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稲盛和夫 京都サンガFC名誉会長のご逝去に寄せて

 

 

 

8月30日、日本が世界に誇る企業である京セラの創設者、そして現在の名誉会長である稲盛和夫氏が、8月24日に亡くなられていた事が発表されました。

 

 

以前にNoteにも書きましたが、私が最初にサッカーに触れたのは京都パープルサンガ(当時の名称)でした。

私はサンガファン、そしていち京都市民という立場を持っています。そして、稲盛氏はこの2つの軸に於ける特別な存在です。数多の大企業が生まれ、多種多様な敏腕経営者が存在するこの国の中でも「経営の神様」と称される京都の偉人……。

ここでは稲盛氏と京都サンガの事について少し書いていこうかと。

 

 

 

サンガ=京セラというイメージは強いと思います。その為、例えば松下電器サッカー部日産自動車サッカー部などオリジナル10の多くのクラブと同様の形態を想像されている方も少なくないと思うのですが、歴史上、京セラサッカー部なるものが存在した過去はありません。要は、京セラはサンガの前身である京都紫光クラブは基本的に関係のない立場でした。

しかし1993年、Jリーグが開幕し、京都にもJリーグクラブを!という気運が生まれ、同年には「『京都にJリーグを』市民の会」が発足。署名運動などが行われる中で、市民の会はこの夢を形にしてくれる企業を見つけるべく京都の経済界にアプローチをかけ、その熱意に乗っかってくれたのが京セラであり、稲盛氏でした。

要は京都パープルサンガというクラブは会社のサッカー部が発展してプロ化したのではなく、プロ化を目指していた市民クラブの夢に乗っかり、形にしてくれたのが京セラと稲盛氏という構図だった事になります。稲盛氏死去のニュースをサッカー方面で報じた媒体が「サンガ生みの親」と表現しているのはその為。サンガが日本でトップクラスにスポンサーが豪華とも言われる事もあって、それは京都を本社とする有名企業が多いのも理由でしょうが、稲盛氏がいの一番に手を上げた事も間違いなく大きかったはずです。

 

 

「『何でも成功できる稲盛さんがサッカーチーム京都サンガだけはうまくいきませんね』と、みなさんがひやかしている」と本人自ら冗談めかして語った事もあったそうですが、稲盛氏がサンガに注いだ熱量は間違いなく本物でした。

京セラは勿論、現在のKDDIの礎を築き、JALの再生も手掛けたほど、日本の経済界屈指の偉人でありながら、Jリーグの中でも特別高い立ち位置でもないクラブの試合はもちろん、城陽という京都市からはなかなか行きにくい場所にある練習場まで自家用車で定期的に顔を出し、雨にも関わらず、クラブハウス以外に屋根なんてある訳もない練習場で傘を差しながら見守る事も。ゴール裏に挨拶に訪れるどころか、時にはゴール裏のサポーターに混じって応援していたのは有名なエピソード。来賓席からサンガの試合を見守る姿はファンやサポーターと何も変わらない熱量だった…という話も耳にします。というか、彼は世間的には"経営の神様"ではありますが、それと同時に稲盛氏は紛うことなき"一人のサンガファン"でもありました。

 

 

 

 

 

そんな稲盛氏にとって、長年の悲願だったのが「京都にサンガが使用するサッカー専用スタジアムを作ること」でした。

 

 

建設に至るまでの細かい経緯は上のブログを見て頂きたいのですが、そこに至るまでの道のりは稲盛氏ほどの人物でも険しいもので、稲盛氏は「私財を投入してでも」とまで語っていましたが、それでもなかなか計画の具体化にさえも繋がらない日々が続いていました。

ただ、紆余曲折の末に2020年にようやくサンガスタジアム by Kyocera……京セラがネーミングライツを獲得したこのスタジアムは、日本のスタジアムで唯一、スポンサーの名前とクラブの名前が並んだ名称を持つスタジアムとなりました。2021年には長きに渡るJ2生活を抜け出し、ようやくJ1に昇格。サンガを昇格に導いた曺貴裁監督は、サンガは元々2016年の新監督として迎えようとしていて、その時の交渉の場には稲盛氏も自ら直接口説きに行ったそうで。サンガと京セラの名が入った唯一無二のスタジアムの誕生とJ1復帰……この2つを、彼の情熱の結実を見せることが出来たのは本当に良かったと思います。

 

 

いちファンとしてこれからも、偉大なる経営の神様、そして偉大なる一人のサンガファンが遺してくれたモノをこれまで以上に愛していきたいです。2022年、今、稲盛氏とサンガの関係について書かれた各社の記事の見出しにはどれも「J1京都」と記されています。

ご冥福をお祈りします。安らかに。

 

 

 

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