いてはならない選手と言えるスペイン史上最高のMFの一人がバルサ退団を発表した時、まさかJリーグ入りするなんて夢にも思いませんでした。

バルサの最強のティキ・タカを体現し、南アフリカW杯決勝ではスペインを初の優勝に導くゴールを決めたイニエスタは、次節からは神戸のキャプテンに就任する事も発表されています。神戸のスタジアムの値段高騰はアレですが、日本にいる間に絶対に観に行っておくべき選手である事には間違いありません。

 

 

 

MF フリスト・ストイチコフ(柏など)

 

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ブルガリア代表通算83試合37得点(1987〜1999)

FIFAワールドカップ出場(1994、1998)

 

計7シーズン在籍したFCバルセロナでは、ヨハン・クライフ監督の率いるドリームチームの中で最強攻撃陣の一角として圧倒的な存在感を発揮。1994年アメリカW杯では得点王にも輝いて、ブルガリア代表を初のベスト4進出に導くなど、間違いなくブルガリアサッカー史上最高の選手です。

柏に在籍したのは1998年の途中から1999年途中までと僅か1年でしたが、その間に残したインパクトはやはり絶大。2003年に現役を引退すると、2004年には母国ブルガリア代表の監督に就任し、2006年ドイツW杯の直前には長居スタジアムで行われた日本代表とも対戦しました(余談ですがこれが私の代表初現地)

 

MFその他の候補選手

ピエール・リトバルスキー(市原、仙台など)

ジーニョ(横浜Fなど)

ジェラルド・ファネンブルク(磐田など)

ミカエル・ラウドルップ(神戸など)

チキ・ベギリスタイン(浦和など)

フレドリック・リュングベリ(清水など)

朴智星(京都など)

 

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FW ゲーリー・リネカー(名古屋など)

 

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イングランド代表通算80試合48得点(1984〜1992)

FIFAワールドカップ出場(1986、1990)

 

紛れもなくイングランド史上最高のストライカーに名を挙げられる名FWで、プレミアリーグFCバルセロナで大活躍。イングランド代表では1986年メキシコW杯で得点王を獲得し、その後はイングランド代表キャプテンも務めるなど抜群の実績とスター性を持って1993年に開幕したJリーグに参戦しました。

当時のJリーグで最高の年俸だったものの、開幕戦でジーコ率いる鹿島に0-5で敗れた事をきっかけに、怪我などもあって2シーズンで僅か4得点しか決める事が出来ず、Jリーグでは残念ながら期待外れという事に。現在は解説者として、母国イングランドで人気を博しています。

 

 

 

FW フェルナンド・トーレス(サガン鳥栖)

 

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スペイン代表通算110試合38得点(2003〜2014)

FIFAワールドカップ出場(2006、2010、2014)

 

「エル・ニーニョ(神の子)」と呼ばれた文句無しのスーパースターは、まさしくアトレティコ・マドリードの象徴的存在として一躍大スターに。その後移籍したリバプールでもエースストライカーとして大活躍し、チェルシーでは活躍は出来なかったものの、チャンピオンズリーグ準決勝など勝負強さは随所に発揮してチャンピオンズリーグ優勝に貢献しました。

スペイン代表でも2008年のEURO決勝で決勝ゴールを挙げるなど、スペイン史上最高のストライカーの一人としても数えられる選手が鳥栖に来るなんて、10年前に言ったら誰も信じなかったでしょう…。

 

FWその他の候補選手

カレカ(柏など)

サルヴァトーレ・スキラッチ(磐田など)

ダニエレ・マッサーロ(清水など)

ベベット(鹿島など)

フッキ(川崎、札幌、東京Vなど)

ディエゴ・フォルラン(C大阪など)

ルーカス・ポドルスキ(ヴィッセル神戸)

ダビド・ビジャ(ヴィッセル神戸)

 

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…やっぱり神戸ってあいつらやべぇよ。

 

 

 

サカつくで好きな選手が俺様状態だった時の何とも言えなさ。

ではでは(´∀`)