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7月5日に行われた2つのダービーマッチで、いずれもビジターチームが起こした事案へのJリーグの対応が発表された。
今回問われているのは7月5日の横浜FC戦に於ける横浜F・マリノスサポーターの違反行為、同日に行われたC大阪戦に於けるガンバ大阪サポーターの違反行為である。
後述するようにこの内容そのものには差異があるが、最終的には両者とも《厳重注意》という処分で結論とされている。同時にJリーグとして、今後の違反行為が発生した際の対応方針が明文化された。
【Jリーグにおける今後の対応方針】
事案の発生を受け、今後のJリーグ試合運営管理規程の重大な違反行為への対応方針を以下のとおりとする。
1.違反行為者へのクラブの法的手段による責任追及を、Jリーグとして支持する旨を表明する。
2.クラブが法的措置を検討するにあたり、Jリーグが行った調査結果を共有し、追加調査が必要な場合は本件調査に加わった外部弁護士等と連携する。
3.今後、重大なサポータートラブルが発生した場合に備え、クラブが実行者に対し法的措置を講じる場合にかかる経済面の支援制度や、来場者の生命や身体が脅かされるような事案が発生した場合の関連制度の在り方に関し検討を行う。
まずマリノスの件にしてもガンバの件にしても、処分の大小以前の話として"問題行動"ではなく"蛮行"であり"愚行"である。
もちろん、ダービーマッチという事でいつもより昂るものがあるのは理解する。その気持ちの発露を他の試合よりもオープンにする事に否定的な感情は持っていない。だからこそダービーマッチは熱く、印象的なゲームになり、数々の記憶に残る瞬間を生み出す訳で。
しかし、近年はクラブとゴール裏の関係の在り方が問われるような事案が多くなり、リーグやクラブのゴール裏に対する態度にも厳しさや規制を導入するクラブも増えつつある中で、今回の事案に関係する2クラブのサポーターに限らず一部のサポーターは「クラブやリーグが熱を奪おうとする」「文化を希釈しようとしてくる」みたいな言い方をする人は多いが、その根底には横暴化していった様々な行為の積み重ねがある事を忘れてはならない。文句を言うのは勝手かもしれないが、その文句自体がクラブやリーグにとって「危険性」「攻撃性」の何よりの根拠になっている。その自覚は持たなければならない。
ダービーの熱がなんだと言うが、マリノスとガンバの件はまさにその危険性を象徴するもので、ある意味可視化されたものとも言える。「ガンバ大阪」「ガンバサポ」というくくりに囲われる以上、それが善行だろうが悪行だろうが自分達もそれを構成する一部であり、その要因となり得る。「ダービーの熱狂」は免罪符でもなんでもないし、"非日常を味わう事"と"一般常識から逸脱する事"の間には明確な境界線がある。その事を予め前提として記しておいた上で本題に進みたい。
今回は、その処分の基準に照らし合わせた上での今回の裁定、過去との比較について書いていく。
先に言っておくが、私はガンバ大阪のファンである。
要するに、今回はガンバへの処分は厳重注意に留まっており、それが軽いか重いかは別として、確かな事として「実行的な処分が課されなかった」という部分がある。その立場のサポが言う事なので「ガンバが厳重注意で済んだからその判断を肯定したいだけじゃないか?」と思われる可能性はあるし、全体的にそう捉えられるかもしれない結論に向かって進んではいる。自分としては京都サンガFCのファンも兼ねている謂わば"兼サポ"の立場なので「いや、今回はサンガファンの立場で書いているので」と言っても通用はしないだろう。もちろん、無意識的なところでそのバイアスがかかっている可能性は否定しないが、自分としてはつとめてフラットに書くように心がけている…とは先に書いておきたい。
結論から言えば、今回のJリーグの裁定は過去の事例と比較しても整合性は取れており、基準そのものの重い/軽いは個人の感覚による部分もあるだろうが、少なくとも一貫した基準に則った、筋の通った裁定だと考えられる。
処分の是非に関しては今回に限らず、過去の様々なケースに於いても議論され、時に批判もされてているが、ガンバとマリノスの事案に対するJリーグのリリースで重要なポイントは、要は「こういう事案に対する処分の基準はJリーグとしてちゃんと持ってますよ」という部分がすごく明文化されていた事である。この点に関しては、実際に過去のリリースでJリーグとして明文化していた訳でもないし、これまで一部のファンからいわれなき他責的で感情的な批判を受け続けていたところもあったが、過去の判例と比較しても矛盾してはいないので、Jリーグとしてずっと持っていた基準を今回初めて明文化した形になったと言える。
要は、事案の悪質性はあくまで個人に係る罪であり、クラブへの制裁を科す場合は事案の悪質性そのものよりも「クラブとして防げる余地があったか/防ぐ為の対策が出来ていたのかどうか」「事後対応が迅速だったかどうか」の2点が基準ですよ、というものである。
例えば、特にマリノスの事案に関しては"事案の悪質性"という意味ではJリーグの歴史の中でも相当に悪質性が高く、第三者への危険やJリーグに対する対外的な評判に大きな影響を与えかねない事案だった。しかし、事案の悪質性はあくまで個人がやったものであり、その罪の大きさをマリノスに問う事はできない。
その為、マリノスに問うべき責任は①そのサポーターを管轄する立場としての事前対策をしっかり出来ていたのかどうか、②事案が起こった後の対応が適切だったのかどうか、③その上でそもそもマリノスからして防ぎようのある事案だったのかどうか、これらが処分を決める上で問われるポイントとなる。
報告書の内容に則ると、マリノスの対応として①はサポーター団体とのコミュニケーションや帯同スタッフの増員、②は問題行為を起こした(加担した)個人及び団体の特定及び処分を迅速に行い再発防止策を打ち出した事を「取りうるべき最大限の次善措置を講じているといえる」と認め、その上で③については問題を起こした団体がクラブとの話し合いの内容を逸脱した行動を取っていたことを踏まえて、クラブの側には想定する事や防止するが困難だったと評価を下している。
特に、Jリーグが下記の文言を織り込んだ事は非常に大きなポイントだった。
クラブにとって事案の発生の予見は困難であり、見方を変えれば悪質な行為の被害者的な側面もありながら、サポーターの違反行為の危険性や悪質性と、それらが周囲に与えた影響に鑑み、横浜F・マリノスを厳重注意とすることを決定した。
今回のマリノスの場合で言えば、今回の事案はあまりにも重大な事案かつ、広範囲的な影響を与えるものだった事から"厳重注意"という処分が決定されたが、同時にマリノスとして事前/事後の対応に不備はなかった事、マリノスとして今回の事案は防ぎようが無かった事をJリーグが認めた形になる。それは上記の文からして明確なところだろう。
一方でガンバの場合は「クラブ側の運営体制の変更やサポーター団体の構造的な変化などにより、関係性の形骸化や対応の不十分さなど複数の要因が重なり、結果として上記(1)に示す行為(注:違反行為)が未然に防げず発生に至ったものと考えられる」との指摘からJリーグ規約第51条2項2号違反に該当すると判断こそされたが、その背景としてクラブ側ならびにサポーター団体の構造的な変化というエアポケットのようなタイミングであった事が勘案され、その上で事前にサポーター団体及びホームクラブ(この場合はC大阪)とのコミュニケーションや情報交換などは「一定の対応がとられていた」として認められており、事後対応も迅速に行われたと認められた事から、規約違反と判断こそされたものの厳重注意となっている。
要するに、Jリーグとしてサポーターの問題行動及び危険行為を処罰する基準はその事案の悪質性や危険性ではなく、簡単に言えば「クラブとしてやる事はやれていたかどうか」という点になる。この辺りはこれまでにも話題になっていた「サポーターの違反行為に対する罪をクラブが負うべきかなのか否か」「もし万が一、他クラブのサポーターがなりすまして違反行為を行った時にどうするのか」という部分へのアンサーとも言えると思う。
別の言い方をすれば、要は「事案の悪質性とクラブへの処分の重さは必ずしも比例する訳ではない」ということである。おそらくこの部分が「感情的な公平感」と「法的な公平感」の差異のような部分で、処分内容を額面的に受け取った場合の不公平感に繋がるのだろう。
例えば被害者サイドとなる横浜FCやC大阪のファンが一つでも重い処分を求める声を挙げることは流れとしては自然ではあるし、Jリーグやスポーツに限らずこういう事案が発生するととにかく重い処分を脊椎反射的に求める人間が出てくる事もいつもの流れではあるのだが、今回の件では一部のクラブのファンからJリーグとして処分の整合性を問う批判が多かった。特にその声は浦和サポーターから多く寄せられていたが、2023年の天皇杯に於ける事案はともかくとして、それ以前の2022年に新型コロナウイルス感染症対応ガイドラインを繰り返し違反した事で2000万円の罰金が科された事と比較する声は多く寄せられていた。確かに事案の悪質性で言えば2022年に浦和が罰せられたケースよりも、特に今回のマリノスの件が悪質性の高い事案だと言えるだろう。
しかし前述したように、あくまで悪質性に関する罪は個人に係るものであり、クラブの罪として問われる部分は「①クラブとしての事前対策を行えなかった事」「②クラブとして防止できる余地があったのにできなかった事」「③クラブとしての事後対応が疎かであった事」となる。今回で言えばマリノスは前述したように①〜③には該当しないと認められた。ガンバの場合は①②の不備は認められた事で違反行為として認定されたが、構造変化という背景を踏まえつつ一定の努力は認められ、少なくとも③には該当しない判断から有形的な処分にはならなかった。逆に2023年にFC東京の天皇杯に於ける発煙筒使用の騒動は(これはJリーグではなくJFAの処分事案だが)、施設の敷地内とはいえあくまで事案が発生がスタジアム場外だったマリノスやガンバのケースとは異なり、FC東京の場合は場内で事案が発生していたので、クラブとしては「入場時の手荷物検査等でも火器の持ち込みを止められなかった」「入場ゲートを通過させてしまった」という落ち度が発生しており、その上で事後対応の遅れもJFAが認定した事で、特に②③に該当していたというところでけん責と500万円の罰金が科せられる事となった(FC東京の事案)。同年のリーグ戦で発生したベガルタ仙台の事案については、事前事後のいずれに於いても対応が疎かだったと認定され、けん責と500万円の処分となっている(仙台の事案)。今回の裁定にしても、最終的にマリノスとガンバは同じ処分が下され、一般的に事案の悪質性や影響はマリノスの事案の方が重いと考えられるが、クラブとしての事前準備の不備があった分、裁定としてはマリノスよりもガンバの方が重いとジャッジされている事ははわかりやすい比較と言える。
浦和の場合は端的に言えば"累積である事"が大きいのだが、累積だけが要因ならガンバもおそらくどこかで有形的な処分を喰らっているとは思う。しかし、ガンバの場合は事後対応での特定・処分を迅速に行うなど「クラブとしてやるべき事はある程度やっている」という点が認められていた。対して浦和は、特に2023年の天皇杯に於ける事案に至るまでの期間に於いて、クラブとしてその部分が著しく欠けていたという事になる。
Jリーグ新型コロナウイルス対策ガイドラインが設けられていたという特殊な時期ではあったとはいえ、あの時期の浦和は「そろそろ意図的にガイドラインを破りにくる可能性がある」という予想は素人目にも考えられるような状況だった。この時期に浦和がJリーグのガイドラインそのものを否定・避難するような横断幕を掲げていた事は顕著な例だろう。つまり事案の発生を予測できるかどうかで言えばその危険性は十分に考えられる状況であったが、2022年のJリーグの声明文を引用すれば「サポーターに対する十分な啓発や声出し応援を制止するための体制整備を行った形跡がおよそみられなかった」「Jリーグからの再三の求めにもかかわらず、サポーター等に向けた対外的なステートメントも発出せず、かつ、声出し応援等を行ったサポーターに対する制裁処分の発動、声出し応援を制止するための体制整備等、同種事案の再発を防止するのに有効と考えられる対応も何らとらないまま」というところを強く指摘されている。
しかしながら当時から、そしてそれは2023年の天皇杯に於ける事案や、今回のように他クラブの裁定に有形的な処分が科されなかった時にも「浦和か浦和以外か」とJリーグの処分を揶揄的に批判する声も挙がっている事や、前述した横断幕の掲示など、まるで自分達こそをJリーグの被害者のポジションに於いているかのような挙動・風潮さえ感じられる側面があった(そしてそれは今現在に至るまでも見られている)。そういう状況をクラブは結果的に放置していたような形になっていたので、なぜ有効な対策を取れなかったか?の答えとして考えられるものが「浦和サポーターの風潮自体がクラブとしての総意である」か「浦和サポーターに対してクラブ側が何も言えなくなっている(クラブとサポーターの力関係がおかしくなっている)」の二択となってきて、いずれにせよクラブがサポーター側のそういう風潮を、結果として追認してきた事によって起こった事案…というクラブ側の責任を強く指摘された結果が2000万円の罰金であり、天皇杯の出場停止処分だった。少なくともクラブのスタンスは2023年の天皇杯があまりにも前代未聞の事案だったがゆえに、さすがにそこを機に変化は見られるが、サポーターに関しては今回のマリノスとガンバへの裁定に対するリアクションを見る限り……未だに「浦和か浦和以外か」「基準を一定にしろ」という言葉が一定の支持を集めてしまっている事自体が答えそのものだと思う。
いずれにしても、裁定そのものの重い/軽いは個人の感情や考えとして別にしても、今回のJリーグの裁定は過去の事例と比較しても一貫した基準に基づいた、筋の通った裁定だった。加えて、Jリーグとしての基準が明確化された事は大きなターニングポイントとも言えるだろう。
とはいえ人間は感情の生き物な訳で、今回のような「事案の悪質性とクラブへの処分の重さは必ずしも比例する訳ではない」という部分に釈然としない感情を覚える事は自然と言えば自然ではある。だが今回の件に限らず、近年は自分達のフラストレーションを「とりあえずJFAを叩いておけばいい」「とりあえずJリーグを悪者にしておけばいい」と脊椎反射的に捌け口にされてしまう傾向が強く、ましてやそれが一定数の支持を集めてしまっている状況で、なんとなく「そこが悪いという事にしておけばなんとなく丸く収まる」というような、そうプログラミングされた機械のよくな思考に陥っている人は多いんじゃないかとも思う。
現在はSNSの台頭により意見の発露がカジュアルになり、承認欲求をそこで得られるようになり、それは強い言葉であればあるほど──その時代だからこそ処罰感情にはヒステリックで、僅かな不満には敏感で、加害への加担や自身の事実誤認にはどこまでも鈍感な時代になったからこそ、原則たるものを履き違えてはならないし、人間は中立にはなれないからこそ俯瞰的視野やメタ視点を持とうとする努力は欠かさずしなければならない。自分だって、立場で言えば「事案が起こりながらも厳重注意で済んだガンバサポ」になる訳だから、自分ではフラットに書いているつもりでもこの文にバイアスがかかっていると言われれば絶対的に否定する事は出来ない。だからこそ、せめて物事をフラットに捉えようとする努力だけは欠かさずにしていきたい。それは自戒として。