(「今は」とか禁句な!)
どーもこんばんは
さてさて、Jリーグが開幕した日は5月15日。しかし、オリジナル10の8クラブにとって、その記念日は15日ではなく16日でした。
ガンバ大阪、浦和レッズ……1993年5月16日、万博記念競技場から始まった物語も30回目のその日を迎えようとしています。同じ時代からJリーグに飛び込み、同じ時代に「弱小」「お荷物」と呼ばれ、同じ時代に一時代を築いた……今となってはガンバが低迷し、少し前にはレッズにも低迷期がありましたが、それでも両チームのサポーターはそういう歴史の積み重ねからこの試合を「ナショナルダービー」と呼び続けました。
東と西、赤と青……5月14日、Jリーグが【浦和レッズvsガンバ大阪】というカードを組んだことは決して偶然ではないのでしょう。という訳で今回は、そんな伝統のナショナルダービーに於けるガンバ視点でのベストバウトトップ10を独断と偏見で考えていきます!!
※ガンバファンの視点で書きますので、クソ偏ったランキングになります。なんならガンバが負けた試合は出てきません!ご了承あれ!
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第10位 メインキャストは突然に
2017明治安田生命J1リーグ第4節
ガンバ大阪1-1浦和レッズ
2017年3月19日17:03@市立吹田サッカースタジアム
浦和得点者:ラファエル・シルバ(90+3分)
上位はキープしながらも新スタ初年度もを無冠で終えたガンバと、そのガンバを決勝で倒してルヴァン杯を制しながら、2016年にそれ以上の未練を負う事になった浦和の一戦。前年は平日開催だったが、この日は日曜日開催となった為ナショナルダービーらしい盛り上がりの中でキックオフした。
開幕3試合で10得点を叩き出した浦和が攻め込む展開が続くが、開幕3試合を2勝1分で珍しく開幕ダッシュに成功していたガンバは後半の早い時間に鮮やかなカウンターから最後はオ・ジェソクのクロスに今野が合わせて先制。その後も攻め込む浦和に効率的なカウンターを仕掛けるガンバの間で白熱した熱戦が繰り広げられる。しかし元々負傷した東口順昭に代わって先発していた藤ヶ谷陽介も負傷退場となり、U-23チームのJ3を除けば公式戦初出場となる田尻健が急遽出場するというアクシデントが発生。その田尻は初出場の選手には強烈なプレッシャーが襲いかかるような雰囲気と試合展開の中で好プレーを連発した。それだけになんとか勝たせてあげたいところだったが…アディショナルタイム、宇賀神友弥のシュートに対する倉田秋のブロックがハンドと判定されてPK判定。田尻はラファエル・シルバのシュートコースは読み切りながらも「絶対に手の届かない場所」に蹴り込んだシルバが一枚上回り、土壇場でのドロー決着となった。試合後の田尻の涙や、田尻出場時の槙野智章とのやりとりや長谷川健太監督の父親のような表情を覚えている方は多いだろう。
これ以降のガンバは低迷に陥り、逆にガンバが上位に食い込んだ時は浦和が不振だった事もあって、ナショナルダービー然とした空気で戦えたのは現段階ではこの試合が最後だったかもしれない。
第9位 臥薪嘗胆ゴールショー
2007 Jリーグヤマザキナビスコカップ準々決勝第2戦
ガンバ大阪5-2浦和レッズ
2007年7月14日19:00@万博記念競技場
G大阪得点者:シジクレイ(9分)、山口智(31分)、播戸竜二(41分)、二川孝広(51分)、家長昭博(54分)
ガンバvs浦和といえばこの時点で名物カードと化しており、確か既に「ナショナルダービー」との通称も言われ出してきた頃だったように思う。ただ、その立ち位置が定着した2006年の対戦はガンバから見て1分3敗。ゼロックス杯に始まり、リーグ戦と天皇杯でも目の前でタイトルを掲げられる屈辱を見ただけに、2007〜2008年のガンバには「打倒浦和」なるテーマがあった。
同時期はアジアカップ2007が開催されていた影響で両者ともに怪我人を含めて主力を多く欠く苦しい台所事情ではあったが、第1戦では終了間際の山口のゴールで同点に持ち込んで(これもなかなかの名勝負だった)、万博での第2戦を迎える。20分までに2戦合計で全くイーブンとなる1-1になったが、前半のうちに山口と播戸のゴールで一気に突き放したガンバは後半開始早々にも2ゴールを追加して一気に5-1。その後1点は返されたが、これまで散々煮湯を飲まされてきた浦和を5得点で敗退させた勝利はガンバにとって特別な意味があった。
余談だが、遠藤保仁と橋本英郎の代表招集により出番を得た倉田秋はこの準々決勝第1戦がプロ初出場だった。また、播戸は遠藤、橋本、加地亮と共にアジアカップ2007のメンバーに選ばれた事でこの試合は欠場予定だったが、負傷離脱の後に驚異的な回復スピードを見せてこの試合に出場する事となった。
第8位 "すべてはここから"
ガンバ大阪1-0浦和レッズ
1993年5月16日19:04@万博記念競技場
全ての始まり。5月15日のヴェルディ川崎vs横浜マリノスの翌日に行われた4試合の中では一番最後、唯一のナイトゲームとして開催された。ガンバvs浦和というカードにサポーターが特別意識を持ったのは2000年代の栄華が理由としては最も大きいだろうが、そもそもの始まりもこのカードだったところは何かの縁か。ガンバは関西勢としては唯一だったという事も然り、釜本邦茂監督と森孝慈監督は早稲田大学の同級生かつメキシコシティー五輪で銅メダルを獲得したチームメイト同士の対戦だったという注目度もあった。
浦和は29分に攻撃の中心である柱谷幸一が負傷退場し、その直後のCK…ゴール前の混戦から逸れたところに放り込まれたリナルドのCKをミドルで叩き込んだのは和田昌裕。今で言うところのデザインプレーのようなゴールでガンバが先制する。その後は浦和が福田正博を中心に猛攻を仕掛ける一方的な展開になったが、ガンバのシュート4本に対して15本ものシュートを放った浦和の前に立ちはだかったのは本並健治だった。試合は1-0で終了。ガンバは「最初で最後の最初の試合」を見事に制し、浦和共々歴史の一歩を踏み出した。
第7位 なんで!!
2021明治安田生命J1リーグ第32節
浦和レッズ1-1ガンバ大阪
2021年10月16日15:03@埼玉スタジアム2002
浦和得点者:江坂任(90+1分)
G大阪得点者:パトリック(90+4分)
リカルド・ロドリゲス監督の下で新たに築いたサッカースタイルが形になり始めていた浦和と、おそらくクラブ史上最も過酷なシチュエーションを強いられる中で形なんて言ってられない状況に追い込まれたガンバ。前々節柏戦の勝利で少し勝点的に落ち着いたとはいえ、いつ何が起こってもおかしくない状況に変わりはなかった。
宇佐美貴史と白井陽斗の2トップでスタートしたように明確にカウンター狙いだったガンバは前半こそボールを握れる時間も少しあったが、後半は完全に浦和のワンサイドゲームのような展開となる。だがそこに立ちはだかったのは東口順昭だった。前半終了間際の江坂任のシュートを片手で弾くと、60分には汰木康也との1対1をシャットアウト。だが東口も人間である。耐えて耐えて耐え続けた東口も、アディショナルタイムのPKまでは止め切れなかった。土壇場で先制されたガンバだったが、残留への想い、或いは「今日の東口を負けたチームのキーパーにするわけにはいかない」とでも言うような気迫でガンバもPKを取り返し、90+4分にパトリックのPKで同点に持ち込む。
しかし最大の衝撃は更にその後だった。90+7分、小泉佳穂のミドルシュートをスーパーセーブした東口。しかし浦和の連続攻撃は止まらず西大伍がミドルシュートを放つ。これはガンバのDFがブロックしたが、それが結果的に東口の逆を突く形になってしまい、無人状態のゴールに田中達也は流し込むだけ…しかしそこにまたしても東口の手が伸びた。神の存在を見たガンバ、声を出せない埼スタに響き渡る酒井宏樹の咆哮…ガンバにとってこの試合が"良い試合"だったとは到底言えないが、それでもこの試合は強烈に込み上げてくるような情念があった。
第6位 伝説の始まり
2005 Jリーグディビジョン1第30節
ガンバ大阪2-1浦和レッズ
2005年11月12日16:03@万博記念競技場
G大阪得点者:フェルナンジーニョ(29分)、アラウージョ(83分)
浦和得点者:三都主アレサンドロ(85分)
最初にこのカードを「ナショナルダービー」と称したのは日本代表監督時代のイビチャ・オシムだったと言われているので、この試合の時点ではナショナルダービーとは呼ばれていない。ただ、ガンバ大阪vs浦和レッズというカードがナショナルダービー然とした意味合いを持ち始めたのはこの試合からだったように思う。
ラスト5試合となった2005年のJ1は夏過ぎには「ガンバの優勝でほぼ決まり」とする声もあったが、浦和とセレッソが猛追する中でガンバは第28〜29節で連敗を喫してしまい、首位ガンバから5位千葉までの勝点差が5点と優勝戦線は一気に大混戦に至った。そんな中で首位のガンバに対し、3連勝中の浦和は勝点4差で追う3位として万博に乗り込んだ。1週間前にはナビスコ杯決勝でも敗れていたガンバにとっては嫌なムードの中で直接対決だったが、29分にフェルナンジーニョが圧巻の個人技で先制点を奪う。後半は浦和に猛攻を喰らう時間が続いたが藤ヶ谷陽介の好セーブ連発もあって失点を防ぐと、83分にはアラウージョがハーフェーライン付近からドリブルで独走。最初のシュートはGK山岸範宏に止められたが、こぼれ球を自ら押し込んだ。得点後、ユニフォームに仕込んでいた「一番」のハチマキを巻くアラウージョのゴールパフォーマンスはガンバの歴史に残る名シーンの一つとして記憶されている。
終盤に1点を返されたものの浦和との6ポイントゲームを制したガンバ。ぶっちゃけこの勝利でもうさすがに優勝決まったと思った当時小2のワイ。まさかもうひと展開あるとは…。なんにせよ、1990年代はJリーグのお荷物とさえ呼ばれた両者のこの日の激戦はこのカードの価値を大きく高めた。
第5位 THE NATIONAL DERBY
2006 Jリーグディビジョン1第1節(開幕戦)
ガンバ大阪1-1浦和レッズ
2006年3月4日16:04@万博記念競技場
浦和得点者:ワシントン(2分)
前年はガンバが優勝して浦和が2位でリーグ戦を終え、その後の天皇杯では浦和が優勝。開幕前には両者とも大型補強を行い、お互いに実力も華も揃えたメンバーが控えにまで揃っていた。そんな両者の対戦は、2006年のJ1開幕戦が全試合3月5日の開催だった中で、この試合だけが3月4日だったところにも表れている。
直前に行われたゼロックス杯では浦和に完敗を喫したガンバだったが、この日はダイヤモンド型の4-4-2で試合に挑む。だが開始2分、山田暢久のクロスをワシントンが頭で合わせて浦和が先制。前半はどちらかと言えば浦和ペースの時間が続き、ガンバにとってはゼロックスに引き続き微妙な空気感が漂った。しかし後半はガンバも巻き返しに成功。この試合の注目ポイントとしては新加入で右SBに入った加地と浦和の左WBである三都主という当時の日本代表レギュラーサイドバックが対面で対峙するところも注目されていたが、62分に二川の浮き球のパスに上がってきた加地が胸トラップ一発で三都主を振り切って左脚を振り抜くビューティフルゴールを叩き込んで同点に追い付く。個人的にFC東京の時から大好きでガンバ来てくんねぇかなって思ってたから…。
その後の試合は一進一退の攻防を繰り広げた。2006年のナショナルダービーといえば浦和が優勝を決めた最終節が真っ先に想起されるが、試合として面白かったのは間違いなくこの開幕戦だろう。79分に浦和は鈴木啓太のミドルシュートがこぼれたところに長谷部誠が詰める決定機を迎えるもシュートは枠の上に逸れ、逆にガンバは80分に二川のパスからマグノ・アウベスがDFを剥がしてシュートを放ったがクロスバーに直撃。スコアは1-1のドローに終わったが、満員の観衆への訴求力は抜群の試合で、2005年に高まったこのカードの機運はこの試合で確信へと変わった。
第4位 蝶のように舞い、蜂のように刺す
2010 Jリーグディビジョン1第13節
ガンバ大阪3-2浦和レッズ
2010年7月18日18:05@万博記念競技場
G大阪得点者:宇佐美貴史(45+1分)、オウンゴール(64分)、遠藤保仁(90+4分)
浦和得点者:エジミウソン(13分,90+3分)
2010年のガンバは開幕5戦未勝利を喫するなど開幕ダッシュに失敗。同年は南アフリカW杯による中断期間前の時点で11位と沈んでおり、ACL参加に伴う未消化分の試合もドローに終わった事で、ガンバは二桁順位の状況で5位の浦和に挑む。それでもガンバは平井将生、宇佐美貴史、武井択也といった若手がレギュラー争いに組み込み、チームとしては新しいフェーズに進もうとしていた時だった。そしてこの試合、W杯で眩いばかりの輝きを放った遠藤保仁が帰ってくる。
先制を許したガンバだったが、前半終了間際に遠藤のパスを平井がスルーしたところに走り込んだ当時18歳の宇佐美が決め切ってガンバが追いついて前半を終える。更に後半にも遠藤のクロスが山田暢久のオウンゴールを誘って逆転。列島を熱狂に包んだW杯が終わり、多くのW杯戦士にとっての凱旋試合でもあった第13節だが、その中でも遠藤のプレーは神懸かり的でさえあった。だが逆転直後にガンバはルーカスが一発退場。浦和も90分に山田が退場した事で最終的には10対10となったが、長く数的不利が続いたガンバは後半ロスタイムにセットプレーからエジミウソンに決められて同点に追いつかれてしまう。
数的不利を被ってから、西野朗監督は武井拓也、高木和道の投入で逃げ切りを図っていた中での被弾だった。第12節までのガンバの戦績は3勝6分3敗。繰り返されるもどかしい流れ…「またしても勝ちきれなかったガンバ」みたいなフレーズをニュースサイトも準備し始めた刹那、遠藤からのパスを左で受けた武井の折り返しは、この日が磐田からの移籍後初出場となったイ・グノへ。イ・グノの絶妙な落としに走り込んだ遠藤のシュートはゴール左へ吸い込まれて……当時はよく「万博劇場」なんて呼ばれていたが、この日はまさしく「ヤット劇場」だった。
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ちなみにトップ3は全部埼スタ。
ではでは(´∀`)