RK-3はきだめスタジオブログ

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この"過去"の続きを〜EXPO 2025 大阪・関西万博、閉幕を迎えて思ふ〜

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「世紀末だって過ぎれば昨日さ」──誰もが知る大物アーティストの、誰もが知るヒット曲の、比較的そこまでフィーチャーされていない部分。陽が沈みゆく8月の万博会場、有名なサビのフレーズ以上に、Bメロの頭の歌詞が刺さった気がした。

ほんの数年前に我々が過ごした現実は、世界史の教科書や創作物でしか見たことのない……99年ではないが、それこそ"世紀末"という言葉が最もしっくりくるような日々だった。

その象徴的なイベントが東京オリンピックだったように思う。真新しく美しく、誰もいないスタジアム。世間からの風当たりという逆風が台風のように渦を巻き、台風の目をフィールドに譲って、周りは目の中に見る興奮と風が攫う虚しさに苛まれていた。一生に一度の祭典、そこに襲ったあの渦……なぜそれを日本が引き当てなきゃならなかったの?なぜ、なぜ、どうして……未練は今もどこかで燻っている。

 

 

 

思えばここ何年か、世紀末感はずっと感じていたように思う。

世間の風潮は出る杭を打つというよりも、邪念で絡め取って腐らせてしまう。五輪でも、万博でも、その大規模な話じゃなく、1億総コメンテーターのような社会は"冷笑"を標準装備にした。処罰感情にはヒステリックで、僅かな不満には敏感で、加害への加担や自身の事実誤認にはどこまでも鈍感で、趣味も嗜好もメジャーだったはずのものまでコアになり、社会として自我を大切にする過程の中で、どこか共有や共創のような感覚は相容れられない感情が生まれた。ここ数年の世界全体に漂う閉塞感はそこに根源があるように思う。

万博もまた、開催権を手にした状態で時代の渦を前にした時は、もしかしたら東京五輪の轍を踏んでしまうのでは…と思ったりもした。

 

 

 

万博にはずっと行きたかった。

小学校2年生の時に行われた愛知万博。親戚も愛知に住んでいたので行こうと思えば行けたのかもしれないが、何かとバタバタしていた事もあって結局は行けずじまい。親に文句を言いたい訳ではないのだが、あの未練としこりは今でもどこかに生きている。少し時間が経ってクレヨンしんちゃんのオトナ帝国を見た時、EXPOというその場所にはそれだけ強烈な魔力があるのか、それだけ強烈なロマンがあるのか、囚われたいと思うほどの過去になるような場所なのだろうか……知らない想像ならまだしも、知るチャンスが一度あったはずの想像に駆られる切なさがあった。

ガンバ大阪の試合を見に行く度に横目で太陽の塔を見ながら、万博という"半年だけ存在する都市"への慕情は解消される事なく募っていく。だからこそ、自分で言うのもなんだが、逆風が強く「そもそも万博自体がオワコン」という風潮もあった時点で既に前売り券も買っていた訳で。とにかく万博という都市に飛び込んでみたかった。万博のような、規模としては国家的プロジェクトと呼ぶべきイベントは、仮に行ったその先がクソつまらない代物だったとしても、それも含めて自分史に溶ける。

 

 

 

そんな過去に積み重なった感情と共に辿り着いた万博は本当に楽しかった。

世界各国の知らない文化や食に触れ、未来への技術とアイデアを浴び、過去の叡智にトキメキを覚え、幻の都市の独創的な建物の数々に心を奪われる。予約は取れなくても、都市を歩いていたらぶつかる偶発的な出会いにも多幸感があった。大屋根リングというシンボルは、そこに登っているだけで、下から見上げるだけで心の霧が晴れていくような気がした。そしてこの都市は、4月に急に現れて、10月にはまるでひとときの夢を見ていたかのように無くなってしまう儚さをこれから知る………。

諸問題はあるだろうから、全てを是として語るつもりはない。だが、この万博は人々に感動、幸福、喜びを与え、必然的な出会いと偶然という産物の巡り合いを教えてきた。何よりこのビッグイベントを日本が開催できることを改めて証明し、人々がこの場所に熱狂を感じたこの日々は、どこか渦巻く世紀末を過去に変えてくれたように思う。だから万博のライブ会場であの時、何度も聴いたはずの「世紀末だって過ぎれば昨日さ」のフレーズを聞いた時に、東京五輪さえも飲み込んだ世紀末をどこか一つ乗り越えたような気がした。少なくとも大屋根リングの中と、大屋根リングに沿う周囲には、それだけの多幸感が満ちていたように思う。だから通期パスまで買って通おうとしたのだろう。

 

 

 

コブクロのテーマソング『この地球の続きを』の冒頭は、万博というものを実によく表していたと思う。

「当たり前に空を飛べる100年先を想像できるかい?」…いや、ドラえもんじゃあるまいし。そう想像できないわ。そんなツッコミを見透かしたかのように「100年前に笑われてた誰かの夢が今を動かしている」と返すのだ。

100年ほどではないが、日本でその感覚が一番伝わる瞬間こそ万博だった。1970年大阪万博、吹田の地で、太陽の塔の下で見た数々の未来技術は、当時の人達からすれば実用化が現実的ではない未来へのロマンであり、それこそドラえもんひみつ道具に見るような遠い夢だったのかもしれない。でもあの日の夢は今、夢ですらないほどに日常的に使っている。今回の万博は「スマホが無ければにっちもさっちもいかない万博」だったが、1970年はスマホどころか通話機能しかない無線の電話機が"未来の電話"として、人類の夢として展示されていたのだ。自分の両親はあの万博ぐらいの時期に産まれている。一人の人間が親となり、祖父母になる程度の時間で世界を変えるだけのパワーを人間はまだ持っている。

そう考えれば、あの曲で「こんにちは」というフレーズが繰り返し使われている事も、ミャクミャクやロゴ自体が1970年万博の要素を取り入れたロゴになっているのも、単なるオマージュではないんだと思う。結局のところ、過去は今に繋がっており、過去は今の構成要素なのだ。そして何より、EXPO2025も明日には膨大な過去の一つとなる。100年先の未来も、101年後には過去になり果てるのだ。

自分自身、この万博は過去の未練を昇華させ、今という極上の体験を手にしたけれど、この思い出も明日には過去の記憶になる。過ぎた時に昨日となるのな世紀末だけじゃない。喜びも、悲しみも、感動も、後悔も、全ての今日が明日は等しく過去になり、未来を構成する。それを最も技術として、個人体験として表すものが万博なんじゃないか。万博最終日を迎えた今、そんなことを思っている。

 

 

 

この半年間、本当に楽しかったです。

万博の招致、計画、準備、運営…関わった方々に謝意と称賛を。夢のようで、幻のようで、確かな過去と未来を繋ぐ半年間をありがとうございました。

 

 

 

ではでは(´∀`)