RK-3はきだめスタジオブログ

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京都サンガFC、クソ長かったJ2生活を振り返る〜第2回 2014年〜2016年、新章・混沌・迷走〜

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京都サンガ、クソ長かったJ2生活を振り返る企画。

 

第1回→2011〜2013

第2回→2014〜2016

第3回→2017、2018

第4回→2019、2020

 

 

 

オリジナルアルバムの配信も開始したのでそちらも観てね

 

 

京都サンガFC、クソ長かったJ2生活を振り返る】

 

 

【2014年】

 

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監督:バルディエール・バドゥ・ビエイラ(1年目)→森下仁志(第19節〜第20節※代行)→川勝良一(第21節〜)

J2リーグ順位:9位

J2リーグ成績:勝点60(14勝18分10敗57得点52失点)

チーム得点王:大黒将志(26得点)※J2得点王

 

【主な選手の入退団】

入団

DF 比嘉祐介横浜FM(レンタル)

DF 石櫃洋祐←名古屋

FW アレッサンドロ←アメリカMG

FW ドウグラス←徳島(レンタル)※シーズン途中

FW 大黒将志杭州緑城

 

退団

DF 染谷悠太C大阪

DF 秋本倫孝→富山

DF 安藤淳C大阪

MF 倉貫一毅鳥取

FW 原一樹→北九州

 

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大木武監督体制は良い思い出として記憶している人の方が多数派だと思う。確かに魅力的なサッカーを展開し続けていたし、若手の台頭も見られて一つの充実期だったのは間違いない。しかしアベレージはそこそこ高い反面、脆さ・勝負弱さが極度のレベルだった事も自覚していた。それゆえの監督交代を否定するつもりはない。今になって思えば「2年連続3位」を失敗として捉えていたあの頃も遠い昔に感じるけれど──。

しかし、この時のJリーグには広島という先例があった。他でもないサンガが一度J2に叩き落とした広島はミハイロ・ペトロヴィッチの下で躍進しながらも、ある種大木サンガと同じような状態に陥っていた部分があった。そして2012年、後任に就いた森保一は前任者のサッカーをベースとしつつ、良さを引き継ぎながらバランスを調整する事で2連覇に結びつけていたのをタイムリーに見ていたはずだった。だからこそ、大木監督の退任は広島のようにクラブとして加速できる可能性に賭けた……と、当時は思っていた。

しかしバドゥ監督が志向したサッカーは緻密な組織戦術とは大きく異なる個人主体のサッカーだった。これが前任者の組織性から一歩突き抜ける為に個の意識を高めてブラッシュアップする…というものなら良かっただろう。だが実際にピッチ上で繰り広げられたのは他でもない「カオス」だった。それも今季、曹貴裁監督がよく使った「秩序のあるカオス」ではなく、ガチのカオスである。結果、第18節千葉戦に0-3で完敗を喫し11位となった時点でバドゥ監督は解任。見るからに人の良さそうな気さくなおじいちゃんは様々な話題を提供してくれたが、結果を見れば愛嬌と混乱と奥様の介入と引き換えに去年までの貯金だけ奪い去っていった。戦術のまるで無いチームに授けられた唯一の約束事はあのおもしろFKだけだった。

森下コーチの代行監督を経て就任したのは川勝監督。駒井善成サイドバックで起用するなどして刺激を加えようとしたが、劇的に何かが改善される事は最後まで無かった。新加入の大黒が得点王を取ったように、大黒にパスやクロスを出せる駒井や石櫃、工藤浩平山瀬功治の個の力もあってプレーオフ争いにこそなんとか絡んだが、結局9位というプレーオフにさえ進めない順位でクラブ創立20周年を締めてしまった。何も前任者のサッカーを引き継ぐ事が全てでは無いが、安藤、秋本、倉貫といったキーパーソンが一気に抜けた影響はあったかもしれない(安藤はステップアップ移籍だったので仕方ないけれど…)

サンガ史上最悪のシーズンはこの後2〜3度ほど更新される事になるが、サンガの長すぎるJ2生活を決定づけたのはこの年だった。2011年が長い旅の始まりなら、地獄への扉を開けたのが2014年だったと言うべきか。2011年にGMに就任し、大木体制の貢献者でもあった祖母井秀隆GMは元々経営陣との対立は噂されていたがバドゥ招聘の件で完全に発言力を失い、そこからフロントの現場介入は深刻になり始めた。最終節の岐阜戦終了後、川勝監督はフロントに苦言呈するようなコメントを残して退任していった。それだけであれば単に川勝監督とフロントが上手くいかなかったように見えるかもしれないが、サンガの場合はこれ以前にも佐藤勇人に、そしてこれ以後にも中田一三元監督に似たような苦言を呈されている。

 

 

 

【2015年】

 

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監督:和田昌裕(1年目)→石丸清隆(第23節〜)

J2リーグ順位:17位

J2リーグ成績:勝点50(12勝14分16敗45得点51失点)

チーム得点王:大黒将志(16得点)

 

【主な選手の入退団】

入団

GK 清水圭介←大分

DF 菅沼駿哉←磐田

DF 山口智←千葉

MF キム・ナミル全北現代

FW ダニエル・ロビーニョ←群馬

 

退団

GK オ・スンフン大田シチズン

DF 酒井隆介→松本

MF 横谷繁→大宮

MF 奥川雅也→RBザルツブルク※シーズン途中

FW 三平和司→大分

 

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前年で貯金を見事に潰したサンガ。ターニングポイントが2014年だったのは確かだが、ここから「史上最悪」を3度も更新する事になろうとは夢にも思わなかったんだけど……結論から言えば、サンガにとっての2015年は「初めてJ3を見た年」となってしまった。

2014年シーズンを終えたサンガは祖母井GMを始め、強化スタッフを一新した体制でシーズンを迎える。監督に迎えたのは和田昌裕監督。2010年9月から2012年4月まで神戸の監督を務め、前年に監督を務めていたタイのチョンブリFCでは最優秀監督を受賞していた。しかし問題は、監督人事然り選手補強然り…全てがわざわざ一新した強化部ではなく、社長主導で決めていたのである。サンガあるあると言えばサンガあるあるだが、祖母井GMがバドゥ監督招聘の件で立場が弱くなってから続くこの傾向に一気にギアが入れられてしまった瞬間だった。

開幕戦こそ福岡に3-1で勝利したが、その後はなかなか勝点を積み上げられずにズルズルと順位を落としていく。神戸時代の和田監督はどちらかと言えば若手を積極的に起用していくタイプの傾向があったが、その一方でサンガの強化部が用意したのは山口智キム・ナミルと言ったベテランを超えて大ベテランと呼べる選手が多かった。昇格の為に経験のあるベテランを多く獲得する事は悪い事でも無ければ間違った事でもない。しかし、社長主導の選手獲得は目に見えてチームの方針に歪みを生じさせるのは必然の流れだった。気がつけばサンガが強いられたのは昇格争いではなくJ2残留争い。第14節愛媛戦に2-3で敗れるととうとう20位にまで転落してしまうのである。実は和田監督は成績不振の責任を取って4月に辞任の申し出をしていたが、これは社長が却下していた。これだけ見れば「監督を信じた」みたいに美しい文体で語れるのかもしれないが、同年終了後のサポーターカンファレンスでクラブ側に現場介入を認められるほど介入していた社長にとって、この辞任却下の意味は───。

結局和田監督は7月に解任。これには稲森和夫名誉会長がとうとうブチギレて、現場介入の上から現場介入する形で解任が決まったとの報道もある。コーチから昇格する形で後任に就いた石丸監督はチームの建て直しに奔走。第26節東京V戦の敗北で一時降格圏にまで転落したが、続く第27節札幌戦を2-0で勝利して以降は13戦無敗という快進撃を見せ(9連続ドローとかいうやべぇ事してたのはツッコんじゃダメ)、残留こそ何とか達成したが……17位という結果は屈辱以外の何者でもなかったと同時に、当然の帰結と言わざるを得なかったのも確かだった。なお、当時の社長は8月に引責辞任という異例の顛末を迎えている。

シーズン終了後、サンガユースで育った駒井、原川、宮吉、伊藤といった自前の若手選手達がそれぞれJ1への挑戦の為にサンガを去った。特に、小学校年代からサンガの育成組織で育った駒井の「京都でJ1に昇格したかったけど、年齢も考えた」という言葉には今のサンガが置かれた立場も含めて、これほど重い言葉はなかった。サンガは落ちなかったが、堕ちた……誰もがそれを突きつけられたのがこの2015年だった。

 

 

 

【2016年】

 

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監督:石丸清隆(2年目)

J2リーグ順位:5位

J2リーグ成績:勝点69(18勝15分9敗50得点37失点)

チーム得点王:山瀬功治、イ・ヨンジェ、堀米勇輝(7得点)

 

【主な選手の入退団】

入団

GK 菅野孝憲←柏

DF 染谷悠太C大阪

DF 本多勇喜←名古屋

FW エスクデロ競飛王←江蘇蘇寧

FW イ・ヨンジェ←長崎

 

退団

MF 駒井善成→浦和

MF 原川力→川崎

MF 中山博貴→引退

FW 宮吉拓実→広島

FW 大黒将志→山形(レンタル)

 

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サンガ史上最悪のシーズンの締めは駒井、原川、宮吉、伊藤といった選手の退団で幕を閉じた。選手にとって、特に将来有望な選手であればあるほどJ2生活を共にする上で「サンガ愛」だけで生きることは出来ない。その事を痛感したのか、社長の現場介入を許した前年の反省を活かして大改革に乗り出した。

この年の補強は確かに凄まじかった。特にGK菅野孝憲は前年まで柏レイソルの正GKとしてACLまで戦っていた訳で、確かに柏は中村航輔を復帰させる事で菅野をどうするのか…みたいな部分はあったとしても、まさかサンガに来るなんてタラレバでさえ予想していなかった。更に本多勇喜牟田雄祐の2人も名古屋のレギュラー。堀米勇輝やイ・ヨンジェ、アンドレイいった選手も獲得し、染谷悠太も復帰。更にシーズン開幕直前にはエスクデロスカッドに加え、サポーターカンファレンスで宣言した「赤字覚悟」という言葉通りの補強を実現させた。監督に関しては、とあるJ1チームの監督を引き抜ける直前まで行ったものの…彼がその時点で指揮を執っていたチームの事情が悪化し、「見捨てることが出来ない」という理由で招聘には至らず。それに伴い、前年に一定の成績を収めた石丸監督が続投の運びになった。ちなみに、この時サンガと合意寸前までいきながら、最終的には当時のチームを続投する決断した監督こそ、曹貴裁その人である。

開幕5試合を4分1敗という微妙なスタートを切り、確かにシーズンを通して得点力不足に悩まされたサンガだったが、前年の石丸監督による守備整備とGK菅野の獲得により堅守構築には成功する。特に第10節C大阪戦、第11節清水戦と昇格候補本命相手に2連勝したのは大きな自信になった。勝ち切れない試合は多く引き分けは嵩んだものの、逆に負ける事も少なかったサンガは9戦無敗→11戦無敗→8戦無敗とコンスタントに勝点を獲得する。自動昇格レースこそ逃した一方、堅守を武器に5位でシーズンを終えた。もちろん悔しかったが、そもそもプレーオフ来てんじゃねぇよ的存在であったセレッソと引き分けて敗退したプレーオフの意味は2012年、あるいは2013年とその意味はまるで違ったのは言うまでもない。石丸体制のサンガは攻撃面では確かに物足りなさはあったが、チームとして流れと方向性を少し戻すことが出来たプレーオフ進出という結果は、サンガファンに少なからず来季に向けた夢と希望を抱いた。確かに抱いたはずだった。しかしこの時、この次の2年間こそが本当の地獄である事など、当時のサンガファンはまだ知る由もなかったのだ…。

 

 

 

つづく。