20周年記念試合の時、ヘリからボール落とすつもりが全然落ちなかったの懐かしい
どーもこんばんは
さてさて、今年でガンバ大阪はクラブ創立30周年を迎えました。
↑30周年にちなんだ企画のブログを色々更新しているので是非。
という訳で現在、当ブログでは以下の3回に渡ってガンバ大阪の歴代シーズンの統計記録を基にシーズンを振り返る企画を行なっております。
③最も勝点が多かったシーズントップ5
1試合平均得点、1試合平均失点とくれば…ある意味ではその結果の帰結とも言える1試合平均勝点が最も多かったシーズンは?でございます。
得点数では西野ガンバ、失点数では長谷川ガンバ…みたいなのがこれまでのランキングでしたが、果たして勝点ではどちらに分があるのか…!ある意味、数字で見る最強シーズンみたいなランキングかもしれません。
尚、ランキングはシーズン毎に試合数も違うので「1試合平均」の得点数・失点数・勝点数で割り出しています。また、J2に所属していた2013年と、現在進行中である2021年に関しては除外したランキングとなっています。
また、1993年と1994年は「勝点」ではなく「勝利数」で順位が付けられていたので、今回はこの2シーズンは勝点制が導入された1995年の計算方法に基づいて勝点を算出していきます。
↓
第5位タイ
ガンバ大阪2014
1試合平均勝点1.85/総勝点63
監督:長谷川健太(2年目)
J1順位:1位
J1成績:勝点63(19勝6分9敗、得点59失点31得失点差+28)
2012年にJ2降格を喫したものの、2013年に1年でJ1復帰を果たしたガンバ。この年はJリーグ史上2チーム目となる昇格即優勝、そして三冠達成を果たしたガンバであったが、J1ブランクの影響もあるのか序盤戦は不振に陥る。ブラジルW杯による中断前の時点では16位という降格圏での戦いを余儀なくされた。しかし再開初戦の甲府戦で勝利すると5連勝と7連勝を記録し、優勝を争う鳥栖、鹿島、川崎との直接対決を立て続けに勝利。一気に優勝戦線に食い込んだガンバは天王山となった第32節浦和戦にも勝利し、J史上に残る逆転優勝を達成した。
長谷川健太監督体制以降は守備の比率を高めた事に加えて、宇佐美貴史が序盤戦を欠場していたの事もあって深刻な得点力不足に陥っていた。しかし宇佐美の復帰、そしてパトリックを獲得してからは、シンプルな攻撃が序盤戦で構築された守備のベースと噛み合い、W杯後のリーグ戦20試合で15勝3分2敗という異常なまでの巻き返しを実現している。
第5位タイ
ガンバ大阪2015
1試合平均勝点1.85/総勝点63
監督:長谷川健太(3年目)
J1順位:2位(1stステージ4位/2ndステージ3位/CS2位)
J1成績:勝点63(18勝9分7敗、得点59失点37得失点差+22)
ディフェンディングチャンピオンとして迎えた2015年は2004年以来となる2ステージ+チャンピオンシップの方式で行われた。
「去年のメンバーでアジアでどれだけ戦えるか」という意向により補強を最小限にして挑んだシーズンだったが、年間を通しての安定感は優勝した前年よりも上であり、両ステージ共にガンバより上の順位だったのは広島のみだった。一方、優勝争いに関しては6連勝を果たした1stステージに浦和との直接対決まで持ち込んだが、ここで敗れて以降は終盤まで優勝争いに絡む事なくシーズンを終えている。それでも年間順位で3位に入った事で出場したチャンピオンシップでは準決勝で浦和を撃破。2004年までの間にガンバが一度も出場できなかったチャンピオンシップ決勝では広島に悲劇的な負け方を喫したが、浦和には勝利した事で年間勝点よりは順位を一つ上げてシーズンを終えている。
2015年のガンバはJ1リーグ、ナビスコ杯、天皇杯の全てで決勝まで上り詰め、ACLでも準決勝まで進んだ事でJリーグ史に残る過密日程が完成してしまった。ただ、あの日程の中で勝点63を獲得した事は十分評価されるべき数字でもある。
第4位
ガンバ大阪2020
1試合平均勝点1.91/総勝点65
監督:宮本恒靖(2年目)
J1順位:2位
J1成績:勝点65(20勝5分9敗、得点46失点42得失点差+4)
宮本恒靖監督体制となって1シーズン半が経過し、宮本監督に求められるものも一層大きくなってきた。そんな中で開幕前は前年のやり方を継承した「ハイプレス」を標榜したものの、開幕戦に勝利したところでJ1リーグそのものが4ヶ月間の中断を余儀なくされてしまい、再開後も宮本監督は過密日程に対応するべくセーフティーなやり方を選択した。
結果的にそれは功を奏し、スロースターターで知られるガンバはスタートダッシュに成功。8月は勝ち星から遠ざかる時期もあったが、システムを4-4-2に戻すと第17節札幌戦から12戦無敗を記録。この年は川崎が圧倒的な強さを誇っていた事で優勝に争いに絡む事は出来なかったが、名古屋・C大阪・鹿島・FC東京らとの2位争いを制し、ACL出場権と同時にこの年はJ1からは2チームしか出場出来ない天皇杯の出場権も獲得。宮本監督は優秀監督賞を受賞した。
この年はホームで抜群の相性を誇っていたFC東京や湘南、仙台に敗れた一方で、逆にこれまでホームで勝てなかった名古屋・鹿島・柏、アウェイが鬼門となっていた鳥栖やFC東京に勝利するなど、良いジンクスも悪いジンクスも崩れていくシーズンとなっていた。尚、10月には遠藤保仁が磐田に移籍。クラブの歴史の重要分岐点を経験した。
第3位
ガンバ大阪2006
1試合平均勝点1.94/総勝点66
監督:西野朗(5年目)
J1順位:3位
J1成績:勝点66(20勝6分8敗、得点80失点48得失点差+32)
初めてディフェンディングチャンピオンとしてシーズンを迎えた大型補強を敢行。当時の日本代表レギュラーである加地亮に日韓W杯メンバーで西野監督の柏時代の愛弟子でもある明神智和、更にアラウージョと大黒将志が抜けたFWにはマグノ・アウベスと播戸竜二を迎え、初出場となるACLも見越したメンバーを揃えた。ACLこそグループステージで敗退したが、リーグ戦では浦和、川崎と常に首位争いを繰り広げていた。開幕前から西野監督が構想していた、後に「黄金の中盤」と呼ばれる4人を活かした4-4-2は高い完成度と美しさを誇っていたが……その要である遠藤保仁がウィルス性肝炎により離脱。9月以降は甲府や福岡といった下位チームからの取りこぼしも目立つようになる。それでも第33節京都戦での劇的勝利で優勝の可能性を最終節の浦和との直接対決まで繋ぎ止めたが、当時全盛期を迎えていた浦和に対して「3点差以上での勝利」というミッションはハードルが高く…2-3で敗れ、最終的には川崎にも抜かれる形で3位でシーズンを終えた。
ただし、この年…というより2006〜2008年の完成度の高さはガンバの歴史の中でも群を抜いていた。「もし遠藤の離脱が無ければ…」というのは誰しもが過ってしまうタラレバだったようにも思う。
第2位
ガンバ大阪2007
1試合平均勝点1.97/総勝点67
監督:西野朗(6年目)
J1順位:3位
J1成績:勝点67(19勝10分5敗、得点71失点37得失点差+34)
前回まで「1試合平均最多得点」と「1試合平均最少失点」のランキングを書いたが、その両方でトップ5に入った唯一のシーズンである。この年からメインシステムを3-5-2から4-4-2に正式に変更したガンバの2007年は前年に散々煮湯を飲まされた浦和をゼロックス杯で4-0で撃破するところから始まった。いわゆる「黄金の中盤」が完全に定着し、かつ浸透したのもこの年。その完成度の高さゆえか、スタメンはゼロックスから最終節までほとんど変わることなく、メンバーも上記の11人+家長昭博、寺田紳一、播戸竜二の3人を加えたほぼほぼ14人くらいで回していたのも特徴の一つ。この年に左SBのレギュラーを務めていた安田理大は中盤からのコンバートで、安田不在時は橋本英郎か家長昭博が務めていた辺り、この頃の攻撃性が垣間見れる。
人気サッカー漫画「GIANT KILLING」に登場する大阪ガンナーズがガンバをモデルにしているのは言うまでもないが、チームの力関係は基本的に2007年のものをベースにしていると思われるので、厳密には2007年のガンバがモデルになっていると考えられる。外国人CFが18番だったり、しれっとシジクレイみたいなのがいたり…。
第1位
ガンバ大阪2011
1試合平均勝点2.06/総勝点70
監督:西野朗(10年目)
J1順位:3位
J1成績:勝点70(21勝7分6敗、得点78失点51得失点差+27)
2度の優勝を経験したチームのクラブ史上最多勝点の年の順位が3位というのも不思議なものだし、勝点70取ったのに3位かよ!という部分もある。また、Jリーグが18チーム×2試合の34試合制となった2005〜2020年の間では3位チームの勝点としては歴代最多であり、唯一勝点を70に乗せたチームでもある。そして最終的に、これが西野ガンバのラストシーズンとなった。要するに、西野監督は歴代最多勝点を叩き出した上でチームを去った事になる。
前半戦はこれまでのガンバとは異なり、宇佐美貴史、アドリアーノ、イ・グノのスピードを活かしたカウンター気味のスタイルだったが、夏以降は宇佐美とアドリアーノの退団、ラフィーニャの獲得もあってポゼッションスタイルに回帰。そこから一気に白星を伸ばした。夏場の快進撃で終盤まで首位の座を守っていたが、優勝争いの大一番となった第29節名古屋戦に敗れると、第32節新潟戦の引き分けで3位に転落し、西野監督の同年限りでの退任が発表。それでも最終節まで優勝の可能性は残し、最終的に首位の柏が勝点72、2位の名古屋が勝点71でガンバが勝点70…という非常にハイレベルな優勝争いとなった。この年は西野監督の他に山口智、橋本英郎といった西野ガンバを象徴する選手の退団も重なり、翌年のJ2降格を抜きにしても「一時代の終わり」を強く感じる事となった。
…ちなみに、ガンバが初優勝を果たした2005年の平均勝点はトップ5どころか、ギリギリトップ10の第10位(しかも同率)であり、勝点60という数字は34試合制で優勝したチームとしては最も少ない数字である。更に言えば、西野ガンバの10シーズンでは平均勝点は半分より下という…。
あの年の最終節は5チームも絡むという前代未聞の最終節になった訳だが、そのような異常事態を呼び起こした要因として、あの年の優勝勝点の水準が低かったという部分はあると思う。というか、2014年もギリギリトップ5だからね…(しかも同率)。
ガンバ大阪、1試合平均勝点ランキング
(※1 J2の2013年と現在進行形の2021年を除く)
(※2 勝点制ではなく勝利数で順位が決まった1993年と1994年は、1995年の勝点ルールに基づいて算出)
1試合平均勝点/総勝点(年間順位)
1位 2011年 2.06/70 (3位) 監督:西野朗
2位 2007年 1.97/67 (3位) 監督:西野朗
3位 2006年 1.94/66 (3位) 監督:西野朗
4位 2020年 1.91/65 (2位) 監督:宮本恒靖
5位 2014年 1.85/63 (1位) 監督:長谷川健太
5位 2015年 1.85/63 (2位) 監督:長谷川健太
7位 2010年 1.82/62 (2位) 監督:西野朗
8位 1997年 1.81/58 (4位) 監督:クゼ
9位 2002年 1.80/54 (3位) 監督:西野朗
10位 2005年 1.76/60 (1位) 監督:西野朗
10位 2009年 1.76/60 (3位) 監督:西野朗
12位 2016年 1.71/58 (4位) 監督:長谷川健太
13位 2004年 1.70/51 (3位) 監督:西野朗
14位 1993年 1.50/54 (7位) 監督:釜本邦茂
14位 2000年 1.50/45 (6位) 監督:早野宏史
16位 2008年 1.47/50 (8位) 監督:西野朗
17位 2018年 1.41/48 (9位) 監督:クルピ→宮本恒靖
18位 2001年 1.40/42 (7位) 監督:早野宏史→竹本一彦
19位 2019年 1.38/47 (7位) 監督:宮本恒靖
20位 2003年 1.30/39 (10位) 監督:西野朗
21位 2017年 1.26/43 (10位) 監督:長谷川健太
22年 1994年 1.14/50 (10位) 監督:釜本邦茂
23位 2012年 1.12/38 (17位) 監督:セホーン→松波正信
24位 1996年 1.10/30 (12位) 監督:クゼ
25位 1995年 1.09/57 (14位) 監督:ヘルト
26位 1999年 1.07/32 (11位) 監督:アントネッティ→早野宏史
27位 1998年 0.88/30 (15位) 監督:コンシリア→アントネッティ
そんな感じで得点編・失点編・勝点編…完結です!ガンバの30周年を機に色々振り返ろうシリーズはまた何かしらのネタを考えたいと思います。
監督単体でも出してみる?セホーンって言いたいが為に…。
ではでは(´∀`)