RK-3はきだめスタジオブログ

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理屈と感情の狭間で〜ガンバ大阪、片野坂知宏監督解任〜②川崎戦で狂った運命と、片野坂監督の青写真

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片野坂知宏監督を解任し、松田浩監督の下で再スタートを図る事になったガンバ大阪

ここでは、以前更新したブログの続きとして片野坂ガンバが陥ったジレンマの話を続けていく。

 

 

今回は片野坂監督が最初に思い描いていたであろう戦い方、そして余りにも運命を決定付けてしまった宇佐美貴史の負傷離脱という不運について書いていこうと思う。

本来、片野坂監督がどういう戦い方を目論んでいたのか……結論から言えば、それが一番具現化されていたのは第3節川崎戦だった。今回はこの試合を軸に、推測の域を出ないが、片野坂ガンバが最初に目指したスタイルを考えていきたい。そしてそれが頓挫してしまった悲劇も……。

 

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第3節川崎フロンターレ戦───たとえ今シーズンがどんな結末で終わって、来季がどんな始まりを迎えようが、ガンバファンはこの試合へのしこりを拭い去れる日は決して近くはないだろう。おそらくあの試合は、宇佐美がピッチを去るその瞬間まで、片野坂監督が開幕前に思い描いていた通りの試合が出来ていたと思う。

こう言えば川崎戦に囚われ過ぎだと嘲笑されるかもしれない。囚われすぎな、哀れで盲目なファンに見えるかもしれない。だがそれでも、あの試合からガンバの運命の歯車は狂ってしまった。物の見方によっては、ある意味であの試合からの5ヶ月間は「あの試合から…」と言わせない為の戦いだったのかもしれない。だが、こういう結果に辿り着いてしまった以上、未練がましい囚われの感情は当時よりも強くなっている。

 

 

開幕前のキャンプの段階から、片野坂監督は宇佐美に得点を取る事を求めつつも、ポジション取りに関してはFWとして前に張らせるより、ある程度の自由を与える構想を語っていた。昨季は自身に求められたプレー位置にジレンマを感じていた宇佐美も、片野坂監督のこの方針には意気を感じていたと思う。

開幕戦の鹿島戦、パトリックが退場するまでの時間で見せたサッカーは、ガンバファンにポジティブな展望を抱かせるには十分だった。2シャドーの一角に入った宇佐美はシャドーのポジションに囚われず、ボランチからの配球を前線に送り、サイドチェンジの中継点となっていた。片野坂監督が宇佐美に求めていた事はポジション的な制約を設けないフリーマン的に動き、ショートパス主体の攻撃の中で全ての攻撃をリンクさせていく事だったように見えた。要は、一般的にはボランチの役割になる事が多いリンクマン的な役割を、高い位置をスタートポジションとしてやらせようとしたとでも言うべきか。宇佐美と言えばシューターやドリブラーとしての印象が一般的には強いだろうが、彼はパサーとしての才覚も持ち合わせているだけに、攻撃のメカニズムとしては理に適っていた。

ただし、今のガンバには遠藤保仁二川孝広もいない。宇佐美が非凡なパスセンスを持ち合わせているのは確かだが、言い換えれば高い位置で決定的なチャンスメイクを出来るパサーは宇佐美しかいないのだ。山本悠樹やチュ・セジョンもパサーとしての能力に優れた選手だが、彼らはあくまでゲームメーカータイプであり、チャンスメーカーとは少し趣が異なってくる。もちろん、最終的な目標は特定の誰かに頼らなくても高い位置でパスが回る状態を作り出す事であって、片野坂監督もそれを目標としていただろうが、これはJ1リーグであり、上位に入れないだけならまだしも降格の可能性もある。そこで、片野坂監督の目指すサッカーを浸透させつつ、早期に攻撃を回す上での最適解が"宇佐美フリーマンシステム"だった。

開幕前に何度か、このブログで「レアンドロペレイラとの相性は良いと思う」と書いたのは、少なくとも片野坂体制でのガンバは最前線を起点にゲームを作る設計にする事は考えにくかったからだ。宇佐美が常に最前列の一つ下で起点になる事で、昨季のパトリックのような「とりあえず当たる」という方向性に偏重する可能性は小さくなる。このやり方が上手くハマれば、彼をもう一つのストロングとして組み込むこともできると考えていた。

 

第3節川崎戦、スタートの位置というか、表記上のシステムは宇佐美とパトリックの2トップ、倉田秋と齋藤未月をボランチに、両サイドハーフ小野瀬康介と山本悠樹を置いたオーソドックスな形の4-4-2だった。

だが、いざ試合が始まると、この試合のシステムはどちらかと言えば倉田と齋藤を縦関係にしたダイヤモンド型の4-4-2、或いは4-3-1-2のようにもなっていた。宇佐美を含めた中盤の5人は、ポジショナルプレー的な原則を良い意味で適度に崩していた。運動量のある倉田と齋藤が分担してスペース管理とセカンドボールへのアタックを行い、山本は内寄りのポジションを取る事で黒川圭介のオーバーラップを促す。倉田・齋藤・山本の3人はほぼ3ボランチに近い位置取りだった。左サイドよりはサイドの意識が強いが、小野瀬と髙尾瑠の右サイドでも似た循環は生まれていて、その要所要所で顔を出し、その工程を仕上げていたのが宇佐美だった。トータル的に見れば、片野坂ガンバのベストゲームは第19節浦和戦の前半だったかもしれないが、当初の理想に最も近づいたのはこの川崎戦の前半だったと思う。

このスタイルをもっと時間をかけてやり通せば、宇佐美抜きでもこの連動性を担保できたのかもしれないし、今季の最終的な目標はそこにあったはずだ。だが、現実は余りに非情で────。

 

宇佐美がいなくなって以降、ガンバは高い位置までボールを運ぶことが出来ても、いわゆるゲームを作るところと最後にアタックに入る部分が断絶されたような状況になってしまっていた。この2つを繋ぐ役割こそ宇佐美のエリアだったのだ。それゆえに、ここからガンバは色々な制約の下でプレーせざるを得ない状況になっていってしまった。言うなれば、片野坂体制での宇佐美はハンバーグのつなぎのようなもので、それが欠けた途端、攻撃は脆く崩れやすいものになっていってしまった。

比較的、この川崎戦に近い設定で結果に繋がったのが第12節神戸戦だったと思う。この試合では、川崎戦の時の宇佐美に近い役割を4-2-3-1のトップ下に入った中村仁郎がやり切っていた。だが、今度はこのタイミングでクラスターが発生してしまう。神戸戦に続く柏戦、この試合でのガンバはユース組を駆り出してようやく18人を揃えられるような状況に陥り、ここからの連戦を「絶対に誰も怪我できない」状態で戦わなければならない状態になってしまった。柏戦が典型だったが、こうなってくると神戸戦のポジティブなところを継続して…とかそんな事さえも言ってられない。通年のチームビルディングがまともに出来ないトラブルに襲われ続けた宮本恒靖元監督に続き、ガンバの監督業とはある種の呪われた職業なのか………そんな非科学的なことを考えながら、ヨドコウ桜スタジアムのバックスタンドで昌子源ペレイラの衝突を見ていた。

 

宇佐美は早くても9月まで帰ってこれない、5月に一度灯った火は潰えた……6月から取り組んだサイドを深く使うプレッシングスタイルは、本来の片野坂監督の志向というよりは苦肉の策に近いやり方だったのかもしれない。片野坂監督は解任を伝えられた時に「試合毎に少しブレてしまった」と語ったというが、宇佐美以外にも多すぎる怪我人と絶妙なタイミングで襲ったクラスター、相次ぐ悲劇的な敗北とドロー…これらを前にした時に、果たして人間はどれだけ初志貫徹を貫けるのだろうか。パトリックやペレイラの揺れる起用法はその表れだったようにも見えた。そう考えれば、それでも6月から取り組んだスタイルの戦術的な完成度を一定レベルまで引き上げた事は、監督・片野坂知宏の戦術家としての能力が表れた部分とも言えるけれど……。

不運という観点で言えば、フロントが続投か解任かを判断する基準としていた3試合のうち、飛んでしまって1つの結果が勝利だったとしたら、広島戦で指揮を執ったのは果たしてどっちだったのだろうか。トラブルに苦しみ続けた彼の最後は、ラストチャンスの本数さえも減らされてしまった。それがガンバ側にはどうしょうもない理由であったとしても、全てが悪い方、悪い方へと導かれていくかのように。負の引力はここでも働くのか…なんてことが嫌でも頭によぎる。松田体制のフィット次第では、結果的に延期がポジティブに転がる可能性はあるけれど、少なくとも片野坂監督からしたら弁明のチャンスを逃したようなものでもあるのだ。

 

前述の通り、呪われているかのように不運に苛まれたのは宮本監督にも同じことが言える。ただ、宮本監督は理想と現実を問われる場面になれば、良くも悪くもスッとベターな方を、要は現実に沿ったやり方を選択する。これは以前のブログでも書いた事だが、良し悪しではなく監督としてのタイプの問題で、どちらにも転びうる事。それが良い方に転がった2020年と悪く転がった2021年という事になるのだが、おそらく性格上、宮本監督はそこのシフトチェンジに抵抗は感じないタイプなのだろうと推察する。思い残しや後悔は本人にも少なからずあっただろうが、理想と現実の狭間のようなジレンマとは少し異なるところにいたと思う。

 

 

だが、片野坂監督はおそらくそういうタイプではない。ベターかベストを選べという場面で、彼はベストを選び続けるタイプだった。だからこそ大分トリニータはあそこまでのチームになった。そんなタイプの片野坂監督だからこそ、彼が苦しんだジレンマが、いちファンが想像できるようなレベルではなかった事だけは間違いない。ジレンマに苛まれ、蝕まれた末の姿があの憔悴し切った姿ならば、あまりにも悲しすぎる。片野坂ガンバは決して、近年台頭している監督を招聘しただけの計画ではない。片野坂ガンバはある意味、2016年に片野坂コーチを大分トリニータの監督に送り出したところから始まった。本当はヘッドコーチとして残って欲しかった。だが、将来の監督候補になり得る人材として、クラブはその痛みを受け入れた。決して片野坂ガンバは、一朝一夕で生まれた体制ではなかった。

片野坂ガンバが始まった時、確かに夢はあった。負けこそしたが、開幕戦で流れた空気は去年の停滞感とは異なるものだった。川崎戦で夢を見て、磐田戦ではチームの雰囲気の良さが目に見えて表れていた。始まりは決して悪くなかった。だが、待っていたのはこの結末だったのだ。片野坂監督には悔いが残り、僕らは未練を抱える。クラブレジェンドの末路を見た去年から、またしても甘美な夢が水泡に帰すなんて、想像もしたくない現実にガンバ大阪は今、立たされている。