前回は此方↓
2012年の日本代表は疑いなく「日本代表史上最強」と呼ぶに値するチームだった。そのサッカーの完成度がもたらした瞬間最高風速とやらは今までの日本代表が経験したこともない程の追い風で、ブラジルW杯が終わった後に「自分達のサッカー」という言葉が一人歩きするようになったが、この辺りの時代の戦い方を見ればそう言いたくなる気持ちも理解できた。惜しむらくは、その最高到達点とも言えよう瞬間がこのタイミングで訪れてしまった事だった。
2014FIFAワールドカップブラジル アジア最終予選第1〜3節日本代表
GK1 川島永嗣(スタンダール・リエージュ)
FW9 岡崎慎司(VfBシュツットガルト)
MF10 香川真司(ボルシア・ドルトムント)
MF17 長谷部誠(VfLヴォルフスブルク)
FW19 宮市亮(ボルトン・ワンダラーズFC)
監督 アルベルト・ザッケローニ
この時のザックジャパンのスタイルは日本代表の活かし方という意味で今でも一つのベースになっているとも言える。ザックジャパンの場合、日本代表の攻撃は「左→右」というパターンが多くを占めていた。
ワントップにはポストプレーに長け、前線でボールを確実に収めてくれる前田がいた。前田がDFを背負ってくれているお陰で、チームの軸となるトップ下の本田は多くの場面で前を向いてボールを持つ事が出来た。ここに、当時ドルトムントでMVPを獲得するほどの活躍を見せて世界的な注目と名声さえ手に入れつつあった香川が中に切れ込む。この時のアジア予選で戦ったオマーンやヨルダンなどからすれば、当時の香川はスーパースターである。1998年フランスW杯、当時初出場だった日本は初戦でアルゼンチン代表のスーパースターを目の前にして尻込みもした…なんて聞くが、少なくともアジアの中では日本は尻込みされる側の立場になっていたのだ。必然的にDFの集中は本田とクロスする、本田を追い越す動きを見せる香川に向く。すると本田は自らそのまま、或いは本田からパスを受けたボランチの遠藤がスペースの出来た左サイドを走る長友にボールを供給し、長友からのボールを最後は前田、もしくは右サイドから突っ込んできた岡崎が合わせる……これがザックジャパンの常套手段と言える攻撃パターンであった。
この時のザックジャパンには「絶対に欠いてはならない選手」が3人いた。ダブルボランチを組む遠藤と長谷部、そしてワントップの前田の3人である。
まず、ザックジャパンのこのスタイルは基本的に本田と遠藤がいる事を前提に構築されたスタイルと言えた。だが、本田以上の選手はいなかったとは言えどもトップ下として中村が本田の役割をある程度こなす事が出来ていたのに対し、ゲームメーカーの範疇を超えてチームそのもののコントロールタワーとなっていた遠藤の代わりは誰もいなかった。ブラジルW杯が終わり遠藤が代表を去ってからも言われ続けた言葉だが「遠藤依存症」「遠藤の後継者問題」という言葉はこの時期に何度も議論されていた(同時にそれは遠藤の所属するガンバ大阪にとっても重大なテーマだった)。ザックジャパンの完成度は本田や香川よりも遠藤ありきな部分が結構大きく、元々怪我の少ない選手だけに欠場する事は殆ど無かったが、「もし遠藤が大怪我をしたら…」という不安は常に日本代表と隣り合わせというくらいその存在の意味は大きかったのだ。
その遠藤の相方となる長谷部に関しては、欠いてはならない理由としては勿論キャプテンというチーム内での立場もある。だが戦力として、長谷部がずば抜けていたのはバランサーとしての能力だった。ボランチの選手は「攻撃的なタイプ」「守備的なタイプ」で分けられる事が多い。隣にいた遠藤が攻撃的なタイプだから、必然的に長谷部は守備的として見られ、実際に守備の役割の方が多かったのだが、ザックジャパンで長谷部に求められた役割は本来「攻撃寄り」でも「守備寄り」でもなく「全体的なバランスの調整」と言えた。遠藤はコントロールタワーとしてフリーマン的な役割を担っていたから、長谷部は遠藤のポジションに合わせて空いたスペースを補完したり、或いは左サイドに攻撃が傾いた時に右サイドをケアしたり、お得意の左サイドからの攻撃からのクロスがバイタルにこぼれた時の対処だったり。やや左右非対称気味な戦い方をしていたザックジャパンにとって長谷部、そして右サイドバックの内田が持つバランス感覚はチームの土台として必須だったと言える。
要するに、ダブルボランチは遠藤×長谷部の組み合わせが絶対的となっていた。実際に2013年までに行われた公式戦では、既に消化試合となっていたゲームを除けば、長谷部が所属クラブで干されていた時期も遠藤がガンバでチーム毎スランプに陥っていた時期も全ての試合でスタメンを張っている。
前田に関しては、上でも書いた通りザックジャパンの攻撃戦術に於いて書いてはならない選手だったし、この時に前田が担った役割は「日本代表のワントップに求められるモノ」として今の日本代表にも同じことが言える。前田が担う役割は、ストライカーである以上自身が点を取ることも勿論だが、それ以上にタレント豊富な2列目の能力を最大限に引き出す事だった。本田や香川、ベンチスタートが多かったが清武や中村がザックジャパンで伸び伸びやれていたのは、その辺りの潰れ役を前田が一身に担っていたからと言える。
前田はアジアカップ後に一時期スタメンから離れていた時期があった。その時にワントップを務めたのはフィニッシャーとして能力が高い李忠成、点で合わせる能力が高いハーフナー・マイクの2人だったが、どちらもジョーカーとしては存在感を見せてもスタメンだと上手くチームが回らない。その点、前田はこのチームで潤滑油的な役割を果たせた。この年のJリーグで大活躍し、代表待望論がしきりに叫ばれていた佐藤寿人が一向に招集されなかったのはザッケローニ監督がメンバーを固定化していたからでは無く、極端な話「点を取るより大事な仕事がある」という日本代表のワントップに関する戦術的な理由があったからである。
この辺りから、ザックジャパンのメンバー固定に対して批判の声が上がるようになっていた。そもそもメンバーを固定するようになった理由は「勝てていたから」という理由もあるのだろうが、戦術的な完成度がこのタイミングでかなり高いところに到達してしまった事で、そのポジションに与えられた役割として今スタメンの選手以上にこなせると思える状況じゃなかったからである。
そもそも、私自身はメンバー固定化に反対では無いし、当時からそれを批判する気もなかった。スタメンがある程度固定されるのはむしろ強いチームになる為の条件ですらあったと思うし、それが活動期間に制約のある代表チームなら尚の事だ。勿論11人だけで戦える訳ではないが、その点でも攻撃なら中村に清武、守備なら細貝といったタレントもいたから、新しい風が吹き込む事は大切だけど何かをそんなに大きく変えるべきだとは思っていなかった。
だが、翌年のコンフェデレーションズカップが終わった辺りからザックジャパンの風向きが微妙に変わる。
一時期はその風は良い方向に吹いた。だが、メンバーを固定化するメリットを享受する上で「やってはいけない事」に踏み込み始めたのも2013年後半以降の日本代表だった。
つづく