RK-3はきだめスタジオブログ

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京都サンガFC 30周年記念!独断と偏見で選ぶポジション別ベストプレーヤー トップ5〜MF編〜

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おまたせ

 

どーもこんばんは

 

さてさて、2024年は京都サンガFCのクラブ創立30周年でございました。

色々あった30年。ホームで行われる第31節G大阪戦と第33節神戸戦では開幕前に発売されたイヤーブックのアンケートにより選出されたベストイレブン選手のパネルが掲示されますが、…まあ、実際ベストイレブンって選ぶ側もそれはそれで難しいじゃないですか。GKはともかく、DF/MF/FWをそれぞれ何人選ぶかも考える必要があるし、そもそも11人じゃ収まらん、ボランチ1〜2人しか入れれねえじゃん!みたいなことも起こる訳ですよ。

という訳で今回は、あくまでわたくしRK-3の独断と偏見ではありますが、サンガのポジション別歴代ベストプレイヤートップ5を選出してみたいと思います!

今回はあくまで活躍と貢献にフォーカスを当てていきます。知名度だけで選ぶベストイレブンは以前に書いたのでぜひそちらで…

 

で、今回はポジション別ということで全8部門を設定してみました。

GKはGKとして、DFをSBとCB、MFをボランチと攻撃的MF(2列目)、FWを日本人アタッカーと外国籍アタッカーに分け、おまけとして最後に監督ベスト5を選出。あくまで独断と偏見、なんなら複数ポジションで活躍した選手なら「そいつそのポジションじゃねえだろ」という部分もあるやもしれませんが、そこはむしろ皆々様で語らう余地として捉えてもらえれば…と。また、筆者は2005年からサッカーを見始めているので、それ以降の選手からの選出が多くなることは予めご了承くださいませ。

 

FW(日本人/外国籍)編

②MF(ボランチ/2列目)編

DF(CB/SB)編

GK/監督編

 

 

京都サンガFC 30周年企画ブログのまとめページはこちら!随時色々と更新しております。

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

ボランチ部門】

 

第5位

庄司悦大

 

生年月日:1989年9月14日

在籍:2018年7月〜2021年

背番号:44番(2018)→10番(2019-2021)

【サンガでの成績】

J2リーグ通算成績:108試合4得点

公式戦通算成績:110試合4得点

 

J2降格には慣れていたようなサンガが初めてJ3降格の危機に直面した2018年夏。J2で最下位に沈む状況を打破するべく夏に7人もの選手を補強して後半戦に挑んだが、その中でまさしく救世主と呼ぶべき働きを見せたのが庄司だった。それまでは試合開始からパワープレーに挑むような攻撃をしていたサンガだったが、庄司を中盤に置くようになった事でボールが落ち着き始めてチームの攻撃は大幅に改善。更に圧巻だったのが中田一三監督がポゼッションサッカーを志向した2019年で、いわゆるピボーテの役割と10番を与えられた庄司は中盤の底から長短のパス、緩急をつけたコントロールを自在に使い分け、文字通りチームの心臓として圧巻のゲームメイクを見せた。

曺貴裁監督が就任した2021年こそ怪我や川﨑颯太が抜擢された事で出場機会が激減したが、シーズン終盤にスーパーサブ的な役割を与えられると、出場しただけで「サンガスタジアムが庄司を求めていたような(by 曺監督)」空気に変える存在感を見せ、J1昇格に向けた最後の一押しを置き土産に退団。移籍先岐阜で4シーズンプレーし、今季限りで引退となった。お疲れ様でした。

 

 

第4位

角田誠

 

生年月日:1983年7月10日

在籍:2001年〜2003年,2006年5月〜12月、2007年〜2010年

背番号:27番(2001-2003)→33番(2006)→35番(2007)→26番(2008-2010)

【サンガでの成績】

J1リーグ通算成績:142試合6得点

J2リーグ通算成績:49試合0得点

公式戦通算成績:228試合8得点

 

正直なところ彼をボランチかSBかCBのどこで選ぶべきか悩ましいが……今回はボランチで選出。しかしサンガでのキャリアを通じ、GKとFW以外は全ポジションプレーしたんじゃないか?と思うほど多くのポジションで活躍を見せた。

ユース所属だった2001年に17歳10ヶ月(当時のJ2最年少記録)でデビューを果たすと、2002年には若手起用に積極的だったエンゲルス監督の方針もあって昇格1年目からレギュラーに定着。DFとしてリーグ戦の5位進出と天皇杯優勝に貢献し、松井やパクが主役を張ったヤングサンガでユース出身選手として君臨した。その後は名古屋とサンガを行き来する時代もあったが、加藤久監督体制では元々の対人守備の強さに加えて展開力も買われた形で中盤起用が多く2010年には得点力も発揮。サンガでプロとしてプレーした全てのシーズンでレギュラーだった。

ユース時代に指導を受けた美濃部直彦監督とは師弟関係で後にトップチームでも選手と監督の関係となったが、キャリア最終年には美濃部監督率いるポルベニル飛鳥(現:飛鳥FC)での選手兼コーチ業から指導者キャリアを開始した。地元のクラブチームに所属していた小学校時代にはサンガが特別協賛している小学生年代の大会「サンガカップ」に出場しており、現在も公式サイトやプログラムではベストイレブン受賞者として名前が掲載されている

 

 

第3位

中山博貴

 

生年月日:1985年12月13日

在籍:2004年〜2015年

背番号:15番

【サンガでの成績】

J1リーグ通算成績:62試合4得点

J2リーグ通算成績:159試合17得点

公式戦通算成績:256試合24得点

 

サンガのバンディエラ。10シーズン以上プレーした選手でサンガ一筋でキャリアを全うした選手は中山博貴平井直人のみ。その平井も引退後GKコーチを務めていたクラブの怪我人多発により一時的に選手登録されている為、厳密には中山のみという事になる。

トップ下で出場した時はファンタジスタ的なセンスを見せ、ボランチで出場した時には視野の広さとゲームメイク力を見せるなど中盤のキーマンとしてファンを魅了するプレーを披露。19歳の一年目から出場機会を与えられていた。大木体制では独特のポゼッションスタイルのキーマンとして活躍した。パンチのあるシュートやダイナミックな飛び出しも魅力で、2009年浦和戦のダイビングヘッド、2010年磐田戦のループシュート、2011年天皇杯決勝の先制点など印象的な試合での印象的なゴールも多く、特に浦和戦のゴールはサンガ史上初となる2年連続の残留とクラブ通算100勝、そしてJリーグ通算14000得点を同時に達成するゴールとなった。

将来を嘱望される才能と実力は誰もが認めるところながら、最終的に引退の要因にも直結した怪我の多さに伴う稼働率の低さは悔やまれるところだったが、そのプレーの美しさと献身性は不変で唯一無二の存在だった。クラブ一筋どころか1年目から引退までずっと15番を背負い続けた事も象徴たらしめた要素の一つで、ミスターサンガとはかつて野口裕司に付けられた二つ名だが、中山もそれに値する存在である事に異論を挟む者はいないだろう。

 

 

 

第2位

斉藤大介

 

生年月日:1980年8月29日

在籍:1999年〜2008年8月

背番号:25番(1999-2000)→22番(2001-2002)→16番(2003-2008)

【サンガでの成績】

J1リーグ通算成績:91試合3得点

J2リーグ通算成績:90試合2得点

公式戦通算成績:210試合5得点

 

「縁の下の力持ち」という言葉がこれ以上ないほどに似合う名ボランチにして鉄人。中盤守備のバランサーの役割を担い、展開力にも長けていた事から中盤の絶対的な存在として君臨していた。2005〜2007年にはほぼ全試合に出場し、副将や主将も歴任。真面目な性格がよく語られる一方、スピーチの場などで唐突にボケをかますトリッキーな一面もあった。

入団以降はしばらく出場機会のほとんどない時間が続いた斉藤がレギュラーとなったきっかけは2002年、リーグ中断期間に行われたナビスコ杯で当時ボランチのレギュラーかつW杯出場の為離脱していたパクチソンの代役として起用された事。リーグ再開からパクを韓国代表と同じWGにコンバートした事で黒部松井パクというクラブ史に残るトリデンテが誕生したが、パクのコンバートには代表でのインパクトに加え斉藤がボランチで計算できるようになったというところが大きな要因として語られる事からも、同年の5位躍進と天皇杯優勝の陰の立役者として推される声も多い。

2008年は主将としてJ1に昇格させた翌シーズンながらシジクレイ佐藤勇人の獲得、角田の中盤起用や安藤淳の台頭に押し出される形で退団。サンガ時代に3度の昇格を経験した実績に加え、後に所属した仙台と徳島でも昇格を達成した事から昇格請負人と称されたりもする。特に徳島での昇格は徳島の主将として、プレーオフ決勝でサンガを倒して勝ち取った昇格だった。引退後はサンガで普及部やアカデミーのスタッフを歴任。2019年にはホームゲームのハーフタイムにピッチに登場して前半を振り返る生解説企画も実施されていた。

完全に余談だが、斉藤が所属していた一時期の徳島には徳重隆明倉貫一毅など元サンガの選手が異常に多く、監督まで美濃部直彦というミニ2007京都状態だった。

 

 

第1位

川﨑颯太

 

生年月日:2001年7月30日

在籍:2000年〜

背番号:24番(2020-2022)→7番(2023〜)

【サンガでの成績】

J1リーグ通算成績:86試合6得点

J2リーグ通算成績:57試合3得点

公式戦通算成績:154試合10得点

 

新たなる京都サンガの象徴。サンガスタジアムが完成すると同時に台頭してきたところにも「新時代の旗頭」としての印象を強くしている。24歳ながら、既に歴代のレジェンドと比較しても申し分のない実績をサンガにもたらした。

サンガユースから昇格1年目の2020年後半戦には實好礼忠監督の抜擢でレギュラーに定着し始めたが、非凡なボール奪取能力と前への推進力に特徴を持つ選手なだけあり、翌年に曺貴裁監督が就任すると更にその才能が開花。2021年のその躍動はサンガが11年幽閉されていたJ2から解き放ち、出来たばかりのサンガスタジアムのシンボル的な活躍を見せた。特に第37節大宮戦の終了間際に決めた決勝点は混迷期の終焉と新時代の幕開けを同時に印象付けるゴールだったと思う。2022年まではアンカー、2023年からはインサイドハーフのポジションを任され、現在のサンガで絶対的な存在として主将も担う。2023年には出場こそならずともサンガ所属選手としては2012年の久保裕也以来の日本代表選出を果たし、翌年にはパリ五輪に出場。まさしくここ10年のサンガでは想像できなかった景色を現在進行形で見せてくれている。

元々は山梨県甲府市の出身で中学までは甲府のアカデミーで育ったが、より高いレベルのプレー環境と、文武両道を推奨するスカラーアスリートプロジェクトに惹かれてサンガのアカデミー入りを決意した背景がある。高校卒業後にプロ入りしてからも立命館大学での学生生活を並行して過ごしており、まさしくサンガの目指す育成システムを絵に描いたような選手となった。オフィシャルの写真の殆どをお笑い芸人のギャグ(天竺鼠・川原の耳Good及びヤジマリー。のエンターテイメント)で乗り切る奇天烈な一面も持っており、J1昇格時の集合写真で一人だけ変顔をしているのもそれゆえ(コウテイのズィーヤ)。

 

 

 

【攻撃的MF部門】

※外国籍選手は第1回のの外国籍アタッカー部門としてカウントしています。

 

第5位

工藤浩平

 

生年月日:1984年8月28日

在籍:2011年〜2014年

背番号:20番(2011)→10番(2012-2014)

【サンガでの成績】

J2リーグ通算成績:130試合9得点

公式戦通算成績:145試合13得点

 

いわゆるジェフ千葉黄金期のオシムチルドレンの一員。2011年に当時の祖母井秀隆GMの繋がりでサンガに移籍してきたものと思われるが、千葉時代には日本代表選出経験もあっただけにJ2に落ちてすぐのサンガに加入してくれた事は少なからず驚きがあった。

1年目は合流早々の1月に前十字靭帯損傷の重傷を負うという最悪のスタートとなり前半戦を棒に振ったが、復帰初戦にしてサンガデビュー戦となった札幌戦ではいきなりゴールを決めた。大木監督のサッカーへの適応に時間を要したサンガは札幌戦前の時点で14位と低迷していたが、工藤復帰後は札幌戦を含めて8勝1敗で7位までジャンプアップ。リーグ閉幕後の天皇杯では準決勝横浜FM戦で1ゴール1アシストを記録するなど決勝進出の立役者となった。その後はサンガのキーマンとして君臨し、ファンタジスタ然とした圧倒的なパスセンスで決定的なチャンスメイクを何度も披露すれば、前線にも積極的な飛び出しを見せるなど大木サンガにとって最重要人物の一人だったと言える。まさしく10番がよく似合う10番だった。

サンガ退団後は複数クラブでプレー。2019年の西京極でのラストゲームとなった千葉戦では千葉の選手として出場している。

 

 

 

第4位

中払大介

 

生年月日:1977年5月22日

在籍:2002年〜2007年

背番号:26番(2002)→14番(2003-2007)

【サンガでの成績】

J1リーグ通算成績:81試合9試合

J2リーグ通算成績:102試合11得点

公式戦通算成績:206試合23得点

 

前年のJ2優勝を勝ち取った若手を中心に2002年を戦おうとしていたサンガが、不足していたJ1での実績が豊富な選手として獲得。サンガでは天皇杯優勝に始まり昇格と降格を2回ずつ経験するという激動の日々を過ごした。福岡時代を含めて3度経験したJ2降格決定の対戦相手が全て万博競技場でのガンバ大阪戦だとか、相手が紳士協定を破った事による前代未聞の守備放棄事案の際に得点者になってしまうだとか、その19年後に同様の事例が発生した試合で解説を務めていただとか数奇な巡り合わせに当たりやすい人物でもある。

2002年の天皇杯優勝と5位進出に貢献すると、そこからは選手の入れ替えも激しい中で重要な存在であり続けた。2005年からは主将も任されており、主将を斉藤大介に譲った2007年を含めて2度のJ1昇格に貢献。サイドで労を惜しまぬ働きぶりを見せつつ、肋骨が折れた状態で試合に出場して得点まで決めてしまったり、交代枠を使い切った後にDFが負傷した際は自ら急造DFとして相手の猛攻に耐えるなどまさしく闘将と呼ぶべき活躍を見せた。

引退後は福岡や鳥栖など九州クラブがホームとなる試合を中心にDAZN解説でもお馴染み。解説の仕事でサンガスタジアムを訪れ、ピッチサイドに降りた際にはサポーターからサンガ在籍当時のチャントで迎えられた。

 

 

 

第3位

渡邉大剛

 

生年月日:1984年12月3日

在籍:2003年〜2010年

背番号:24番(2003)→22番(2004-2010)

【サンガでの成績】

J1リーグ通算成績:100試合6得点

J2リーグ通算成績:69試合3得点

公式戦通算成績:201試合11得点

 

2000年代後半のキーマンの一人と言える選手。甘いルックスから女性人気も高く、一時期は抹茶系スイーツ好きがトレードマークのようになっていた事も。J1通算100得点を達成している渡邉千真実弟で、三男の渡邊三城まで三兄弟全てがJリーガーである。

2003年に国見高校から入団。2006年途中に美濃部直彦監督が就任するとスタメンに定着するようになり、それ以降はサイドからSBもWGも左右両方こなせる選手として重要な存在となった。2007年は入れ替え戦出場権を争うホーム最終戦での仙台との直接対決で石井俊也の決勝点をクロスでアシスト。広島との入れ替え戦では第1戦での2-1の勝利を守り切ってJ1昇格を果たしたが、この2得点はいずれも渡邊のクロスを田原豊が合わせる形となるなど、J1昇格に絡む決定的な仕事を連発した。2008年は大型補強の影響もあって2007年の昇格に貢献したメンバーの多くが出場機会を失う中で渡邊はその存在感をより強めていき、カットインからの強烈なミドルシュートJリーグの中でも注目を集める存在となった。特にサンガ退団後に所属する大宮との2008年ホーム開幕戦で見せた逆転ミドルは今なおファンの脳裏に刻まれる一撃となっている。サイドで全ての役割をこなし、高品質なクロッサーかつ破壊力のあるシューターという様々な顔を持ち合わせていた名手。

引退後は仲介人として活動中。2021年に東京Vに所属している元サンガの加藤弘堅が100試合出場を達成した際には、偶然にも試合前セレモニーが対サンガ戦で実施された事もあってか加藤本人が渡邊に花束贈呈役のオファーを出していた。

 

 

 

第2位

駒井善成

 

生年月日:1992年6月6日

在籍:2011年〜2015年

背番号:22番(2011-2012)→7番(2013-2015)

【サンガでの成績】

J2リーグ通算成績:171試合15得点

公式戦通算成績:186試合18得点

 

同じ1992年生まれの選手はプラチナ世代と称されており、その中で誰もが特別な存在として認識し、小学校時代には都市伝説レベルの伝説を残していた宇佐美貴史に「初めて衝撃を受けた」「あいつと出会った次の日からドリブルをめっちゃ練習するようになった」と言わしめた至宝。サンガファンにとって、歴代の所属選手の中でも特に特別な感情を抱かせる選手だろう。

小学校4年生からサンガの下部組織に所属。ユース時代には宮吉拓実伊藤優汰と同期で、一学年下に久保裕也原川力高橋祐治といった面々が名を連ね、話題性では宮吉や久保が先行していたが、駒井もプロ1年目から貴重なドリブラー出場機会を掴むなど飛躍の予感は存分に漂わせていた。その予感と期待を裏切らず、2012年からはレギュラーに定着。大木体制での攻撃サッカーを牽引し、2014年からチームが混迷期に陥る中でも孤軍奮闘を見せた。サンガ時代から既にFWやボランチ、SBでもレギュラーを張った時期があり、後に移籍する札幌ではより多くのポジションでプレーした為、本当にGK以外全てのポジションで出ていると思われる。

地元やクラブへの思い入れ、特に「京都サンガでJ1に上がる事」への熱意を常々公言していたが、2015年シーズン終了時のサンガの状況、そしてオファー先が浦和レッズであった事から、日本代表も睨んだ自身のキャリアの為に移籍を選択。しかしその際にも移籍金を残し、練習場やゴール裏での挨拶、公式サイトでの長文メッセージなど尽くせる礼を全て尽くしてステップアップに挑んだ。あの時に叶わなかったJ1に辿り着いた今、「J1京都の駒井善成」を願う気持ちはファンの心に燻り続けている。

 

 

第1位

松井大輔

 

生年月日:1981年5月11日

在籍:2000年〜2004年8月

背番号:26番(2000)→10番(2001-2004)

【サンガでの成績】

J1リーグ通算成績:72試合7得点

J2リーグ通算成績:54試合9得点

公式戦通算成績:151試合21得点

 

ここまでファンタジスタドリブラー、パサー…様々なタイプの選手がランクインしてきたが、その全ての要素を兼ね備えたサンガ史上最高傑作と呼ぶべき選手。「ドリブル」という単語を自身の引退試合のサブタイトルにまで付けた名手はサッカーをする喜び、サッカーを見る喜び、そしてこういう選手をサンガが輩出したという喜びをクラブの歴史に与えた。

小学校時代から無双は始まり、大宅スポーツ少年団時代にはサンガカップ優勝など圧倒的な強さを誇示。高校は鹿児島実業に進学して京都を出たが、プロ入りの際には地元に戻ってきた。そこで師弟関係となる三浦知良、盟友となるパクチソン、高校の先輩だった遠藤保仁といった錚々たる面子の中で早々と出場機会を得ると、J2降格を機に若手中心のチームづくりを目指すチームは2001年に松井に10番を託す。J1昇格後の2002年に黒部光昭パクチソンと組んだ3トップはサンガ史に永遠と輝く眩さと破壊力を見せつけ、チームに関西勢初となるタイトル、天皇杯優勝をもたらした。ドリブラーにイメージされがちな圧倒的なスピードを持つ訳ではないが、そんな事どうでもよくなるぐらい足に吸い付くようなボールタッチと滑らかなステップワークでボールを身体の一部のように扱い、七色に光るようなプレーで多くのチャンスと興奮を呼び起こす…後にフランスで「ルマンの太陽」とも称される以前に、その陽の光は暗がりを進むばかりの西京極のピッチを明るく照らしていた。

サンガ退団後は流浪のキャリアを歩み、再びサンガでプレーする事はなく、引退試合やスクールコーチの仕事など引退後は横浜FC中心の活動を行っている。ただ、サンガのホームゲーム前のトークショーKBS京都のサンガ特番の出演、曺貴裁監督が主催する少年サッカー大会にもゲスト参加するなど、サンガに関連した機会で見る事も少しずつ増えてきた印象。

 

FW(日本人/外国籍)編

②MF(ボランチ/2列目)編

DF(CB/SB)編

GK/監督編

 

 

ではでは(´∀`)