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ガンバ大阪、過去の監督交代後の初戦(初陣)の試合を振り返ってみる。

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さて、激震が走ったガンバ大阪

片野坂知宏監督の後を継ぎ、今日が松田弘監督体制での初戦となりました。

 

 

松田監督にとっても片野坂前監督にとっても、サンフレッチェ広島という相手はただの古巣ではなく、その後の監督人生にも大きく影響を及ぼす礎を築いたクラブです。そんな相手が初陣というところに、期すところは少なからずあるでしょう。

そして、前半戦の広島戦は結果的に片野坂ガンバの最後の勝利の相手でした。監督にとっての因縁が色々と渦巻く広島が初戦の相手なのは何の因果か…。ともかく、今のガンバは因果がなんだ、どうだろうが、とにかく勝点を積み上げていかなければ始まらないどころか、終わりが迫る立場です。

 

 

 

監督交代、それは最後の賭け────

今回は、ガンバ大阪が過去にシーズン途中での監督交代を経験した時の、新体制の初陣となった試合を振り返っていこうと思います。

過去にガンバ大阪が経験した監督途中交代は以下の通り。

 

1998年5月 コンシリア→アントネッティ

1999年6月 アントネッティ早野宏史

2001年10月 早野宏史竹本一彦

2012年3月 セホーン松波正信

2018年7月 レヴィー・クルピ宮本恒靖

2021年5月 宮本恒靖松波正信

2022年8月 片野坂知宏松田浩

(1995年と1997年のリーグ戦終了後の監督交代は除く)

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

CASE1:アントネッティ監督の初陣

1998 Jリーグディビジョン1 1stステージ第13節

ジュビロ磐田4-1ガンバ大阪

1998年7月25日19:00@ジュビロ磐田スタジアム

磐田得点者:オウンゴール(26分)、アジウソン(37分)、奥大介(54分)、田中誠(74分)

G大阪得点者:小島宏美(46分)

 

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ガンバが初めて監督を途中交代したのは1998年。とはいえ、この時は新監督として迎える予定のアントネッティ監督が、前所属クラブとの契約の関係でフランスの97-98シーズンが終わるまでは来日出来なかった事から、それまでは前年からコーチを務めていたコンシリア監督が実質的な監督代行を務めているような形だった為、厳密な意味での監督交代とは異なる。

フランスの若手有望指揮官として名を挙げていたアントネッティは、自身のよく知るドロブニャクやダンブリーをフランスリーグから引き抜き、エムボマの去ったチームの安定を託された。しかし初戦の相手は当時黄金期を謳歌していた磐田。当時のガンバが太刀打ち出来る訳もなく、4-1の完敗を喫している。

余談だが、アントネッティヨジップ・クゼ宮本恒靖を主にボランチとして稲本潤一と組ませる形で起用する事が多かった。

 

CASE2:早野宏史監督の初陣

1999 Jリーグディビジョン1 2ndステージ第1節

ヴェルディ川崎1-0ガンバ大阪

1999年8月7日19:05@等々力陸上競技場

V川崎得点者:桜井直人(26分)

 

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名古屋のストイコビッチが2001年の夏に引退したように、2ステージ制が当たり前だった頃は、シーズンではなくステージ終了までを契約とするケースも少なくなかった。アントネッティ監督も同様で、当初の契約は1999年の1stステージ終了まで。なので解任ではなくてあくまで契約満了であり、1stステージ最終戦の後には挨拶の場も設けられている。とはいえ結果を残したとは言えず、お互いに契約更新の意思が無かったのも事実であり、アントネッティ体制で生じた齟齬からガンバは日本人監督路線に進んだ…との説もあるので、解任という見方もあながち間違いではないかもしれない。

という訳でガンバは「日本人の著名な監督」をターゲットに人選を進める事になったが、そこで白羽の矢が立ったのがダジャレ解説でお馴染みの早野監督だった。稲本、宮本、小島といったヤングスターが台頭し始めたチームを形にする事を求められた優勝経験監督は、初陣では当時のフィリップ・トルシエ日本代表監督が用いていたフラット3型の3バックシステムを採用。しかし同年の1stステージで優勝争いに絡んだヴェルディに前半の1点を守り切られ、早野ガンバの初陣は黒星発進となった。

尚、1999年は3バックを採用した早野監督だが、2000年からは一貫して4バックを採用するようになっている。

 

CASE3:竹本一彦監督の初陣

2001 Jリーグディビジョン1 2ndステージ第9節

ガンバ大阪3-2ヴィッセル神戸

2001年10月17日19:03@万博記念競技場

G大阪得点者:ニーノ・ブーレ(44分)、吉原宏太(77分)、新井場徹(85分)

神戸得点者:ダニエル(9分)、三浦和良(14分)

 

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早野体制でのガンバはトータル的には良い時期を過ごした。当初こそ低迷したが、シドニー世代の選手達の台頭は大きく、2000年2ndステージでは優勝まであと一歩のところに迫る。前述の宮本や稲本のみならず、ユースからは新井場徹や二川孝弘のようなタレントも出てきたガンバは若手王国のような立ち位置となり、2001年は同じくシドニー世代の遠藤保仁山口智を補強。優勝争いには絡めなかったが1stステージを5位で終え、順位は安定期に入ったかのようにも見えた。

しかし1stステージ終了と同時に稲本が海外移籍。2nd第2節こそ当時最強を誇った磐田に勝利したが、稲本退団のダメージはやはり大きく、次第にチームは悪循環へと飲み込まれていく。降格危機が差し迫った訳ではなかったが、当時最下位だったC大阪との大阪ダービーに敗れた試合を最後に早野監督は辞任。ヘッドコーチの竹本監督が昇格した。

前述の通り、早野体制は2000年から4バックを採用していたが、前述のC大阪戦は3バックで挑んでおり、竹本監督はシステムは4-4-2ではなく3-5-2の方を選択。初陣となる神戸戦は15分までに2点のリードを許す苦しい展開となったが、前半のうちに1点を返すと、ラスト15分から2点を奪って逆転勝利。最終的に託された7試合を3勝1分3敗のタイスコアで終えた竹本監督は、実質的には暫定監督の立場でもあったので、新監督を迎えた2002年からはコーチに戻っている。

尚、竹本監督は早野監督が柏の監督に就いていた2005年に柏のコーチとして招かれており、同年のリーグ戦終了後に早野監督が辞任した際は、天皇杯のみではあるがまたしても早野監督の後任監督を務めている(しかも相手がガンバだった)。また、早野監督が解任された第8節C大阪戦は、松波正信宮本恒靖、そして片野坂知宏と後にガンバの監督を務める人物が 3人出場していた。

竹本監督が退任してコーチに戻り、新たに新監督の選定に入ったガンバ。そこで西野朗という監督を招聘すると、ここから10年にも及ぶ"監督交代のない季節"を過ごす事となる。

 

CASE4:松波正信監督の初陣(その1)

2012 Jリーグディビジョン1第4節

アルビレックス新潟1-1ガンバ大阪

2012年3月31日16:03@東北電力ビッグスワンスタジアム

新潟得点者:アラン・ミネイロ(5分)

G大阪得点者:ラフィーニャ(22分)

 

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コンシリア監督とアントネッティ監督は契約満了で、早野監督は辞任である事を踏まえると、ガンバから契約を切ったのは正式にはこの時が初めて…という事になる。今や失敗監督人事を語るときに欠かせない存在になってしまったセホーン&呂比須体制に関しては、過去にこのブログでも散々書いたし、自分が書かなくても色んな人が未だに語り続けているので、ここではもうあまり触れるつもりはない。その辺は過去のブログを参照していただきたい。

 

 

ガンバファンにとって、ミスターガンバ松波正信の監督就任はいつか訪れるものだと思っていたし、それが実現する日はファンの夢でもあった。だが、これが望んでいたタイミングでは無かったのは言うまでもない。フロントの目論みは西野監督時代のスタイルに戻す事であり、その観点で言えば西野体制でコーチを務め、いわゆる帝王学を選手・コーチの両面あら西野監督から学んだ松波監督に託した理屈には一定の整合性はあるのかもしれない。だが、松波監督のタスクは西野監督を引き継ぐのではなく、前体制で破壊されたチームを西野時代のやり方に修正する作業で、それを監督経験がユースしかない松波監督に託すのはあまりにも酷だった。フロントにとっても、この時の判断は自分達にとっての十字架になっていたはずだ。だが6年後、そ歴史は繰り返される事になるのだが───。

話を戻すと、松波監督の初陣は低調な内容でこそあったが、開始早々の失点をなんとか前半のうちにリカバーして1-1のドローで終わり、開幕からの連敗をストップさせた。この試合ではメンバー的にはセホーン体制の前節までの顔触れに近かったが、続くACLのプニョドコル戦や第5節広島戦からは倉田秋寺田紳一佐藤晃大らを登用し、少しずつ選手起用にも変化が見られるようになっていった。だが、たかが2ヶ月、されど2ヶ月……ガンバが負った傷は余りにも深かった。

 

CASE5:宮本恒靖監督の初陣

2018明治安田生命J1リーグ第18節

ガンバ大阪1-1鹿島アントラーズ

2018年7月28日19:03@パナソニックスタジアム吹田

G大阪得点者:米倉恒貴(71分)

鹿島得点者:町田浩樹(40分)

 

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宮本恒靖監督就任の報を聞いた時、真っ先に感じたのは既視感だった。

以前にもnoteで書いたが、宮本恒靖に憧れてサッカーファンになったと言っても過言ではない私にとって、ガンバ大阪監督・宮本恒靖は夢だったのだから、本来なら手放しで喜ぶべき瞬間だったのかもしれない。或いは、クルピ前体制の失敗に怒りを感じる方が正しい感情だろうか。ただ、一番最初にやってきた感情はそのどちらでもなく、ただただ既視感だった。

 

 

片野坂監督もそうだが、OBが監督になるのはよくある話だ。ガンバにとっても、将来そうなる可能性のある人物は少なくない。だがその中でも、監督に就任する時に特別以上の意味を持つOBが極々僅かに存在する。ガンバでそれに値するのは現時点では4人。松波正信宮本恒靖遠藤保仁、そして宇佐美貴史がそれに該当すると思う。

6年前、誰もが望んだそのうちの一人を、誰もが望まなかったタイミングで担ぎ上げてしまった歴史をまた繰り返すのか……真っ先に浮かんだのはそこだった。既視感という意味で言えばこの4ヶ月前、W杯まで後2ヶ月という場面で西野朗が日本代表監督のポストに就いた。西野ジャパンは確かに夢だった。「西野監督のW杯を観れる」という喜びと「このタイミングか…」という難儀を前にした時の感情と同じものを感じていた。この日は監督交代が発表される前から友人と約束していた神戸戦(イニエスタの初先発)のチケットを買っていたのでノエビアスタジアム神戸にいたのだが、実在したイニエスタへの感動と共に、パナスタの状況が気が気でなかったのを今でも覚えている。

 

 

クルピ体制でのラストゲームとなる清水戦を終えた7月22日、当時ガンバU-23の監督を務めていた宮本監督は、同日に行われた盛岡戦の後はJ3は中断期間に入る為、U-23チームのスタッフは束の間のオフが与えられており、宮本監督も休暇を利用して家族旅行の予定があったという事実がいかに事態が突然だったかを物語っている。宮本監督は即答はせず持ち帰ったというが、最終的には突然の要請を受諾した。

迎えた初陣では、クルピ政権では組み込もうとすらしていなかった組織性が少なからずピッチ上に反映されていた。初戦は1-1のドローで乗り切り、続く磐田戦、名古屋戦は悲劇的な結末となったが、守備組織の構築というタスクは進歩が見えていたと思う。初陣となった鹿島戦での高宇洋に始まり、一美和成などU-23で手塩にかけて育てた選手も積極的に組み込んでいった。あの状況から最終的に9位まで持ち直したのはミラクル的な要素は小さくないが、そこに導いたのは宮本監督の手腕である。

ただ………結果的にクルピの後任は宮本監督で正しかったのだろうが、将来の監督の座が約束されていて、ましてやクラブもファンもそれを望んでいた宮本監督の扱いにはそれこそクラブも慎重で、一つずつ段階を踏んでいたはずだった。それがこのような形になってしまったのは……今考えてもそのショックは大きかった。

 

CASE6:松波正信監督の初陣(その2)

2021明治安田生命J1リーグ第14節

ガンバ大阪0-3浦和レッズ

2021年5月16日17:03@パナソニックスタジアム吹田

浦和得点者:キャスパー・ユンカー(16分、40分)、田中達也(20分)

 

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この試合及び、この試合に至るまでの経緯とその後は去年にめちゃくちゃブログ書いたので、そちらをご参照あれ。

 

後は信じるのみ…

ではでは(´∀`)