
2005年12月3日、RK-3少年、当時8歳。
正直なところ、あの日の自分がどこでどの場所であの光景を見ていたのか。あの日の行動はハッキリとは覚えていない。ただ長居から飛び込んだ一報と、群衆に飛び込むアラウージョの姿は今でもハッキリと覚えている。思えばあれが、今の自分に至る一つの原体験のようなものだった。
初めてちゃんと意識してサッカーを見たのは2005年のことだった。それこそドイツW杯の最終予選とか、そんな辺り。
京都での生活にも少し慣れてきたあの頃、友人関係や西京極陸上競技場の距離を含めた周りの環境的にも、少なくともサッカーを見始めて、京都サンガのファンになる事は時間の問題だったと思う。実際に事はその通りに運んだし、地元のサッカークラブに入ったのもあの年だ。
大袈裟なことを言えば、偶然と運命は実に近いところにいるのかもしれない。自分の人生をある種、決定的に変えたのはバンコクで無観客で行われた北朝鮮との最終予選だった。
柳沢敦と大黒将志のゴールで日本が勝利したあの試合…目に留まったのはあの時、まさにこの国で救世主として扱われていた大黒将志と、あまりにも端麗なルックスでキャプテンマークを輝かせていた宮本恒靖。名前の下に表示されるクラブチームの名前は2人とも同じだった。どうやら最後の方に出てきた遠藤とかいう選手も同じチームらしい。そしてこれまではサンガのいるJ2リーグしか知らなかったけれど、どうやらJリーグには"その上"があって、ガンバはそこのチームなのだと。
それから1ヶ月、チャンネルをザッピングしていた時に目に入ったのは「ガンバ大阪vs東京ヴェルディ1969」という文字列。その時、その試合にチャンネルを留めたのは他でもなく、ガンバ大阪という文字に見たいつかのインパクトだった。あの時のあの人がいるチーム…それだけの理由でチャンネルを留めたその試合。その画面の中から殴りつけてくるかのように浴びせられたのが、あの7-1という衝撃的なゲーム、あまりにも刺激が強すぎた攻撃的スタイル。こんなサッカーあんのか!?その光景は小学2年生の私にとってあまりにも衝撃的だった。
私は2クラブを応援している立場であり、あまりその事を快く思わない人も多いと思う。なぜ自分がこうなったのか?そこを振り返れば、ある意味で自然の摂理のように見始めて応援するようになったのがサンガであり、魅せられてショックにも近い興奮を植え付けたのがガンバだった。初めてサッカーを見たあの年に魅せられたその結末…それは自分を、この世界の沼に引き摺り込むにはあまりにも十分過ぎたのである。
今考えると、あの2005年12月3日は運命の分岐点としか言えない瞬間だったと思う。
2023年、当時のレギュラーであり、ガンバレジェンドに名を連ねる橋本英郎氏が引退試合を行ったが、彼は引退試合の定石である"ガンバ選抜"的な形を取らず、2005年のチームの再現を試みた。それはスペインでプレーしているため来日できなかった丹羽大輝のビデオメッセージを含めれば、2005年の所属選手で出場機会のほとんど無かった選手まで全員集めた一方、2006年以降のガンバレジェンドである加地亮、安田理大、播戸竜二や2005年には退団していたユース同期の稲本潤一は日本代表チームでの出場とするほどの徹底ぶりで、実にコンセプチュアルな引退試合となった事をよく覚えている。
思えば橋本氏はその意図について、ガンバがその後多くのタイトルを獲得したことも、リーグの中で屈指の知名度とブランドを獲得したことも、そしてパナソニックスタジアム吹田という本拠地を手にしたことも、クラブのその後を激変させたのが2005年だった…そう繰り返し語っていた。あの日、ガンバ大阪は大阪を行き交うシャーレの淵を最後に掴み、優勝を勝ち取った。その後のガンバは常勝軍団としての日々を今日まで過ごせた訳ではない。しかしそれでも、他のクラブが求めても手に入らないような規模感は手にしている。それはガンバに訪れた歴史の分岐点を逃さなかったから……悲劇の業を背負う立場となった森島寛晃さえも悔恨したように、その瞬間は人が人生の中で、クラブが歴史の中でいくつか訪れる決定的な瞬間だったのだろう。
2023年12月16日、パナソニックスタジアム吹田。
小雨の止んだそのピッチの上では、橋本英郎の引退試合が執り行われていた。
後半開始前、橋本英郎が、遠藤保仁が、宮本恒靖が、シジクレイが、山口智が、フェルナンジーニョ、二川孝広、大黒将志、そしてアラウージョ……あの日、このクラブにとって最も美しい瞬間を奏でた面々が18年ぶりにピッチに集まり、円陣を成す。彼らが揃う姿が構えたカメラのフレームに収まった時、多分自分は少し泣いていた。その45分間はあまりにも美しく、あまりにも眩く、この上なく幸せな時間だった。あの3バックが顔を並べ、遠藤と橋本が中盤のタスクを全てこなし、気がつけば大黒、フェルナンジーニョ、そしてアラウージョがゴール前に──。何から何までもが、あの日の…私がサッカーを見始めて、ガンバ大阪というクラブに魅せられた小2に脳天を貫かれたものと同じ姿。あの多幸感に包まれながら眠りに落ちてしまいたかった。帰り道、太陽の塔を眺めた時、オトナ帝国で20世紀博に行った時のひろしってこんな感じだったのかな…とさえ思っていた。自分もどこか、歳をとる感覚を覚えたような気がする。
だが、そんな幸せな時間の跳ね返りはじわじわと押し寄せてきた。大阪モノレールを降りる頃、人並みもまばらになったホームで急に切なさが襲いかかってくる。「強いガンバを取り戻す」……近年何度も聞いたセリフがリフレインするように脳裏に響くが、橋本英郎の引退試合で見た幸せな時間は少し間を置き、ガンバが帰ろうとする場所は結局、あの監督とあのメンバーでしか成しえない奇跡の時代だったという事を突きつけてくる。一気に夢から現実に引き戻される感覚に苛まれていく。それはまるで2005年メンバーの躍動が今のガンバ大阪に過去を過去として受け入れる事を迫るかのように、過去は帰る場所にはならないという抗えない事を他でもない彼らが誇示してきたのかような感覚さえも覚えた。その時に、あの時は8歳で何をするにも親の庇護の下じゃないと動けなかった自分が、アラサーになって勝手に金を払って勝手にサッカーを見に来ている事実と時の流れが一気に全身を巡るような感覚…それは喜怒哀楽のどれを纏った感情だったのか、今もまだよくわかっていない。
確かな事は、過去は過去であり、時代は決して逆戻りなどしない。「強いガンバを取り戻す」と多くの人が語ってきたが、過去に手を伸ばしても栄光を引っ張り出せるのは思い出の中だけである。過去は過去…それが良いものでも悪いものでも、これからガンバが手にするものは過去ではなく未来の道に転がっている。
だが同時に、今日という日も明日には過去であり、今日という日も幾億年の過去の上に成り立った現在なのだ。全ての物事、全ての出来事、全ての現実、全ての夢には過去という背景がある。それは人は記憶と呼び、財産と成し、思い出とする。

万博記念公園駅を降りてパナソニックスタジアム吹田へと向かう途中に一つの標識がある。左には万博記念競技場、右にはパナソニックスタジアム吹田。橋本英郎引退試合の前にこの場所を通った時、右と左を分けるその分岐が、自分にはどこか道案内以上の意味を孕んだ標識かと錯覚する瞬間があった。
2005年12月3日、その日に産まれた子はハタチとなった。あの過去はあの光景を目にした全てのガンバファンにとっていつまでも美しい思い出であり、あの光景を知らないガンバファンにとっては歴史の中の偉大なる出来事として刻まれたその日は、今も自分達が生きる現実の下にある土台としてこれからも生き続けていく。
ではでは