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文脈の先へ〜日本代表・森保ジャパンのカタールW杯振り返りブログ〜【中編・カレーライスと森保ジャパン】

 

(前回大会の)ベルギーとの試合から1617日…4年間半、この日の為にやってきたよ。この日の為に。

吉田麻也-JFA TV『Team Cam Vol.13』より

 

W杯への敗退は、また次のW杯への1日目と語られる事が多いが、今回の日本代表ほどその意味合いが強いチームもそういないだろう。

あのロストフの14秒……正確に言えば、乾貴士のシュートがネットに吸い込まれたあの瞬間からの42分間が持つ意味は、当事者達にとって、我々が想像するよりも遥かに大きく、そして重かったに違いない。警告覚悟でティボー・クルトワにタックルに行かなかったことを悔やむ吉田も、目線の先を横切るデブライネをベンチから目線で追うしか出来なかった森保コーチも、それぞれがあの試合に後悔と未練を抱えていた。

 

「何が足りないんでしょうね……」

 

西野朗監督は試合後にそう呟いた。

この4年半の旅は、いわばその"何か"を探す事にあった。それは選手達にとっての活力であり、そしてある意味では呪縛ですらあったように思う。ただ、ポジションをコーチから監督へと変えていた森保監督には、その"何か"に通ずる答えは自分なりに持ち合わせていた。

物語として美しい4年半だったと思う。勿論、これはフィクションの話ではないから全てを美化する訳にはいかない。全てを肯定する訳にはいかない。わかりやすいのが今後の話で、退任ありきでも続投ありきでも考えるべきではない。ただそれでも物語として美しかったし、これの概ねが計画通りだとすれば……森保一は実に異能の演出家だったと思う。彼がやってきたことはいわば文脈を紡ぐ事だった。結局、これまでも、そしてこれからも、軌跡はいつも文脈の上に成るのだから。

 

 

 

前回同様、カタールW杯の日本代表の戦いぶりを振り返るブログを書いていきたいと思う。

前回はこの森保ジャパンを語る上での前提条件なるものを先に書いた。なので今回は、その上で今大会の森保ジャパンをどう考えるべきか、そしてカタールW杯で露わになった、ある意味ではトレンドのアンチテーゼとも言えよう展開の中で、これからのことをどう考えていくべきかを書いていく。

 

日本代表が戦った4試合の、個々の考察に関しては下記のブログを読んで頂きたい。

 

ドイツ戦コスタリカ戦スペイン戦クロアチア戦の考察ブログ

 

 

 

カタールW杯観戦ガイド更新中!是非覗いてください!

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

自称・当ブログ的カタールW杯テーマソング

 

 

 

 

 

 

【文脈の先へ〜日本代表・森保ジャパンのカタールW杯振り返りブログ〜】

 

 

そもそも監督・森保一とは?(前編)

サンプル集めの4年間(前編)

③文脈の醸成

日本の進むべき道は…カタールW杯が示したクラブチーム化への疑問と囚われの再現性(後編)

 

 

 

③文脈の醸成

 

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冒頭でも述べたように、森保ジャパンを語る上で「ロシアW杯ベスト16のベルギー戦」は切っても切り離せないキーワードになってくる。

あの日、コーチとしてロストフ・アリーナのベンチに座っていた森保監督に影を落とした後悔はスペイン戦での采配に繋がり、それと同時に現実に対して抱いた実感と、開幕2ヶ月前のタイミングで監督に就任した西野朗の指導法はその後のチーム造りに於ける彼自身の基盤になっていった。

 

サッカーライターの飯尾篤史氏によると、森保監督はあのベルギー戦をこう振り返っていたという。

 

ロシア・ワールドカップが終わったときに森保さんから聞いたんですけど、2-0でリードしていたベルギー戦で相手がパワープレーをしてきたと。ベンチでどうする、どうすると相談している間に追いつかれてしまった。森保さんは、植田直通を入れて5枚にして跳ね返しましょう、と西野さんに提案できなかったことを悔やんでいました。ただ、その一方で、ベンチの指示を待つのではなく、ピッチ内で問題を解決できるようにならないと、ベスト8、ベスト4を狙うのは難しいとも思ったと、森保さんは言っていたんです。

「森保ジャパンのこと全部聞いた」-みぎブログ

 

 

 

文脈という言葉をテーマにこの代表を語った時、この一連の感想は実に大きな鍵だったと思う。

ベルギー戦に森保監督が残した後悔が一番わかりやすく采配に活かされていたのはスペイン戦だった。大会前、ロシアW杯で日本代表監督を務めた西野朗氏との対談でこういう会話があった。

 

西野朗: 後半に乾(貴士)が2点目を取って、長谷部(誠)が「どうしますか?」って聞いてきた。「2点リードしているからディフェンシブに行け」とか、逆に「最終ラインをプッシュアップして3点目を奪いに行け」とか、何か極端に振れた指示が欲しかったんだろうな、と。でもそのときの俺は長谷部が欲しかった明確なメッセージを伝えることができず、「このままでいいんだ。このままでいいんだ」と、アイツのケツを2、3回叩いて送り出した。(中略) それはもう、悔いの残るゲームだよ。0コンマ何秒、数センチの世界がそこにはあった。」

 

森保一: 僕もあのときのコーチとして後悔があります。2-1になってパワープレーをどんどん仕掛けられているときに、3バックにして植田直通を入れられなかったか、と。パラグアイ戦で彼がことごとくボールをはね返していましたから。でもそのアイデアを僕は試合中に思いつけなかった。選択肢の一つとして西野さんに提言できなかった。結局、自分に余裕がなかったんです。

 

西野前監督が森保一監督に伝えた「ロストフの悲劇」の真相「0コンマ何秒の世界がそこにはあった」「俺自身が想定できていなかったんだよ」-Number Web-

 

スペインがジョルディ・アルバとアンス・ファティの投入で左サイドのギアを踏んだ直後に見せた冨安健洋の右WB起用の決断の裏には、森保監督自身があの日から燻る後悔がその決断を促した部分は少なからずあったのだろう。

それと同時に監督として、スペインという強敵にリードをした時に強いメッセージを出す必要性も過去の文脈から頭に置いていたはずで、それは前任の西野監督もそうやって過去の教訓が物語として引き継がれていく事を望んでいたはずだ。日本人監督が良い、外国人監督の方が良いという議論への問いは一概には出さないが、あのスペイン戦の冨安投入は日本人が監督を継ぐことのメリットを示していた。過去の文脈を飲み込み、過去の全てを伏線とするかのようにチームを編み上げていける事は、この国のサッカーという物語を共有し続けた者が持つ武器だったと思う。

 

 

そしてその文脈は何も、森保ジャパンの誕生からでも、ベルギー戦から始まった訳でもなく、例えばドーハの悲劇だとか…ありとあらゆる物語がここまでの軌跡には積み重なってきた。「歴史を変える」「歴史を紡ぐ」といっても、その歴史にはいつでも前段階がある。それを日本史や世界史の文脈ではなく、血脈として紡ぐことが出来たのは日本人を監督に据える事の妙味であり、その文に新たな角度を持たせられるのが外国人監督の旨味だと考えている。

日本人を監督に据えるメリットは、あの冨安投入の采配に繋がるストーリーが象徴していた。それ以外にも、ドイツ戦スペイン戦でリードしてからの展開だったり……2010年の南アフリカの成功と現実を背に挑んだ2014年の末路や、ドログバ一人に全ての空気を持っていかれた夜の悪夢も、2018年の未だ拭えない残像も、その全てを飲み込んだチームが今回の日本代表だったように思う。そしてその文脈は、そもそも4年間のチーム造りに於けるコンセプトにもなっていた。上で引用した文の後半部分…「ただ、その一方で、ベンチの指示を待つのではなく、ピッチ内で問題を解決できるようにならないと、ベスト8、ベスト4を狙うのは難しいとも思ったと、森保さんは言っていたんです」という部分は、まさしくこの4年間のコンセプトというか、森保監督が注いだ事の全てだったように思う。

前編で書いたように、森保監督は元々、戦術家タイプの監督ではなく、調整屋とでも言えるタイプの監督である。要は少なくともこの4年間で、例えばオシムジャパンザックジャパンの時のような組織的なサッカーを植え付けようとしたとて、それを完成させる技量はおそらく持ち合わせていないし、そもそも今の形態の日本代表でそれを実現する事は限りなく困難に近い。だが、元々あるものに対するバランスを調整していく作業は森保監督の最大のセールスポイントと言えて、広島時代の栄光はその能力で掴み取った。

 

 

 

そして、森保監督が殊更に選手の自主性や、自分達がピッチの中で解決する力を求めたのは、コーチとして参加したロシアW杯での西野監督のマネジメント方法の影響も大きかった。

ガンバ大阪時代の"超攻撃的スタイル"が印象的な西野監督だが、ガンバ時代は当時のガンバの選手のタイプと質が西野監督自身の本当にやりたいサッカーと合致した事で生まれたスタイルであり、キャリアを通じた監督・西野朗は割とリアリストというか、どういうタイプの選手が揃っているのか、という部分からチーム造りを進めている。実際、ロシアW杯の際に西野監督があまりにも短い準備期間の中で、選手達とディスカッションを交わし、戦術家というよりもオーガナイザーとして様々な意見を一つの形にまとめきったのは有名な話だが、森保監督は当時、その特異なマネジメントと、それによって好循環が生まれゆく様をコーチという立場で見ていた。

 

あの短い準備期間でワールドカップに臨むとなれば、自分のやりたいことを選手やスタッフに詰め込むのが普通だが、西野さんは我慢や見守ることができる人でした。やりたいことはいっぱいあったと思うが、選手を急かしたりせず、チームの成長に必要なことを働きかけて与えていく。その、一歩待ったりする部分は凄かった。普通であれば、やってしまったり、言ってしまったりする場面で、選手たちのやる気を認めながらチームを作っていく。でも最後は、コンセプトを伝えながら短期間でチームを作るのは、なかなかできないこと。

強くなるための“我慢”なのか?惨敗のベネズエラ戦で見えた森保監督のマネジメント-Goal Japan-

 

言ってしまえば、このやり方を長期スパンでやろうとした……戦術的な構築というよりは、個人へのアプローチに力を注ぐ事で文脈を醸成しようとしたのが森保ジャパンだった。

 

森保監督がこのやり方を選択した理由としては、大きく分けて二つの要素が考えられる。

一つは、度々繰り返しているようにベルギー戦での教訓である「ピッチ内で問題を解決できるようにならなければならない」という部分。サッカーの戦術を語る時に「アドリブ的」と言えばあまり良い向きでは語られないが、森保監督が求めたのはそのアドリブ力を高める事、そしてそれに周囲が呼応して、ピッチ内で勝手に微修正を施せるようになる事だったように思う。

実際問題、いざ試合が始まってからピッチにベンチが指示を与える事のハードルは高い。選手間の距離ですら声が通りにくい。例えばドイツ戦では「前半のうちに修正出来なかったのか?」という意見があるが、あの時のドイツの猛攻を前に指示の伝達・咀嚼・共有をすれば、その作業工程自体が隙になりかねないし、そこで意思疎通と伝達を試みるほんの一瞬のエアポケットのような瞬間こそが穴になる。そこで「指示待ち」になってしまうような状況は避けたかった。だからこそ常に個々が機転を効かせる必要があったし、それをナチュラルに遂行する為のアプローチが森保監督が最も気を揉んだ部分なのだろう。

 

 

このツイートで語られた森保監督のコメントを見る限り、勿論それ自体に賛否はあっていいと思うが、森保監督が何かを犠牲にしてでもそういうアプローチをしようと試みていた事が窺える。そして、前編で書いたブラジル戦でのサンプル集めしかり、今振り返れば直前のカナダ戦を含め、親善試合を練習試合として使う意識が森保監督はものすごく高かったように感じる。それは戦術性以上に、個々に対して自発的な柔軟性を求め、個々がそれを備える事がベスト8の為に最も必要で、そして最も欠けている部分と捉えていたのは、過去の様々なインタビュー記事を見ても明白である。スペイン戦では守田が谷口に対して守備のやり方を変える事を求め、そしてそれが上手くハマった(参照記事)。もちろん守田の機転とそれに対応できる谷口のスキルがあってこその話ではあるが、あの場面は森保監督がまさしく4年間求め続けてきた事が目に見えた形になった瞬間だったと言える。

そしてそのやり方をするにもチームとしてのベクトルが定まっている必要がある。それは戦術云々ではなくてゲームプランの問題なのだが、森保監督はそこはチームに対してハッキリとしたプランを提示出来ていた事は試合の展開が証明している。同時に、ドイツ戦前のロッカールームでは吉田が円陣で「点を取っても、点を取られても、誰か怪我をしても、集まれる時は集まってしっかり話し合おう」と号令をかけていた(TeamCamより)。実際にドイツ戦では先制を許した後に選手が集まって小会議をしている場面が見られたが、あの場では森保監督が提示した「前半は0-1でも良い」という確固たるゲームプランを再確認するだけで十分だったし、あそこでそれを再確認出来た事の意味は、簡単な事のようで馬鹿にできない事なのだ。

 

もう一つは、現実問題と照らし合わした時に結局これが最も合理的なやり方だったのかもしれない、という部分である。

ロシアW杯以前から既にそうなりつつはあったが、個人的な感覚として、ロシアW杯からカタールW杯までの4年半の間にサッカーの複雑化はグッと加速したような気がする。プレミアリーグなんかを見ると顕著だが、その戦術をどこまで突き詰めたものに出来るかは勝敗に大きな影響を与えるようになった。それがよく聞く「再現性」という言葉であり、同じ事を偶発的ではなく再現できるだけの必然性、いわば「10試合戦って9回勝てるチーム」を作る為の戦術論が求められるようになった。その中で叫ばれ始めたのが「代表チームのクラブチーム化」であり、その典型例がドイツでありスペインだった。森保ジャパンを「戦術がない」「再現性がない」という角度から批判していた人達の多くは、恐らくはその大部分が日本代表に対して再現性のあるロジカルなチーム造りを求めていたはずで、その志向を根底に置いた時、その批判と要求は実際に正当な批判であり、理には適っている。

 

一方で、じゃあ現実的に今の日本代表でそれが可能なのか?というと、これがかなり厳しい。少なくともクラブチーム的な戦術の浸透はほぼ不可能と言っていいだろう。

この話は次回に詳しく書こうと思うが、ブラジルW杯以降、W杯メンバーに一つの所属チームから日本代表選手を3人送り出しているチームが一つもないという事実が物語る通り、日本代表はどうしても「バラバラに集まり、バラバラに解散する」という事を繰り返さざるを得ない。クラブチーム的な戦術を落とし込むには明らかに時間が足りないし、代表活動毎に期間も空いてしまう。例えば2021年の最終予選初戦のオマーン戦に向けて、日本代表が全員でトレーニング出来たのは試合前日の1日しかなかった。となれば、森保監督としては前編で書いたようになるべく多くのサンプルを集める事、そしてその一つ一つの完成度は決して高くなかったとしても一枚でも多くの手札を手元に置く事が重要で、戦術を突き詰めるよりも余白を残しておく事でチームに幅という武器を備えさせようと考えると合点がいく。

 

 

 

そして何より、森保監督は自分の強みと弱みを誰よりも理解しており、そしてそれを踏まえたアプローチを強く心掛けていたんじゃないかと想像する。例えば森保監督は、これまでの外国人監督が日本にそうしてきたような「サッカーを教える」という部分に長けた監督では無いのかもしれないが、冷静に考えれば今はそういう知見は個々の選手が欧州に旅立ち、そして勝手に持ち帰ってきてくれる。後述するチーム構築のやり方を踏まえれば、森保監督にとってこれほどありがたい状況は無かっただろう。スペイン戦の前に鎌田がフランクフルト式の戦術を提案した…という記事があったが、あれは別に"鎌田監督"と揶揄されるような話ではなく、むしろ森保監督のマネジメントのやり方であり、本人はこの現象に4年間のアプローチの成功すら感じていたように思う。彼は戦術家やコーチというよりはオーガナイザーであり、文字通りのマネージャー的な監督だった。

いわゆる川崎フロンターレユニットも含め、それぞれに知見やアイデアを持ち寄らせて、それを一旦回収する。色々な取材記事を読んでいると、森保監督は欧州組の選手達に「○○監督はどんな練習メニューを組んでるの?」「○○監督はどんな戦術アプローチをしてるの?」みたいな会話を日常的に行なっていると聞く。戦術に対して一家言を持っている事が優秀な戦術家ならば、情報収集を自ら積極的に出来てしまう能力は優秀なマネージャーの必須スキルと言えるだろう。そして集まった知見を共有し、ぶつけてミックスして、最後は一つにまとめ上げる。そのやりとりをスムーズにする為の個々へのアプローチは4年間ずっとしてきた。そしてここからは森保監督の得意とする事で、それを上手く一つのゲームプランに組み込んでいく。正直、こうやって書いていると……森保監督の日本代表に対するアプローチは、戦術論のようなサッカー的な学問というよりも、国民性とか社会学とかそういう方面を念頭に置いたアプローチだったんじゃないかと思うようになってきた。全員が同じベクトルを向き、俗に言う"合議制"なるものが成立した時……そこから物事を一気にまとめ上げる事は、なぜか日本人は昔から異様に得意としている。もっと言えば…一見サッカーと関係のない馬鹿みたいな事を言っているように聞こえるだろうが、そもそも日本人は持ち寄った知見をぶつけてミックスして仕上げる作業を繰り返しながら、カレーやら餃子やらカツレツやらを魔改造して独自進化させてきた民族である。そういうサッカーという競技の域を超えた視点から国民性の短所を矯正する事で強みを補強しようとしていたのだとすれば、森保ジャパンのアプローチはサッカー的な捉え方で咀嚼する事自体がそもそも間違った見方なのかもしれない。

実際、4年というプロセスの中でどこまでが森保監督の計画通りだったのかはわからない。正直、偶然で上手く転んだこともあるだろうし、少なからず偶発的…結果オーライだった部分もあると思う。ただ現実問題として、欧州列国と違うのは言わずもがな、サウジアラビアカタールのようなクラブチーム化も出来ない今の日本代表のチーム造りは、スケジュールや移動面を踏まえて世界各国の中でもトップクラスに難しい。そしてそれならば、戦術的なアプローチよりも社会学的なアプローチの方が合理的だとする考え方は一理あるのかもしれない。釣りの技術や船の機能を高めて常に魚を釣り続けるのではなく、地引網で最後に一気に魚を乱獲していったようなものだ。これがもし計画通りなのだとすれば……森保一は戦略家として異能だと言う他ない。

 

 

 

そして森保監督が取り込もうとしたのはチーム内の知見だけではなく、サッカーのルールそのものや他競技のノウハウすら構成要素にしようとしていた。

スペイン戦の後、取材の場で森保監督はこう語っていたという。

 

「交代枠が5人になって、サッカーの試合の組み立て自体が変わってきているのかなと思います。先発の選手がいい形で後半につなぎ、途中交代の選手がまたいい仕事をする。チームとして機能して勝負する。交代の枠の中で何ができるかという現代の試合の形かなと思ってます」

(中略)

囲み取材の最後に「スペイン人のブルーノ・ガルシアがフットサル日本代表監督を務めているとき、コーチとともに研修を受けたがどんな影響を受けましたか?」と訊かれると、森保監督はこう答えた。

「戦い方のパターンを持っておきつつ、そのうえで選手を型にはめなければ、パターンがたくさんあることが判断につながる。相手が自分たちが採用したパターンを止めてきたときに、判断して他のパターンに変えればいい。フットサルから判断のベースと柔軟性いうところはすごく学ばせてもらいました」

筆者が日本サッカー協会の未来フィールドを訪れたとき、フットサルテクニカルダイレクターの小西鉄平から「森保監督からよくフットサルのことを訊かれるんですよ」と聞いたことがあった。

フリックもエンリケも対応出来なかった森保カメレオン戦術、そのヒントは別競技にあり?-木崎伸也のシュヴァルべを探せ 第9回-

 

つまりどういうことかと言えば「ドイツ戦スペイン戦みたいな感じ」とさえ言えば後は多くを語る必要なんてないだろう。森保監督が敢行した、試合をストーリーとして組み込んだ采配の妙はドイツ戦スペイン戦の試合考察ブログの方で書いたのでここでは割愛するが、特に「戦い方のパターンを持っておきつつ、そのうえで選手を型にはめなければ、パターンがたくさんあることが判断につながる。相手が自分たちが採用したパターンを止めてきたときに、判断して他のパターンに変えればいい」という部分は前編で書いたサンプルを集めるという作業にも、このページでここまでに書いたことの全てともリンクしてくる。すると、ここまでに一つの手札を磨くより、不完全だとしても一枚でも多くの手札をデッキに加えようとした事の意味が出てくる。9月の欧州遠征で対ドイツ戦用として組み始めたハイプレスシステムもそう、アジア最終予選で結果をもたらした4-1-2-3もそう、南野-鎌田-伊東の2列目でインテンシティーを押し出した2021年の形や、堂安と久保を中心にした東京五輪の時のポゼッションスタイル、五輪代表を中心に試していた3バックだってそう……全てが計算通りだったとは思わないが、結果として森保監督は自分が目指した方向性を実現する為の素材が彼の周りに集まってきていたのだ。

そして、いくら森保監督がそれをゲームプランに落としていたとしても、全てをぶっつけ本番でやる事は出来ない。例えば3バックは「ぶっつけ本番」とも取れるようなコメントは残していながらもガーナ戦カナダ戦で少しの時間でも試していたので"初めて"では無かった。0を8〜9にする時間的余裕は日本にはないし、森保監督がそれを出来るタイプの監督か?と問われればそれも違うと思う。であれば、最低でも5は保証してくれる手札を多く集めておく……後はそれを運用する手腕で全てのことを成立させていく。6月のブラジル戦で強敵相手でもある程度耐え抜ける守備の耐性というサンプルを得ていた日本にとって、弓を引いた中で試合を進めていきながら、後は森保監督が「自分が矢を放つタイミングを決める」というだけで良かった。そして森保監督は、それを成立させるだけの勝負師としての度胸と胆力を持ち合わせていた。そういう意味では、徹底的に磨き上げた一つの手札を90分間ずっと貫くドイツとスペインが相手だったのは、日本にとっては実は幸運だったのかもしれない(逆説的に言えばドイツとスペインに勝ってコスタリカに負けた理由も、その観点で見れば自然だとも考えられる)。ドイツとスペインと同組になった時点で森保監督も完全に腹を括ったのだろう。これまでも森保監督のアプローチは普通の考え方とは違う角度のアプローチだったが、ドイツとスペインを出し抜く為には、少なくともサッカーという競技のノーマルの範疇に正解は無い。

 

全体的に擁護というか肯定路線のブログにはなっているが、100%肯定するつもりはないし、100%良かったとも思わない。例えばコスタリカ戦クロアチア戦の結果には日本が8〜9のが手札を磨けていなかった部分が影響している。それは現実として目を背ける訳にはいかない。ただ、日本がもし「守って守ってカウンター」しか選択肢を持ち合わせていないチームだったのだとしたら、少なくともクロアチア戦は前半のような展開にはなっていないだろう。

次回で語るが、これは森保監督続投の是非とは別問題であって、後任に関しては続投ありきでも、或いは退任ありきも考えるべきではないと思っている。そしてどれだけ美辞麗句を並べたところで、もしドイツ戦の前半終了間際…"アレ"がオフサイドじゃなければ、今ここまで書いていることの全ては戦術性を持ち合わせなかった監督の言い訳にすらならなかったのだろう。結局のところ、監督が最後にしなければならない仕事は「決断」だ。それはどんな監督でも同じである。決勝戦に於けるデシャン監督の采配でも同じことが言えるが、今回の森保監督のように王道とは異なるやり方に踏み切ることも、そして一つの戦術を突き詰めることに賭ける事もどちらもギャンブルなのだ。現状維持以外の全てがそうなのだ。監督にとって大事なのはギャンブルを出来る胆力があるかどうかで、少なくとも森保監督はそこの才覚は存分に持ち合わせていたし、ギャンブルに踏み切る決断をしてみせた森保一の勝利だった。どれだけ結果論だと言われようとも、そもそもそれが勝利であれ敗北であれ、戦った者にしか結果は与えられないのだから。

 

 

 

ベルギーとの試合からクロアチア戦まで1617日……それは日本にとって、あの日足りなかったものを探す為の旅だった。そういう意味で、継続強化をしていないように映りがちだったこのチームは、どの時代よりもこの国の代表チームの文脈を強く意識していたし、その答えを探す作業はサッカーに留まらなかった。今回の日本は目標は達成できなかったが、意味はベスト8に匹敵するものがあったように思う。

 

 

 

次回、【④日本の進むべき道は…カタールW杯が示したクラブチーム化への疑問と囚われの再現性につづく。

 

 

2回の予定が3回になりました。

ではでは。