「勝つって難しいね」
「間違いないっす」
第2節浦和レッズ戦、終盤の福田湧矢のゴールにより片野坂ガンバとしての初勝利を飾ったその試合の後、DAZNの中継に拾われていた片野坂監督と三浦弦太の会話のやりとりを今でも覚えている。だが、この会話をふと思い出したのはこの光景から数ヶ月が経過してからだった。そしてその時、この言葉の意味は突き付けてくるような重い鋭さを持ち合わせていた。
あくまでこの会話のやり取りは勝利の喜びと心地よい疲労感が言葉になって表れたものであって、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、時が過ぎてからこの会話が急にフラッシュバックしてきた時、この会話はまるでこのクラブの未来の暗示だったかのようにも思えてきた。確かに、最初の3試合までは概ねこのチームの想定していた航路に沿って船は進んでいたはずだ。だがそれ以降、監督も、選手も、フロントも、ファンもサポーターも……全員が少しずつ「思っていたのと違う」と感じ始めていき、それはスコアに、そして順位表によって可視化されていく。ガンバの2022年はずっとその繰り返しだった。
ハッピーエンドと言えばハッピーエンドではあった。だが、終わりよければ全て良しなんて言えるようなシーズンでもなかった。少なくともファンやサポーターの心の中に落ちた暗い影は昨年の比じゃなかったように思う。結末こそ違ったが、少なくとも私個人で言えば…心の苦しさだけで言えば2012年よりも苦しかった。ずっと思っていた……ほんの少し、ほんの一部だけでも違う過去があれば、11月5日に見る未来は少し違ったものだったんじゃないか……そんな未練も拭えない一方で、なるべくしてなった15位だという感覚も残り、ラスト5試合のドラマ性の割には実に消化の悪い年越しを迎えようとしている。年々内容が重くなるロッカールームDVDの再生ボタンを、今年はどんな気持ちで押せば良いのだろうか。大いなる希望は強い想いとなり、強い想いは現実を迫られ、その葛藤はズレを生み、歪みに変わった。
それでも、それが無理矢理覆い隠したものに過ぎなかったとしてもどうにかその歪に蓋をして、なんとかこのチームは来年もJ1である事を赦された。あの結末と宇佐美貴史が織りなしたドラマ性を見て、このクラブにはまだ生き返るだけの神通力が残っていたんだと率直に思った。そもそもこういう状況に陥ってしまったという現実は常に隣に存在しているし、それを切り離して考えることは出来ない。それでも最後の数ヶ月に見たその不屈の姿は、シンプルにこのクラブを愛する者として素直に誇らしかったし、純粋に感動の感情も覚えさせられた。
だが、この神通力は消耗品であり、消費物である。この神通力はいつか使い切ってしまう瞬間がくる。少なくとも2022年はまだ、このクラブが培ってきたその財産が残っていたのだろう。だがそれが2023年にも残っているのかはわからない。消耗品をすり減らしてでも守り抜いたJ1だからこそ、今一度再びサイクルを回すことの意味をこのクラブは考えていかなければならない。
今回からは、ガンバ大阪の2022年シーズンを振り返るブログを連載で書いていこうと思う。
【砂浜のキャンバス〜ガンバ大阪 2022シーズン振り返りブログ〜】
第1話 約束の時間
オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
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2021年12月19日、それはガンバ大阪がクラブ史上最も過酷なシーズンを終えた2週間後だった。
天皇杯決勝、浦和レッズvs大分トリニータ──惜しくも準優勝に終わった大分のベンチの前、退任が決まっていた監督が決勝の激闘と、その監督の下で過ごした6年間の物語を終えた選手達に熱い言葉で語りかける姿は、大分のファンのみならず多くのJリーグファンの胸を熱くした事だろう。来年はJ2に降格する事が決まっていたとはいえ、誰もがこの人物なしでは大分のサクセスストーリーは描けなかった事を理解していた。間違いなく彼は、この数年でトップクラスに高評価を受けた日本人監督の一人であった。敗れこそしたが、その物語の終着点として、あの光景は実に美しかった。
その光景を、大分のファンとも多くのJリーグファンとも違った感情で見ていたのがガンバファンである。その理由は他でもない。その輪の中心にいた、その輪の中心でこのエモーショナルな空間の全てを創り出していた人物こそが、愛するチームの次なる監督だったからだ。この時点で発表こそされていなかったが、この男が2022年のガンバ大阪の監督に就任する事は既成事実だった。英雄との別れを惜しむ大分ファンが見たその光景は、ガンバファンにとってはこれから始まる未来への希望でしかなかった。
片野坂 知宏氏 監督就任のお知らせ───某クラブの恒例ツイートじゃないが、まさしくそれは約束の時間だった。
約束の時間であり、話題の指揮官を引き抜く形になった訳で、ガンバ大阪が2022年の注目チームとして一気にスポットライトを浴びた瞬間でもあった。
強調しておきたいのは、ガンバの片野坂監督招聘は何も、近年目覚ましい活躍を見せている監督を引き抜いてきたというだけの話ではない…という部分だ。
キャリア終盤の僅かな期間を選手としてガンバで過ごした片野坂監督は引退後に大分のスカウトや下部組織のコーチを経て、2007年から2009年、そして2014年と2015年の2回・計5シーズンに渡ってガンバのコーチを務めている。2007〜2009年はサテライトを中心に担当しており、そこで若手時代の倉田秋や宇佐美貴史を指導していた。そして2014年に復帰した際は長谷川健太監督をヘッドコーチとして支え、間違いなく2014年の三冠達成の立役者だった。そして。ガンバとしては2016年も長谷川-片野坂体制で行くつもりだっただろうが、そこに大分の監督オファーが舞い込んでくる。最終的に片野坂監督が選んだのは大分の監督に就任する事だったが、ガンバとしてはおそらく、ある意味でレンタル移籍に近いような感覚だった気がする。ヘッドコーチとしての片野坂知宏を諦める代わりに、いつか監督・片野坂知宏として成長して帰ってきてほしい…と。
2020年前後のガンバにとって、第一目標は宮本恒靖の下で長期政権を作る事だったと思う。宮本恒靖はこのクラブにとって象徴的な人物だった訳で、そういう人物が監督としてクラブが長期政権を築いていく事は、クラブの形式として最も美しいのは間違いない。ただ、その理想像は2021年5月にあえなく頓挫してしまう。その時にガンバがずっと第二目標として持っていたのが片野坂ガンバだったのだろう。そして、宮本ガンバが崩壊した2021年を最後に片野坂監督も大分を去った。要は片野坂ガンバの構想自体は大分での活躍を見て思い浮かんだアイデアではなく、片野坂"監督"の背中を大分へ押した2016年からガンバにはあったという事になる。ましてやJの中でもOBを重宝する傾向の強いガンバにとって、片野坂知宏は「西野ガンバにも長谷川ガンバにも仕えた男」であり「西野ガンバのDNAも長谷川ガンバのDNAも持ち合わせた男」なのだ。そんな男が、ミハイロ・ペドロヴィッチや森保一の薫陶も受けて一家言を築き、今や名将と謳われている。監督候補に入れたくない訳がない。でもある意味では、ガンバ大阪の監督に就任する前の段階から長期計画は始まっていたという見方も出来るのだ。その背景を思えば片野坂監督の就任リリースはまさに"約束の時間"だった。
宇佐美や三浦の流出危機にも苛まれたが、最終的には移籍動向はポジションを含めて基本的にはプラスマイナス0くらいに落ち着いたように思う。宇佐美もなんとか残留してくれる事になった。新しいエンブレムと新しいブランド戦略の下で始まる新たなシーズンを前に、この時点では「今年は我慢の年になるだろう」という予測をポジティブな感覚で捉えることが出来ていた。必ずしも成績的に良い年になるとは思っていなかったが、底は2021年だと思っていた。それが少なくとも、自分の中では偽らざる感情だった。
新型コロナウィルス感染者が複数出たことでプレシーズンマッチの京都戦が中止になり、守護神・東口順昭の負傷というアクシデントもあったが、それでもキャンプでは一定の成果を持ってシーズンに入ることが出来ていたと思う。開幕戦であり、待ちに待った片野坂ガンバの初陣から、それは随所に表現されていた。
発展途上のポゼッションスタイルは、激しいプレッシングからシンプルに鈴木優磨や上田綺世にカウンターを当てる鹿島のやり方とは絶望的に相性が悪く、ましてや38分にパトリックが疑問の残る判定で退場を余儀なくされて数的不利になった事で若干試合が壊れた形になってしまい、後半はGK石川慧のおかげで3失点で済んだみたいな展開になってしまった。
だが一方で、この試合が終わった後のファンの反応は総じてポジティブだったように思う。すぐに結果がついてくるとは誰も思っていなかったし、その前提の上で38分以降については致し方ない部分があった。それを踏まえると、その中でガンバが見せたサッカーは少なくとも昨季何度も繰り返した刹那的な光景とはまるで異なるものであり、常に明確な意図と主体性を持ったプレーをこの日のガンバはしていたし、そのコンセプトに沿った内容のサッカーは少なくとも11対11の時点では十分に発揮出来ていたのだ。そのコンセプトでプレーし続けようというスタンス自体は数的不利になって以降も維持し続けていた。そこの細かいところは後日更新する第2話か片野坂監督解任時のブログに書いたのでここでは割愛するが、全ての結末を見た今でも、開幕戦の後に抱いたポジティブな感覚の全てが間違いだったとは別に思ってはいない。
公式戦である以上、当然ながら一番に求められるのは勝利である。だかそれを大前提とした上で、開幕戦に関しては少し違う側面もある。特にガンバのように新監督を迎えて新たなスタイルを築こうとしているチームにとっての開幕戦は、新チームでのスタイルやコンセプトをチームとして共有出来ている事、チームとしての輪郭を描けている事をピッチ内である程度表現できているかどうかはポイントになってくる。それは開幕戦を見る上での重要なファクターになるし、それが出来ていれば開幕戦は少なくとも失敗ではないと言ってもいい。その点では、粗削り感と発展途上感を露呈してはいながらも、鹿島戦のガンバは開幕戦をポジティブに捉える為の条件はある程度満たしていはいた。その開幕戦の条件なるものは満たしていたので、少なくとも私自身は期待感をこの90分に抱く事が出来ていた。
第2節浦和戦……内容的には浦和にボールを持たれる時間が長く、試合内容に限れば鹿島戦や同じく敗れたルヴァン杯C大阪戦の後半よりも苦しい部分があった。それでも前半の不具合を後半に何とか修正し、片野坂ガンバの初勝利を引き寄せた福田のゴールに至るまでの過程は、カタノサッカーの代名詞とも言える擬似カウンターを彷彿とさせるものだった。
話は冒頭に戻る。勝利とは確かに難しい。なぜなら全員が勝つ事は出来ないからだ。だからこそ、その一勝の喜びはいつ何時も何よりも尊い。鹿島戦、ルヴァン杯C大阪戦、そして浦和戦……1勝2敗とその響きは良いとは言えない。だがこの3試合で表現された様々なキャラクターは、今年は去年と違う年になる……その期待感に、一抹の不安に強張った頬は少し緩む。現地に行った訳でもないくせに、埼玉スタジアムの寒空にいつにない暖かさを感じた。
期待感……思えばガンバはこの数年間、その言葉の幻影をずっと追い続けていたような気がする。
若手の躍動と共にスタイルが組み上がり始めたような気がした2019年、ハイプレスと想像以上に揃ったスカッドに心躍らせた2020年、その当初の設計図とは形を変えながらも2位で終えた前年から、4-1-2-3への布陣変更に可能性とロマンを抱いた2021年…………。路線変更と引き換えに結果は手にした2020年はともかく、希望、夢、ロマン……それらはいつしか、順位よりも遥か遠くの夢へと消えていくようだった。ラブソングで使い古された表現をサッカーについて語るブログで使うのもなんとなく気持ちが悪い話だが、まるでここ数年間のガンバ大阪は砂浜に書いた美しい絵の顛末を何度も眺めているような気分だった。途中退団ラッシュにコロナ禍やクラスターといった突然の波を前に、砂浜というキャンバスはいつも脆かった。
そして2022年……ガンバは砂浜に書いた絵が波に消されようとも、その度にその絵を書き直し続けていた。だが次第にその絵は形だけを残し、形ごと海の底へ引き摺られていくような日々を過ごす事になる。
2022年3月6日、第3節川崎戦───この日吹いた逆風は、運命の風向きを捻じ曲げた。もちろん、この日の出来事に全ての要因を委ねようとは思っていない。このクラブが抱える根本的な問題だって当然にある。一つの悲劇にその全てを背負わせる事はナンセンスだ。だがそれでも、この日のあの一瞬に、どこかまだ未練を感じている自分がいる。もしボールの軌道が、脚の置き場が、その立ち位置があと0.1ミリでもズレていたら、そこには違う未来があったんじゃないか……そしてこのクラブの象徴は何度も象徴たる能力に似合わない辛酸を嘗めればいいのか、このクラブは何度この3月第1週に悪夢を見なければならないのか……。
思えば去年もそうだった。膨らんだ期待感と高揚感は3月初週に暗転し、そして暗夜行路の始まりを告げるのだった。
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