May Fairが沁みる季節ですね。
どーもこんばんは
さてさて、リモートマッチ(無観客試合)になっちゃったから満員のスタジアムも懐かしもう兼ガンバ大阪30周年記念という事で、ガンバの歴代最多入場者数トップ5を4部門に分けてお届けしております。今回はその第2回です。
②万博改修後(2006〜2015)
④おまけ
今回は万博改修後編です。
かつては23000人収容だった万博記念競技場ですが、2005年シーズン終了後に芝生席を改修したことで収容人数は21000人と多少縮小しました。改修後の万博といえば、西野朗監督や長谷川健太監督の率いたチームの黄金期と重なっていますので、その辺りの思い出も振り返りながら。
②万博改修後観客入場者数ランキングトップ5(2006〜2015)
第5位 20773人
2008Jリーグディビジョン1第12節
2008年5月11日16:03@万博記念競技場
横浜FM得点者:ロニー(65分、82分)
2008年のガンバ大阪といえば、やはり真っ先に想起されるのはACLの優勝、そしてマンチェスター・ユナイテッドとの激闘や天皇杯制覇だと思うし、実際そうなのだが、この年もまたガンバの悪癖であるスロースターターは発揮されており、ルーカス、水本裕貴など大型補強を敢行して挑んだにも関わらず第11節を終えた段階で9位と微妙な位置にいた。それでもこの時のガンバといえば遠藤保仁、明神智和、橋本英郎、二川孝広の黄金の中盤が君臨して、DFには加地亮や山口智がいた時代。マリノスも中澤佑二、松田直樹、山瀬功治といったスタープレーヤーがいて、ガンバのベンチには倉田秋、マリノスのベンチには乾貴士が若手として座っていた。
互いにリフレクションを味方につけるような形で先制点を奪って迎えた終盤戦、80分にガンバは二川のボールキープから橋本のスルーパス、最後はルーカスが決めて勝ち越しに成功。しかし直後にロニーにこの日2点目となるゴールを決められてドローに終わってしまう。ちなみに、そのロニーはこの試合の2ヶ月後にガンバに加入。そしてこの試合でガンバは主催試合での通算入場者数が400万人を突破した。
第4位 20916人
2006Jリーグディビジョン1第1節
2006年3月4日16:04@万博記念競技場
浦和得点者:ワシントン(2分)
Jリーグ開幕当初には「お荷物」とまで言われたガンバとレッズだったが、西野朗監督ご就任したガンバは2002年から安定して上位につけるようになり、J1復帰後の浦和もナビスコ杯、Jリーグステージ優勝を成し遂げる。そんな中で2005年はガンバのリーグ優勝、浦和の天皇杯優勝、そして同年のリーグはガンバと浦和のワンツーフィニッシュだった。2005年第30節、万博で行われたガンバと浦和の試合(2-1でガンバ勝利)はまさしく「ナショナルダービー時代」の幕開けだった。
直前に行われたゼロックス杯では浦和に完敗を喫したガンバだったが、この日はダイヤモンド型の4-4-2で試合に挑む。今見てもどちらのチームの布陣もクソ豪華だなと思う。ガンバは加地亮、明神智和、マグノ・アウベス、浦和は小野伸二、ワシントンが新加入組だった。開始2分、山田暢久のクロスをワシントンが頭で合わせて浦和が幸先よく先制する。前半はどちらかと言えば浦和ペースの時間が続き、ゼロックスに引き続き微妙な空気感が漂った。それでも後半には盛り返しに成功する。この試合、新加入の加地は対面する浦和の左サイド、三都主アレサンドロとの当時の代表レギュラーサイドバック対決としても注目されていたが、62分に二川の浮き球のパスに上がってきた加地が胸トラップ一発で三都主を振り切って左脚を振り抜き同点に追い付く。2006年の補強の目玉だったCAZI散歩MCの一撃はガンバ史に残るビューティフルゴールだったのを今でも覚えている。FC東京の時からガンバ来てくんねぇかなって思ってたから…。
その後の試合は一進一退の攻防を繰り広げた。2006年のナショナルダービーといえば浦和が優勝を決めた最終節が想起されるが、試合として面白かったのは間違いなくこの開幕戦だろう。79分、浦和は鈴木啓太のミドルシュートがこぼれたところに長谷部誠が詰めたが、肝心なシュートをフカしてしまった事で救われる。逆にガンバは80分に二川のパスからマグノ・アウベスがDFを剥がしてシュートを放ったがクロスバーに直撃。スコアは1-1のドローに終わったが、満員の観衆への訴求力は抜群の試合と言えた。
第3位 20973人
2010Jリーグディビジョン1第23節
2010年9月18日19:03@万博記念競技場
G大阪得点者:宇佐美貴史(2分)、中澤聡太(40分)、安田理大(68分)
序盤戦は低迷したが南アフリカW杯の中断明けから7勝2分2敗で一気に5位まで順位を上げたガンバと、7戦無敗で2位につけていたセレッソの上位対決としても注目された大阪ダービー。傾向として、大阪ダービーはガンバかセレッソのどちらかは低調な状態でぶつかる事が多い。それを踏まえると、どちらも優勝争いに絡んだ…そしてバッチリ調子の良い状態で激突したのはこの試合か、或いは2020年第26節の2試合しかないのである。
しかもこのダービーは過去、そして未来と比較しても特別なものであった。前述の通り双方とも絶好調だった事、セレッソは2007〜2009年をJ2で過ごしていたのでダービーそのものが2006年以来だった事、そしてガンバは西野朗、セレッソはレヴィー・クルピと攻撃的スタイルで名を馳せた監督が指揮を執り、ガンバは黄金の中盤に加えて宇佐美貴史、セレッソは若き日の乾貴士、家長昭博、清武弘嗣とタレントも豊富。熱量が爆上げになるのも必然だった。
試合は期待通りの打ち合いになる。開始早々に宇佐美のゴールで先制点を得たガンバは、前半終了間際に中澤のゴールでセレッソを突き放す。前半ラストプレーのCKでは、中澤とアドリアーノが小競り合いの末にアドリアーノが一発退場。完全にガンバの流れかと思われたが、セレッソも意地を見せて後半開始早々の2ゴールで試合を振り出しに戻した。まさしくノーガードの殴り合いとなったダービー。最後に勝負を決めたのは安田のJリーグ初ゴール。満員の万博のボルテージを最高潮に高まる一撃だった。
第2位 20982人
2007Jリーグディビジョン1第20節
2007年8月15日19:03@万博記念競技場
浦和得点者:永井雄一郎(62分)
最終的に2007年は鹿島が大逆転優勝を果たすのだが、「大逆転」と称されるように中盤戦まで鹿島は優勝争いには絡んでいなかった。ガンバファンには2014年のガンバのような推移を想像してもらえればわかりやすいと思う。スロースターター癖は西野体制でも長谷川健太体制でも変わらなかったガンバだったが、この年は開幕から4連勝を飾り、第19節を終えた時点で13勝5分1敗という圧倒的な数字で首位。対する浦和も11勝7分1敗で、構図としては今季の川崎と名古屋に近いものすらあった。ガンバは第6節、浦和は第7節以来敗戦がなく、2位浦和と3位鹿島の勝点差は7。2007年の優勝レースはガンバと浦和の当時の2強によるマッチレースと見る向きが強くなり、この試合こそ優勝争いの全ての鍵を握る試合として注目を集めていた。
「超攻撃」で鳴らしていたガンバはその言葉通りに攻勢を仕掛ける。26分には安田理大のシュートのこぼれ球に播戸竜二が詰めてネットを揺らすがオフサイド判定。その後も遠藤保仁のFKなどで惜しい場面を作るが、GK都築龍太のセーブもあって得点を奪えない。そして後半に入ると、浦和の田中マルクス闘莉王が「ここで負ければほぼガンバには追いつかない状態になると思っていた」と語っていた通りに浦和に流れを引き戻されてしまう。62分、ロブソン・ポンテのパスを田中達也がスルーしたところを永井雄一郎が鮮やかに決めて浦和が先制。永井は前季の天皇杯決勝同様、ガンバに牙を剥いた。ガンバ後半から投入していた家長昭博に加えて中山悟志、当時ルーキーだった倉田秋をピッチに送り込むが最後まで得点を奪えず。満員の万博で真夏の天王山を落としてしまった。
なお、この試合までガンバはリーグ戦でのホームゲーム25試合無敗という記録を持っていた。これはJ1史上最長記録タイであり、これに並ぶ記録を持つのが同年に記録が止まった浦和だった。
第1位 20991人
2011Jリーグディビジョン1第31節
2011年11月3日14:04@万博記念競技場
試合前の時点で優勝争いは首位の柏、2位のガンバ、3位の名古屋に絞られていた。勝点は柏が62、ガンバが60、名古屋が59で残り4試合。優勝争いは文字通りのカオスに突入した中で、迎えた鹿島との一戦は秋晴れ日和、祝日ともあって「定員まであと9人」という満員御礼となる。対戦相手の鹿島はこの年はリーグ戦では不調で、この時点で6位と既に優勝争いからは脱落していたものの、この試合の直前にナビスコ杯優勝を果たして勢いには乗っていた。
サイドバックの新井場徹をスクランブル的にCBで使わざるを得なかった鹿島に対し、ガンバは累積警告で出場停止の二川孝広を欠いた影響もあって両サイドハーフに佐々木勇人とキム・スンヨンを置いたスピード重視の布陣にしたが上手く攻撃を運ぶ事が出来ない。そこで後半、ガンバは怪我から復帰した加地亮を投入する。57分だった。野沢拓也のコーナーキックをGK藤ヶ谷陽介がキャッチすると右サイドに張った明神智和へ。明神が持ち運びながら武井択也にパスを繋ぐと、この年がデビューイヤーだった藤春廣輝が左サイドを猛然と駆け上がる。トップスピードのまま供給したクロスにラフィーニャがドンピシャで頭で合わせて、ここにガンバ史上トップクラスに美しいカウンター攻撃を成立させた。ガンバの左サイドバックは安田理大と下平匠がポジションを争う時期が長く、安田が退団した2011年は主に下平がその位置についていたが、この試合とこの前節の山形戦は現在も続く藤春の牙城を築く決定的な試合だったと言える。
余談だが、ガンバのレジェンドである山口智と橋本英郎は結果的にこの試合が万博でガンバのユニフォームを着て戦った最後の試合となった。
次回、パナスタ編!
May Fairは2番の出だしが好き
ではでは(´∀`)