RK-3はきだめスタジオブログ

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理屈と感情の狭間で〜ガンバ大阪、片野坂知宏監督解任〜①理屈

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8月16日、私は数少ない夏のレジャーに出かけていた。

湖の景色を楽しんでいる時は考えないようにしていた。頭から排除は出来ていた。ただ、波から少し離れたところのハンモックに揺られ、気が狂いそうなほど穏やかな風に吹かれれば、否が応でも朝のニュースが頭によぎる。

 

 

 

「なんでこうなったんだ、なにを間違えたんだ……」

 

 

 

 

 

 

片野坂知宏、解任───。

先に断っておくと、ここから先はあくまで自分個人の勝手な見解であり、記者でもなければ情報通でもないので、持っている情報は自分の目で見た試合の景色とニュース記事になっているものしかない。これを読んだところで皆さんにとっての「新事実」を与える事は出来ないが、それは予めご了承を。

 

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

元々、ガンバにとっての第一の理想形はおそらく、一日でも長く宮本恒靖監督体制を継続させる事だったと思う。

それは単純に、やっぱりクラブの理想としてはクラブレジェンド、ましてや数多といるレジェンドの中でも特に特別な存在である人間が監督を務めている状況は、なんだかんだで夢であり、ロマンだったりする訳で。そしてもしその夢が散る時に、ガンバ大阪というクラブが第二の悲願としてずっと追っていたのが片野坂知宏だった。

大分での活躍は勿論だが、そもそも片野坂監督は長谷川健太監督体制の黄金期をヘッドコーチとして支えていた上に、西野朗監督の時代にもコーチとして貢献していた。数年前から「GAMBAISM」を掲げるようになったクラブにとっては、西野朗のDNAも長谷川健太のDNAも持ち合わせ、そして大分で監督として覚醒した片野坂知宏の招聘は、ある意味若手のレンタル移籍のように"いつか帰ってくる存在"みたいな認識をしていたと思う。

奇遇にも宮本体制の終焉と大分での片野坂体制の終焉は重なり、ガンバは2022年の開幕から片野坂監督を招聘した。ここに至るまでの背景を思えば、片野坂体制の発足はまさに「満を持して」と言えるものだった。宮本体制が頓挫した時点でそれは必然であり、自然な流れだった。

 

もし仮に自分に決定権があるとすれば、個人的には続投を選択していたと思う。そう考えれば、二派に分けるなら自分は続投派にカテゴライズされるのだろう。会見で小野忠史社長ご繰り返した「チームは片野坂監督の下で一つになれていた」という言葉が嘘だとも思わない。ましてや、片野坂監督のサッカーの確立に時間がかかるのはわかりきっていた事であり、一年程度で形になるようなものではない。我慢は覚悟で招聘しなければならない監督だったのは最初からわかっていた。だからこそ、自分としては片野坂監督でやり通してほしい気持ちは確かにあった。

一方で、解任という決断も理解できる。自分の立場としては前回の宮本監督の解任時と似た感情で、後任のアテがあった事を思えば当時よりも解任判断を致し方ないと思っているのかもしれない。ラストゲームとなった清水戦はその象徴みたいなもので、戦術としての完成度は確かに向上していた。しかし、清水戦に関しては"だからこそ"の問題があった。個人的には片野坂ガンバの落ち度は2つ存在していたように思う。

 

 

 

新型コロナウィルスの感染者が多数出て、戦術とかそんな事を言っていられない中での戦いを強いられた5月を経て迎えた6月、中断期間明け最初の試合は首位の横浜FMだった。最終的には逆転負けを喫し、いわゆる実力の差を見せつけられる事になるのだが、この試合の内容は決して悲観的になるべきものではなかったと思う。

この横浜FM戦以降、戦術としてのガンバの完成度は飛躍的に向上していた。サイドの深い位置にボールを入れ、時間を作る間にチームとして全体のラインを押し上げる。そこからハイプレスを仕掛ける事で、攻撃に於ける"ガンバのターン"のような時間を少しでも長く作っていく……そのスタイルは全ての試合に於いて統一された方針として生き続けていた。第15節(延期分)広島戦の勝利はまさしくその賜物であり、続く第19節浦和戦の前半は間違いなく片野坂ガンバで最高の45分だったと言える。

そういう戦術的な完成度の高まり、内容の向上は勝利した広島戦だけでなく、最後は悲劇的な結末を迎えた第22節C大阪戦、もっと言えばPSG戦ですら見せることが出来ていた。ましてや、PSG相手に決めた1点目はチームが目指していた形を体現したものだったし、6月以降のガンバは確かに良くなっていた。片野坂監督の目指したものが少しずつ形になり、ピッチに反映されていた。"その点に限って"言えば、解任が決まった清水戦は内容としては悪くない試合だったし、むしろ戦術の浸透具合としては良かったとすら言えるかもしれない。もし全く同じ試合を3月にやっていたとしたら結果以外はポジティブな受け止め方をしていただろう。

だが、清水戦は片野坂監督の志向が形になりつつある事を証明した反面、戦術的な完成度が高まってきたがゆえの問題が生じていたように見えた。

 

 

私は戦術とは列車と同じだと考えている。

人が電車に乗る目的は「目的地に向かう事」である。その為に現在地に近い駅の改札に入り、列車に乗り込み、目的地に向かう。列車にも様々な趣向を凝らした列車がある。食堂車があったり、販売ワゴンがあったり、くつろげる椅子、効きの良いWiFi…列車の旅を快適にする為の機能は色々揃える事が出来る。だが結局のところ、目的が達成されるのは目的地の駅の改札を抜けた瞬間であって、車内を快適にする事では無いのだ。サッカーに於いて、その目的地に辿り着くのは得点であり、勝利である。列車…即ち戦術は、あくまでそこに導く手段に過ぎない。

別の言い方をすれば、戦術は入口から部屋に入り、そして出口から出る事で初めて成立するのだ。6月以降のガンバは、試合内容や戦術的な完成度は間違いなく高まっていた。一方、ガンバは戦術という部屋の中で出口を見つける事が出来なかった。得点や勝利は出口を出た先に生まれる。清水戦はそれが色濃く出てしまった。ガンバは部屋をしっかり作りながらも出口を求めて右往左往していたのに対して、清水は入口から出口へのルートを確保し、後はそれに沿って90分を戦い抜いた。

もし今、ガンバの順位が10位前後ならこのまま片野坂体制に賭けた事だろう。だが、今の順位と勝点を踏まえると、今はとにかく何かを爆破してでも出口を作らなければならない。出口までのルートをどうにかして構築しなければならない。極端な話で言えば、戦術的な高まりを見せる一方で出口が見当たらない現状が、戦術が完成しつつある成長がかえってトドメを刺し、出口を作れない現状が片野坂ガンバの最高到達点なのかもしれないという疑念を呼び起こしてしまった。清水戦は悪くなかったからこそ、堂々巡りというか、一瞬の頭打ちのような感覚を拭えなかったのは素直な感想であり、否定できない実情だった。

 

 

 

今年のガンバにとって致命的だったポイントはもう一つある。

ガンバに限らず、こういう不調のチームに対するニュースでは「きっかけを掴めなかった」というフレーズがよく添えられる。今回のガンバに関する記事でも様々な媒体で目にした言葉だ。ただ、これに関しては少し違うと思っている。むしろ今季のガンバは、きっかけだけなら何度も手にした。

BBQでもキャンプファイヤーでも、火を起こす上で最も重要なのは火を点ける事ではなく、点いた火種をすぐに燃え広がる事。つまり、火が見えた直後が最も大事なのだ。きっかけも同じで、一番大事なのはきっかけを掴む事ではなく、きっかけを掴んだ次の試合。そこでどういうサッカーが出来るか、どんな結果が得られるか。チームが上昇気流に乗れるかどうかはそこで全てが決まると言ってもいい。

例えば今季の場合、セレッソ大阪5月の大阪ダービーの時点ではガンバと勝点が同じだった。ダービーの時には収まっていたが、4月の時点では小菊昭雄監督への懐疑論は少なくなかったし、過激な人では解任を求めるセレッソサポーターも一定数いたように記憶している。にも関わらず、たったの3ヶ月でここまで目に見える差が開いてしまった。ダービーで最高の形で勝利をした彼らは、次の試合で浦和から結果・内容共に充実した勝利を手にした。そこから現在の躍進に繋げてみせたのだ。セレッソを上昇気流に乗せてしまった浦和にしても、全く勝てなかった5月を経て迎えた名古屋戦で3ヶ月ぶりの勝利を挙げると、次の神戸戦では劇的勝利。一時は降格圏にすら入っていた彼らは、今やACL圏内すら狙える位置にまで立ち位置を戻している。彼らも掴んだきっかけをモノにしてみせた。

前例で言うならガンバだってそうだ。2020年、2位になれたのは札幌戦でシステムを変更した事以上に、システムを変更して勝った札幌戦の次の名古屋戦に勝てた事が何より大きい。降格危機に瀕した昨年も、苦虫しか噛めるものが無かったような状態で迎えた天皇杯湘南戦で快勝し、次の柏戦も勝利できた。その後札幌戦の惨敗を挟んだとはいえ、あの柏戦できっかけの火を広げる事は出来たと思う。きっかけは掴むだけでは足りない。その後が大事なのだ。

 

その上で言えば、ガンバにはきっかけになり得る勝利が少なくとも3回はあった。第6節名古屋戦、第12節神戸戦第15節延期分の広島戦が該当する。

名古屋戦の次の京都戦は、内容こそ悪くなかったが勝ち切れず、続く清水戦は劇的ドローと言えば聞こえはいいが、内容は手応えを感じるは程遠い試合だった。広島戦の次の浦和戦は、もしあのまま勝てていれば、上で挙げたようなセレッソや浦和のようなルートを辿れていた世界線もあったかもしれない。ただ、ここでも一度掴んだきっかけを最後の最後で手放してしまった。神戸戦の後は不運としか言いようがない。柏戦は勝利こそしたが、クラスターの発生により、掴んだきっかけは試合前の時点で丸ごとリセットされてしまった。神戸戦の後の責任を誰かに求めるのは酷だとしても、掴んだきっかけがことごとく手中からすり抜けていったのは間違いなかったのだ。

 

 

 

一応、今回の片野坂監督解任に関するブログは2回更新しようと思っている。今回は片野坂監督の解任が致し方なかった、いわゆる理屈としての理由。そして次回は、片野坂ガンバを襲い、直面した不運というか、エクスキューズ的な部分を綴っていく。今回が理屈の回なら、次回は感情的な回として書こうと思っている。だけど、ここでも少し感情の側面から今の素直な気持ちを少しだけ書きたい。

 

片野坂ガンバはガンバ大阪にとって、決して一朝一夕の計画では無かった。2016年、本来なら長谷川監督のヘッドコーチとしてもっとガンバに残ってほしかった。それでも大分に監督として送り出したのは、もちろん本人の意思が大前提にあるのは間違いないが、近い将来に名将と呼ばれてガンバに帰ってきてもらう為…という意味合いは強かったはずだ。それを踏まえれば、広義的に言えば2016年に大分の監督に就任したと同時にこのプロジェクトは始まったとも形容する事が出来る。上でも書いたが、片野坂知宏は2つの黄金期のDNAを有する数少ない人物だったのだ。そして彼の人間性は、内部の人間ではなくても十分に伝わってくるものがある。愛するに値する人柄は容易に想像出来た。

監督解任は理屈としては理解できる。手放しで賛成はしないが、反対する事も出来ない。仕方ない……仕方ない結果なのだ。理屈としては解任は致し方ないのだけれど、感情としては悔しくてたまらない。2021年12月、ガンバの出ていない天皇杯の残り2試合を、ガンバファンはきっと心を躍らせながら見ていた。決勝戦終了後、大分の選手達に思いの丈を述べるシーンを見て、近い将来の歓喜に心を馳せた。妄想さえも超えられるかもしれない期待を心に抱き、待ち焦がれた待ち人の勇姿に高揚感しかなかった。あの国立競技場で夢を追った大分の姿に、ガンバファンは確かに夢を見ていた。

 

 

 

賛成や反対以前に、今は喪失感しかない。

松田浩監督には期待したいが、この喪失感とどう折り合いをつければいいのか、まだ掴めていない。

 

 

次回に続く。