Road to Tokyo…のようで違う話。〜東京オリンピック・五輪サッカー観戦日記〜第7話 チケットホルダーという立場(2021.5.31〜2021.6.25)

前話第1話はこちら↓】

 

 

 

5月31日(月)

 

色々あった5月だった。

ガンバファンとしては一つの夢が終わった喪失感に包まれている。成績が成績だったから、それぞれに賛成と反対はあるにしても、それに値する成績だったのは否めない。…まぁ、これについてはnoteにガッツリ書いたのでそちらを読んでもらいたい。

 

 

さて、一部地域ではまたしても緊急事態宣言が発令された。…一部とはいえど、がっつり私の生活圏である。おかげさまで、ACLの関係で5月に集中したガンバのホームゲームは全て無観客試合となってしまった。

そういう社会情勢になれば、やっぱり東京五輪に関する議論は絶えない。やるべきか、やらないべきか。やるのであれば有観客なのか、無観客なのか…。明日で6月だ。あと数時間でオリンピックには「来月」という枕言葉が添えられる。7月が終わる頃は五輪の真っ只中である。行くも帰るもどちらに転べど、今はもうカウントダウンの最中なのだ。

 

 

 

チケットを持っている自分の立場を少し書きたい。

オリンピックが開催されるというのならば、第一希望としては当然行きたいと思ってる。行きたいと思うからチケットを取った訳で、払い戻しもしなかった。自国開催のオリンピックなんて多くて半世紀に一度だ。少なくとも、若いうちに訪れる日本でのオリンピックなど今回が終わればまず有り得ないだろう。もし「次」があったとしてもきっとその時には自分は高齢者と呼ばれる年齢になっているだろうし、それでも今回が最初で最後になる可能性の方が遥かに高い。その尊さはロシアW杯をロシアで見て、そこのロシア人とロシア代表の姿を見て改めて感じた。自分が行く試合は日本戦では無いのだけれど、その想いは変わらない。だから当然、行きたいか行きたくないかの二択だけを問われれば答えは前者になる。

ただ、それはあくまで第一希望に過ぎないし、第一希望は必ずしも通るものではない事も理解している。もし明日東京五輪の中止が発表されたとすれば…当然残念ではあるけれど、仕方ないと思う事は出来るだろう。なぜこのタイミングで…割り切れない悔いと虚しさを残したとしても、中止の判断には納得はすると思う。それは無観客になった場合にも同じ事が言える。前の回でも言った気がするが、同じ括りでくくるには申し訳ないのを前提として、多くのアスリートも精神的な基本方針は同じだろう。「やりたいかどうか」「やるべきかどうか」は別軸であり、この2つが相反するのも全然自然な事だと思う。中止や無観客を宣告されたとて、それに文句をつけようとは思わない。ただ、有観客の上で「越県になる方は自粛を…」というパターンが来たら、此方としてはそれが一番やりきれない。

 

一つ確かに言えるのは「開催した方が良い」のか「中止した方が良い」のかという論争になった時、そこに「良い」と言える回答はとはや残っていないのだろう。開催が全てをハッピーにする訳でも無ければ、中止が全てを解決する訳でもない。開催しようが中止になろうが、どちらに転んでも勝利ではない。こればっかりは日本の間が悪かったというしかない。「オリンピック40年周期説」なんてオカルトはあるけれど、よりによって、なぜ東京五輪がこのジョーカーにぶち当たってしまったのか……その悔いからは永久に逃れられないのだろう。繰り返すが、もし自分が五輪に行けなくなったとしてもその事に異議を唱えるつもりはない。だが、納得と払拭は必ずしもイコールではない。五輪という呪縛は心の中で少し引きずるような気はしている。

 

 

 

チケットを買ったことを後悔した事は無いし、当たった事を恨んだ事もない。だが、チケットの当選連絡が来た2019年12月18日、あの瞬間から私は当事者になったのだ。チケットホルダーとしての葛藤はある。特にここ1年はそのメリットとデメリットの中で、少しでも多くのメリットを集めようとしていた日々だった。その中で例えば、いざ五輪に行ったとして、そこで自分はSNS社会で言うところの「誹謗中傷をするに値する人物」として扱われてしまうのだろうか……ともふと思う時はある。友人の中には心配する者もいればネタ的にイジる者もいて、或いは単にチケットの行方を興味本位的に気にする者もいるが、もし自分が対岸の火事として自分を見れる立場だった時に、この葛藤に対してどの言葉を投げるのだろうか……時折それは気になったりもする。

 

 

 

6月23日(水)

 

東京五輪ガイドラインが発表された。

是非はともかく、少なくとも開催の方向である事は少し前からわかっていた。だからこそ焦点は観客を入れるのかどうかだった訳だが、有観客は有観客でやるらしい。観戦するにあたってのガイドラインや遵守事項も発表されたが、これに関しては各々が意識するべき話であって、このブログが流れる頃には少なくとも「私の東京オリンピック」は終わっているだろうから取り上げては触れない。今ここで触れるべきは入場制限の方である。

 

数日前から報道は出ていたし、自分もこれに関しては有観客になった場合の懸念事項の一つとしてどうなるのだろう…と気になってはいた。入場制限に関しては上限が1万人orキャパシティの50%と定められた。

これはワールドカップなどでもそうだが、オリンピックのチケットは第◯次抽選…といった形で段階を踏んで販売される。定かでは無いが、コロナ禍以前の当初予定では第4次販売くらいまであった気がする。私がチケットを当てたのは第2次販売だったが、結果的にこれが最後の販売となった。単純計算すれば、この時点で誰かの下に渡ったチケットはおそらく50〜60%くらいで、そこからキャンセル分もあるだろうから、多くの競技でのパーセンテージは50%に近い数値になっていると思う。

だが、問題は私が観に行くのがサッカーという収容人数の大きい会場で行うスポーツであるという点だ。報道にも出ていた例で言うと、例えば男子サッカーの決勝等が行われる横浜国際総合競技場(日産スタジアム)の収容人数は72327人。50%でも四捨五入して36164人にも上る。上記の制限では50%か1万人の少ない方に合わせなければならない。例えばキャパが1万人の会場は50%の人数に合わせるのだが、横浜の場合は…現時点でチケットを50%売っていると仮定すると、単純計算で26164人が足切りを喰らう事になる。

それは私が行く予定の札幌ドームにも同じ事が言える。札幌ドームの上限は41814人。50%販売済みと仮定すれば20742人となり、10742人を削らなくてはならない。サッカー会場は全て倍率は2倍以上だと思う。その選別の方法が何か———抽選である。先に辞退者を募ってから抽選を行う…という方法もあったのだろうが、入場制限の決定を先延ばしにしてしまったが故に、2段階のシステム処理を行う時間が無くなったであろう事は想像に難くない。

 

 

権利とは時と場合によってその立場が揺らぐものなのだろう。勿論、外れた場合も払い戻しはされるから収支としての不利益はない。しかしながら、一度は当たったチケットが再び宙に浮く感覚は……もちろん、少し前ぐらいからはこの展開も予想していなかった訳ではない。ただ、基本的にはこのコロナ禍を迎えてから手元にあるチケットの権利は観戦に使えるか、或いは中止か無観客により無効になる…この二択だと思っていた。だが、五輪を1ヶ月前にして再びチケットは戦場に放り込まれ、今はその結果が来るという7月6日をただ待つしかない。ただ待つしか……。

 

 

 

6月25日(金)

 

EUROはグループステージが終わってベスト16が出揃った。ACLも開幕し、いよいよ今夜はガンバの試合だ。

 

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そして……1ヶ月後の7月25日、札幌ドーム東京五輪のスペインvsエジプト、アルゼンチンvsオーストラリアの試合が行われる。チケットは持っている。でも1ヶ月後、その試合を私は札幌で観ているのか、京都の家のテレビで観ているのか…それはまだわからない。突如強いられた2度目の戦いに文句を言うつもりは皆目ない。上でも書いたように無観客や中止でも仕方ないとは思っていたから、いわゆるショックという感情ではない。だが落ち着きはしない。

 

きっと世の中には行きたいと思う事さえ国賊と捉える人達もいると思う。もし仮に五輪の写真をTwitterに載せたその瞬間、正義的な批判である事を気取った返信が来る可能性だってあるし、言ったもん勝ちのSNSではそれが一人歩きして、身に覚えのない新たな行動履歴を物語のように紡がれる可能性だってある。要するに、チケットが当たったその時点で私は自分の身の振り方はある程度考えなければならない。現地での行動は当然の事として、観戦前後の事も含め、遠征の行程以外にも考えるべきことは尽きない。

それを踏まえれば、もしかすれば「落選」という結果こそ当たりカードなのかもしれない。観戦するにあたってどういう準備をするべきか、何に気をつければいいか、常にボロを出さない為にどうすればいいか……再抽選に当選する事で発生する悩みは多いが、落選すればそれらの悩みからは解放される。なぜならば札幌に行くという選択肢が強制的に排除されるからだ。人間は選択肢が多いと迷うし、選択肢が多いからこそ選んだ結末に後悔する。それはどのルートを選んでも同じ事だ。それを踏まえれば、そもそも権利を手にしない事は精神的には楽なのかもしれない……この一年の喧騒はそういう事を考えなければならない期間だった。

それでもやっぱり五輪に行きたい気持ちはある。スペインやアルゼンチンという好カードを引いたのもあるし……その辺りは上で書いたので繰り返して多くは書かないが、少なくともジレンマは当分終わりそうもない。チケットの再抽選が決まってからチケットホルダーに取材するメディアもちらほら見られるようになったが、「行きたい派」なのか「キャンセルしたい派」なのかは各々分かれるだろうが、それぞれがそれぞれの葛藤を抱え、ずっとジレンマに苛まれている事だけは皆共通だと思う。多分、声高に開催や中止を主張する人達がいる中で、現在チケットを持っている人達は少なくとも「五輪は中止にしてくれ!」とは叫べないし、同時に「なんとしても五輪を開催してくれ!」と主張する事も出来ないのだろう。それは叫ばないようにしているのでは無く、本当にどちらにも振り切れなくなっているのだ。答えが出せれば実際に主張するのかどうかは別として、主張するに値するほどハッキリとした答えを自分の中で出せないところに追い込まれている。このジレンマから解放される為には、それが現地観戦にしても落選という形にしても、自分が権利を有するチケットの日付を越え、自分の中での東京五輪にピリオドが打たれる瞬間まで待たなければならないのだろう。繰り返すが、五輪に行きたいという気持ちは必ずしもなにがなんでも開催派という訳では無いし、反対派ではない事は確かだが、開催強硬派でもない。それだけに、チケット当選という幸運の功罪を身に沁みて感じているのだ。

 

 

この「東京オリンピック観戦(予定)日記」は本来「東京オリンピック観戦日記」として、以前ブログに載せたロシアW杯観戦記のように、でもどちらかと言えば叙事詩のように書いたW杯の時とは異なり、今回はチケットを取ったその日から日記の形式で書こうと思った。更新こそ書かれた日付よりも後に更新しているが、書いているのは紛れもなくその日であり、その日の状況と感情で書いている。2019年11月24日から書き始めた一連の連載は、当初の予定ではオリンピックが終わった後…2020年8月くらいから更新していこうと思っていた。だが、大会開幕を4ヶ月後に控えた2020年3月24日に全ての事情が激変してしまう。だから此方も考え方を変えて、第1回を延期が決まったその日のうちに更新した。ブログというか日記自体は適当な区切りで書き連ねているが、この部分を書いている時点では既に第4話まで更新している。

当初、この連載はもっとゆるいほのぼのとしたブログに仕立てられればと思っていた。ロシアW杯観戦記とは違ったアプローチでの観戦日記で、自国開催という唯一無二のプレミアム感と自分の感情を文字として残したいと、気ままな日記としてアップ出来れば…と考えていた。だが状況は変わり、それと同時に趣旨も自分の目的とは大きく変化してしまった。自分で言うのもアレだが、結果としてこの連載は、予定外の再抽選、オリンピックを開催すべきか中止すべきかの論争、そしてそもそもこんな事態になるなんて2年前にはまるで思っていなかったコロナ禍での「チケットホルダー当事者の葛藤と憂鬱」として微妙に貴重な文献になってしまったような気もする。叙事形式じゃなくて日記形式にした事がこんな形で効果を発揮するとは夢にも思わなかった。

 

思えばこれまで私は、なにかと「持っちゃってるタイプの子」だった。毎試合通ってる訳でもないのに野球を観に行けば結構な確率で雨が降るし、コロナ禍以前は本来滅多に中止になんかならないドームコンサートでさえ中止を経験した事がある。生まれて初めて乗る路線の電車が停まりやがった事もあった。好きなチームの試合を観に行っても競技を問わず勝率もあまり良くない。いつしかそれは友人間の間で私の一つのキャラとなり、自分自身もそれを自虐ネタとして使っていた部分はある。そんな自分が、抽選会でスペインとアルゼンチンを当てた事は友人からLINEで言われたように最後のフラグになのかもしれない。

 

「お前は遂に五輪まで倒したのか……」—去年の3月末から続くそんな笑い話の結末は、こんな事になるなど思いもしなかった2019年11月から続く物語の結末はどこに行くのだろうか。

 

 

 

つづく。