RK-3はきだめスタジオブログ

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Jリーグ30周年記念!独断と偏見による、Jリーグクラブ別歴代ベスト監督トップ3 & ワースト監督 Part6〜広島・徳島・福岡・鳥栖・大分〜

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皆様いかがお過ごしでしょうか。

暑さは過ぎ、気がつけばそこにはカタールW杯。

そして何と言っても、30シーズン目を迎えるJリーグも佳境です。

 

 

という訳で、先日から続いておりました連載企画、「独断と偏見による、Jリーグクラブ別歴代ベスト監督トップ3&ワースト監督」が本日、いよいよ完結となります!

 

 

 

詳しいルールというか、企画概要はイントロダクションの方に記したのでそちらをご覧頂きたいところですが、一応ここでもざっくりと説明をば。

30シーズンを迎えるJリーグ……ある意味で「監督」というポジションは、良くも悪くもクラブにとっての一つの時代を映す象徴でもあると考えます。という訳で、各クラブにおける最優秀監督とワースト監督を考えてみよう…という企画をかれこれ全6回に分けてやってきました。いよいよ第6回、オーラスです。あくまで独断と偏見ですので、人それぞれ異なる意見があるでしょうが、そこをあーだこーだ言う事も一興として、昔を懐かしみながら楽しんで貰えたらと。

 

基本的には全監督が選出対象ですが、一部には選出材料から外している監督もいます。

選出から外している監督は以下の通りです。

 

・記事更新時点で現職の監督のうち、当該クラブの就任が2021年2月以降である監督

→評価を確定しにくい為。例えば2021年シーズンから現職の曺貴裁監督(京都)は対象となるが、ケヴィン・マスカット監督(横浜FM)やピーター・クラモフスキー監督(山形)など2021年の途中から就任した現職の監督は除外となる。

・監督代行や暫定監督として、数試合の指揮に留まった監督

→ただし、2018年の大槻毅監督(浦和)のように、その後正式に監督を務めた監督は暫定監督時代を合算した上で選出に含む場合もある。また暫定監督とは言えどもある程度の期間で指揮を執った監督も選出に含む場合もある。

 

基本的には当該クラブでの監督実績のみを選出の対象にするので、例えば他のクラブでは散々でも特定のクラブではベスト監督に入ってくる場合もありますし、もちろんその逆のパターンもあります。また、コーチや育成での貢献は大きくても監督として上手くいかなかった人物がワーストの方に入ってする事もございます。

 

ただし、例えば松本山雅FCV・ファーレン長崎のように、そもそも歴代監督が4〜5人ほどしかいないクラブもあるので……イントロダクションでもお伝えしたように、今回の企画では予め【2005年の時点でJリーグに参加していた30クラブ】を対象に企画を進めていきます。

それでは最終回です!

 

 

 

イントロダクションとまとめページ

Part1→札幌山形仙台水戸鹿島

Part2→浦和大宮群馬千葉

Part3→FC東京東京V川崎F横浜FM横浜FC

Part4→湘南新潟甲府清水磐田

Part5→名古屋京都G大阪C大阪神戸

Part6→広島徳島福岡鳥栖大分

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

サンフレッチェ広島

 

Jリーグ参入:1993年

獲得タイトル:J1リーグ優勝3回(2012,2013,2015)、ステージ優勝1回(1994①)、J2リーグ優勝1回(2008)

J1リーグ最高成績:優勝(2012,2013,2015)

歴代最長指揮監督:ミハイロ・ペトロヴィッチ(2006.6〜2011)、森保一(2012〜2017.7)

ブログ更新時点での監督:ミヒャエル・スキッベ(2022〜)

2022年のホームスタジアム:エディオンスタジアム広島(広島県広島市)

 

【監督人事の傾向】

監督人事は外国人監督が主体。2002年に途中に木村考洋監督が就任するまでは全員が外国人監督だった。広島は予算規模が小さく、常に主力選手を引き抜かれてしまうという苦しい立場がある反面、屈指の育成組織と育成手腕を誇り、その若手を鍛え上げるべく少々予算がかかってでも実績のある外国人監督を招聘する事が多く、むしろそこに限られた予算を割いているとも表現出来る。外部から日本人監督を招聘する際も、小野剛監督や城福浩監督など育成面の実績がある人物が多い。余談だが、初期のスチュアート・バクスター監督体制のチームからは森保監督を始め、他クラブで活躍した風間八宏監督、片野坂知宏監督、松田浩監督など多くの名将を輩出している。

 

【独断と偏見によるランキング】

1位:ミハイロ・ペトロヴィッチ(2006.6〜2011)

2位:森保一(2012〜2017.7)

3位:エディ・トムソン(1997〜2000)

ワースト:ガジ・ガジエフ(2002.1〜2002.7)

 

ミハイロ・ペトロヴィッチは余りにもJリーグにとってエポックメイキングな存在だった。広島の監督に就任するなり、若手の飛躍的な成長を促しながら「ミシャ式」と呼ばれる娯楽性に富んだフットボールスタイルを確立。そしてそのスタイルで好成績も出した。その後の浦和や札幌はそれまでのミシャのイメージで招聘に踏み切れたが、まだペトロヴィッチ監督が未知数だった段階で招聘に踏み切り、2007年の降格時にも続投を決断した当時のフロントの英断は歴史的な功績だったと言える。

そしてそのミシャ体制の粗を完全に埋め、バランスを調整する事でミシャ時代に唯一足りなかった結果を手繰り寄せたのが森保監督だった。毎年のように主力どころかキーマンがチームを去る中でJ1を3度制した結果は偉業としか言いようがない。ペトロヴィッチ監督がJリーグ全体に与えた影響も踏まえて2位に置いたが、森保監督を1位にしても不自然ではないだろう。2012年と2013年ペトロヴィッチ監督のチームを仕上げた形の優勝だと思うが、2015年に優勝したチームは完全に森保監督のチームだった。

現在のスキッベ監督然り、外国人監督の当たり率が一番高いのでは?と思わせる広島だが、その点で言えばクラブが最も経済的にまずい状況になった時に長期政権を敷き、大量に主力が流出する悪夢のような状況を、積極的な若手の抜擢で降格を回避し続けたトムソン監督の功績は大きい。一方、そんな広島が唯一外した監督がガジエフ監督か。これはフロントが深く選定せず、前任のヴァレリー監督の推薦を鵜呑みにしすぎた事が原因と言われている。

 

 

 

徳島ヴォルティス

 

Jリーグ参入:2005年

獲得タイトル:J2リーグ優勝1回(2020)

J1リーグ最高成績:17位(2021)

歴代最長指揮監督:美濃部直彦(2008〜2011)、小林伸二(2012〜2015)、リカルド・ロドリゲス(2017〜2020)

ブログ更新時点での監督:ダニエル・ポヤトス(2021〜)

2022年のホームスタジアム:鳴門大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム(徳島県鳴門市)

 

【監督人事の傾向】

大塚製薬時代から田中真二監督が長期政権を敷いていたが、大塚製薬というバックが安定している事もあってか、この手の地方クラブとしては珍しく、比較的早い段階から他クラブでの監督経験者を外部から積極的に招聘している。17シーズンで3人の監督が4シーズンずつ指揮しており、途中交代も2006年の田中監督の辞任以来起こっていない。リカルド監督退任後はポヤトス監督を招聘するなど、近年はスペイン路線の傾向が顕著。

 

【独断と偏見によるランキング】

1位:リカルド・ロドリゲス(2017〜2020)

2位:美濃部直彦(2008〜2011)

3位:小林伸二(2012〜2015)

ワースト:今井雅隆(2007)

 

リカルド監督の招聘は徳島というクラブにとって大きすぎる転換点だった。就任1年目からセンセーショナルなポジショナルサッカーで旋風を巻き起こすと、そのインパクトと躍進ゆえに毎年のように主力をステップアップで失いながらも、2020年には遂に徳島をJ1昇格、そしてJ2優勝へと導いた。リカルド監督に関してはむしろ、彼を連れてきたフロントが凄いとも言える。どのネットワークでリカ将なんて引っかかったんだ……。

小林監督は結果的に好成績と呼べる結果だったのは2013年だけだったが、当時の徳島をJ1昇格に導いたのは快挙という他ない。特に2013年のJ2にはG大阪と神戸とかいう反則チート集団がいたおかげで、実質的に昇格枠がプレーオフの一枠しかないような状態だった。後半戦の猛追で4位まで駆け上がり、プレーオフで千葉・京都というズッ友集団を蹴散らしてJ1に駆け上がったのは、昇格請負人と呼ばれる小林監督のキャリアの中でも特に痛快な仕事ぶりだったと言える。そして徳島の歴史を語る上では美濃部監督も重要な人物の一人。2006年から続く最下位地獄を就任2年目で抜け出すと、2011年は最終節まで昇格争いに絡んだ。最後の3試合で3連敗となった事が実に悔やまれるが、あの時の徳島をその段階まで持っていったインパクトは大きかったし、柿谷曜一朗を筆頭とした他クラブで出場機会に恵まれなかった選手を再生させるなど、今に繋がる徳島の潮流を大きく変えた監督だったと思う。

少なくとも美濃部監督以降はワーストの括りで考えるような監督はいないし、東監督はあの半年でワーストとするには酷。となると、消去法的にワーストは今井監督になってくるか。

 

 

 

アビスパ福岡

 

Jリーグ参入:1996年

獲得タイトル:なし

J1リーグ最高成績:8位(2021)

歴代最長指揮監督:井原正巳(2015〜2018)

ブログ更新時点での監督:長谷部重利(2020〜)

2022年のホームスタジアム:ベスト電器スタジアム(福岡県福岡市)

 

【監督人事の傾向】

Jリーグ参入当初は清水秀彦監督や森孝慈監督など重鎮的なポジションの人物を連れてくる事もあったが、その後は主に内部昇格、もしくな良くも悪くも全体的にチャレンジングな人選が多い。内部昇格ならまだしも、前田監督や井原監督を当時は監督経験が無かったにも関わらず外部招聘したり、松田浩監督も神戸での僅か半年の指揮を見て招聘に踏み切ったんだとか。それはプシュニク監督やペッキア監督など外国人監督にもその傾向はあり、他クラブでしっかり実績のあった長谷部監督はむしろ逆に珍しいケースでもある。

 

【独断と偏見によるランキング】

1位:長谷部茂利(2020〜)

2位:井原正巳(2015〜2018)

3位:松田浩(2003〜2006.5)

ワースト:前田浩二(2012.1〜2012.10)

 

トップ3には福岡をJ1に昇格させた3人をそのまま並べる形にした。そしてそういう考え方をすると、"5年周期のジンクス"とも言われていた福岡を残留させてジンクスを打破するだけでなく、8位という順位で残留争いどころか一時は上位争いに食い込ませた長谷部監督の功績は計り知れない。クラブの経営が安定した事で補強予算が格段に増した部分もあるが、豊富な外国人アタッカーを活かすシステム構築を抜群に機能させ、Jの中でも曲者的な存在に躍り出た。

2012〜2014年頃の経営状態も含めたクラブの効きを踏まえると、その中で2015年に3位で昇格させた井原監督の功績は長谷部監督に匹敵するレベルと言える。最終的にはプレーオフでの昇格だったが、2015年は2位の磐田と勝点では並んでいた。磐田以外にも大宮やC大阪、千葉に京都といった豊富な戦力を持つクラブがいる中で、当時の福岡であの成績を残したのも見事だし、福岡はなぜか降格した次の年はJ2でも低迷する習性があるが、井原体制では降格年度もプレーオフまで持っていった。井原監督の場合、冨安健洋育成という育成的な側面もある。

3位の松田監督は、就任前はベテランが多かったチームの世代交代を推めながら昇格まで持っていた手腕が光った。2005年はJ2優勝こそ京都の独走に阻まれたが、福岡もまた2位独走のような状態で走り、2003〜2004年も含めてチーム改革を行いながら高いアベレージを残したのは大きなポイント。逆にワーストは…今井雅隆監督も悩んだが、やはり前田監督になってくるか。主力流出や経営難という事情こそあれど、2012年の福岡の不振はとても前年のJ1クラブとは思えない惨状だった。

 

 

 

サガン鳥栖

 

Jリーグ参入:1999年

獲得タイトル:なし

J1リーグ最高成績:5位(2012,2014)

歴代最長指揮監督:ユン・ジョンファン(2011〜2014.8)

ブログ更新時点での監督:川井健太(2022〜)

2022年のホームスタジアム:駅前不動産スタジアム(佐賀県鳥栖市)

 

【監督人事の傾向】

クラブ自体が長らく混迷期だった為、初期の監督人事に方向性と傾向を求める事はかなり難しい話だった。しかし2005年に経営体制が代わり、2007年に松本体制でコーチを務めた岸野靖之監督が昇格して以降はハードワーク志向のある監督というテーマが生まれ始め、ユースからの一貫したプレーモデルが確立されつつある昨今では、金監督退任に伴う川井監督の就任など、クラブが目指すビジョンと監督に求めるスタンスを明確にした人選を行える良い循環を生んでいる。

 

【独断と偏見によるランキング】

1位:ユン・ジョンファン(2011〜2014.8)

2位:金明輝(2018.10〜2018.12,2019.5〜2021)

3位:松本育夫(2004〜2006,2010)

ワースト:千疋美徳(2003)

 

やはり1位はユン監督になる。ヘッドコーチだった2010年から実質的にチームの指揮を執ると、初年度こそ主力の大量流出の影響もあって中位に終わるが、正式に監督に就任した2011年に2位でJ1昇格を果たす。これだけでも十分快挙だったが、更に圧巻だったのは2012年、圧倒的に最下位予想が妥当とされている状況下で大躍進。最終節までACL出場圏を争いながらの5位は偉業という他ない。予算が限られる中でチーム全体のハードワークを軸に、豊田陽平という個を活かしたサッカーで2014年には優勝争いさえも演じてみせた。あの衝撃の解任劇が無かったらどんな未来が待っていたのかは今となってはわからない。ただ、やっぱり初年度で5位にまで入った事が、今日に至るまで鳥栖にとってのスタンダードがJ1となる礎となった。

2位の金監督は、結構な難題を押し付けられる形となった2018年と2019年のチームを残留に導き、クラブの経営危機と隣り合わせではあるものの、キャンプから指揮を執れた2020年以降は、若手を主体としたロジカルで組織的なサッカーを披露。自身が元々鳥栖U-18の監督だった事もあり、現在の川井体制にも引き継がれるトップとアカデミーのプレーモデルの一体化を確立させた功績は大きく、鳥栖から有力選手を次々とステップアップさせる下地を作った。ただし、今回はあくまでピッチ内の現象に限って書いたので2位に置いたが、あれだけの愚行を働いた事実も勘案すべき…という意見は理解する。

3位候補は多く、2007〜2009年の岸野体制も魅力あるチームだったし、2018年以外はフィッカデンティ体制も今までにない鳥栖の姿を見せた。ただ、就任経緯を含めて3位は松本監督か。ほぼ死にかけ同然だった鳥栖を昇格争いに絡めるところまで引き上げ、ハードワークを基調としたスタイルは後の岸野体制・ユン体制の基盤にもなった。鳥栖にとって恩人的存在なのは間違いない。逆にワーストはその"死にかけの時代"の象徴でもある2003年の監督を務めた千疋監督。近年ならルイス・カレーラス監督も成績面のインパクトは強烈だったが、クラブの目指す育成路線にしっかり乗って進めた上で松岡大起や樋口雄太を抜擢するなど遺したものは少なからずあったと思う。

 

 

 

大分トリニータ

 

Jリーグ参入:1999年

獲得タイトル:リーグ杯優勝(2008)、J2リーグ優勝(2002)、J3リーグ優勝(2016)

J1リーグ最高成績:4位(2008)

歴代最長指揮監督:片野坂知宏(2016〜2021)

ブログ更新時点での監督:下平隆宏(2022〜)

2022年のホームスタジアム:昭和電工ドーム大分(大分県大分市)

 

【監督人事の傾向】

小林監督以降、ユース監督を務めたファンボ・カン監督を含めて外国人路線が続いていたが、クラブの財政的な理由もあって2010年代からは路線変更。他クラブでコーチとして活躍した人物を監督に据える方針にシフトした。結果、清水から招聘した田坂監督がヒットし、G大阪から招聘した片野坂監督が特大当たり。2010年代はほぼずっとこの2人で占められている。というかどっちも長谷川健太の参謀やないかい!片野坂監督の後任には下平監督を招聘し、今後はポゼッション路線を傾向として作ろうとしている意向が見られる。尚、数は少ないが外国人監督の当たり率は良く、シャムスカ監督を筆頭にベルガー監督ポポヴィッチ監督も短期間の指揮ながら良いインパクトを残した。

 

【独断と偏見によるランキング】

1位:片野坂知宏(2016〜2021)

2位:シャムスカ(2005.9〜2009.7)

3位:小林伸二(2001.6〜2003)

ワースト:柳田伸明(2015.6〜2015.12)

 

やはり片野坂監督の大分での軌跡はJリーグの歴史に残るべきものだったと言える。2016年にJ3からの再出発となった大分の監督に就任すると、自身もトップチームでの監督業は初めてではあったが、3バックシステムをベースに独自のポゼッションスタイルの戦術を確立。紆余曲折を経ながらもトントン拍子でJ1への階段を駆け上がると、降格候補筆頭ながら開幕戦で前年のACL王者である鹿島を撃破。そこから最終的に勝ち越しての9位で終えた2019年の大分はまさにセンセーショナルの一言で、戦力で上回る他クラブをも凌駕した組織的スタイルは「カタノサッカー」とも称された。その躍進ゆえに毎年のように選手のステップアップ退団にも悩まされ、降格枠が4つになった2021年は降格を余儀なくされたが、同年の天皇杯ではリーグ制覇を果たした川崎を下して決勝にも進出している。

大分はシャムスカ体制も衝撃だった。ブラジルで有望監督として知られ始めた2005年、降格圏である17位にいた9月に監督に就任すると、初陣から優勝争い中の浦和に勝利。そこからは7勝3分2敗という数字を叩き出して最終的に11位でフィニッシュさせたV字回復ぶりは「シャムスカ・マジック」と称された。その後も優秀な人材を多く輩出する大分ユースのメンバーなどを積極起用しながら安定した成績を残すと、2008年にはリーグで4位まで上り詰め、更に34試合24失点という現在でもレコードとなっている最小失点記録を樹立。更に現在でも九州勢として唯一のタイトルとなるナビスコ杯を獲得し、大分の一時代を築いた。

3位は2001年からチームを浮上させ、最終的に2002年のJ2制覇、更に2003年には残留に成功し、クラブが長くJ1に居続ける土台を築いた小林監督。逆にワーストは必然的にJ3降格を喫した2015年の関係者になってくるが、田坂監督はむしろ、2012年の昇格などそれ以前の功績が評価されるべき人物なのでトータルではプラス評価の人物となる。となると柳田監督はそこの責任を避けられないか。2015年末期の全てが空回りしていく様はなかなか衝撃的だった。

 

 

 

無事に全完結しました!

当ブログでは今年はJリーグ30シーズン記念、来年はJリーグ開幕30周年記念として、2年に渡って振り返り企画をしがんで行こうと思っております。

Jリーグの歴史を振り返るブログは他にも色々更新しておりますので、是非下記のリンクから覗いて行ってください!

 

 

ではでは(´∀`)