頼むから2度目は来ないでくれ
その思いも虚しく
再び無観客試合…リモートマッチの開催が決定されてしまいました。
よりにもよってまたしても大阪ダービー…。
そもそも、有観客でこそあったものの、長らく満員のスタジアムからはJリーグも、そして世界の多くでも遠ざかっています。
そこで今回は満員だった頃の回顧企画、同時にガンバ大阪30周年記念企画と致しまして、ガンバ大阪のホームゲームの歴代入場者数ランキングを調べて参りましたので発表致します。
とはいえ、ご存知の通りガンバは1993年から使用していた万博記念競技場から2016年に市立吹田サッカースタジアム(パナソニックスタジアム吹田)に本拠地を移転しています。単純にランキングを作ると、収容人数が2万人ほど多いパナスタでランキングの全てが埋まると。それはそれでいいんですが、ランキングが全部パナスタになると全部が記憶に新しいので、以下の3部門+おまけ部門に分けてランキングを進めていきます。
①旧万博競技場トップ5(1993〜2005)
④おまけ
……「万博って新も旧も無くね?」と思ったでしょう。実際それはそうなんですけど、万博は昔はゴール裏が芝生席でして、その芝生席を2006年の開幕前に改修を行ったところ、収容人数が2000人ほど小さくなったんですね。
で、このブログは単にランキングを並べるというよりは、ランクインした試合を振り返ろう的なところが本題なので、万博も2つに分けさせて頂きました。「おまけ」の項目についてはそこまで辿り着いたら説明します。
それではまずは万博編から!!
①旧万博競技場入場者数トップ5(1993〜2005)
第5位 22232人
2005Jリーグディビジョン1第18節
2005年7月23日19:01@万博記念競技場
G大阪得点者:アラウージョ(43分、63分)、遠藤保仁(70分)、橋本英郎(83分)
2005年から18チーム34試合制になったJリーグ。その第17節までが終わり、この試合から後半戦という状況で大阪ダービーを迎えた。
ガンバと言えばスロースターターの印象があるが、それは優勝を果たしたこの年も例外ではなかった。だが日本代表活動に伴う2ヶ月の中断期間が明けると「HOT6」と呼ばれた夏場の6連戦の5試合を終えて4勝1分。特にアラウージョは5試合で7得点を叩き出し、最高の状態で10位セレッソとの大阪ダービーに挑む。
試合は序盤に先制点こそ許すが、前半終了間際にアラウージョがペナルティエリア内で相手DF2人を一発のターンで振り切ったスーパーゴールで追い付く。こうなれば後半はガンバの独壇場。ベンチスタートとなった大黒将志も投入し、最終的には大量4ゴールで圧勝。首位鹿島との勝点差を維持した。この時期の大阪ダービーと言えば紙吹雪がぶわーっと舞うのが懐かしい…。
ちなみに2005年といえばガンバとセレッソの優勝争いのイメージが強いが、上で書いたようにこの時点でのセレッソはまだ2桁順位。この試合が2005年最後の敗戦となる無敗記録を邁進して優勝争いに絡んだ。
第4位 22677人
1993JリーグNICOSシリーズ第1節
1993年7月24日19:00@万博記念競技場
鹿島得点者:サントス(107分)
Jリーグ元年に行われた試合が4位にランクイン。「第1節」というといささか開幕戦のようにも見えるが、当時は「サントリーシリーズ」「NICOSシリーズ」の2ステージ制であり、要するに2ndステージの開幕戦であった。とはいえ、鹿島は優勝争い的にはノーマークだったが横浜マリノス、ヴェルディ川崎の2大本命をぶち抜いて開幕シリーズの王者になっていたので、必然的に注目度は高くなっていた。それはガンバへの…という訳ではないのだが、チケットの売り上げにはそれも貢献している。ちなみにジーコは怪我の為に欠場。
釜本邦茂率いるガンバは開幕早々暗黒期で順位も10チーム中8位。特に鹿島との試合では2試合両方で4失点を喫した(当時は1ステージ2回対戦×2)。その背景を踏まえればガンバは実に頑張り、粘り強い戦いを見せはした。これまでの2試合はボコボコにされたがこの日は90分耐え切り、当時のレギュレーションで採用されていた延長戦へ。だが、107分にサントスにVゴールを決められて万事休す。激闘の結末は悔しいものに終わった。
第3位 22712人
2002Jリーグディビジョン1 2ndステージ第1節
2002年8月31日19:03@万博記念競技場
G大阪得点者:宮本恒靖(7分)、マグロン(35分、89分)、吉原宏太(75分)
横浜FM得点者:ウィル(60分)
ガンバの歴史の分岐点とも言えるシーズンがあるとすれば、それは間違いなく2002年である。元々他のJクラブと比較しても育成に力を入れていたガンバはその成果がじわじわ出てきていたが、強豪へと脱皮するにあたって決定的な出来事はやはり西野朗監督の就任だった。1stステージでは磐田、マリノスと激しい優勝争いを繰り広げて4位フィニッシュ。2ndステージ開幕戦は1stステージ2位のマリノスで、当時黄金期だった対ジュビロに名乗りを挙げるのはどちらか…みたいな構図である。
ガンバとマリノスと言えば、クラブの格としてこれまでは大き過ぎる差があった。だが序盤に「背番号35」の宮本のゴールで先制すると、この年絶好調だったマグロンと吉原の2トップも躍動して最終的には4ゴールをゲット。ユース育ちの二川孝弘、この試合は出ていないが大黒将志や橋本英郎が台頭し、移籍2年目の遠藤保仁と山口智はすっかり欠かせない戦力になり、2002年は黄金期の1ページ目となっていった。
第2位 22809人
2002Jリーグディビジョン1 2ndステージ第7戦
2002年10月5日15:02@万博記念競技場
磐田得点者:高原直泰(10分、87分)
1stステージ、優勝も夢ではないところまで来たガンバの前に立ちはだかったのは他でもない磐田だった。当時黄金期を迎えていた磐田のホームに乗り込んだガンバは一時2点リードを奪いながらも追いつかれ、最後は延長Vゴール負け。それでも磐田は当然として、ガンバも2ndステージでの優勝争いが期待されており、マグロンと磐田の高原直泰の得点王争いというポイントでもこの試合は注目を集めていた。この試合は後述の1位の試合までガンバの歴代最多入場者数の試合だった。
首位磐田、それを勝点3差で追う4位ガンバという構図だったが、試合は序盤に西紀寛のクロスを高原が合わせて磐田が先制する。この年のガンバも上で挙げた通り強くはあった。だがガンバ…というよりも磐田が強すぎた。名波浩、福西崇史、服部年宏がコントロールする中盤に、ガンバゴールには高原、中山雅史、藤田俊哉が襲い掛かる。結局、終盤にも左サイドでボールを受けた高原がなんと2人を同時にぶち抜いてゴール。成長過程にいたガンバだったが、磐田との差を見せつけられた格好になった。
それでも、最終的には2ndステージを過去最高の2位で終え、年間順位でも過去最高の3位で西野ガンバ1年目のシーズンを終えた。翌年からは黄金期に通ずるパスサッカー・アタッキングサッカーも確立されていく。
第1位 22884人
2005Jリーグディビジョン1第25節
2005年9月24日19:04@万博記念競技場
G大阪得点者:アラウージョ(23分、89分)、大黒将志(51分)
鹿島得点者:小笠原満男(9分、40分)、アレックス・ミネイロ(89分)
試合のシチュエーション、そしてその試合展開…その両面でJリーグ史に残ると言っても過言ではない名勝負。初優勝を果たした2005年の一番心に残るゲームは多くの人が優勝を決めた川崎戦だろうが、2番目を選ぶならこの試合を選ぶ人は多いのでは。夏場に一気に勝点を積んだガンバは第22節終了時点で鹿島を抜いて首位に浮上。優勝争いはガンバと鹿島のマッチレースと見る向きが大きくなり、ラスト10試合のタイミングで勝点差1というシチュエーションで激闘したのである。チケットは即完売。試合直前に発売されたサッカーダイジェストでは試合前の時点でこのカードの特集記事が組まれていたのを覚えている。万博史上最も多くの観客が見守る中でキックオフを迎えた。
先制したのは鹿島。ガンバもすぐさま同点に追いついたが、小笠原に2点目を許して前半をビハインドで終える。だが後半開始早々に大黒が相手のミスを突いて同点に追いつくと、そこからは首位天王山に相応しい攻防戦を繰り広げ、ロスタイム直前に二川孝広、大黒と回してアラウージョ!!!!万博は熱狂の渦に包まれ、誰もがガンバの勝利を確信したが……リードは長く続かず3-3。それでも両指揮官が「ナイスゲーム」と称え合ったこの激闘は、今でも多くのファンの脳裏に刻まれているはず。
次回!万博改修後編!
ではでは(´∀`)