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ベガルタ仙台の経営危機と、今回の社長人事に垣間見える株式との因果。

自炊しようとして買ったニンニク、ちょっと放置中…。

 

どーもこんばんは

 

 

さてさて、本日のブログはベガルタ仙台について。

 

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ベガルタ仙台の経営難に関してはすでに皆さん周知の方も多いでしょう。

 

 

この件に関して、最近大きな動きがありました。

ベガルタ仙台は11月27日付で佐々木知廣氏を新代表取締役社長として内定する人事を発表。12月14日に予定されている臨時株主総会、及び臨時取締役会を経て正式に就任が決定するとの事です。

 

 

しかし、その過程の中で現在ベガルタのスポンサーを務めるアイリスオーヤマの役員が社長に就任するという報道が出た事、それが株主の「市民クラブとしての立ち位置を明確にしたい」という意向で無くなった事が河北新報によって報じられました。ベガルタサポの間ではこの件で色々議論が飛び交う状況です。

 

https://sp.kahoku.co.jp/sports/vegalta/20201128_01.html

 

以前、このブログで…クラブの親会社を持つことのメリットとデメリット、Jクラブのその辺の事情の形態を記したブログを更新しました。

 

 

特に1つ目のURLの方のブログはGoogle検索でまあまあ上位に来たり、先日どうやらベガルタ仙台掲示板にURLを貼ってもらえたりしたらしく、偉そうな言い方をすると当ブログの中では割とロングセラー商品みたいになっているブログではあります。

ただ、このブログを更新した時(2018年)から結構色々と事情が変わっている事、そして仙台については、上記のブログはあくまで「傾向を大きく分けると…」的なテーマで書いたので、仙台に関しては「割とマシ」みたいな書き方をしてると思うんです。仙台がマシなのではなくて、親会社云々との関係性についてこのタイプはマシなケースが比較的多い…っていう。

なので今回はベガルタのケースと今回の社長交代の件について書いていきたいと思います。

 

 

 

まずそもそも、ベガルタ仙台というクラブはどういう経緯で発足したのかというところです。今回の件を語るにはベガルタの歴史から見ていく必要があります。

 

1988年、電力会社である「東北電力サッカー部」として発足したのがベガルタのそもそもの起源です。当初は東北社会人リーグを戦いの場としていた同サッカー部で、良くも悪くも一般的な社会人チームとして運営されていたわけですが、そこに1993年がやってくるわけです。そう、Jリーグ開幕。この時、サッカー部を所有する企業や各地域のサッカー界・財界がJリーグ入りを一気に検討し始めました。そうなると、東北最大の都市である仙台で「仙台にJリーグクラブを」という動きを見せた事は自然の成り行きでもありますし、Jリーグで最も北のチームは茨城県鹿島アントラーズという時期が続いていたので、主語は「東北に〜」にも置き換えられたと思います。徐々にその動きが大きくなったところで宮城県仙台市、そして地元経済界もその流れに乗って「東北にJリーグチームを設立する懇談会」を浅野史郎宮城県知事(当時)を会長にして発足しました。

 

ここまでで確認しておきたいのは、この段階では東北電力サッカー部が関わっていないという事です。まぁ、全くゼロ…という訳では無いんですけど、少なくとも東北電力サイドはプロクラブを運営する意思、即ち親会社になる意思はこの時点で無かった事になります。

 

1994年になると、10月には運営会社となる「株式会社東北ハンドレッド」が発足します。この会社の資本金は約3億円とされていましたが、そのうちの2億が宮城県仙台市だったところが今に繋がる展開に影響してくる訳なんですけど…。で、11月にその動きを東北電力サッカー部が承認し、同サッカー部を継承する形でベガルタの前進クラブとなる「ブランメル仙台」の誕生に至ります。

 

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ちょっと話が逸れますが、全部が全部そういう訳では無いのであくまで傾向として……の話なんですけど、1993年のJリーグ加盟、所謂「オリジナル10」に入ることを目指していたチームと、1993年のJリーグバブルを見てJリーグ加盟を目指し始めたチームは傾向として大きな違いがあります。

まず前者。1993年からJリーグに加盟する最終候補となったチームは14チームあるんですけど、その内訳はこんな感じ。

 

 

 

住友金属工業蹴球団(鹿島アントラーズ)

三菱重工業サッカー部(浦和レッズ)

日立製作所本社サッカー部(柏レイソル)

古河電気工業サッカー部(ジェフユナイテッド千葉)

読売サッカークラブ(東京ヴェルディ)

日産自動車サッカー部(横浜F・マリノス)

全日空サッカークラブ(横浜フリューゲルス)

藤和不動産サッカー部(湘南ベルマーレ)

清水市民クラブ(清水エスパルス)

ヤマハ発動機サッカー部(ジュビロ磐田)

トヨタ自動車工業サッカー部(名古屋グランパス)

松下電器産業サッカー部(ガンバ大阪)

ヤンマーディーゼルサッカー部(セレッソ大阪)

東洋工業サッカー部(サンフレッチェ広島)

 

 

 

※が付いているチームは1993年のJリーグ入りは逃したチームなんですけど、候補になった14クラブのうち、清水FCを母体とした清水エスパルス以外は全部親会社が保有・運営する形でのJリーグ入りを目指していました。1993年のJリーグ入りを目指していたチームの多くは、企業自体がJリーグチームを持ちたいという意思が強かった事と、Jリーグがチームをとにかく増やしていきたいというか、ベースを作る必要があったという背景もあったので、単純にサッカー部自体が強かったり、読売クラブ日産自動車のように既にセミプロ化してたような事例もありますけど、先行投資的な意味合いもあったんだと思います。

 

では後者。1993年の俗に言うJリーグバブルを受け、上で書いた仙台のみならず、企業というよりも多くの地域サッカー界がJリーグ加盟を目指すようになり、上で書いたような「○○にJリーグクラブを!」的な動きが頻繁に起こりました。ようするに、「企業がクラブを持ちたい(Jリーグ入りしたい)」というよりは「地域でそういうムーヴメントが発生して、それを地元財界が支援する」という流れになっていったというか。これはJリーグや2002年のワールドカップ招致を筆頭としたサッカー界自体発展の流れもあるんですけど、これまで日本スポーツ界の王道であったプロ野球が6チーム×2リーグの12チームという固定された枠で構成されていたのに対し、Jリーグは「百年構想」というキャッチコピーに代表されるようにチーム数拡大路線を執っていたので、Jリーグがスポーツの角度から地域振興に繋がる可能性が出た事が大きかったと言えます。

 

1995年の柏レイソルセレッソ大阪Jリーグ加盟をもって上記の14クラブは全てJリーグ入りを果たした事になり、1996年からはJリーグ開幕以降にJリーグ入りを目指したチームがJリーグに参入するようになります。

これらの多くの流れとしては…地域のサッカー界や財界に上記のようなJリーグクラブ発足のムーヴメントが起こると、企業がそのままJリーグ入りを目指すというよりは既に存在した市民クラブや企業サッカー部をベースにして、そこに地元経済界などが支援する事で既存チームを継承・吸収する形でJリーグ入りを目指すケースが主な流れでした。1996年のアビスパ福岡(中央防犯)、1997年のヴィッセル神戸(川崎製鉄)、1998年の北海道コンサドーレ札幌(東芝)辺りはあくまで既存チームの選手や施設をベースにしただけであり、スポンサーとして側方支援は行うケースはあっても、オリジナル10に多く見られたような直接運営する立場からは降りる…という流れがある種の王道コースとも言えました。

余談ですが、1996年にJリーグ入りを果たした京都サンガFCは京セラが親会社となっているので、オリジナル10に多い形態のように京セラが作ったチームと勘違いされる事が多いのですが、厳密には上記の流れと同じく「京都にJリーグクラブを!」という流れで当時存在していた京都紫光クラブを「京都パープルサンガ(京都サンガFCの旧名)」と改名してJリーグ入りを目指し、その流れで親会社として京セラが名乗りを挙げたという経緯なので、京セラが作ったクラブという訳ではなく、どっちかと言えば今のヴィッセル神戸V・ファーレン長崎などに近い形です。

 

 

話を仙台に戻すと、これらのパターンと同様に仙台も東北電力サッカー部を継承する形でブランメル仙台を発足させました。ただ、仙台は東北最大の都市である割には、上で挙げたサンガの京セラのように核となれる企業がそもそもあまり無く、仙台の財界も出資を渋り気味だったのです。結果的に、河北新報などの地元メディア関係以外でブランメル仙台に最も積極的に投資した企業といえば岩手県盛岡市の会社である東日本ハウスでした。

ベガルタにとっての誤算は、仙台の経済界が想像以上に消極的で、結局それが現在に至るまで株式の50%近くを宮城県仙台市保有しているという状況の遠因になっています。当初は東日本ハウスが親会社に近いポジションにいたのですが、「なんで仙台の財界が全然支援しない仙台のチームを盛岡の企業が支援しなきゃならんの?」という話になってきて、一応現在も出資企業の一つにはなっていますが、クラブ運営の中核からは撤退するようになったのです。

 

参考↓

http://www.miyagi-sports.net/vvn/kenshu/report-07.pdf

 

結局のところ、思ってた以上に仙台の財界が消極的だった事、その時に県と市が仙台スタジアム(ユアテックスタジアム仙台)の整備を含めたお金を投入した事で、今に至る株式の半数を県と市が占める状態が完全に形成されてしまい、2004年からアイリスオーヤマが支援するようになった今もその牙城が崩せないというか、ただでさえアイリスオーヤマ以外そこまで積極的じゃない仙台財界が更に積極的に投資しにくい状況が出来上がりました。言ってしまえば、ベガルタはどちらかといえば年々予算規模の拡大していくサッカー業界の中で天井が見えてる、あまり天井が変わらない…といった状況でしょうか。

アイリスオーヤマから社長を出向させるプランが報道されていましたけど、結局無くなったのはこの辺りの風潮もあると思っています。要するに、ベガルタの関係者がよく口にする「市民クラブとして云々」は市民クラブとしての云々を大事にしたいというよりは、どちらかと言えば資金を投下しなくていい理由としての隠れ蓑みたいな言葉になっているのでは。それは一方的というよりは、ある種双方向的なものなんじゃなかろうかと。

 

 

 

まぁ、何かと今季のベガルタは呪われてるんじゃないかレベルの色んなことが重なっている訳で……裏返せば、ある意味ではスクラップ&ビルドには一番いいタイミングかも、という見方は出来るわけですよ。そこをちょっと市民クラブという言葉を連呼して、現状維持に近いやり方でどうにかできそうみたいな雰囲気になっているのなら、病巣は想像以上にに根深いんだろうなー……と。素人目で見て思っています。

 

 

 

前半思ってたより長くなった。

ではでは(´∀`)