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W杯後最初の試合から、何人が4年後のW杯メンバーにまで生き残ったかを調べてみた〜①1998→2002編 & 2002→2006編〜

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WBCのチケット全部取り逃がしてんだぞこのヤロー

 

どーもこんばんは

 

 

さてさて、ちょうどWBCが終わったタイミングになるんですかね。日本代表は3月24日にウルグアイ戦、3月28日にコロンビア戦と南米の強豪とキリンチャレンジカップ2023を戦います。

この試合は言うまでもなく、第2期森保ジャパン…森保ジャパンシーズン2の初陣となりますね。そして、ある意味でこれも4年に一度しか訪れない「W杯後最初の日本代表戦」となる訳です。

 

 

 

なんてったって、W杯後最初の試合は次のW杯への最初の試合。

という訳で今回は「W杯後最初の試合のメンバーの何人が次のW杯まで生き残っていたか」…を、フランスW杯後のエジプト戦からロシアW杯後のコスタリカ戦まで、全6試合分振り返っていきたいと思います。

 

 

 

①1998→2002,2002→2006

②2006→2010,2010→2014

③2014→2018,2018→2022

 

 

カタールW杯、森保ジャパンのチーム造りと全4試合の考察

 

カタールW杯が終わっても楽しめる、振り返り企画なども更新中のカタールW杯観戦ガイド〜日本代表編〜も是非ご覧くださいませ。

 

Jリーグをもっと楽しめる(かもしれない)【Jリーグ開幕ガイド2023】作りました!是非お使いくださいませ。

 

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【1998→2002】

フランスW杯後最初の試合

 

キリンチャレンジカップ1998

日本1-0エジプト

1998年10月28日@大阪長居スタジアム

日本得点者:中山雅史(28分)

 

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【招集メンバー】

GK1 川口能活(横浜マリノス)

DF2 中西永輔(ジェフユナイテッド千葉)

DF3 相馬直樹(鹿島アントラーズ)

DF4 井原正巳(横浜マリノス)

DF5 秋田豊(鹿島アントラーズ)

MF6 服部年宏(ジュビロ磐田)

MF7 伊東輝悦(清水エスパルス)

MF8 中田英寿(ペルージャ)

FW9 中山雅史(ジュビロ磐田)

MF10 名波浩(ジュビロ磐田)

FW11 城彰二(横浜マリノス)

FW12 呂比須ワグナー(ベルマーレ平塚)

MF13 望月重良(名古屋グランパス)

FW14 岡野雅行(浦和レッドダイヤモンズ)

MF15 森島寛晃(セレッソ大阪)

DF16 斉藤俊秀(清水エスパルス)

MF17 奥大介(ジュビロ磐田)

DF18 田中誠(ジュビロ磐田)

FW19 久保竜彦(サンフレッチェ広島)

GK20 岡中勇人(ガンバ大阪)

GK21 楢﨑正剛(横浜フリューゲルス)

MF22 平野考(名古屋グランパスエイト)

監督 フィリップ・トルシエ

 

 

 

【2002年日韓W杯出場者】

川口能活秋田豊服部年宏中田英寿中山雅史森島寛晃、楢﨑正剛

W杯後初戦メンバーのW杯選出人数→7名/22名

 

代表デビューとなった奥のフル出場など新戦力の抜擢も無くはなかったが、トルシエ監督の初陣はフランスW杯メンバーをほぼ踏襲する形となっている。この時はトルシエが五輪代表監督と兼任しており、開催国である為にW杯予選も免除されていた事から、1999年まではフランスW杯メンバーを中心としたA代表シドニー世代の五輪代表のメンバーを完全に分けるような形で構成されていた。現にフランスW杯メンバーに入った中田英寿小野伸二も五輪代表活動を優先しており、逆にこのエジプト戦で若手枠として出場した奥と久保は1976年生まれでギリギリシドニー世代に当てはまらない選手だった。

実際に1999年まではフランスW杯メンバーを中心に代表が編成されていたが、シドニー五輪世代をA代表に組み込むようになった2000年以降は世代交代が一気に加速し、最終的に日韓W杯メンバーは半数以上となる13名がシドニー世代となるなどフランスW杯メンバーの多くは2000年のタイミングでメンバーを離脱している。秋田と森島は未招集の時期も長かった事を踏まえると、4年間コンスタントに招集され続けていた選手は服部、伊東、中山くらいであった。

 

《補足資料》

(※印は選出はされながらも途中離脱となった選手)

【1999年コパ・アメリカ出場者】

川口、相馬、井原、秋田、服部、伊東、中山、名波、城、呂比須、望月、斉藤、奥、楢﨑→14名/22名

【2000年アジアカップ出場者】

川口、服部、名波、望月、森島、奥、久保→7名/22名

【2001年コンフェデ杯出場者】

川口、服部、伊東、中田、中山、森島、※奥、久保、楢﨑→9名/22名

【2000年シドニー五輪出場者】

中田、楢﨑→2名/22名(楢﨑はオーバーエイジ)

 

 

 

【2002→2006】

ドイツW杯後最初の試合

 

キリンチャレンジカップ2002

日本1-1ジャマイカ

2002年10月16日@国立競技場

日本得点者:小野伸二(7分)

ジャマイカ得点者:リカルド・フラー(80分)

 

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【招集メンバー】

GK1 楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)

DF2 秋田豊(鹿島アントラーズ)

DF3 松田直樹(横浜F・マリノス)

DF4 田中誠(ジュビロ磐田)

MF5 稲本潤一(フルハム)

DF6 服部年宏(ジュビロ磐田)

MF7 中田英寿(パルマ)

MF8 名波浩(ジュビロ磐田)

FW9 中山雅史(ジュビロ磐田)

MF10 中村俊輔(レッジーナ)

FW11 鈴木隆行(ゲンク)

DF12 山田暢久(浦和レッドダイヤモンズ)

FW13 柳沢敦(鹿島アントラーズ)

MF14 三都主アレサンドロ(清水エスパルス)

MF15 福西崇史(ジュビロ磐田)

MF16 中田浩二(鹿島アントラーズ)

DF17 小村徳男(ベガルタ仙台)

MF18 小野伸二(フェイエノールト)

FW20 高原直泰(ジュビロ磐田)

GK21 曽ヶ端準(鹿島アントラーズ)

DF22 名良橋晃(鹿島アントラーズ)

宮本恒靖(ガンバ大阪)

小笠原満男(鹿島アントラーズ)

監督 ジーコ

 

※備考

・宮本、小笠原は途中離脱。

 

 

 

【2006年ドイツW杯出場者】

楢﨑正剛、※田中誠稲本潤一中田英寿中村俊輔柳沢敦三都主アレサンドロ福西崇史中田浩二小野伸二高原直泰宮本恒靖小笠原満男

W杯後初戦メンバーのW杯選出人数→13名/23名

 

日韓W杯メンバーの多くが25歳以下だった事もあり、基本的には日韓W杯のメンバーをベースにドイツを目指す事はジーコが監督でなくとも既定路線だったはず。システムこそ"黄金の中盤"を看板とした4バックシステムに移行したが、メンバーは高原や中村を含めてトルシエ体制から常連だったメンバーが多く、実際に初陣となったジャマイカ戦に選ばれたメンバーの半数以上がそのままドイツW杯に出場している。

中盤のメンバーは初陣からほとんど変わることは無かった一方で、守備陣は中澤佑二の代表復帰や加地亮坪井慶介らの台頭で2003年に大幅なメンバー再編が行われており、初陣のメンバーに照らし合わせると宮本と田中以外ほぼ総替えになっている。FWもレギュラーは柳沢と高原が守り抜いたが、控えFWは玉田圭司大黒将志に入れ替わった。

 

《補足資料》

【2004年アジアカップ出場者】

楢﨑、松田、田中、中村、鈴木、三都主、福西、中田浩、宮本、小笠原→10名/23名

アジア最終予選(2005)ベンチ入り選手】

楢﨑、松田、田中、稲本、中田英、中村、鈴木、柳沢、三都主、福西、中田浩、小野、高原、宮本、小笠原→15名→23名

【2005年コンフェデ杯出場者】

楢﨑、田中、中村、鈴木、柳沢、三都主、福西、中田浩、宮本、小笠原→10名/23名

【2004年アテネ五輪出場者】

小野、曽ヶ端→2名/23名(2名ともオーバーエイジ)

 

 

 

次回、2006→2010編と2010→2014編

 

強化試合だけなら6年前は結構スッと取れたのよね…

ではでは(´∀`)