新型コロナウィルスの影響は最初にJリーグの中断が発表されたあの時から随分経った今、あの時以上に先行きが見えなくなってきてしまった。3月19日再開だったものは4月3日に延び、4月25日に延び、そしてそれも延び……今はただ待つしか出来ない。
2019年シーズンの末に連載を始めて5回分更新し、Jリーグが中断してから4回更新(第7回のみ前後編)している当企画もいよいよ10回目である。ある意味では…この第10回に関しては、前回の第9回を前編として扱う事も出来るのかもしれない。前回扱ったのが2012年の残留争い。今回取り上げるのは、その時は「悲劇」の側に立った面々の逆襲と挑戦の一年である。
今回は2014年の優勝を争いを振り返っていこうと思う。
今回は展開的に、第9回の2012年編を先に読んで頂いた方がお楽しみ頂けると思う。
https://www.rrr3k.com/entry/2020/04/11/100020
2014年のJ1チーム
ベガルタ仙台(前年13位)
鹿島アントラーズ(前年5位)
浦和レッズ(前年6位)
大宮アルディージャ(前年14位)
柏レイソル(前年10位)
FC東京(前年8位)
川崎フロンターレ(前年3位)
横浜F・マリノス(前年2位)
ヴァンフォーレ甲府(前年15位)
アルビレックス新潟(前年7位)
清水エスパルス(前年9位)
名古屋グランパス(前年11位)
ガンバ大阪(前年J2、優勝)
セレッソ大阪(前年4位)
ヴィッセル神戸(前年J2、2位)
サンフレッチェ広島(前年優勝)
徳島ヴォルティス(前年J2、4位)
サガン鳥栖(前年12位)
日本代表の人気と期待が間違いなく過去最高に高まっていたブラジルW杯を控えたこの年、前年が終盤まで6チームが絡む優勝争いだった事もあってか優勝予想も中々に割れた。
若手の成長は著しくも大迫勇也の退団でスケールダウン感は否めなかった鹿島、そして川崎と積極補強を敢行したマリノスの2チームがACLの影響で優勝予想に余り名前が挙がらなかったのに対し、優勝予想の人気が高かったのはACLに関しては「前科と保証」がある前年度王者の広島、レアンドロを筆頭に大型補強を行った柏、懸念だったGKに西川周作を加えた浦和、そして優勝予想本命かどうかは別として最も注目されたのはセレッソだった。それもそのはず、柿谷曜一朗や山口蛍が代表に定着し、南野拓実、杉本健勇、扇原貴宏などのユース出身選手も存在感を見せていたところにゴイコ・カチャル、ミッチ・ニコルスという代表経験選手を迎え入れ、極め付けに獲得したのがウルグアイ 代表ディエゴ・フォルランである。
2018年に神戸がアンドレス・イニエスタを獲得したが、この時はJリーグの景気としては上昇気流にあったし、この年のフォルランや2017年のルーカス・ポドルスキの来日で多少の態勢は此方もついていた。2014年のJリーグといえば、翌2015年からは2ステージ制を復活させる事が決定したほどには経営が暗くなっていたし、ワールドクラスのスターどころかブラジル人助っ人すら少なくなっていた時期である。そんな時に突如現れたのがフォルランだったから、ガンバファンの私もさすがに入団会見でフォルランが「オオキニ」と言った瞬間の昂りは凄まじかった。
話を予想に戻すと、優勝争い本命扱いされていたのは浦和、柏、セレッソ、広島の4チーム。そこに鹿島、川崎、マリノス、そしてJ1に帰ってきたガンバと大型補強に成功した神戸がどこまで絡んでいけるか…が注目の的となった。要するに例年よりも注目すべきところが多かったのである。そしてこの年、世間はまた「Jリーグの恐ろしさ」を痛感する事になる。
中断期間前
前述の通りこの年はブラジルW杯が開催される為、第14節終了時点からJ1は2ヶ月の中断期間に突入する。まずはそれまでに勝点をどれだけ稼げるかが一つのポイントだった。
まず最初に開幕ダッシュに成功したのが開幕からの6試合を5勝1敗とした鹿島、3連覇を目指す広島、そして昇格組ながらマルキーニョス、ペドロ・ジュニオール、シンプリシオという強力ブラジル人トリオを擁する神戸だった。神戸は第8節には首位の鹿島を3-2で逆転勝利を飾ってクラブ史上初となる首位に浮上。首位の座こそ1試合限りのものだったが、一躍序盤戦の台風の目として存在感を放つ。この辺りでじわじわと足踏みし始めた広島に代わって優勝争いに絡んできたのが、GK西川周作の補強で守備が安定した浦和、そしてユン・ジョンファン監督率いる鳥栖の2チーム。両チームとも首位の座を経験し、第14節が終わった時点では浦和が首位の状態で中断期間を迎えた。
昇格組の神戸が台風の目的な存在となる一方、「J1に帰ってきた」と神戸以上の注目を集めていたガンバは対空飛行が続く。ガンバのイメージといえば「超攻撃型チーム」。少々の甘い守備は攻撃でカバーする事で好成績を残してきた、強豪としては異質なチームであった。しかしいざJ1に帰ってきたガンバは懸念だったGKに東口順昭を獲得した事で守備の安定感は格段に増していたものの、あのガンバが「攻撃力不足」に悩み始めたのだ。リーグ最多得点チームだったにも関わらず降格したあのガンバが、だ(※1)。典型的なのが第3節の仙台戦で、元々攻撃的なチームじゃない上にこの年大不振に陥っていた仙台(※2)から得点を取れないだけならまだしも、シュートはリンスが強引に放ったロングシュート1本のみという有様。いくらエースに成長した宇佐美貴史が負傷離脱していたとはいえ、ガンバの異変は明らかだった。宇佐美の復帰後は多少持ち直したが、中断期間前のJ1を16位で終える。まさかガンバが1年でJ2に逆戻り…?順位を見れば、その現実的な可能性も認めざるを得なかった。
※1 2012年のG大阪は17位でJ2降格を余儀なくされたが、得点数はリーグ最多の数字であり、得失点差もプラスを記録していた。言うまでもなく降格チームとしてこの数字は異常なものであり、海外メディアにまで取り上げられるほどになっていた。
※2 この年の仙台は手倉森誠監督がリオ五輪日本代表監督を務める影響で退任し、代わりにグラハム・アーノルド監督を迎え入れたが開幕から6戦勝ちなしに陥り、アーノルド監督の早期解任を余儀なくされていた。
J1中断期間前(第14節終了時)順位表
1位 浦和レッズ(29)
2位 サガン鳥栖(28)
3位 ヴィッセル神戸(24)
4位 鹿島アントラーズ(24)
5位 柏レイソル(23)
6位 サンフレッチェ広島(22)(※3)
7位 アルビレックス新潟(22)
8位 川崎フロンターレ(21)(※3)
9位 清水エスパルス(18)
10位 FC東京(18)
11位 ベガルタ仙台(18)
12位 横浜F・マリノス(17)(※3)
13位 セレッソ大阪(16)(※3)
14位 ヴァンフォーレ甲府(16)
15位 名古屋グランパス(16)
16位 ガンバ大阪(15)
17位 大宮アルディージャ(13)
18位 徳島ヴォルティス(4)
※3 広島、川崎、横浜FM、C大阪の4チームはACLの影響で消化試合が1試合少ない。
中断前の時点で、首位争いは浦和と鳥栖が若干抜けている構図になった。鳥栖と神戸の躍進が目立つ一方、前評判から順位を大きく落とす形になったのは前述のガンバ、そしてセレッソの大阪勢である。セレッソはこの時まさに大ブレイク中であった柿谷曜一朗とディエゴ・フォルランが2トップを組むとなると、当然のように大きな期待が集まった。しかし柿谷はやや1.5列目に配置され、柿谷もフォルランも良さを消してしまう結果になってしまい低迷が続く。結局、ACLでの敗退も重なってこの中断期間中にランコ・ポポヴィッチ監督は解任され、後任にはドイツの育成年代を中心に指導していたマルコ・ペッツァイオリ監督が就任した。
ブラジルW杯が終わる。
ここから、2014年のJ1は一気に笑うチーム、そして一気に泣くチームが明白に分かれる事となる。
中断期間明け
7月中旬、J1が再開される。
再開初戦はいきなり神戸と鳥栖のダークホース対決となった。激しい攻防戦が繰り広げられた上位対決はアウェイの鳥栖が1-0で制す。この勝利により、益々J1は浦和と鳥栖のマッチレースのような状態と化していった。一方、優勝戦線にしがみつく為の重要な試合を落とした神戸はここから失速し始め、神戸の優勝争いは早い段階で儚い夢に終わってしまった。
2014Jリーグディビジョン1第15節
2014年7月19日19:00@ノエビアスタジアム神戸
ACLの兼ね合いで延期されていたセレッソとの試合を制した川崎が4連勝で一気に3位の座を固めた頃、上位進出を目論んでいた広島や柏がズルズルと順位を落とし、鹿島は第14節から9戦無敗を達成するもそのうちの4試合が引き分けだった事でいまいち順位を上げられない。そんな中、急に復活を遂げたのが「悪魔の再来」すら危ぶまれたガンバだった。長谷川健太監督就任後、守備の再建を行ったある種の代償として攻撃力を失い、それが低迷に繋がっていたガンバだったが、夏に獲得したパトリックと怪我から復帰した宇佐美の2トップを軸にしたカウンター攻撃が抜群にハマり、序盤は迷走した選手配置(※4)も遠藤保仁と今野泰幸のダブルボランチという最適解を見つける。再開初戦の甲府戦こそ苦しみながらの勝利だったが、第16節清水戦は4-0、第17節神戸戦は5-1で圧勝。5連勝を飾り、中断前は首位浦和に勝点差14をつけられての16位だったガンバはいつの間にか順位を5位にまで上げていた。
※4 J2にいた2013年から試していた遠藤をFWに配置するシステムを序盤戦は採用していたが、宇佐美の離脱もあって機能不全に陥っていた。また、今野も元々ガンバにはCBとして入団しており、この年のブラジルW杯でもCBとして2試合に出場している。
この年の優勝争いの大きなターニングポイントは2つと言える。
一つは上で挙げたガンバの復活と急激なブースト。そしてもう一つは第18節終了後に訪れた「青天の霹靂」とも言えようニュースリリースが出された瞬間である。
第18節、首位に立つ浦和は神戸との試合に挑み、アディショナルタイムに那須大亮のゴールで何とか同点に追いつくが痛恨のドローを喫する。その浦和を勝点差2で追う鳥栖は名古屋相手に終盤、池田圭のゴールで1-0で勝利した。その結果、鳥栖が第13節以来の首位に返り咲いたのだ。
近年でこそ、フェルナンド・トーレスの獲得などで話題性にも富んだ鳥栖だが、少し前からJリーグを観ている方なら「鳥栖が首位に立つ」という事の凄さが伝わると思うし、覚えている方も多いと思う。鹿島だの浦和だのガンバだの川崎だの…この辺りのチームが首位に立つのとは意味合いが異なってくるのだ。……それは鳥栖にとって「良い意味」に聞こえる。だがこの事の「悪い意味」が浮き彫りになる。
第18節終了時点
1位 サガン鳥栖(37)
2位 浦和レッズ(37)
3位 川崎フロンターレ(33)
4位 鹿島アントラーズ(30)
5位 FC東京(28)
6位 ガンバ大阪(27)
7位 サンフレッチェ広島(27)
8月8日、首位に立ったチームの公式サイトにアップされた「尹晶煥監督 契約解除のお知らせ」というニュースは、鳥栖ファンのみならず全てのJリーグファンが我が目を疑った事だろう。あれから6年経った今も、事の真相はハッキリしていない。ただ確かなのは「首位に立ったチームが監督を解任した」という衝撃の事実だ。
後任には吉田恵コーチが就任したが、監督交代後の5試合で1勝1分3敗を喫した事を皮切りに鳥栖も優勝争いから脱落していく。鳥栖のファンからすれば、夢の中から叩き起こされた感覚だったのかもしれない。良い夢を見られた事に感謝する者もいれば、叩き起こされた事に憤慨する者もいただろう。いずれにしても鳥栖には夢を見続けるだけの体力は無かった。
鳥栖の脱落を機に鹿島と川崎は一気に鳥栖を、そして浦和もろとも抜き去ろうと試みる。しかし浦和は浦和で鳥栖の脱落を是幸いと言わんばかりに第22節から4連勝。ここに来て浦和が独走体制に入り始めて、順位の入れ替わりは鹿島と川崎の2〜3位ばかりだった。そろそろ浦和の優勝のカウントダウンが始まる……そう予想されていた第26節、浦和は浦和で綻びを見せだす。降格圏に沈み、中断明け以降1勝4分7敗という絶望的な状態と化したセレッソに敗北を喫したのだ。その裏で、一度は5で止まった連勝を再び加速させたガンバは優勝争いの選手交代とでも言えるような勝利を鳥栖から挙げて4位まで浮上する。優勝争いの構図としてはここから、鹿島、川崎、ガンバの3チームがまずは浦和への挑戦権を賭けた戦いの渦に吸い込まれていく事となる。そのファーストラウンドは第27節、2位鹿島と4位ガンバの直接対決だ。
終盤戦
第27節終了時点
1位 浦和レッズ(53)
2位 鹿島アントラーズ(49)
3位 川崎フロンターレ(48)
4位 ガンバ大阪(46)
5位 サガン鳥栖(44)
10月5日、雨の降り頻るカシマサッカースタジアム……この時のガンバは2度の5連勝達成でまさに絶好調だったが優勝について考えると序盤に勝点を落としたまくった分、いつ脱落してもおかしくない…というより、この鹿島戦で勝つ事だけがガンバがチャンスを得る唯一の方法だった。ガンバは次の第28節の相手も3位の川崎。生き残る意味にしても脱落するにしても、優勝争いの大きなキーはガンバの手の中にあった。優勝争いに残りたいのなら、まず鹿島と川崎を倒さなくてはならない。
一方鹿島も、この試合で自らの手でガンバを潰せれば、まず少なくとも「邪魔」は一つ減る。ガンバほどのインパクトは無く引き分けも多かったとは言え、そもそも鹿島も3連勝中である上に中断明けの第15節から敗北は第23節で大宮に敗れた1敗のみ。絶好調とまではいかないが、優勝を争うだけの調子を安定して維持していた。12:30というやや珍しい時間に試合はキックオフする。
試合は前半を1-1で折り返すと、鹿島が後半に土居聖真のゴールで勝ち越しに成功。しかしJリーグ史上に残る勢いを持ち合わせていたガンバも71分、宇佐美が左サイドを抉って折り返すと、ここにパトリックが詰めて試合を振り出しに戻した。とはいえ、引き分けでも悪い結果ではない鹿島に対し、前半戦の貯金は無いに等しいガンバにとっては引き分けさえも許されない。絶対に勝たなくてはならなかった。67分に倉田秋、73分にはリンス、アディショナルタイムには佐藤晃大…次々と攻撃的な選手を投入するが、87分に宇佐美のスルーパスからオーバーラップで抜け出したDF丹羽大輝がGKと1対1の場面を迎えるがこれはGK曽ヶ端に阻まれ、直後の宇佐美のFKも僅かに枠を逸れる。ガンバにとって直接対決での引き分け…それは勝点1ではなく、終戦を意味するのは誰もが分かっていた。
試合はアディショナルタイムに突入し、鹿島は中村充孝のクロスに山本脩斗が飛び込む。全ガンバファンの心臓が止まったこの瞬間こそ、今思えば運命の分かれ道だったのかもしれない。ゴールが枠を逸れた直後、目まぐるしく攻守の入れ替わるこの試合では次はガンバのターンだ。ラストワンプレー、鹿島陣内でルーズボールを拾った倉田が遠藤に繋ぐと柔らかいボールでエリア内に放り込む。これを胸トラップしたリンスが、マークするDF西大伍を強引に振り返り右脚を一閃。ゴールがネットに吸い込まれると同時に鹿島の選手はピッチに倒れ、ガンバの選手達は喜びを爆発させた。終了間際にトドメの1発を決め続け、その名前にかけて「仕上げのリンス」と呼ばれていた男はこの瞬間、ガンバファンの間で確かに伝説となったのだ。
この劇的な逆転勝利で2位に浮上したガンバは第28節、今度はホームで3位川崎を迎え撃つ。今野が出場停止という厳しい状況だったが、後半にコーナーキックから米倉恒貴のヘディングシュートで先制点を奪うと、80分には川崎FW小林悠の超決定機をGK東口順昭の超絶セーブで凌ぎ1-0で勝利。最も大事な連戦でこれ以上無い結果を掴み取ったガンバ。順位こそ2位だが、彼らは少し前まで16位…去年はJ2だったチームだ。7連勝を決めた青と黒のチームは文字通り、この舞台の主役の座に躍り出たのだ。
2014Jリーグディビジョン1第27節
2014年10月5日12:34@県立カシマサッカースタジアム
G大阪得点者:オウンゴール(29分)、パトリック(71分)、リンス(90+3分)
2014Jリーグディビジョン1第29節
2014年10月18日14:04@万博記念競技場
第28節終了時点
1位 浦和レッズ(56)
2位 ガンバ大阪(52)
3位 サガン鳥栖(50)
4位 鹿島アントラーズ(49)
5位 川崎フロンターレ(48)
鳥栖の失速で優勝秒読みと言われた浦和だったが、浦和はエースの興梠慎三が負傷離脱した影響もあってセレッソ、仙台、甲府といった下位チーム相手に悉く勝点を落とし、ガンバなどのチームが追撃する余地を残してしまっていた。脱落まっしぐらと見られた鳥栖が粘りを見せる一方で川崎は一気に負けが込み始める。そんな中、第30節では4位鹿島が首位浦和と対戦。鹿島にとってはラストチャンスとも言える試合だったが前半に先制点を奪いながらも後半に追い付かれ、浦和にとっては大きな、鹿島にとっては窮地に陥る、今のまるで違う勝点1を分け合う結果となった。
2014Jリーグディビジョン1第30節
2014年10月26日19:04@県立カシマサッカースタジアム
鹿島得点者:カイオ(39分)
浦和得点者:李忠成(63分)
ここで勝ち切れなかった鹿島は優勝争いから一歩後退。川崎は甲府、清水と残留争い中のチーム相手に連続で逆転負けを喫し、清水戦ではアディショナルタイムに失点を許したことで優勝の可能性が消滅してしまう。
事実上、優勝争いは「浦和が守り切るか、ガンバが逆転するか」が焦点となった。第30節が終わった時点で両者の勝点差は3にまで縮まっていた。鹿島、川崎相手に連勝を飾ったガンバの逆転優勝は現実味を帯びていたのである。第31節、ホームで仙台と対戦したガンバは後半開始早々に大森晃太郎のゴールで先制点を奪う。勢い……ガンバの逆転優勝に向けて、空気と歯車の全てはガンバに味方するように噛み合っているように見えた。だが……鹿島戦でガンバが歓喜に沸いたラストワンプレー、今度はその言葉に呆然とする。アディショナルタイム、ガンバは仙台FW柳沢敦に同点ゴールを許し(※5)、そのまま勝点2を失った。更にナイトゲームとなった浦和は鹿島との直接対決で負けなかったことをポジティブな流れに循環させてマリノス相手に1-0で勝利を掴み取る。残り3試合にして浦和とガンバの勝点差は5。浦和にとっても取れそうで取れなかった「王手」をいよいよかけたのだ。
運命とは恐ろしいもので、浦和が王手をかけた状態で迎える第32節……対戦カードはレッズvsガンバだった。
2000年代中頃、1993年のJリーグ開幕戦でも相見えた2チームのカードは「ナショナルダービー」と呼ばれ、タイトルを巡って幾多の直接対決を戦ってきた。しかし2008年のACL準決勝(※6)の後、浦和が低迷期に入ってしまう。2012年のミハイロ・ペトロヴィッチ監督就任で浦和が盛り返したと思ったら、今度はガンバがJ2におっこちてしまった。
2014年の開幕戦もガンバのホームで行われたガンバvsレッズだったが、J1復帰初戦のガンバは前年も優勝を争っていた浦和の前に「J1」を見せつけられて黒星を喫している。要するに、あの時は明らかに浦和が上だったのだ。だからこそ、いくらガンバ が不利な立場だったとしても……私がガンバファンという感情を抜きにしても、「ナショナルダービーが帰ってきた」という感覚を覚えたのは私だけでは無いと思う。思えば2006年、浦和は同じ埼玉スタジアムで、同じガンバ大阪相手に、同じく直接対決という状況で優勝を決めた。真っ赤に染まった埼玉スタジアム2002、運命の一戦が始まる。
第32節
第31節終了時点
1位 浦和レッズ(61)
2位 ガンバ大阪(56)
3位 鹿島アントラーズ(54)
4位 サガン鳥栖(53)
5位 川崎フロンターレ(51)
数字の上ではこの時点で4位の鳥栖まで優勝の可能性を残していたが、普通に考えてラスト3試合の時点で王手を掴んだチームがいるなら、大体優勝はそのチームである。
この第32節で浦和が優勝を決める為の条件は勝利する事。勝てば優勝決定で、引き分けた場合はガンバとの勝点差も変わらない事になるのでこの試合での優勝は決まらない(※5)。勿論浦和としてはホーム埼玉スタジアムの満員の観衆の中で優勝を決めたいだろうが、直接対決である以上、引き分ければそれはガンバの勝点3獲得を阻止する事にも繋がるので、負けさえ回避すれば優勝はほぼ手中に収められる。逆にガンバからすれば、勝たなければ事実上のゲームセットと言っても過言では無かった。圧倒的に優位な浦和に不安材料があるとすれば、ベンチ入りはしたもののエースの興梠慎三が負傷中という事、そして直前にナビスコ杯を制したガンバの勢いくらいなものだった(※6)。
※5 浦和がガンバに勝てば、3位鹿島とも既に2試合ではひっくり返せない勝点差が開いているので無条件で優勝が決まり、引き分けた場合はG大阪との勝点差5が維持される事になるので優勝は決まらない。浦和が引き分けた場合、鹿島と鳥栖も勝利すれば優勝の可能性を残す事が出来る。
※6 11月8日に行われたナビスコ杯でG大阪は広島を3-2で下して優勝を果たしている。
「ナショナルダービー復活」とも言われたこのカードだが、ナショナルダービーと言われ始めた頃とは一つ、大きな違いがあった。当時は「攻撃のガンバ、守備のレッズ」と言われていた立場が、この年からは構図が逆転していたのである。所謂「ミシャ式」のスタイルでショートパスを繋ぎ押し込んでくる浦和に対し、ガンバは4バックでしっかりと守った上で宇佐美貴史とパトリックの2トップの馬力、阿部浩之と大森晃太郎の両サイドハーフの運動量でショートカウンターを仕掛けていく形だった。そんな両者のスタイルの違いもあって、チャンスの数はそこまで変わらないが試合の主導権は浦和が握り続けていた。前半終了間際には両チームともにあわやゴール、というシーンを迎えるが、共に日本代表に選ばれたGKの東口順昭、西川周作がそれぞれボールをかき出し、前半は0-0で終える。
後半もポゼッションで押し込みながら決定的なチャンスを狙う浦和と、その浦和の裏をカウンターで狙うガンバの構図は変わらない。前半よりも決定的なチャンスは少ない中、浦和は56分にマルシオ・リシャルデス、64分に関根貴大をピッチに送り込む。
…浦和がこの時、本当に投入したかったのは興梠だった事は間違いない。良い時の浦和はある程度崩したところを興梠が決め切ってくれる為、多くのゴールを稼げていた。しかし興梠が居なくなった事でフィニッシャーが居なくなると、浦和は確実に点を取る為にギリギリのギリギリまでパスを繋いで崩し切ろうとしてしまう。これはエースFWを欠くポゼッション型のチームがやってしまいがちな現象でもあり、この試合も押し込んだ割には浦和のシュートが少なかった要因と言える。それでも浦和が興梠を投入しなかったのは浦和ベンチにまだ「理性」が残っていたからだ。ベンチには復帰したとはいえ、それは「復帰したけど久しく試合に出てないからとりあえずベンチスタート」というパターンでは無く、興梠の復帰状況はベンチ入り自体若干無理があるという状態だったからだ。浦和としては念のためというか、精神安定剤的な意味も込めて興梠をベンチに入れたのだろう。今、無理に興梠を入れれば怪我を悪化させるだけの可能性もある。ホームで決めたい気持ちは山々だが、現実的な選択肢として引き分けでも90点と言える浦和にとって興梠を強行出場させる事は悪手以外の何物でも無い。少なくとも、ラスト5分までは浦和もそれを理解していたはずだった。
浦和にとって、勝てば優勝決定の状況で満員のホームで戦えるのは何物にも代え難いアドバンテージだったはず。しかし時間が経つにつれて、今度はその期待とアドバンテージが浦和から「引き分けでもOK」という理性的な判断と現実的な選択を奪い始める…。
一方、とにもかくにも勝利以外に生き残る道が無いガンバは一気に動く。71分にFWリンス、74分にMF倉田秋、そして82分にFW佐藤晃大と攻撃のカードを次々と切った。特筆すべきは、Wエースとしてチームの躍進を牽引した宇佐美とパトリックを勝負所でアッサリとベンチに下げている点である。いくらツートップが二枚看板とて試合の状況次第では下げる事が出来るという強みをこの年のガンバと長谷川健太は持ち合わせていた。「引き分けでもOK」というアドバンテージを忘れたような浦和がどんどん前がかりになってくる中で、カウンターの際にバンバン走れるフレッシュな3人のアタッカーと、長距離でも確実にカウンターパスを通せる背番号7の存在が噛み合う瞬間……ガンバが狙うその一瞬が訪れるのにそこまでの時間はかからなかった。
88分、浦和がフリーキックのチャンスを掴む。柏木陽介がクロスを入れたが、コースに入っていた遠藤はこれをワンタッチで阿部浩之に繋いだ。あの状況でクリアじゃなくてワンタッチパスに出来てしまう辺りが遠藤保仁の凄まじさでもある。これを拾った阿部はリンスとパス交換をしながら一気に前線に駆け上がり、リンスへスルーパスを送る。阿部のパスは浦和の宇賀神友弥に当たってルーズボール気味になったが、これにしっかりと反応したリンスはDFを引き付けて時間とスペースを作り出し、完璧な舞台を作り出してから最後のステージへとパスを流す。ここに走り込んできたのはこの2年、大いに苦しんだ佐藤晃大だった。チームが降格する中で孤軍奮闘したFWは大怪我から復帰したこの年、僅か1得点しか取れていなかった。それでも献身性などが評価されて長谷川監督からの信頼を得ていたFWが、ここに来て最大級の仕事をしてみせたのだ。埼玉スタジアムは静寂に包まれ、青に染まった一角だけが狂喜に沸く。
当然ながら、ただでさえジレンマを抱えていた浦和はここに来てパニックに陥る。ペトロヴィッチ監督は避けていたはずの交代カード……そう、興梠投入を強行してしまったのだ。結果から言うと、最終的に興梠はこの試合が2014年最後の出場となる。
有利だったはずの要素全てが牙を向くような形となってしまった浦和に対し、もはや手のつけられない「ゾーン」とも言える状態に突入したガンバ。アディショナルタイム、前へと急ぐ浦和のパスをカットした今野泰幸が柏木陽介をワンタッチでかわして前線にパス。これを受けた倉田秋がマークにつく森脇良太を振り切って左脚を振り抜き追加点を奪う。佐藤のゴールはリンスのアシストだったから、長谷川監督が途中から送り込んだ3人が全員得点に絡む100%的中の采配をこの舞台でしてみせたのだ。
…思えば2年前、ガンバの降格が決まったヤマハスタジアムでの事。あの日のガンバも、立場はまるで違えどこの日と同じく勝利以外許されない状況で迎えた試合。押し込んではいたという試合状況もあって、1-1の状態でも選手交代に踏み切れないまま磐田に勝ち越しゴールを許してしまった。
あの日、長谷川監督は解説者として磐田vsガンバの解説を担当していた。この時点でガンバの監督の話があったかどうかはわからないが、ガンバの猛攻に一喜一憂を隠そうともしない長谷川監督の姿は完全にただの視聴者だった。降格が決まった試合後、項垂れるガンバの選手を見ながら暫く無言が続いた後でこう呟いた。
「もうちょっと……早く動けたらな、という感じはしましたけどね……」
このコメントから1ヶ月後、言葉の主はガンバの新監督として新体制発表会の壇上に上がり、壊れかけたチームに新たな規律を植え付けて風を吹き込んだ。そしてこのコメントから2年後の大一番、まさしくこの時の言葉通り、例え二枚看板とも言えようツートップを下げてでも積極的な采配に打って出て試合とシーズンを変えてみせた。思えばこの試合だけではない。引き分けで終わっていればこの浦和戦さえも実現出来ていなかったであろう鹿島戦でも決勝点を挙げたのは途中出場のリンスだった。
埼玉スタジアムに試合終了の笛が鳴り響いた瞬間、最高の11人ではなく、最高の18人で闘い続けたガンバに奇跡へと続く確かな道がはっきりと示されたのだ。
2014Jリーグディビジョン1第32節
2014年11月22日14:04@埼玉スタジアム2002
第33節
第32節終了時点
1位 浦和レッズ(61)+21
2位 ガンバ大阪(59)+26
3位 鹿島アントラーズ(57)+23
4位 サガン鳥栖(56)+7
5位 柏レイソル(54)+4
首位の浦和が前説敗れた為、第33節開始前の時点ではガンバのみならず鹿島と鳥栖の優勝の可能性も残されていた。とはいえ、浦和は自力では無くともここで優勝を決められるチャンスは残している。浦和が優勝を決める条件は勝利した上でガンバが引き分け以下に終わる事だ。逆に言えば、直接対決を制した事でガンバは勝利さえすれば最終節に持ち越せる。3位鹿島は勝利した上で浦和が勝たない必要がある。ユン・ジョンファン監督の解任以降ペースが落ちた4位鳥栖もなんやかんやで粘りを見せており、第33節は浦和との直接対決なので勝利さえすれば優勝もそれなりに現実的な可能性として残せる立ち位置にいた。
優勝争いに絡むチームの試合は全て14:00にキックオフする。
ヤンマースタジアム長居に乗り込んだ鹿島の相手はセレッソ。ディエゴ・フォルランを獲得し、柿谷曜一朗や山口蛍のブラジルW杯組に南野拓実ら注目の若手を擁するセレッソは2014年開幕前は間違いなく最も期待されたチームだった。しかし前半戦から低空飛行が続き、2度の監督交代を行う内に降格圏内から抜け出せなくなり、柿谷は海外移籍、山口は負傷離脱で後半戦をほぼ棒に振る。それでも元ドイツ代表のカカウを獲得するなどしたが、途中就任した大熊裕司監督のフォルランとカカウを共に冷遇する采配も物議を醸しているうちにチームはズタボロになっていた。そんなセレッソは鹿島にとって最早勝利どころか得失点稼ぎの相手にしか過ぎず、終わってみれば4-1。鹿島は浦和の結果を待つ最低条件を果たす事に成功し、同時にあれだけ期待されたセレッソの降格がこの試合で確定した。
2014Jリーグディビジョン1第33節
2014年11月29日14:04@ヤンマースタジアム長居
鹿島得点者:カイオ(33分)、赤崎秀平(59分、67分)、柴崎岳(80分)
直接対決となった鳥栖と浦和の試合は、両チーム決定的なシーンを作りながらも互いに活かせずに0-0で前半を終える。一方、浦和との直接対決での勝利に加え、天皇杯準決勝でも勝利した事で「三冠」という新たな目標も出来たガンバ(※8)は序盤戦の主役ともいえた神戸との関西ダービーに挑む。神戸ペースだった序盤に先制点を許さずきっちり乗り切ると、37分に阿部浩之のパスを受けた宇佐美が豪快に左脚を振り抜いて先制。43分にも宇佐美はドリブルからのクロスでパトリックのゴールをアシストし、更に後半に入っても宇佐美がもう一発ぶち込んで3-0。その後神戸に1点を返されたが、元々神戸戦の相性が異常なくらい良かった(※9)エース宇佐美の活躍で危なげなく勝利し、少なくとも今節での浦和の優勝確定は無くなった。試合後、ホーム最終戦セレモニーでキャプテンの遠藤は三冠獲得を高らかに宣言し、後は浦和の結果を待つのみとなる。浦和が引き分け以下に終わった場合、ガンバは首位で最終節を迎える事になるのだ。
2014Jリーグディビジョン1第33節
2014年11月29日14:03@万博記念競技場
G大阪得点者:宇佐美貴史(37分、49分)、パトリック(43分)
神戸得点者:小川慶治朗(70分)
※8 11月26日に行われた天皇杯準決勝で、G大阪は清水に5-2で勝利し決勝進出を決めていた。既にナビスコ杯を制していた為、2000年の鹿島以来史上2チーム目となる三冠達成の可能性を残していた。
※9 2009年のデビュー以降、宇佐美は出場した神戸戦の全試合でゴールを決めていた。尚、この記録は2015年1stステージ第15節での対戦が0-0のスコアレスドローに終わった事で途切れている。
前半終了時点でガンバが2点リードを奪っていた事は浦和に小さくない焦りを呼んでいただろう。というのも、今節での優勝確定が無くなりそうという点はそこまでの影響は無いが、得失点差では既にガンバが上回っていた為、勝利を逃せば首位すらもガンバに奪われた状態で最終戦に挑まなければならなくなるのだ。ガンバの最終節の相手が最下位の徳島であるのに対し、浦和の相手は12位とはいえ終盤戦にグングン調子を上げていた名古屋だからこそ、首位がここで入れ替わるとマズいのは尚更だった。
ユン監督解任ショックも癒え始めてきていた鳥栖の前に後半は劣勢の時間が続いた浦和だったが69分、宇賀神友弥のフィードに抜け出した李忠成がエリア内で倒されてPKを得る。李を倒した鳥栖の菊地直哉には一発レッドが提示された上、PKも阿部勇樹がきっちりと仕留めてみせて先制点を奪う。
前節のガンバ戦のショック……敗戦の傷を癒す手段は勝利以外に無い。数的優位に立った浦和は追加点のチャンスを多く作るが、GK林彰洋の前に2点目が遠い。勝てば優勝に望みを繋ぐ事が出来る鳥栖はアディショナルタイム、ラストワンプレーでCKのチャンスを掴む。浦和はここさえ凌げば…もう一度ホームで、自力で優勝を決めるチャンスをモノ出来た。しかし、一度歯車が噛み合ったガンバの全てが良い方向に進んだのとは真逆で、一度歯車の狂った浦和の全ては悪い方向へと向かってしまう。菊地の退場により途中出場したDF小林久晃のヘディングシュートが吸い込まれるようにゴールネットを揺らし、2試合続けての悲劇的な末路に浦和の選手達は静止画のようにその場から動けなくなっていた。
2014Jリーグディビジョン1第33節
2014年11月29日14:04@ベストアメニティスタジアム
浦和得点者:阿部勇樹(69分)
最終節
第33節終了時点
1位 ガンバ大阪(62)+28
2位 浦和レッズ(62)+21
3位 鹿島アントラーズ(60)+26
4位 サガン鳥栖(57)+7
5位 柏レイソル(57)+6
まず優勝条件を整理しておく。首位を逆転したガンバだが、少しややこしいのはガンバと浦和は勝点では同じだという事。とはいえ得失点差の開きが7点あるのでガンバは勝てば事実上優勝が確定すると言っていい(※10)。その為、当ページではガンバは勝てば優勝という前提で記述する。
1位 ガンバ大阪
勝利→優勝(※10)。
引き分け→浦和が引き分け以下、鹿島が引き分け以下か1点差以内の勝利だった場合は優勝。浦和が勝利、及び鹿島が2点差以上で勝利した場合は優勝出来ない。
敗北→浦和が敗れ(※10)、鹿島が引き分け以下で優勝。浦和が引き分け以上、鹿島が勝利した場合は優勝出来ない。
2位 浦和レッズ
勝利→ガンバが引き分け以下で優勝(※10)。
引き分け→ガンバが敗れ、鹿島が引き分け以下で優勝。ガンバが引き分け、及び鹿島が勝利すれば優勝は出来ない。
敗北→優勝は出来ない(※10)。
3位 鹿島アントラーズ
勝利→浦和が引き分け以下に終わった上でガンバが敗れれば優勝。ガンバが引き分けだった場合、2点差以上で勝利すれば優勝出来るが、1点差での勝利なら優勝は出来ない。いずれにせよ、ガンバと浦和のどちらかが勝利すれば優勝の可能性は無くなる。
引き分け以下→優勝出来ない。
※10 この時点でG大阪と浦和の得失点差の開きは7になっている。G大阪と浦和がどちらも勝利した上で浦和が優勝する為には、G大阪が1点差で勝利したとすれば浦和は最低でも8点差で勝利する必要があったので、現実的にその可能性は薄かった。逆に、共に敗れた場合で浦和がG大阪を抜く為の条件も浦和が1点差で敗れた場合はG大阪が8点差で敗れる必要があった。この為、勝点で並んでいるとは言えども浦和はG大阪を勝点で抜く必要があった。
対戦相手だけで見ても、圧倒的に優位なのは間違いなくガンバだった。対戦相手の徳島は初のJ1に挑んだこの年、開幕戦で鳥栖に0-5に敗れてから降格圏はおろか最下位からも1回も脱出できず第28節の時点で「シーズン全試合最下位」が確定。更にここまで僅か3勝どころか、ホームでは未だに未勝利という有様だった。見方によっては、最終的にガンバが泣きを見た2012年最終節の新潟のようにボーナスカードを最後まで残していたとも見れ(※11)、加えて全ての風がガンバに味方したようなこの流れではガンバが順当に勝って決まりだろうと思われていた。
浦和の相手である名古屋はこの年からガンバで一時代を築いた西野朗監督が就任。序盤は経営事情で多くの主力を放出しなければならなかった事も影響して低迷したが、夏場には川又堅碁やレアンドロ・ドミンゲスの獲得で持ち直しに、順位こそ11位ながら後半戦に限ればかなり調子を上げておりここまで5試合負けなし。鹿島と対峙する鳥栖も、ユン監督解任後も第33節まで優勝の可能性を残せていたくらいには粘っていたので、浦和も鹿島も絶対に勝たなければならない状況下ではやり辛い相手を引き当てていてのだ。
試合は全会場15:30にキックオフ。
※11 2012年の最終節は試合前の時点で14位C大阪、15位神戸、16位G大阪、17位新潟の4チームに降格の可能性が残されていたが、最後に生き残ったのはC大阪と最も不利な新潟だった。その試合の新潟の対戦相手はダントツ最下位が決まっていた札幌で、ボーナスステージとも呼ばれた試合で新潟は4-1で勝利している。
いきなり試合が動いたのは5万人を越す観衆が詰め掛けた埼玉スタジアムだった。2分、柏木陽介のコーナーキックに槙野智章が頭で合わせて先制点。ガンバが徳島相手に勝点を落とせば、そのガンバによって阻まれたホームのサポーターの前での優勝を手に入れられるだけあってスタジアムのボルテージは上昇していく。
一方、ガンバと浦和が共に取りこぼした時に初めてチャンスが巡る鹿島はACL出場の可能性を残していた鳥栖に出鼻をくじかれ開始10分足らずで失点。ガンバの結果にも左右される事になる2チームの立ち上がりは対照的なものとなった。
前節を出場停止で欠場した米倉恒貴も戻り、躍進を遂げたベストメンバーで徳島に乗り込んだガンバ。チーム状態や力の差はこの試合が実は「昇格組対決」とは思えない程に開いていたので、ガンバがサクっと勝利して優勝を決める事はガンバファンだろうがアンチガンバだろうがある程度予想していたように思う。
しかし、ホーム未勝利のまま相手チームの優勝セレモニーだけを見せつけられる訳には行かない徳島は自陣にガッチリとブロックを組み、かつ斉藤大介とエステバンのダブルボランチが効果的なプレスをかけながら宇佐美、パトリックのスペースを確実に潰してカウンターを発動させない。結果、ガンバはバックラインでしかパスを回せない状態が続いてしまう。それでも29分にはパトリックの落としから阿部、31分には遠藤のFKから米倉が決定的なチャンスを迎えるが、阿部のシュートは枠外に、米倉のシュートはGK長谷川徹のファインセーブに阻まれ、結局前半はゴールを奪えずに終える。
ハーフタイムの時点で、このまま終われば優勝は浦和…という事になっていた。
鹿島0-1鳥栖
浦和1-0名古屋
徳島0-0G大阪
前半終了時点
1位 浦和レッズ(65)+22
2位 ガンバ大阪(63)+28
3位 鹿島アントラーズ(60)+25
これまでずっと「浦和を追う立場」で連勝を重ねてきたガンバにとって、逆に「浦和に終われる立場」になった事が精神的に影響していたのだろうか。それとも、ACLには出ていなくても三冠を目指すべくナビスコ杯を天皇杯も大体ベストメンバーで戦い続けた連戦疲労がここに来て見え隠れしていたのか文字通り失うものが何も無い徳島相手に劣勢を強いられる展開は既に大きな波乱とも言えたし、それはどこか2007年の浦和のような悪夢(※12)すら予感させたかもしれない。47分、徳島のFKがルーズボールになったところを衛藤裕がシュート。更に溢れたボールを橋内優也が押し込んでゴールネットを揺らす。ガンバファンの心臓が間違いなく飛び出た瞬間だったが、判定はオフサイドで失点は何とか免れた。想像以上の健闘っぷりに徳島サポですら驚きを隠さないかのようで、この時のスタジアムにはどこか騒然とするような空気が包む。
※12 2007年の最終節、首位の浦和は勝てば優勝という状態でダントツ最下位の横浜FCと対戦。しかし前半に先制点を許すと最後まで同点に追いつく事が出来ず、0-1で敗れて鹿島の逆転優勝を許す事となった。この年の浦和はACLで優勝を果たしていたので、それに伴う過密日程も一つの要因だったと言われている。
ガンバはハーフタイムに投入した倉田秋を始め、攻撃力が売りのDF藤春廣輝を投入して先制点を狙いに行く。他会場では浦和がリードしている為、このまま0-0で終われば優勝は出来ない。だが、むしろ試合の流れは徳島に傾いたまま猛攻を仕掛けられていき、丹羽大輝や岩下敬輔らが何とか体を張ってディフェンスに行っている状態だった。ガンバが余裕で優勝を決めると思われた最終節はぶっちぎり最下位の徳島が急に伏兵と化した事で展開が読めなくなっていた。この試合を観ていたJリーグファンはどこのチームが好きかを問わず徳島に対して同じ事を思っただろう。「もっと前からこういう試合出来てたらJ1残れてたろ…」と。60分以降はガンバが攻める時間も増えてはいたが、72分には今野が足を滑らせたところを徳島に突かれると最後はエステバンに決定的なシュートを放たれる。これは岩下のカバーもあって何とか防いだが、牙を剥いてきた徳島の底力の前にいよいよガンバの優勝に黄色信号が灯り始めた。
しかし、ガンバの優勝は思わぬところで再び青信号へと戻る。
埼玉スタジアムでは名古屋の守備の要であり、前回の浦和優勝時(2006年)にはリーグMVPを獲得した田中マルクス闘莉王が負傷退場を余儀なくされた事を機に、浦和が勝利を決定的にする為の2点目を狙って攻勢をかけ続けていた。だがガンバが徳島で前述の決定機を凌いだ直後、名古屋はコーナーキックを獲得する。田口泰士のクロスに矢野貴章が合わせたシュートはGK西川周作が何とか防ぐも、こぼれ球を牟田雄祐に押し込まれて遂に浦和がリードを吐き出し、首位がガンバの手元に戻ってきたのだ。この年の名古屋の監督は西野朗氏……言うまでもなく、ガンバを強豪と呼ばれるクラブまでに成長させ、幾多のタイトルをチームにもたらした名将である。以前までのナショナルダービーと呼ばれたガンバvsレッズの試合にはいつも西野監督の姿があった。試合前の時点では「ガンバをアシストする気はまったくないですね。レッズは倒しに行きますが」とコメントしていて たが、それと同時にガンバの優勝に対しては「間違いないでしょ」ともコメントしていた西野監督。しかし劣勢の中で浦和からもぎ取ったゴールは古巣を救う、余りにも大きなアシストだった。
ガンバと同じ獲得勝点では優勝できない浦和だったが、84分には川又堅碁にゴールネットを揺らされる。これはオフサイド判定に救われたが、後が無くなった浦和は86分に投入した鈴木啓太一人を守らせ、槙野を筆頭に那須大亮や森脇良太など攻撃力のあるDFを前線に上げてパワープレーを敢行。ガンバはガンバで徳島相手に焦りが生まれるような展開になっているのは浦和陣営も把握していただろうが、浦和にとって最悪だったのは第32節ガンバ戦、そして前節鳥栖戦のような追い上げられた結果の悪夢という記憶が呼ぶ焦りだった。89分、一人で自陣を託される形になった鈴木啓太に対し、名古屋は3人がかりでプレスをかけて鈴木のパスミスを誘い、最後は鈴木とGK西川しかいない浦和陣内を圧倒的なスピードで駆け上がった永井謙佑がゴールに叩き込んで遂に逆転。この瞬間、埼玉スタジアムは絶望のどん底へと叩き落とされた。
パトリックを目掛けてパワープレーも辞さない姿勢を見せていたガンバに他会場の結果が入る。各地アディショナルタイムに突入した時点で、浦和のみならず鹿島も未だ同点に追いつけていない。残り時間的に浦和も鹿島も逆転が厳しくなり、ガンバは勝点が取れればOKという状態になった。勿論、勝って優勝を決めるのがベストだが、安易な攻め方をすれば今日の徳島ならカウンターで仕留められても不思議では無いし、浦和にしても鹿島にしてもドローゲームに持ち込む可能性はまだある。アディショナルタイムも半分が経過すると、ガンバベンチは引き分けOKのサインを見せた。そこからガンバはリスクは冒さずにボールを回し、試合を0-0で終わらせる。鹿島は既に0-1で敗れた情報が入っていた。後は浦和の結果待ちである。
…そして、浦和の結果がベンチに入った瞬間、ガンバの選手の間に歓喜の輪が一気に広がった。
一度地獄を見たガンバは生まれ変わった。戻ってきたJ1では大いに苦しみ、一時は首位の浦和に勝点差14をつけられて降格圏に沈んだ。勝って優勝を決めたかったのは偽らざる本音だったけれど、間違いなくガンバは「34試合を通じての勝者」となったのだ。勝点差14は歴代最大の逆転優勝となり、ガンバのJリーグ制覇は2011年の柏に続いて2チーム目となる「J1昇格即優勝」を果たし、長谷川監督の下で2度目の黄金期の到来を告げる。繰り返すが、勝って優勝を決めたかったのは間違いない。でもDFラインが体を張って守り抜き、試合を0-0で終わらせた事……これは西野監督時代の黄金期には無かった、新たなガンバの強さだった。
2014Jリーグディビジョン1第34節
2014年12月6日15:33@県立カシマサッカースタジアム
2014Jリーグディビジョン1第34節
2014年12月6日15:34@埼玉スタジアム2002
浦和得点者:槙野智章(2分)
2014Jリーグディビジョン1第34節
2014年12月6日15:34@鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム
勿論、遠藤保仁や明神智和のように、西野監督が率いた黄金時代の主力で、西野監督退任後すぐに失墜したチームを在るべき場所に戻さなければならない責任感と共に戦った選手達の功績は大きい。特にこの2人は降格が決まった直後、真っ先に残留を明言してくれた。これは他の選手の決断に与えた影響も大きかったと思う。
J2に居た2013年の途中から帰ってきた宇佐美にしてもそう。後の海外移籍(2016年夏)の際に「僕の夢はプロサッカー選手になることでもなく、Jリーガーになることでもなく、ガンバ大阪の選手になることでした」と語るほど生まれながらのガンバファンである宇佐美にとって、ブラジルW杯を目指す選手の一人にしても、海外で出番が無くなったからと言ってわざわざJ2のチームに行く事のリスクは小さくない。それでも帰ってきてくれた事はチームがこのV字回復を果たす上でキーとなったポイントの一つだった。ナビスコ杯の優勝が決まった時にも涙を流していた新たなエースは優勝が決まった瞬間、一目散に「同志」とも言えよう。ガンバサポの下へと走り出した。2014年から加入した東口順昭やパトリックなど新たに加わった選手の働きに凄まじいものがあったが、ここで敢えて触れておきたいのは「2012年からガンバに来た選手」である。あの年のガンバは主力の多くが抜けた分、レンタル移籍からの復帰組を含めて大型補強を実施していた。
ガンバユース出身ながら錚々たる面子の揃っていたトップチームではでは試合出場のチャンスに恵まれずにレンタル移籍をし、満を侍してガンバ復帰を果たした倉田秋や丹羽大輝にとって2012年は特別な年にしなければならない一年だった。2011年はレンタル先のセレッソで10得点を挙げた倉田は、橋本英郎の退団もあってかつては手が届かないところにいた「黄金の中盤」(※13)の中に割り込んでレギュラーを掴むようになり、降格の決まった磐田戦でも一度は同点に追いつくゴールを決めるなど、側からみれば2012年のガンバで数少ないポジティブな印象を与える活躍を見せた選手の一人だった。それでも自分が帰ってきて、初めてガンバでコンスタントに試合に出た年で降格した事実が与えた重みは誰よりも本人が感じていたと思う。丹羽にしても、ガンバでは伝統と言われていた「背番号5」を復帰していきなり引き継ぐ事になった。復帰当初はバックアッパーに留まっていたが次第に長谷川監督からの信頼を掴み、日に日に5番の似合う選手へと変貌していった。倉田は副キャプテンを務め、終盤はベンチスタートも多かったが試合に出れば確実に結果を残し、丹羽は優勝が決まったその瞬間から人目を憚らず大号泣をしていた。奇しくも丹羽にとって、優勝を決めた徳島のピッチはレンタル修行先の一つでもあった(※14)。
2012年途中に実施したガンバの大型緊急補強の中で、レアンドロや家長昭博とは異なり唯一復帰組じゃなかった岩下敬輔に与えられた使命は「ガンバの守備を立て直して残留させる事」のみだった。実際に岩下の働きと貢献には非常に大きなものがあったが、第32節清水戦で受けたイエローカードはシーズン通算8枚目の警告となった事でガンバが降格していく姿をピッチの外から眺める事しか出来なかった。元々レンタル移籍だった上にJ1チームからのオファーも受けていた岩下にはいつでもJ1に戻る事が出来た。だが責任感に加え、清水時代の恩師でもある長谷川監督の就任もあって残留を決意。サポーターからは「兄貴」「若頭」他も呼ばれ、ピッチ外でも若手選手の兄貴分となるなどその貢献は多岐に渡る。試合後は岩下の目にも涙が浮かんでいた。
そして今野泰幸である。現役の日本代表レギュラーCBとしてFC東京からガンバに移籍した事は2012年の移籍市場で最も大きな移籍と言われいたが、その理由はズバリ「J1で優勝したい」という一点だった。だが、ジョゼ・カルロス・セホーン新体制で混迷するチームと共に今野もスランプに陥っていく。優勝する為にガンバに来たはずの今野に突きつけられた事実は「ガンバのJ2降格」という重過ぎる言葉で、開幕前の期待が大きかった事や今野自身のパフォーマンスもパッとしなかったので批判の的にもなってしまった。
ガンバというチーム自体は2013年にある程度回復したが、今野のスランプは2014年になっても続いてしまう。開幕からコンディション不良に陥り、象徴的だったのが第8節の大宮戦。ベンチスタートだった今野は1点をリードした84分に守備固めとして投入されたが、ガンバは直後の87分に同点弾を奪われてしまう。最終的には今野自身が88分にゴラッソを叩き込んだ事で勝利したが、今野にとっては決勝点を挙げた事よりも「守備固めで投入された直後に追いつかれた事実」の方が応えたらしく、試合後にこぼした「舌を噛んで死にたいと思いました。本当に」とこぼすほど追い詰められていた。
だが、ブラジルW杯が終わって遠藤と今野のWボランチをガンバが固定するようになると水を得た魚のように躍動する。最初にガンバが今野を獲得した時に予定していた役割とは少し違ったが、最初にガンバが今野を獲得した時に予想したよりもその活躍はスーパーなものだった。
2014年のガンバは「地獄から生還したチーム」と言える。だが、地獄から生還した…と単純に言うよりは、長谷川監督の下でそれぞれの軌跡を抱えたメンバー達が「地獄を『経て』生還したチーム」と言った方が正しいのかもしれない。
※13 2000年代後半、黄金期を築いたG大阪に於いて遠藤保仁、橋本英郎、明神智和、二川孝弘の4人から成る中盤の事を指す。2012年には橋本が神戸に移籍した事で解体されていた。
※14 2007年にG大阪から徳島にレンタル移籍。G大阪ではそれまで公式戦出場がゼロだった為、この年の優勝を決めた会場がデビュー戦の地でもあった。
2014年のJ1リーグ
1位 ガンバ大阪(63)
2位 浦和レッズ(62)
3位 鹿島アントラーズ(60)
4位 柏レイソル(60)
5位 サガン鳥栖(60)
6位 川崎フロンターレ(55)
7位 横浜F・マリノス(51)
8位 サンフレッチェ広島(50)
9位 FC東京(48)
10位 名古屋グランパス(48)
11位 ヴィッセル神戸(45)
12位 アルビレックス新潟(44)
13位 ヴァンフォーレ甲府(41)
14位 ベガルタ仙台(38)
15位 清水エスパルス(36)
16位 大宮アルディージャ(35)
17位 セレッソ大阪(31)
18位 徳島ヴォルティス(14)
Jリーグ優勝争いが最終節までもつれ込む事は度々あるが、結果的に優勝が懸かる3チーム全てが最終節で勝利を逃す事となった。結果論で言えば、浦和も鹿島も敗れたのでガンバは負けていたとしても優勝していた事になる。また、来季ACL出場権争いは3位の枠を巡って3チームが勝点60で並んだが、得失点差で柏と鳥栖を大きく上回る鹿島が3位を維持してACL出場権を手にした。4位には7連勝を決めた柏が滑り込み、この時点で天皇杯決勝進出が決まっていたガンバが優勝した場合に繰り上げでACLに出場出来る。
残留争いは全試合最下位でその順位推移が「心電図」と揶揄された徳島の降格が早々に決まったのは予想通りだったが、残る2枠は予想外の結果だった。セレッソの降格については上でも述べたが、結局ブラジルW杯による中断期間が明けた第15節以降の20試合で僅かに3勝しか挙げられていない。残る一枠は最終節の段階で清水か大宮かという構図になったが、大宮はセレッソに2-0で勝利したものの、負けなければ自力で残留を決められる清水が0-0で引き分けて勝点1を掴み残留を果たし、大宮が降格している。最終的には14位に終わったとはいえ、前年の前半戦は台風の目として扱われていた大宮の降格は予想外のものだった。大宮といえば新潟と共に「最終的には絶対に残留するチーム」として扱われており、それに肖って「落ちない御守り」なるものまで発売されるほど。その為、大宮の降格は2012年のガンバやこの年のセレッソなどとは違った意味で驚きとして受け止められた。
この年の前後のJリーグは営業成績が低迷していた事により、2015年から2ステージ制とチャンピオンシップを2004年以来に復活させる方針を2013年の時点で決定していた。この時点で1ステージ制への復帰は「将来的な目標」としてしか定めていなかったので(※15)2014年は「最後の1ステージ制」とも言われていた。尚、ガンバはJ1が1ステージ制に移行して最初の年である2005年にも優勝しているので、一部では「ガンバで始まりガンバで終わる1ステージ制」とも称された。
※15 Jリーグの経営不振は2016年にDAZNと大型契約を結んだ事で大きく改善され、それに伴い2017年からは1ステージ制に戻した。その為、2ステージ制の復活は2015年と2016年の最終的に2シーズンのみで留めている。
その後…
優勝を決めた翌週の12月13日(※16)、ガンバは第94回天皇杯決勝でJ2から勝ち上がってきた山形と対戦し、宇佐美の2ゴールとパトリックのゴールで3-1で勝利を収めた。これにより、ガンバはナビスコ杯、J1リーグ、天皇杯の三冠を達成。これは2000年の鹿島以来2度目となる記録であり、当然ながら「J1昇格即三冠」は史上初の記録となる。清水時代にシルバーコレクターと揶揄されていた長谷川監督にとって、天皇杯は3度目の正直で優勝を掴み取った形となった(※17)。
また、J1優勝で来季ACL出場権を有していたガンバが天皇杯を制覇した事でJ1で4位の柏が繰り上げでACL出場権が与えられた。
第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝
2014年12月13日14:04@日産スタジアム
G大阪得点者:宇佐美貴史(4分、85分)、パトリック(22分)
山形得点者:ロメロ・フランク(62分)
※16 本来、天皇杯決勝は元旦に行われるのが伝統となっているが、この年はオーストラリアで開催されるAFCアジアカップ2015が1月9日に開幕する予定になっていたので12月13日開催された。これはAFCアジアカップ2019開幕を控えた2018年の第98回天皇杯決勝(浦和vs仙台)でも同様の措置が取られている。また、この年の5月から国立競技場が取り壊し&建て直し期間に入った為、この試合は日産スタジアムで行われた。
※17 長谷川監督は清水の監督時代、第85回大会と第90回大会で決勝に進出しながら、それぞれ浦和と鹿島に共に1-2で敗れて準優勝に終わっていた。
この2014年の第32節を機に、ガンバと浦和の間では「ナショナルダービー第2期」が始まったと言える。翌2015年はゼロックス杯に始まり4回対戦したが、最終的にはガンバが3勝1敗を飾った。特にチャンピオンシップ準決勝では年間獲得勝点2位の浦和を3位のガンバが3-1で下し2015年のチャンピオンシップ決勝にはガンバが進出した為、2015年の年間順位としてはガンバが準優勝という扱いになっている(※18)。2016年にはルヴァン杯の決勝でも同カードが実現し、この時は浦和が1-1で迎えたPK戦の末勝利してルヴァン杯のタイトルを掴んだ。
※18 チャンピオンシップ決勝では年間獲得勝点1位の広島に2戦合計3-4で敗れている。
チームのレベルや質で言えばまだJリーグは欧州のレベルには及ぶとは思えない。だが、エンターテイメント性やドラマ性はJ2も含めてJリーグがJリーグたる大きなポイントだろう。日常と非日常の混ざった空間が帰ってくるその時までは、せめてこうして過去に浸っていたい。