RK-3はきだめスタジオブログ

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【京都サンガFC 30周年!】サンガに在籍したスーパーレジェンドでドリームチームを組んでみよう!〜MF編〜

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まさお、京都パープルサンガじゃないよ

 

どーもこんばんは

 

さてさて、5月15日、Jリーグは開幕31周年を迎えました!!

 

アニバーサリーイヤーは去年だったので、周年企画は昨年色々更新したものを1ページにまとめたので是非そちらを読んでくださいということで。

 

 

 

…で、去年はJリーグそのものが30周年でしたが……今年は何を隠そう、京都サンガFCが30周年でございます!!

思い返せば京都サンガといえば、過去の選手を掘り返せば…やたらと全盛期を終えたスーパースターを獲得してる、或いはサンガを巣立って全盛期を迎えた人が多かったりで、実はオールタイムベストを組んだらサンガ一番強いんじゃねというのはよく語られる話。そろそろ誰かここで全盛期を迎えてくれやという気持ちもありつつ…。

そこで今回はJリーグ記念日にも即した企画をという事で意外とやってそうでやってる人が少なかった事をやってみようという事で、京都サンガ歴代ベストイレブン…ではなく、サンガ在籍経験を持つ選手を知名度や実績だけでドリームチームを組んでみよう!…という所存でございます。

 

 

 

【サンガに在籍したスーパーレジェンドでドリームチームを組んでみよう!】

GK/DF編

MF編

FW/リザーブ編

 

 

京都サンガFC 30周年企画ブログのまとめページはこちら!随時色々と更新しております。

 

Jリーグをもっと楽しめる(かもしれない)、2024Jリーグ開幕ガイド作りました!是非お使いくださいませ。

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

MF ラモス瑠偉

在籍暦:1996年5月〜1997年8月

 

 

言わずと知れた1990年代前半の日本サッカーの象徴的選手。もはや日本代表やヴェルディでの活躍をここで並べる必要はないでしょう。そんなラモスが来日以降、ヴェルディ/読売クラブ以外で唯一プレーしたクラブがサンガでした。

ヴェルディでは当時のエメルソン・レオン監督との確執が生じた事から1996年シーズン開幕当初から移籍を模索し浦和入団を検討していたそうですが、当時の川淵三郎チェアマンから「関西のサッカーを盛り上げてくれ」とJ参入1年目のサンガへの移籍を薦められた事、当時のサンガは旧知のオスカー監督が率いていた事もあってサンガ入りを決断。開幕全敗という苦境に陥っていたサンガへの加入は大きな話題となり、入団会見には多くのメディアが詰めかけ、デビュー戦では普段の2倍の観客が西京極に詰めかけるなど、Jリーグ参入1年目のサンガにとってまさしく初めてのビッグウェーブだったと言えるでしょう。

結局は1997年夏にレオン監督ヴェルディを去った事もあって1年と少しでヴェルディに復帰したラモスでしたが(ちなみにこの年からラモスに誘われてサンガに来た武田修宏が取り残された)、クラブの黎明期に「京都パープルサンガ」という名前を広めてくれました。引退後はサンガについて言及は多くありませんでしたが、京セラ創業者にしてサンガの名誉会長を担っていた稲盛和夫氏がラモスを勧誘する際に吉野家の牛丼で接待を行ったというエピソードは稲盛氏の逸話として度々語られており、稲盛氏が2022年に亡くなられた際には同エピソードについてメディアで語る機会も見受けられました。

 

 

 

MF 森保一

在籍歴:1998年

 

 

現日本代表監督も実はサンガOBだったりするという。Jリーグが発足してからの日本代表監督って13人いるんですが、そのうち3人がサンガと何かしらの関連があるという。

現役時代はサンフレッチェ広島の絶対的な中盤の要かつ日本にボランチという言葉を広めるきっかけになった選手とも称される森保は別に広島で出れなくなったとかそういう訳ではなかったんですが、1990年代後半に広島が深刻な経営不振に陥って主力の大量放出を余儀なくされていた事、サンガが同年に森保の恩師であるハンス・オフトを就任させてオフトジャパンの面々を中心に大型補強を行った事もあってサンガに加入。当初は完全移籍の予定でしたが、広島サポの移籍反対署名運動の末にレンタルに変更されたという経緯も。

肝心のオフト監督はシーズン途中で辞任しましたが、1998年は1年を通して中盤の要として活躍し、横浜フリューゲルス消滅に伴う繰り上げとはいえJ参入決定権回避に大きく貢献。1年のみの在籍でしたが、同年のチームメイトだった本田将也氏からは「チームが崩壊した印象がないのは、ポイチさん(=森保)のおかげだった」との述懐も。

 

 

 

MF 遠藤保仁

在籍歴:1999〜2000年

 

 

ガンバの試合を見に行った後でご飯を食べに行ったら隣の席に女子2人組がいたんですよ。その会話が聞こえてきたんですわ。

「ヤットさんってずっとガンバ?」

「それが違うねん。最初は横浜フリューゲルスってところにおったんやけど、そのクラブが無くなってもうたから、それでガンバに来たんや。」

 

 

 

……抜けてる!!

一個抜けてる!!

せっかくフリューゲルスは拾えてるのに抜けてる!!

……という訳で、実はヤットさんはガンバの前はサンガにいた、むしろサンガでの活躍が認められる形でガンバに移籍したんですよね。フリューゲルスの消滅に伴い、フリューゲルスのフロントにいた木村文治氏がサンガに来た事から、フリューゲルスからサンガには若手を中心に合併先となるマリノス以上に選手が入団。そのうちの1人だった遠藤はサンガでの2シーズンは19〜20歳ながら出場停止や代表活動での欠場を除く全試合で先発。「黄金世代」「79年組」として知られる1999年ワールドユースやバックアップメンバーに選ばれていたシドニー五輪京都パープルサンガ所属で出場したので、サンガの降格のタイミングでガンバが期待の若手に目をつけた…と。ガンバ以降の事はこのブログで書き倒してますのでここでは割愛。

ちなみに遠藤は2001年から2020年10月までガンバにずっと所属していたので、メンバー表の「前所属チーム」の項に「京都パープルサンガ」が書かれていた最後の選手でもありました。

 

 

 

MF 松井大輔

在籍歴:2000年6月〜2004年9月

 

 

ここまでに挙げた選手達の多くは「全盛期を終えてサンガに来た選手」が殆どでしたが、若手時代にサンガに来た遠藤や高卒ルーキーとしてサンガに加入した松井はサンガから羽ばたいていった選手。特に松井はサンガから海外に直接移籍し、サンガの選手としての日本代表選出、サンガの選手としての五輪出場もあって、サンガが育てたレジェンドとして真っ先に語られる選手の一人ですね。

元々京都出身で小学校時代にはU-12の大会であるサンガカップの出場経験もありましたが、高校は鹿児島実業を経て京都凱旋のような形でサンガに入団。スーパーレジェンド三浦知良鹿実の先輩遠藤保仁、そして究極の同期パク・チソンといった面々の中で初年度から出場機会を経て、2001年のJ2降格と主力流失に伴い若手中心の編成になったところから一気にチームのエース格へ。三浦知良のようにサンガ所属で代表に選ばれる選手はちょこちょこいましたが、サンガが育てて日本代表まで行ったのは松井が初めてでした(パクチソンは大学時代に一度代表デビューしている)。パクチソン黒部光昭と織りなすトリデンテの破壊力、京都出身の若武者が繰り出すファンタジックなプレーの数々……サンガの時代に燦々と輝く10番ですね。

 

 

 

MF パク・チソン

在籍歴:2000〜2002年

 

 

もはや伝説ですよね。韓国に留まらず、アジア史上最高の選手の1人に数えられるべき存在である彼は京都サンガというクラブに於ける最高傑作とも言えよう選手でした。

韓国のクラブに在籍した経歴のないパクがサンガに入団した経緯は高校卒業後にプロ入りできずに大学に進学したところ、パクを早期にプロの舞台で成長させるべきと考えていた大学の監督が旧知の間柄だった当時の木村文治総監督に相談した結果、パクのKリーグ入りをすっ飛ばしてのサンガ入団が決まったとの事。同僚の松井とは親友とも呼べる間柄を築き、プロ一年目に在籍していた三浦知良からの影響も多大に受けながら着実に成長していき、2002年には現在でも唯一となるサンガ所属でのW杯出場どころか韓国代表としてベスト4まで進出したチームで主役クラスの活躍をしてきました。ちなみにサンガでは元々ボランチなどでプレーしていましたが、松井や黒部と構成したトリデンテに代表されるFWでの起用となったのは韓国代表で活躍するようになって以降の話。天皇杯優勝を手繰り寄せる決勝での同点ゴールを置き土産に海外移籍を果たし、PSVマンチェスター・ユナイテッドで大活躍したストーリーは周知の通り。松井やカズのみならず遠藤ともサンガ時代のチームメイトで、クラブW杯のガンバ大阪vsマンチェスター・ユナイテッドの試合後にはユニフォームを交換する一幕も。韓国代表としての最後の試合が奇遇にも通算100試合目、そして対戦相手が遠藤もいる縁深い日本代表だったのも不思議な巡り合わせですね。

引退後は韓国やイングランドで活動しつつも、引退直後の2014年には来日してサンガのOB戦に参加し、その場で引退セレモニーを実施。2023年にもサンガスタジアムが完成してから初来日してスタジアムで挨拶を行うと共にクラブハウスにも訪問。かつてのチームメイトだった現スタッフとの交流やユース選手達へのスピーチは日本語で行うなど未だに日本語ペラペラである事を見せていました。その模様は韓国のYouTube番組が密着して配信しており、当たり前のように100万再生を超えるなどその影響力は未だに抜群の様子。

 

 

 

FW編に続く

GK/DF編はこちら

 

 

この回のメンツ濃すぎるわ

ではでは(´∀`)