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文脈の先へ〜日本代表・森保ジャパンのカタールW杯振り返りブログ〜【後編・動くという変化と動かないという変化】

 

 

 

12月28日、森保一氏の日本代表監督続投決定という速報が入ってきた。

 

会見のニュース

 

多分、このブログを更新している時にはおそらく会見は終わっているだろう(なんなら、バタバタの合間に書いてるので28日には絶対間に合わん。目標は年内)。

という訳で、年明け頃に出そうと思っていた後編の話、これからの日本代表をどう考えるべきかという話を今、慌てて書いている(そもそも年明けに出そうとしてた時点で遅い)。

 

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過去、日本代表はW杯を機に毎回監督を交代してきた。Jリーグ開幕以降、4年間フルで指揮を務めた監督もフィリップ・トルシエジーコアルベルト・ザッケローニの3人のみである日本にとって、W杯が終わってから続投した監督…いわゆる"5年目"を迎えた監督は、森保一が史上初という事になる。

ベスト8に行く為には何かを変えないといけないのだとしたら、ある意味で一人の監督がW杯後の指揮を執る事は"変わらないという最大の変化"でもある。これは保守的でもあり、チャレンジングでもある選択だと思っている。これからどのような軌跡を辿って2026年に辿り着くのかはわからないが、純粋に一ファンとして日本代表を、そして森保監督を応援していきたい。その上で今回は、日本が次の2026年に向けて新体制をどう考えていくべきか、どう積み上げていくべきかを考えていきたい。

最初に書こうと思っていた内容からは多少の変化はあるが、元々森保監督の続投に関しては反対ではない立場だったので、そこまで大きく内容が変わる事もないと思う。

 

 

 

ちなみに……私は先日、今大会で一部欧州勢が期待外れの結果に終わった要因とUEFAネーションズリーグの関連性を考える…みたいな内容のブログを書いた。

 

 

今から書く事は、おそらくそのブログと重複する箇所がいくつか出てくる。その部分については、上記のブログと併せて読んでもらえると幸いである。

 

 

 

ドイツ戦コスタリカ戦スペイン戦クロアチア戦の考察ブログ

 

 

 

カタールW杯観戦ガイド更新中!是非覗いてください!

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

自称・当ブログ的カタールW杯テーマソング

 

 

 

 

 

 

【文脈の先へ〜日本代表・森保ジャパンのカタールW杯振り返りブログ〜】

 

 

そもそも監督・森保一とは?(前編)

サンプル集めの4年間(前編)

文脈の醸成(中編)

④日本の進むべき道は…カタールW杯が示したクラブチーム化への疑問と囚われの再現性

 

 

 

上で書いたように、基本的に森保監督の続投に対しては、反対ではないが全面的に賛成する訳でもない…言い方を変えれば、どちらでもいいという言い方になるかもしれない。ただ厳密に言えば「続投でもいい」くらいの感覚が自分の中で一番しっくりくる。

いずれにせよ、個人的には退任ありき、或いは続投ありきでは考えて欲しくないと思っていたので、複数の報道でも出ていたように、反町康治技術委員長を中心に複数の選択肢を持ちながらの判断になった事は良かった。

 

 

 

以前のブログでも書いたように、基本的にカタールW杯に向けた森保監督のアプローチは合理的で正しかったと考えている。それは後任人事を語る上でもポイントになってくる。

森保監督を批判する人の多くは、おそらくは代表でも戦術性を構築してロジカルなチームに仕上げる事を求めているはずで、そこを要求のポイントにおけば、森保体制に不満を感じる事は理屈としては正しいと思う。結果的にカタールW杯は"代表チームのクラブチーム化"が世界で進みすぎた弊害のような結果に行き着き、森保監督と日本代表を含めてそれを逆手にとったようなチームが成功を果たしたのが今回のW杯だった訳だが、クラブチーム的なロジックを重ねたチームがレベルアップを遂げているのは事実といえば事実だ。

実際、ドイツとスペインに勝利した事は森保監督のアプローチとマネジメントの勝利である反面、コスタリカ戦の敗北はそれこそ、この4年半のウィークポイントが出てしまった試合だったとも言える。コスタリカを格下とはさすがに呼べないが、少なくとも戦力的には今は日本はコスタリカを上回っている。そういう相手に確実に勝つ為、戦術的なロジックを整えていく事は実際に大切であり、実際問題としてこの4年半を見る限りではそれを森保監督に求めるのは少し難しいところがある。

 

その点で新監督の招聘を求める声が多いのは確かにわかるし、私自身、全面的に賛成…と言いにくいのはその部分もある。何より、森保監督のカタールW杯に向けたやり方はチームビルディングの王道路線から見れば変化球的なやり方だった。それを踏まえれば、トータルで8年間変化球的なやり方を続ける事が正しいのかどうかを現段階でイエスと言い切る事は簡単ではない。

そこで外国人監督を筆頭に、そういう戦術を仕込む事が期待できる監督の招聘を切望する声が上がるのは不自然な現象ではない。

 

 

 

一方で、前々から日本代表が抱えていた問題であった事も確かだが、今回のW杯はチームビルディングの観点でクラブチームと代表チームでは性質が大きく異なる事を如実に突きつけてきた大会だったように思う。そして、極東に位置しながら欧州にほとんどの主力を送り出す立場の日本はより一層それが顕著なのだ。

来ては集まり解散し、来ては集まり解散し……を繰り返すのは代表チームの常ではあるが、欧州強豪国と日本代表に於けるその意味が同じではない事は今更説明するまでもないだろう。例えば、最終予選の初戦となったオマーン戦では、登録選手が全員揃って練習出来たのは前日練習の数時間程度しかなかった。日本代表は時間的余裕という意味では世界各国の中で最も無いと言っても過言ではないだろう。クラブチーム的な構築をする事は実際問題として困難なのだ。それを言い訳と批判する権利はあるのかもしれないが、どうしようもない部分も確かにある。

 

確かに日本代表はフィリップ・トルシエイビチャ・オシムアルベルト・ザッケローニが監督を務めていた時はクラブチーム的な戦術構築が出来ていた代表チームだった。だが、そのどの例と照らし合わせても現在の日本代表とは当てはまりにくいと思う。

例えばトルシエ時代やオシム時代のやり方で戦術醸成を目指す事は今の日本では不可能だろう。当時は海外組が殆どいなかった。その為、国内組だけの親善試合や強化合宿を頻繁に組む事が出来たし、それがそのままレギュラーの骨格になっていた。要はあの時期はクラブチームに近い運営が出来る状況にあったのだ。ザックジャパン以降から代表チームを見始めた人達にとっては「代表戦が毎月あった」と言ってもリアリティを抱きにくいのでは。確かに国内組に限った合宿や親善試合を増やす事自体は可能だと思う。だが結局、最終的なレギュラーの多くは海外組が占める事になる。正直、ここで代表のレギュラーもJリーグ組をメインに組み立てた方が強いと本気で思っている人はさすがにどうなんだと思う。今の時代、Jリーグでトップになる事はJリーグを去る事と同義になってしまう。そこでクラブチーム的な戦術構築に囚われて海外組を外す方向に舵を切る方はあまりにもリスキーだろう。トルシエオシムの時代の運営は今の日本代表の状況では不可能と言い切ってもいい。

 

一方、ザックジャパン時代のやり方はまだ現在でも実現可能性はあるかもしれない。2010年10月に発足したザックジャパンは、初陣となったアルゼンチン戦、2011年1月のアジアカップから全く変わらないメンバーで4年間を戦った。明確にレギュラーが入れ替わったポジションはワントップだけだったのだ。ザックジャパンがあれだけ組織性を担保出来たのは、ザッケローニが常にメンバーを固定していた事が最大の要因であり、その状況を作ればザックも自らの戦術を仕込む事が出来る(それでも選手サイドに譲歩した部分は少なからずあったそうだが)

だからこそ、どれだけJリーグで活躍した選手でもザックは基本的に招集してこなかったし、そこへの批判もかなり大きかった。だが、今の日本代表を取り巻く環境でクラブチーム的な戦術構築を目指すなら、ザックのように極端なまでのメンバー固定制を敷くしかない。そしてザックジャパンがブラジルW杯で陥ったように、それぞれの選手の状態がW杯のタイミングで崩れればそれでおじゃんである。

 

 

 

そしてスペインやドイツ、或いはカタールサウジアラビアのように、一つのチームをベースにする事も現実的に無理がある。最近の日本は守田英正、三笘薫、田中碧らの活躍で「川崎ユニット」と称される事が多い。もちろんそれをユニットとしてチームに組み込む事は大きなメリットをもたらす事が出来るが、一時期それに付随して叫ばれた「川崎をベースにする事」は困難だ。結局のところ、上で書いたようにJリーグのトップに登り詰めた選手は確実に海外に行く。その流れと世界地図上のヒエラルキーがある以上、どうしても日本代表はガラパゴス的な考え方でチームビルディングをやらざるを得ない状況にある。

その点を踏まえれば森保監督はそうならざるを得ない状況を上手く味方につけて、自分達の長所とすら取り込もうとしていたように感じる。まだ日本は外国の知見を学ぶ立場にあるが、結局これだけ選手が海外に出れば、各々の選手がその知見を自分達で持ち帰ってくる。そして森保監督は選手から積極的にその話を聞く事を躊躇わなかった。以前のブログでも書いたが、スペイン戦前の鎌田大地の提案云々の話は森保監督にとってはまさにやってきた事の結実と言えるエピソードだったのだろう。そう考えれば、日本が求める人材が戦術家よりもマネージャーだと考えた時に森保監督のマネジメントはやはり異能で、今大会を見ても「パーフェクトな手札を一枚持つより未完成でも五枚の手札を持つ事」はW杯というトーナメントを戦う上で重要なポイントになってくる。そう考えていけば、確かに森保監督の続投はベターなんじゃなかろうか、と思う。

「W杯優勝国の監督に外国人監督はいない」というジンクスがあるが、これは偶然ではないというか、何も単にW杯で優勝できる国には必然的に優秀な監督がいるから…というだけの理由ではないんだろうな、とは今回の森保ジャパンを見て強く感じた。大袈裟かもしれないが、戦術が複雑化してきた現代サッカーの中で、世界的にも森保ジャパンのやり方は「代表チーム」と「W杯の戦い方」に対する考え方に一石を投じるやり方だったと思うし、そのやり方をする上で自国監督はマストの条件でもあったのだろう。

 

 

 

もちろん、森保監督の全てを肯定するつもりはない。コスタリカ戦の敗因には突き詰めたものが無かったというところは無視して進む訳にはいかない。だからこそ、そこをテコ入れするコーチの人選は鍵にもなってくる。同じことが8年間続けられるかと言えばそうと断言はできない。森保監督自身もアップデートが必要になるだろうし、来たるアジアカップは5年目を迎えたからこそシビアに見られるべきだろう。長期政権は常にマンネリの可能性もある。それが戦術的なアプローチなのか新メンバーの抜擢や入れ替えかはわからないが、そういう刺激を絶やさずに注入していけないとチームは停滞に至る。森保監督がやるべき仕事はこれまでの4年をベースに置きながらも、それをそのまま繰り返す事ではない。

ただ、皮肉でもなんでもなく、素直に森保監督の続投は落ち着くべきところに落ち着いた…という印象だ。別に今回の日本代表が単に「引いて守ってカウンターしかできないチームだった」とは思っていないし、もしそうならクロアチア戦の前半のような展開はなかったはずだ。ベスト8に行く為には何かを変えなくてはならないのならば、一人の監督が5年目を迎える…W杯後に監督を替えなかった事が最大の変化である。保守的な選択に見えて、これは実に挑戦的ですらあると思うし、日本がいつか辿るべきフェーズと言うべきだろう。中編の際に書いたようなカタールW杯を目指す森保監督のアプローチは確かに画期的だったし、ある意味では想像もしていない角度だった。それと同時に、森保一という勝負師の胆力は国際大会でこそ活きてくると信じたい。個人的には全面的に賛成という訳ではなくとも反対でも無いし、最終的に続投の決断になったのならば肯定したい。そして……また何か、咀嚼すれば面白い味わいがある代表チームに期待したいと思っている。

「隣の芝生は青い」というようにどうしても悲観的な事が先に浮かんでしまいがちだが、なんだかんだ言っても日本代表というチームは7大会連続で出場したW杯の半分以上でベスト16に進んでいる。よくプロサッカーの概念ができて30年でここまで来た事を評価する声があるが、それ以上にこの30年で、それが緩やかだとしてもずっと右肩上がりの成長を遂げている事はもっと評価されるべきだと考えている。「奇跡の世代」みたいな勢いに後押しされて一大会の輝きを見せる国がその後でまた低迷する国が少なくない中で、日本はこの舞台でコンスタントな結果を出せているのだ。2大会連続のベスト16という結果は決して過小評価されるべきじゃない。方向性そのものは間違っていないと思う。スイスやメキシコと並んでいるとは思わないが、彼らと同じレールには乗れているんじゃないか。

そう、なんやかんやで日本代表というチームは7大会連続で出たW杯の半分以上でベスト16に進んでいるのだ。もちろん、それが全ての現実を肯定してくれる訳じゃないし、その認識のまま過ごす訳にはいかない。だが、この事実は偶然の一言で斬り捨てるべきでもない。総括は何も、ただ悪いところだけを洗い出すものではないのだ。だからこそ、ベスト8を目指す旅の選択肢の中から"変わらないという変化"を選んだチャレンジを、いちファンとして応援していきたい。

 

 

文脈の先へ〜日本代表・森保ジャパンのカタールW杯振り返りブログ〜、完。