どーもこんばんは
さてさて、オフシーズンの楽しみといえばなんでしょうか。
はい、移籍市場です。
…まぁ、これを更新している時点ではほぼほぼどのチームも編成は完了しているでしょうが…まだ駆け込み移籍はあるかもしれませんしね。
今年の史上も様々な動きがありました。
という訳で今回から、独断と偏見による過去の印象的な大型補強シーズン10選&ガンバ大阪と京都サンガFCの歴代大型補強トップ5を考えていきます(全5回更新)。
あくまで独断と偏見です。
皆さんそれぞれに印象的な大型補強はある事でしょう。ここで私が浴びそれた大型補強でも、ああそういえばこんなのあったな…的な具合に皆様の記憶を呼び起こす事が出来れば幸いでございます。
第1回は「独断と偏見による印象的なJリーグ大型補強シーズン15選」のPart1です。過去に大型補強を実現したチームとシーズンの中で印象的なものを15チームピックアップし、その結果も振り返っていこうと思います。
…ちなみに筆者、サッカーをガッツリ見始めたのが2005年からなんですね。なので、ガンバ編とサンガ編以外は2005年以降を対象に選ばせて頂きます。
①独断と偏見による印象的なJリーグ大型補強シーズン15選Part1
③独断と偏見による印象的なJリーグ大型補強シーズン15選Part2
⑤独断と偏見による印象的なJリーグ大型補強シーズン15選Part3
↓
【独断と偏見による印象的なJリーグ大型補強シーズン10選Part1】
※順番は適当です。
CASE1:2008年の浦和レッズ
監督:ホルガー・オジェック(2年目)→ゲルト・エンゲルス(第3節〜)
前年度J1順位(2007年):2位
【2008年の成績】
J1リーグ:7位
ナビスコ杯:グループステージ敗退
天皇杯:ベスト16
ACL:ベスト4
【主な補強選手】
MF 梅崎司←大分
FW 高原直泰←フランクフルト
FW エジミウソン←新潟
日本勢として初めてACLを制しながら、リーグではあと一歩のところで優勝を逃した2007年を踏まえ、リーグとACLの2冠を目論んだ浦和。MF長谷部誠とMF小野伸二の海外移籍、FWワシントンの帰国に加え、前年度リーグMVPのポンテが長期離脱中とあって補強が必要だったという側面はあるが、当時の期待の若手筆頭株であった梅崎と前年に19得点、新潟での4シーズンで62得点を叩き出したエジミウソンを補強し、更に1年間レンタルで海外移籍をしていた三都主が復帰。これで完了かと思ったら、当時の日本代表エースでもあった高原まで海外から呼び戻す形で獲得。特にこの高原獲得は衝撃をもって伝えられ、前年の成績や当時の日本代表レギュラーを擁するところに彼等を加えたスカッドは2冠が現実的な目標に見えるほどであった。
だが、昨季終盤の時点で選手からの求心力を失っていたオジェックが第2節という異例のタイミングで解任の憂き目を見るなどチームは混迷を極めた。三都主は2度の長期離脱で出場は僅か15分に終わり、第8節京都戦でようやく初ゴールを挙げた高原はシーズンを通して期待外れの結果に終わる。エンゲルス監督の下で前半戦こそ巻き返して首位に立ったが、後半戦は再び失速。連覇を目指したACLでは史上初の日本勢対決となった準決勝でG大阪に完敗し、J史上に残る戦力を有しながら無冠に終わってしまった。
CASE2:2017年のFC東京
前年度J1順位(2016年):9位(1st9位/2nd9位)
【2017年の成績】
J1リーグ:13位
ナビスコ杯:ベスト8
天皇杯:2回戦敗退
【主な補強選手】
GK 大久保択生←長崎
MF 髙萩洋次郎←FCソウル
FW ピーター・ウタカ←広島(レンタル)
FW 大久保嘉人←川崎
FW 永井謙佑←名古屋
再び攻撃的なサッカーに切り替えようとした第2次城福浩体制が頓挫しつつも、後任の篠田監督体制で終盤は好調に転じた事もあり、同時に2017年からはDAZNの到来により各チームの予算がアップ。加えてこの年から成績による予算配分という要素も加わった事で、FC東京がこの年に勝負を懸けた気持ちはわかる。実際に開幕前には空前の大型補強とも言われた。
川崎のエースFWである大久保、前年度の得点王であるウタカをそれぞれ獲得すると、既存戦力の前田遼一を含めて「得点王経験者が3人揃う」という状況を作り出せば、権田修一の退団以降その穴埋めに苦しんでいたGKに林も補強。J2に降格した名古屋から永井を加え、海外からは太田が復帰すると髙萩の獲得まで成功させた。この結果、昨季の時点で森重真人、丸山祐市、東慶悟、中島翔哉らを有していたチームは日本代表経験者だけでスタメンを組めるほどのスカッドを築き、有力な優勝候補として期待されるのも自然な流れだった。
開幕戦で前年度王者の鹿島に勝利し、第4節での多摩川クラシコでは川崎を粉砕。ここまでは良かった。だが6月頃から勝ち星に見離されると、ルヴァン杯準々決勝の川崎戦で5失点、続く第25節C大阪戦で4失点を喫した時点で篠田監督を解任。安間監督も初陣こそ勝利したが、その後はシーズン終了まで1勝すら出来ず、期待値も踏まえればJ2に降格したシーズン以外で最悪のシーズンとなってしまった。しかしこの年に獲得した林、髙萩、永井は、翌年から就任する長谷川健太監督体制の下でキープレイヤーとなる。
CASE3:2012年のヴィッセル神戸
監督:和田昌裕(3年目)→安達亮(第9〜11節※代行)→西野朗(第12〜31節)→安達亮(第32節〜)
前年度J1順位(2011年):9位
【2012年の成績】
J1リーグ:16位
ナビスコ杯:グループステージ敗退
天皇杯:2回戦敗退
【主な補強選手】
GK 植草裕樹←山形
DF 伊野波雅彦←ハイデュク・スプリト
MF 野沢拓也←鹿島
FW 田代有三←鹿島
イルハンや大久保嘉人、宮本恒靖など大物を獲得してくる事はちょこちょこあった神戸ではあるが、日本代表経験者を4人と現役日本代表を1人を同時に引っ張ってきた事は開幕前の大きな話題をさらった。特に鹿島の看板選手の一人でもあった野沢の獲得は衝撃的で、そこにアルベルト・ザッケローニが監督を務める日本代表の常連メンバーだった伊野波を海外から呼び戻す。当時の神戸は資金力こそあったが二桁順位が当たり前と思われているチームであり、そんなチームがこれだけの補強をした訳で、自分も含めて多くのファンは神戸をダークホース候補として見ていた。
しかし開幕から低空飛行でシーズンに入ると和田監督を早い段階で解任し、前年までG大阪で長期政権を築いていた西野監督を招聘。一時は都倉賢や森岡亮太も台頭し始めて好循環に乗ったかと思われたが、第22節札幌戦の勝利から9戦未勝利に陥るといつの間にか残留争いに巻き込まれる。三顧の礼で迎えた西野監督を解任する大鉈を奮ったが、開幕前に台風の目と目されたチームは新潟にまくられる形で降格というまさかの結果に終わってしまった。
CASE4:2006年の大宮アルディージャ
監督:三浦俊也(3年目)
前年度J1順位(2005年):13位
【2006年の成績】
J1リーグ:12位
ナビスコ杯:グループステージ敗退
天皇杯:ベスト16
【主な補強選手】
GK 江角浩司←大分
DF 土屋征夫←柏
DF 波戸康広←柏
MF 佐伯直哉←神戸
MF 小林大悟←東京V
MF 小林慶行←東京V
FW サウル・マルティネス←上海申花
FW グラウ←横浜FM
何気にエグい補強をしでかしたのが2006年の大宮だった。初のJ1挑戦となった2005年に13位で残留を決めると柏・東京V・神戸の降格組からレギュラー格を計5人獲得。その中には若くして東京Vの主軸を担った小林大悟や日本代表での実績も豊富な波戸がいた。更にそこに吉原、グラウという実績抜群のFW、そして前年8月に日本代表相手に大活躍したホンジュラス代表のマルティネスを獲得。NTTが火を噴いた大型補強は他チームファンからも注目の視線を集める。
しかしFW陣は吉原もグラウも怪我やコンディションの問題もあって両者共に2得点に終わる。目玉補強とさえ言われたマルティネスに至っては僅か3試合かつ無得点のまま途中でチームを去った。だが守備の新戦力はそれぞれが存在感を見せ、土屋や波戸は両サイドの守備を担い大きく貢献。そしてなんと言っても、小林大悟が大ブレイクを果たして日本代表にまで登り詰める。チームは12位と前年より順位を上げての残留に成功した。
CASE5:2014年のセレッソ大阪
監督:ランコ・ポポヴィッチ(1年目)→マルコ・ペッツァイオリ(第12節・第15〜22節)→大熊裕司(第23節〜)
前年度J1順位(2013年):4位
【2014年の成績】
J1リーグ:17位
ナビスコ杯:ベスト8
天皇杯:ベスト8
ACL:ベスト16
【主な補強選手】
GK 丹野研太←大分
GK 武田博行←北九州
DF 染谷悠太←京都
DF 安藤淳←京都
MF 長谷川アーリアジャスール←FC東京
当時のセレッソは一躍時の人となった柿谷曜一朗を筆頭に山口蛍、扇原貴宏、杉本健勇、南野拓実とセレッソユース出身選手のブレイクも重なり、いわゆる「セレ女」なるブームが到来するなどこの世の春を謳歌していた。そして2013年は終盤まで優勝争いに絡みACL出場権を獲得。セレッソ出身の香川真司の世界的なブレイクにも乗って、アジア戦略を更に強化しようとした親会社のヤンマーが「このビッグウェーブ、乗るっきゃない!」的な状態になり、そしてその目玉が2010年南アフリカW杯のMVPでウルグアイでは英雄視されていたフォルランの獲得であった。
Jリーグの経営規模が拡大した近年では神戸を筆頭に大物獲得もちょこちょこ聞く話になったが、当時はJリーグが経営難により2ステージ制を導入するしかなく、クラブ単位でも外国人枠を使い切れない、或いは韓国の大卒ルーキーを助っ人として扱わざるを得ない状況だった時代背景を踏まえると、当時のJリーグファンがフォルラン獲得で受けた衝撃は後のポドルスキやイニエスタ以上だったように思う。筆者はガンバファンではあるが、フォルランが見慣れたピンクのユニフォーム袖を通したあの入団会見で鳥肌が立ったのは今でも覚えている。フォルランのみならず新たに就任したポポヴィッチ監督の愛弟子である長谷川、J2京都で安定した働きを見せていた染谷と安藤、それぞれオーストラリアとセルビアの代表経験のあるニコルスとカチャルを獲得し、俗に言う「史上最攻」「目指すのは優勝じゃない。観客を魅了しての優勝や!」など、その後ネタとして擦られまくるキャッチフレーズが誕生してしまうほどの背景だったのは否めない。
しかしセレッソファンがある程度楽しかったのは第7節の大阪ダービーくらいまでだった。前任のレヴィー・クルピ監督と色んな意味で180度アプローチの違うサッカーに選手は戸惑い、昨季のチームでピッチの潤滑油になっていたシンプリシオを退団させていたチームは次第に行き場を失い始める。ようやくフォルランも日本の水に馴染み始めたと思ったタイミングで柿谷とカチャルの2人が退団すると、そこから先は目も当てられないような状態に陥った。夏にも大型補強を敢行したが一度狂った歯車が戻る事はなく、最終節すら待たずにJ2降格。開幕前の期待感と高揚感からの結果の落差はJの歴史の中で最も高低差があるものだった。
次回に続く!
フォルランのデビュー戦観に行ったわ…。
ではでは(´∀`)