HISASHI氏が相席食堂に出る衝撃。
どーもこんばんは
相席食堂が終わりましたところでHISASHIさん無双のキテレツエピソードをお納めください…#GLAY#HISASHI#相席食堂 pic.twitter.com/djLdQ0aLL6
— R (@blueblack_gblue) 2021年6月8日
さてさて、現在絶賛開催中のUEFA EURO 2020。
今回は全員ではないですが、何名かピックアップして…EURO2020監督名鑑を作ってみたいと思います。
監督を知ればEUROがもっと面白くなるだとかなんだとか。観戦のおともとして、WOWOWの画面の前で傍に置いてやってください。
(年齢表記はEURO開幕時点の6月11日時点でのものです)
ポルトガル代表監督
フェルナンド・サントス
生年月日:1954年10月10日(66歳)
国籍:ポルトガル
現職:2014年9月〜
過去に率いた主なチーム:FCポルト(98-99〜00-01)、AEKアテネ(01-02、04-05〜05-06)、SLベンフィカ(06-07)、ギリシャ代表(2010〜2014)など
監督としての主な実績:プリメイラ・リーガ優勝(98-99:ポルト)、タッサ・デ・ポルトガル優勝(99-00〜00-01:ポルト)、EURO2016フランス大会優勝(ポルトガル)、UEFAネーションズリーグ優勝(2019:ポルトガル)など
監督としての国際大会経験:UEFAチャンピオンズリーグ、FIFAワールドカップ(ギリシャ:2014ベスト16、ポルトガル:2018ベスト16)、EURO(ポルトガル:2016優勝)など
ポルトガルやギリシャのクラブで監督を歴任し、順位のアベレージは常に高くカップ戦はちらほら獲得していたが、若干シルバーコレクター感も出ていただけに、これまで毎回優勝候補に挙げられながら国際タイトルに縁がなかったポルトガルにEURO制覇をもたらしたのは特筆すべき出来事だった。決勝のフランス戦でもそれまで余り起用していなかったエデルを投入し、結果的にエデルがヒーローになるなどの勝負強さは持っている。
ブラジルW杯の際はギリシャ代表監督として同組となった日本と戦った。それまでは超が付くほどの守備偏重だったギリシャに攻撃のエッセンスも加えていたが、日本戦では退場者が出た事から従来のガチガチ守備シフトに戻すなど柔軟に対応。最終的には劇的な大逆転で日本、コートジボワールをまくってギリシャにとって快挙となるベスト16進出を果たしている。
プロサッカー選手としては怪我の影響もあって21歳で引退。その後はサッカー指導者になる前に、リスボン・エンジニア上級学校を経て電気通信技師を挟むという異色のキャリアを辿った指揮官。ちなみに、一時期アプリゲームのウイニングイレブンでは異常なまでの人気と支持を誇っていた。
フランス代表監督
生年月日:1968年10月15日(52歳)
国籍:フランス
現職:2012年7月〜
過去に率いた主なチーム:ASモナコ(01-02〜2005.9)、ユベントス(06-07)、オリンピック・マルセイユ(09-10〜11-12)
監督としての主な実績:クープ・ドゥ・ラ・リーグ(02-03:モナコ、09-10〜11-12:マルセイユ)、UEFAチャンピオンズリーグ準優勝(03-04:モナコ)、セリエB優勝(06-07:ユベントス)、リーグ・アン優勝(09-10:マルセイユ)、EURO2016フランス大会準優勝(フランス)、2018FIFAワールドカップロシア大会優勝(フランス)など
監督としての国際大会経験:UEFAチャンピオンズリーグ、FIFAワールドカップ(フランス:2014ベスト8、2018優勝)、EURO(フランス:2016準優勝)など
そのキャリアはまさしく栄光に包まれている。1989年にデビューを果たしたフランス代表では1996年より主将を任され、自国開催となった1998年フランスW杯、2年後のEURO2000を立て続けに制覇。クラブレベルでもマルセイユとユベントスでは国内コンペティションのみならずCLまで獲得。キャリアのあらゆる場面でタイトルを乱獲し続けている。
それは監督としても変わらず、監督デビューから3年目の03-04シーズンでは優勝候補でもなんでもなかったモナコでレアル・マドリードやチェルシーを撃破。決勝では敗れたが、その決勝はジョゼ・モウリーニョとの新進気鋭監督対決だった。マルセイユでも3シーズンでタイトル4つを獲得。フランス代表監督としての実績は今更語るまでもないだろうが、就任した2012年時点でのフランスは「低迷期からちょっと回復したくらい」だった事を忘れてはならない。今回のEUROを優勝すれば、EUROとW杯の両方を選手・監督で制した初めての人物となる。
……ちなみに、デシャンがフランス代表監督として初黒星を喫した相手は日本である。今野泰幸スーパーカウンタードリブルと川島無双のアレ。
オランダ代表監督
生年月日:1970年5月15日(51歳)
国籍:オランダ
現職:2020年9月〜
過去に率いた主なチーム:アヤックス(2010.12〜15-16)、インテル・ミラノ(16-17〜2016.11)、クリスタル・パレス(17-18〜2017.9)、アトランタ・ユナイテッド(2019〜2020.7)
監督としての主な実績:エールディビジ(10-11〜13-14:アヤックス)など
監督としての国際大会経験:UEFAチャンピオンズリーグなど
本来オランダ代表はロナルド・クーマン監督体制でEUROを迎える予定だった。だがEUROの一年延期が決まると、クーマンは延期されたEUROを待たずにFCバルセロナの監督に就任。急遽監督に就任する運びとなったのは準優勝を果たした2010年南アフリカW杯にコーチとして参加したデ・ブールだった。ちなみに、デ・ブールに監督が決まるまでに暫定監督を務めたのは元ジェフユナイテッド千葉監督のドワイト。
監督としてはアヤックス時代には偉大な成績を残しているが、インテルとクリスタル・パレスでは早期解任の憂き目も見ている。選手時代はルイス・ファンハールが率いたサッカー史に残るとも言われているアヤックスの一員として94-95シーズンのCLを制覇。この時は同じチームに実兄ロナルド・デ・ブールもプレーしており、アヤックスのみならず同時期にオランダ代表やバルセロナにも所属した事から「デ・ブール兄弟」として有名だった。
イタリア代表監督
生年月日:1964年11月27日(56歳)
国籍:イタリア
現職:2018年5月〜
過去に率いた主なチーム:ラツィオ(02-03〜03-04)、インテル・ミラノ(04-05〜08-09、2014.11〜15-16)、マンチェスター・シティ(2009.12〜12-13)など
監督としての主な実績:コッパ・イタリア優勝(00-01:フィオレンティーナ、03-04:ラツィオ、04-05〜05-06:インテル)、セリエA優勝(05-06〜08-09:インテル)、FAカップ(10-11:マンチェスター・C)、プレミアリーグ(11-12:マンチェスター・C)など
監督としての国際大会経験:UEFAチャンピオンズリーグなど
2018年ロシアW杯の出場権を逃すという大失態を演じたイタリアが再起をかけて招聘したのはかつてのスーパースターだった。現役時代はファンタジスタとして名を馳せた同氏は現役引退後、セリエAで監督を歴任。当時低迷していたインテルの監督に就任すると、ユベントスやACミランがカルチョ・スキャンダルの影響で失墜したというラッキーもあったが4連覇を達成。コッパ・イタリアはフィオレンティーナやラツィオでも制覇している。その後、UAE資本に買収された直後のマンチェスター・シティの監督に就任。マンC黄金期のアンソロジー的な部分を担い、伝説のアグエロの優勝決定弾の時の監督もマンチーニである。今回もやっぱりバシっとスーツを着せるとザ・イタリアのイケおじ。
現役時代はサンプドリアを中心に文字通りファンタジックなプレーで人気を博したが、監督としてはプロフェッショナルとして堅実なチームを作る事が多く、インテルやシティでは時折賛否も割れる。だがイタリア代表ではチーム力の向上と世代交代の両輪を達成し、その働きが買われて2026年まで契約を延長。契約通りに行けばイタリア代表を8年指揮する事になる。
マンチーニ監督と言えば必ず語られるのが悪童FWマリオ・バロテッリとの関係。イタリア史上最高のポテンシャルを持つともされていたバロテッリとはインテルとシティで仕事をしたが、マンチーニはバロテッリの覚醒のさせ方を常に思案する一方で確執も度々発生。シティ時代にはつかみ合いの喧嘩にまで発展しているが、現在ではバロテッリはマンチーニに賛辞を度々述べている。
ベルギー代表監督
ロベルト・マルティネス
生年月日:1973年7月13日(47歳)
国籍:スペイン
現職:2016年8月〜
過去に率いた主なチーム:スウォンジー・シティ(07-08〜08-09)、ウィガン・アスレティック(09-10〜12-13)、エバートン(13-14〜15-16)
監督としての主な実績:FAカップ優勝(12-13:ウィガン)など
監督としての国際大会経験:FIFAワールドカップ(ベルギー:2018第3位)など
今思えば、ベルギーのサッカー協会もベルギー史上最強のタレントを揃えた時期に思い切った抜擢だったと思う。その名が一躍轟いたのは12-13シーズン、プレミアの弱小クラブに過ぎなかったウィガンの監督として、降格という代償は背負った代わりにFAカップ優勝をもたらした。この時にウィガンが倒したのは、現イタリア代表監督マンチーニが率いるマンチェスター・シティだった。降格チームの監督ながら監督手腕が評価されてエバートンに引き抜かれている。
エバートンから豪華な布陣のポテンシャルを活かし切れていなかったベルギー代表監督に就任すると、豪華メンバーのポテンシャルを大きく引き出し、ロシアW杯では3位にまで躍進。ベスト16日本戦の劇的な展開、ベスト8ブラジル戦の大金星など、大会に於ける存在感は優勝したフランスに勝るとも劣らないインパクトだった。日本では「ロストフの14秒」と呼ばれるカウンターはマルティネス監督とベルギーの選手の個性が完璧にマッチした成果にも見える。
ちなみに、現エースFWのロメル・ルカクはエバートン監督時代の教え子。そしてウィガン時代は宮市亮を指導していた。
トルコ代表
シェノル・ギュネシュ
生年月日:1952年6月1日(69歳)
国籍:トルコ
現職:2019年6月〜
過去に率いた主なチーム:トラブゾンスポル(1988〜1989、1993〜1997、2004〜2005、2009〜2013)、トルコ代表(2000〜2004)、ベシクタシュ(2015〜2019)など
監督としての主な実績:スュペル・リグ優勝(15-16〜16-17:ベシクタシュ)など
監督としての国際大会経験:FIFAワールドカップ(トルコ:2002第3位)、FIFAコンフェデレーションズカップ(トルコ:2003第3位)など
もはやトルコサッカー界の重鎮。熱狂とカオスに包まれるトルコサッカー界で長年戦ってきた。最も特筆すべき功績は2002年日韓W杯、トルコ代表監督として周囲の予想を覆して3位に輝いた事で間違いない。その時のベスト16の相手は宮城スタジアムでの日本戦だった。トルコの3位躍進はW杯史にすら残る大躍進として今も記憶されている。…とはいえ、2019年に15年ぶりにトルコ代表監督に復帰した際はさすがにサプライズとして受け止められた。
クラブでもずーーーっとトルコで仕事をしているが、唯一海外で仕事をしたのが2007年から2009年まで監督を務めた韓国のFCソウル。2009年にはACLで準々決勝まで進み、グループステージではガンバ大阪、ベスト16では鹿島アントラーズと対戦した。余談だが、宇佐美貴史がデビュー戦でゴールを決めた時の対戦相手の監督が彼である。また、香川真司がベシクタシュに移籍したのは当時監督だったギュネシュの希望が大きく働いたとも言われている。
Part1はここまで!
ギグスよ…。
ではでは(´∀`)