鶴心の移籍金はおいくらですか!!
どーもこんばんは
さてさて、やって参りました。
OSAKA DERBY WEEK
リーグ戦では未だ勝利していないヨドコウ桜スタジアムの地。ホームでの戦いは宇佐美貴史のバースデーゴールで勝利を収めて負の歴史に一つの区切りをつけた今、ガンバには遮るもののないアウェイゴール裏から風邪がわかりやすく吹いています。今こそここで、このスタジアムに一つの土を付ける時です。
台風の予定で飛んだ8月末から季節は10月。腕にも袖を蓄えるようになり始めた季節の中で、晴々とした勝利を獲っていただきたいところ。
ところで、遅ればせながらセレッソ大阪さん、クラブ創立30周年おめでとうございます。
なんやかんや言えども、セレッソもこれまでに日本サッカーの歴史に残るような名選手が所属し、そして輩出してきたクラブです。如何なるクラブとて、やはりメモリアルイヤーなるものはめでたいものでございます。
そんなメモリアルイヤーのダービー直前ということで、今回は「ガンバとセレッソの両クラブに所属した選手ベストイレブン」を考えてみました。
奇遇にも今季のガンバはセレッソから鈴木徳真と松田陸を獲得し、セレッソにもガンバアカデミーに在籍していた田中駿汰と奥田勇斗がいる。ガンバで言えば一森純や岸本武流もユースはセレッソでしたし、ここまで両クラブに縁のある選手がクロスするようなダービーもあまり記憶にない。という訳で選抜してみるには良い時期だろうと。あくまでユースやU-23でのJ3出場選手ではなくトップチーム登録選手という事で進めていきます。
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MF 橋本英郎
現役期間:1998年〜
ガンバ所属期間:1998年〜2011年
セレッソ所属期間:2015年〜2016年7月
ガンバでのリーグ戦成績:287試合18得点
セレッソでのリーグ戦成績:16試合0得点
ガンバユース出身選手ベストイレブンを組んでもその名を連ねる名MF。ユースで同期の稲本潤一や新井場徹よりは遅れてブレイクする形になりましたが、西野朗監督が就任した2002年から急激に出番を増やし、ある時はボランチ、ある時はSB、ある時はサイドハーフとして、圧倒的なインテリジェンスを下敷きにした堅実なプレーぶりで黄金期ガンバの中心人物に。特に遠藤保仁、二川孝広、明神智和と4人で組んだ中盤は「黄金の中盤」と称され、これまで個別の選手の引退試合を開催してこなかったガンバが初めて行った大々的な引退試合の対象選手に選ばれた事が存在の大きさを如実に物語っています。
2011年を最後にガンバを退団してからは複数クラブを渡り歩きましたが、その過程の中で2015年から2016年途中までJ2時代のセレッソでプレー。実家がヤンマースタジアム長居やヨドコウ桜スタジアムのある長居公園まで自転車圏内だった事から地理的にはセレッソのホームタウンで育っており、ガンバユースの活動と並行して長居公園で草サッカーに興じていた時期もあったそうで。
MF 家長昭博
現役期間:2004年〜
ガンバ所属期間:2004年〜2007年、2012年7月〜2013年6月
セレッソ所属期間:2010年
ガンバでのリーグ戦成績:116試合11得点
セレッソでのリーグ戦成績:31試合4得点
本田圭佑の盟友にして、宇佐美貴史のアイドル。そして川崎のキング。今となっては「ガンバで育ち、川崎で遅咲きの覚醒を果たした」というイメージの強い家長ですが、ガンバから川崎に行くまでの9年(ガンバ復帰を含む)に大分→セレッソ→マジョルカ→蔚山→ガンバ→マジョルカ→大宮…といった具合に色々経ており、その末の川崎移籍でした。ガンバとしては当然ガンバでプレーし続けてほしかったでしょうし、実際に2005〜2006年はレギュラーポジションを得てはいましたが、2007年になると遠藤保仁、二川孝広、明神智和、橋本英郎のカルテットが「黄金の中盤」として定着した事でスーパーサブ的な扱いがメインになっていた事もあり、大分とセレッソにはスタメン起用を前提にしたレンタルで入団する事になっていました。
家長がセレッソに在籍した2010年はガンバとセレッソの実力差があまりにもハッキリしていたこともあり、当時はガンバで出られなくなった選手、あるいはガンバでのキャリアを一通り終えた選手がセレッソに移籍するケースが多かったんですよね。家長もその流れで出場機会を求めてJ1復帰初年度のセレッソでプレー。この時のセレッソは香川真司、清武弘嗣、乾貴士、そして家長が揃い踏みしていたというなかなか奇跡的なシーズンで、セレッソの上位進出のメインキャストの一人ともなりました。
MF 倉田秋
現役期間:2007年〜
ガンバ所属期間:2007年〜2009年、2012年〜
セレッソ所属期間:2011年
ガンバでのリーグ戦成績:377試合53得点※2023年シーズン終了時点
セレッソでのリーグ戦成績:33試合10得点
2012年以降の倉田の活躍はもうわざわざここで言及する必要もないでしょう。遠藤保仁や宇佐美貴史とはまた違った存在感をチームにプラスとして還元し、ピッチ内外でその矜持をしっかりと見せていく。このクラブの10番として素晴らしい活躍と振る舞いを見せ続けている倉田は、大元の所属としてはデビューからガンバ一筋でしたが、レンタルとして千葉とセレッソに1年ずつ所属していました。
前述の通り、特に西野ガンバの時代はガンバとセレッソの実力差がハッキリしていたので、ガンバでのキャリアがひと段落して次の移籍先としてセレッソに行った選手や出場機会を求めてセレッソにレンタルで行く選手がそこそこいたんですね。だからこのブログも「ガンバとセレッソにいた選手」というより「実はセレッソ在籍歴もあるガンバ戦士」みたいなニュアンスになってるとこほもあるかなと。で、後者にあたる選手の代表例が2010年の家長であり、2011年の倉田でした。セレッソでは二桁得点を達成した他、当時はレンタル元クラブとの試合は出れないという風潮が無かった事からガンバと激突した開幕戦でいきなりゴール。個人的には結構、あそこでガンバから点取った事が倉田の覚醒ポイントだったような気もするんですね…。
FW アドリアーノ
現役期間:2002年〜
ガンバ所属期間:2011年1月〜2011年6月
セレッソ所属期間:2010年
ガンバでのリーグ戦成績:8試合9得点
セレッソでのリーグ戦成績:27試合14得点
ガンバとセレッソの間での移籍が報じられる際のメディアの見出しにはよく「禁断の移籍」との文言が踊りますが、今年の鈴木徳真や松田陸しかり出場機会の確保などが絡むと「相手がダービーなだけに普通に利害が一致する移籍じゃない?」「そう考えたらあんまり禁断感ない」という感覚になる事の方が多いと思います。その点で言えば、過去一で禁断の移籍感があったのは彼かなと。
2010年にJリーグ初挑戦にしてセレッソで14得点を叩き出して上位進出に貢献。ましてやダービーでは中澤聡太との小競り合いの末に退場に追い込まれた…という遺恨もあったにも関わらず、2011年にガンバが引き抜いた事実は結構なインパクトがありました。しかもよりにもよって開幕戦の相手はセレッソ。その開幕戦でセレッソから来たばかりのアドリアーノとガンバからレンタルしてる倉田が決めるというのもカオスというかなんというか。ガンバでも類稀な得点感覚を発揮しましたが、発揮しすぎた結果夏にカタールに引き抜かれるという当時のガンバで恒例となっていた「中東転売事業」の一因になる形に…。
ちなみに大阪ダービーでガンバの選手としてもセレッソの選手としても得点を記録したのはアドリアーノと倉田秋の2人だけ。そしたアドリアーノはセレッソ初得点はガンバ戦、ガンバ初得点はセレッソ戦という禁断の申し子みすらある形になっていました。
FW 播戸竜二
現役期間:1998年〜2019年
ガンバ所属期間:1998年〜1999年、2006〜2009年
セレッソ所属期間:2010年〜2013年7月
ガンバでのリーグ戦成績:131試合31得点
セレッソでのリーグ戦成績:56試合17得点
今や各種メディアに引っ張りだことなった炎のストライカー。ガンバでプロデビューを果たし、2006年にガンバに復帰してからは2006年を除けばスーパーサブとしての立ち位置を確立。2009年シーズンをもってガンバ退団となり、セレッソに移籍しました。セレッソでも一定以上の活躍は見せており、特に2011年には途中出場からのハットトリックを2度記録するなど二桁得点を記録。同年のセレッソのチーム得点王が播戸と倉田で並ぶというシュールな状態に…。
播戸は基本的なイメージとしてはやっぱりガンバのレジェンドですからガンバOBとしての仕事が多い一方、前述のようにガンバでやり切ってからセレッソで移籍した選手の中ではセレッソでもインパクトを残しながら香川、乾、清武らともプレーしていたので、ダービー時に「両クラブに所属経験のある選手」としてのメディア出演が最も多い印象もあります。
監督 レヴィー・クルピ
ガンバ在任期間:2018年1月〜7月
セレッソ在任期間:1997年、2007年5月〜2011年、2012年7月〜2013年、2021年1月〜8月
ガンバのユースやサテライトの監督を務めた後にセレッソの監督の就任した人物(副島博志、西村明宏)や、ガンバのトップチームを経てセレッソのアカデミースタッフに就任した人物(松波正信)、或いはガンバとセレッソの前身にあたるヤンマーの監督を務めていた人物(釜本邦茂)はいるが、ガンバ大阪とセレッソ大阪のトップチーム監督を両方務めた人物は現時点でクルピが唯一となっています。
ただし、両陣営での実績と扱いは大きく異なっており…。
ではでは(´∀`)