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【ガンバ30周年】ポジション別ベスト5!ガンバ大阪歴代選手ランキング【GK編&名監督編】

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加地亮よりは中澤聡太の方が西野さんのモノマネ上手い。

 

どーもこんばんは

 

さてさて、先日より連載しておりますガンバ大阪クラブ創立30周年記念企画「独断と偏見によるガンバ大阪歴代選手ポジション別ランキング」…いよいよ最終回です。

企画概要については第1回の方をご覧下さい。

 

 

 

ここまでFW編MF編DF編をやって参りました。最終回となる今回はGK、そして監督です。ガンバのGKって、結構代表輩出率高いんですよね。それではスタート!

 

 

※データは2020年シーズン終了時のデータです。また、あくまで成績はトップチームに限り、ガンバ大阪U-23での成績は含みません。

 

オリジナルアルバムの配信も開始したのでそちらも観てね

 

 

【GK編】

 

 

第5位

藤ヶ谷陽介

 

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生年月日:1981年2月13日

在籍年:2005〜2013、2015〜2017

背番号:22(2005〜2009)→1(2010〜2013)→18(2015〜2017)

獲得タイトル:J1リーグ(2005)ゼロックス杯(2007、2015)、リーグ杯(2007)、パンパシフィック杯(2008)、AFCチャンピオンズリーグ(2008)、天皇杯(2008、2009、2015)J2リーグ(2013)

【ガンバでの成績】

リーグ戦通算:260試合0得点

公式戦通算:368試合0得点

 

2005年に札幌から加入し、後半戦から松代直樹からレギュラーポジションを奪うと、その年のリーグ初優勝に貢献。ミドルシュートやクロス対応にはやや難があるが、至近距離からのシュートには滅法強く、松代が引退する2009年まで激しくポジションを争った中でもファーストチョイスは基本的に藤ヶ谷だった。西野ガンバ黄金時代のGKであり、J1、リーグ杯、天皇杯ACLの全ての優勝の瞬間をピッチ上で経験した日本人GKは藤ヶ谷と西川周作の二人しかいない。

2013年をもって退団したが、2015年に「東口の控え」という立ち位置を前提に復帰。難しい立場ながらもGK陣のリーダーとして大きく貢献すると共に、カップ戦で東口の代表招集時には安定したプレーを見せるなど、そこに2012年頃に「ガヤる」と揶揄された姿は無かった。あの3年間で藤ヶ谷は真のレジェンドになった気もする。

 

 

第4位

都築龍太

 

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生年月日:1978年4月18日

在籍年:1997〜2002

背番号:23(1997)→12(1998)→23(1999〜2002)

日本代表通算成績:6試合0得点(2001〜2004、2006、2008〜2009)

ガンバ所属選手としての国際大会出場:2000年シドニー五輪、2001年コンフェデ杯

【ガンバでの成績】

リーグ戦通算:63試合0得点

公式戦通算:76試合0得点

 

国見高校からガンバに入団し、2000年に岡中から守護神の座を奪取。宮本恒靖稲本潤一ら同世代の選手を多く擁したガンバは都築がレギュラーになってから調子を上げて同年2ndステージでは優勝争いに絡み、自身もシドニー五輪への出場を果たす。翌年に日本代表にも選ばれ、本並→岡中→都築とガンバの正GKは三代続けて日本代表招集を受ける事となった。間違いなく当時の中心選手で実力者であり、ガンバのGKは10年安泰と思わせるだけのパフォーマンスを見せた。しかし、2002年1stステージの優勝争い天王山となった磐田戦で4-5と敗れた翌節からスタメンを外されると、それを発端に西野朗監督と衝突。その後1試合も出場する事なく浦和に移籍した。

移籍の経緯や浦和移籍後の活躍もあって「もし都築が退団していなかったら」のifは東口が加入するまでしばしば語られ続ける事になる。また、移籍経緯に加えて浦和でレジェンドになった事から「ガンバとは絶縁しているのでは?」と見る向きもあったが、ガンバが2019年に開催したOB戦で久々にガンバOBとしての姿を見せてファンを安心させた。西野監督との確執に関しては都築本人が「今思えば120%自分が悪い」と語っており、現在では会えば普通に会話もするらしい。

 

 

 

第3位

岡中勇人

★キャプテン経験者(1997〜1998)

 

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生年月日:1968年9月26日

在籍年:1993〜2001

背番号:1(1997〜2001)

日本代表通算成績:0試合0得点(1998)

【ガンバでの成績】

リーグ戦通算:143試合0得点

公式戦通算:181試合0得点

 

Jリーグ開幕当初は出た試合では好プレーを発揮しながらも本並の壁に阻まれていたが、1996年途中に本並からレギュラーを奪うとエムボマを擁した翌年はガンバにとって初のなる優勝争いに大きく貢献。特に優勝争いの天王山となった磐田戦で、最終的にはドゥンガの延長Vゴールにより敗れたが、そこに至るまでの奮闘はもしガンバが勝っていれば間違いなく伝説とされていただろう。出場機会こそ無かったが1998年には日本代表にも数度招集され、トルシエジャパンの初陣のメンバーにも入った他、当時Jリーグの日本人選抜と外国人選抜の対戦として行われていたJOMOカップでは、外国籍GKがいなかった事から外国人選抜のGKとしてもプレーした。

西野監督時代の黄金期は「GKが微妙」なんて言われ方をしていたが、その時代を除いてはガンバはGK大国的な側面もあった。本並→岡中→都築の流れがあり、現在では東口、谷晃生が実績を積んでいる。

 

 

第2位

本並健治

 

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生年月日:1964年6月23日

在籍年:1993〜1997.7

背番号:12(1997)

日本代表通算成績:3試合0得点(1994)

【ガンバでの成績】

リーグ戦通算:124試合0得点

公式戦通算:149試合0得点

 

サッカーファン以外にとっては「丸山桂里奈の旦那」というイメージだろうし、まさか令和の時代にバラエティタレントとしてブレイクするとは夢にも思わなかったが、紛れもなくJリーグ開幕直後のガンバでは礒貝洋光永島昭浩と並ぶスタープレーヤーだった。「浪速のイタリアーノ」(明石家さんま命名)という無茶苦茶な異名を付けられつつも、1993年のJリーグ開幕戦…シュート15本の浦和にシュート4本のガンバが勝った試合に代表されるように、当時「Jリーグのお荷物」とまで呼ばれたガンバに好守を連発した本並の存在がなければ、状況はもっと悲惨だったとも言われている。

丸山との結婚後からTV出演が急増したイメージがあるが、それ以前から関西ローカルでの出演頻度は少なくなかった。ちなみに、15年ほど前に私が京都サンガの試合を観に行った帰りに西京極の近くのガストで見かけた(多分サンガの解説終わり)。確かに浪速のイタリアーノだった。

 

 

 

第1位

東口順昭

 

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生年月日:1986年5月12日

在籍年:2014〜

背番号:1

獲得タイトル:Jリーグ杯(2014)、J1リーグ(2014)天皇杯(2014、2015)ゼロックス杯(2015)

獲得個人タイトル:Jリーグ月間MVP(2014年11・12月)、Jリーグ優秀選手賞(2014〜2015、2018、2020)、AFCチャンピオンズリーグベストイレブン(2015)

日本代表通算成績:8試合0得点(2011、2014〜2019)

ガンバ所属選手としての国際大会出場:アジアカップ2015、2018年ロシアW杯、アジアカップ2019

【ガンバでの成績】

リーグ戦通算:232試合0得点

公式戦通算:304試合0得点

 

かつてはガンバジュニアユースに所属し、同学年に家長昭博、一学年下に安田理大という選手がいる中で本田圭佑と共にトップ昇格を果たせず。挫折から始まったガンバでのキャリアだったが、新潟で日本代表選出や2度の大怪我など激動の時を過ごし、2014年に13年ぶりにガンバのユニフォームを纏った。それ以降の活躍はもはや説明するまでもない。もし東口がいなければ……それは想像しただけでも恐ろしい。それはチームの調子が良い時は勿論、2017〜2018年や2021年のスランプ期でも完全崩壊は免れていたのは、ひとえに東口のおかげである。そりゃ「神」とも言われるわ。

2014年第28節川崎戦、2015年CS準決勝浦和戦、2017年第3節FC東京戦、2018年第9節C大阪戦、2020年第7節神戸戦…神話クラスの試合を列挙するとこんな感じだろうか。今やパナスタに銅像でも建てるべき選手の一人である。今年で35歳になり、選手としてはベテランの域にしっかり入っているが、そのパフォーマンスは未だに洗練され続けており、今なおJリーグ最高のGKの一人である。ファンとしては……受賞に値する活躍を見せながらも未だに獲得には至っていないベストイレブンの称号を、何とかどこかで掴んでほしい……。

余談だが、新潟時代の2011年……東日本大震災復興支援試合に於いて、伝説となった三浦知良がゴールを決めた時の日本代表のGKは東口である。

 

 

 

【監督編】

 

 

第5位

早野宏史

 

在任期間:1999年8月〜2001年10月

国籍:日本

Jリーグ成績:1999年2nd13位、2000年6位(1st13位/2nd4位)、2001年7位(1st5位/2nd13位(途中まで)

 

ダジャレ解説でお馴染みの早野監督。当時の横浜マリノスでの優勝経験を買われ、1999年の2ndステージからガンバの監督に就任した。

当時のガンバと言えばトップチームの不振は続いていたものの、既にレギュラーに定着していた宮本や稲本、小島や新井場徹に加え、二川孝広橋本英郎大黒将志都築龍太といったシドニー五輪世代に該当する選手達が出てきた時代。2000年は1stステージこそ残留争いに巻き込まれたものの、2ndステージでは若手選手の躍動もあって、ラスト5試合の段階で首位に立つ。しかし柏と鹿島との直接対決に敗れ、優勝は逃す事になった。2001年2ndステージ、大阪ダービーに敗れた事で辞任。ロマンのある時代だったのは間違いない。

 

 

第4位

ヨジップ・クゼ

 

在任期間:1996年〜1997年10月

国籍:クロアチア

Jリーグ成績:1996年12位、1997年4位(1st8位/2nd2位)

 

1995年にコーチとしてガンバに加入すると、シーズン終了後にはジークフリート・ヘルト監督の退任に伴い監督に就任。エムボマを擁した1997年には2ndステージ2位、年間順位でも4位とガンバとして初めて上位フィニッシュを果たした監督となった。エムボマの存在の強烈さゆえに、しばしば「エムボマ依存」と批判される事はあったが、それでも前述の早野監督しかり、当時のガンバで優勝を争った事はそれだけで一定の評価には値する。宮本恒靖稲本潤一小島宏美と言った当時の若手選手を主力に登用したのもポイント。

1997年のリーグ戦が終わった時点で、母国クロアチアの代表スタッフ就任の為に退任。だが2003年までアドバイザーを務め、2000〜2001年に大活躍したFWニーノ・ブーレの獲得にはクゼ監督の尽力があった。

 

 

 

第3位

宮本恒靖

 

在任期間:2018年7月〜2021年5月

国籍:日本

Jリーグ成績:2018年9位(途中から)、2019年7位、2020年2位

 

確かに宮本監督の最終的な評価はガンバファンの間でも賛否がある。しかし、紛れもない事実として…ガンバの歴代監督の中で、通算成績で勝ち越した監督は3人しかおらず、黄金期を築いた西野監督、長谷川監督以外では宮本監督しかいない。宮本監督に関しては、難点はあった一方で不安な要素も多かったと思うし、なんやかんやでアベレージでの成績は悪く無かった事を踏まえると、過大評価する必要はなくとも過小評価されるべきでも無いと思う(解任の是非はともかく)

ガンバファンにとって「ツネ様」の監督就任は夢であり、そしてロマンだった。その夢は余りにも唐突に訪れる事となったが、2018年に崖っぷちまで陥ったガンバを残留に導いた事と2020年の2位は評価されるべき結果であり、2019年にはそれなりに魅力のあるスタイルでサッカーを出来ていた時期もあった。「監督・宮本恒靖」については過去にも何度かブログで書いたのでそちらを参照してほしいが…個人的にはどこか、「惜しい」という感情が残る監督だったかもしれない。

 

 

第2位

長谷川健太

 

在任期間:2013年〜2017年

国籍:日本

Jリーグ成績:2013年1位(J2)、2014年1位、2015年2位(1st4位/2nd3位)、2016年4位(1st6位/2nd4位)、2017年10位

ガンバでの獲得タイトル:J2リーグ(2013)、ナビスコ杯(2014)、J1リーグ(2014)天皇杯(2014、2015)ゼロックス杯(2015)

 

ガンバが初めてのJ2を戦う事となった2013年から監督に就任。「J2くらい優勝して当然」と言われる難しい状況の中でそのミッションを見事に成し遂げると共に、清水エスパルス監督時代と同じく若手も積極的に登用するなど「守備の再建」と「若手育成」を両立させ、翌年のJ1昇格即三冠に繋げた。2014年は三冠という結果そのものもそうだが、ナビスコ杯決勝で途中出場の大森晃太郎が点を取ったり、負けたら浦和の優勝決定となる直接対決では交代出場した3人がゴールとアシストに絡むなど采配も神懸かり的であった。

ガンバに於ける第二次黄金期を築いた監督になる長谷川監督だが、第一次黄金期を築いた西野監督とは違う方針・違うアプローチでチームをタイトルに導いたのは興味深いポイントである。清水時代には多くの選手を代表クラスまで育てていたが、ガンバでも藤春廣輝倉田秋丹羽大輝米倉恒貴といった面々が長谷川監督の下で力をつけて代表入りを果たし、宇佐美をストライカーとしてブレイクさせるなどの手腕も発揮。ガンバにとって偉人と呼ぶべき人物の一人である事に疑問を抱く余地は無い。

熱血漢として知られる長谷川監督らしいといえばそうだが、劇的ゴールが決まった際には時折我を忘れる。2014年第32節浦和戦では得点の瞬間にテクニカルエリアで転倒。ACL準々決勝金北戦では米倉のゴールに喜び過ぎてピッチ内に侵入した挙句走り回ってしまって退席処分を受けた。2017年は散々だったとはいえ、長谷川監督にはもう少し相応しい送り出し方があったのでは…とは思う。

 

 

第1位

西野朗

 

在任期間:2002年〜2011年

国籍:日本

Jリーグ成績:2002年3位(1st4位/2nd2位)、2003年10位(1st12位/2nd7位)、2004年3位(1st4位/2nd3位)、2005年1位2006年3位、2007年3位、2008年8位、2009年3位、2010年2位、2011年3位

ガンバでの獲得タイトル:J1リーグ(2005)ゼロックス杯(2007)ナビスコ杯(2007)、パンパシ杯(2008)、ACL(2008)、天皇杯(2008、2009)

 

ガンバの歴史は「西野以前」「西野以後」に分けられる。ガンバにとって西野朗が遺したものはそれだけ大きなものであり、同時に…今のガンバは決して攻撃的なチームとは言えないにも関わらず、未だに「ガンバ=超攻撃」というイメージが残っているのは如何に西野ガンバのインパクトが強烈だったかの証左でもある。元々は日立製作所の人間で、キャリアを柏レイソル一筋で過ごしていた事もあり、松下電器のチームに移籍する事には多少の葛藤はあったらしく、その上でガンバでの初陣が柏戦だったのには巡り合わせの妙を感じる。また、ロシアW杯で全国に知れ渡ったダンディーなキャラとは裏腹に、西野監督の天然エピソードは当時の多くの選手から語られている。

西野監督が就任する2001年以前のガンバは何年間に1度優勝争い出来れば御の字みたいなチームだった。それが2002年以後の西野監督が率いた10シーズンのうち、トップ3を逃した年は僅か2年しかない。勿論、西野監督が率いた時期と、遠藤保仁二川孝広といった選手が急激に伸びた時期が重なったという側面はあるが、それだけであのような成績を残す事は出来ない。J1初優勝を決めた川崎フロンターレとの2005年最終節や、クラブW杯準決勝でのマンチェスター・ユナイテッドとの打ち合いは当時のガンバを象徴するようなゲームであり、あの当時のガンバにとっては、あの超攻撃的スタイルという明確な意図とスタンスをチーム全体に徹底させ、そして浸透させた事の意義は計り知れない。

繰り返しにもなるが、ガンバの歴史は前半と後半よりも西野以前、西野以後という分け方が一番正しいと言っても過言ではない。間違いなくあの2002年はガンバにとってそれだけ大きな分岐点であった。それと同時に、当時あれだけのサッカーをやられたら、当時を知る者が少し昔を懐かしく思いたがるのは仕方ないのかな…と思ったりもする。

 

 

 

築いた伝説、これから紡ぐべき伝説……過去の様々なレジェンドが積み上げてきたガンバの歴史を、これから新たなるレジェンドとなりうる選手が積み重ねていく事を期待しています。

 

 

ヒガ神

ではでは(´∀`)