
【前回までのあらすじ】
上位争いに踏みとどまったまま前半戦を終えたサンガ。川﨑颯太の海外移籍や米本拓司の負傷による中盤不足の影響が懸念されたが、むしろ8月は4戦4勝。それも4試合で13得点1失点という圧倒的な数字を残して首位で終盤戦を迎えようとしていた。しかし9月に入ると負けこそせずとも勝ち切れない日々が続き首位陥落。鹿島、柏、神戸と繰り広げる優勝争いは遂に最終盤に突入していく。
【その壁は前日譚〜京都サンガFC 2025シーズン振り返り総括ブログ〜】
第1話 NEW STANDARD(2024.12.8〜2025.2.22)
第2話 見たことのない景色(2025.2.22〜2025.7.21)
第3話 歩いたことのない道(2025.7.21〜2025.9.23)
第4話 2025.10.25(2025.9.23〜2026.2.6)
【過去の京都サンガFC シーズン振り返り総括ブログ】
【2025年のJリーグを振り返る記事をまとめたページを開設しました。随時更新していくので是非!】
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「優勝争いのプレッシャー」──皆が皆、知ったような顔をしてその言葉を口にする。
私を含め、ファンやサポーターは言わずもがな。それに選手や監督、スタッフにしても実のところ、その境遇に立たないとその感覚を口では語れないものなのだろう。それは残留争いはもちろん、J2やカップ戦の優勝争いとも全くもって次元が異なる。優勝争いはそういう境地であることをクラブは、そしてこのクラブのほとんどの個人は知らなかった。それは選手のみならず、今までは残留争いや昇格争いのフィールドがメインステージだった曺貴裁監督ですらそうだったのかもしれない。
第31節町田戦は実にエモーショナルなゲームだった。満員のスタジアムから放たれた空気は今季のクラブのスローガン通り、まさに熱情を共有するかのような感覚を覚え、絶対的エースがPKを仕留め切れなかったところから最終盤に追い付いた不屈の精神……相手の主将にも舌を巻かせたそのスピリットは、このクラブがこれまでにプレーしたことのない次元で戦っていることを感じさせるには十分なゲームだったと今でも思う。誰がなんと言おうと、あの試合はナイスゲームと声を大にして呼びたい90分だった。
だがその90分がナイスゲームだったとしても、讃えられるべきものであったとしても…試合後に突きつけられた現実もまた、サンガが今戦っているステージの現実を突きつけるものだった。昨年までのステージだった残留争いは勝点1を拾い集める戦いで、貴重な勝点1は往々にしてチームを上の順位に押し上げる。しかし優勝争いでは勝点1という結果ではちゃんと順位が下がってしまう。勝ち続けないと優勝争いには残れない、優勝争いの集団から振り落とされてしまう……町田戦のドローはその"優勝争いの定理"のようなものを突きつけてきた。
第32節C大阪戦は長沢駿の劇的決勝点でなんとか勝利を収めるも、続く第33節川崎F戦はまたしてもホームで1-1のドローに終わる。しかもC大阪戦ではラファエル・エリアス、川崎F戦では福岡慎平が負傷退場となり、以降10月までの試合を欠場するというアクシデントまで発生した。そして首位鹿島を勝点差5で追う立場の2位で迎えた第34節湘南戦、前日に鹿島と4位神戸が直接対決でドローに終わっていた為、サンガからすれば勝てば自力優勝が復活するシチュエーションだった。だが前半から17試合勝利のない湘南が不振がウソみたいな躍動を見せて先制を許し、更に前半のうちに鈴木義宜の退場という数的不利まで背負ったサンガは、終盤の猛攻で須貝英大のゴールで同点に持ち込む事が精一杯。第29節広島戦以降の戦績は1勝1敗4分。少なくとも好調ではないが、不振と呼ぶにはドローには持ち込めている。足踏み……まさにその言葉がぴったりと当てはまる状況だった。
優勝争いのプレッシャー…この季節になる度に耳にするその言葉に、このクラブは初めてその実感を覚えていた。
4月には好調のフェーズに入っていた前半戦、或いは30周年イヤーとなった昨季にはなかなか埋まらない事が指摘されていたスタンドは連日連夜の超満員。スタジアムに訪れる観客と同様に、日々の練習にクラブハウスに訪れるメディアの数も信じられないほどに増えていく。8〜9月頃には各メディアで「首位京都」「優勝を目指す京都サンガ」をテーマにした特集取材がありとあらゆるメディアで組まれるようになった。実際、サンガ特集号という訳ではなくともこの時期に発売されたサッカー専門誌の殆どには曺監督のインタビューなり記事が開催されていたような気がする。ただ、8月を首位で終えたサンガを取り巻く9月の環境はあまりにも誰も知らない環境に身を投じていたのだ。
何もかもが今までと違う……優勝争いを戦っているというサンガの立場、連日連夜満員のスタジアム、押し寄せるメディアの数…何より優勝争いという立場は勝点1を積み上げて下3つから逃れられれば良い残留争いとは異なり、勝点3を取り続けなければレースを続けることさえも許されない。後半の得点や逆転勝利がすこぶる多かった今年のサンガは先制点を取られても「まあ自分達のやり方を貫ければそのうち得点できるでしょう!」「1点ずつ返していこう!」というメンタルで戦えていたのが、今は先制点を取られれば「2点取らないと意味がない」「じゃあ1秒でも早く1点取らないといけない」という焦りへと変化していく。基本的にサンガの優勝争いは常に追う立場で展開していたが、一般的に首位を追われる側、首位以外を追う側と評したところで、勝点3を取らなければ優勝争いから振り落とされてしまうという焦燥感に追われ続けていた。
シーズン終了後、スポーツ報知は優勝した鹿島が9月以降「優勝」の文字を公式媒体で登場させる事や優勝関連の取材の一切を断っていた事を取り上げる記事を出し、それを鹿島の優勝の要因の一つとして取り上げた。結果を求めるならば、正しいのは間違いなく鹿島のやり方だろう。鹿島はその文言を封印する事で選手達に"いつも通り"の環境を提供していた…と。
じゃあサンガは調子に乗っていたからメディアの取材を受けまくっていたのか?と聞かれればそれは違う。
大前提、サンガのようなクラブにとってメディアが大挙して練習場に詰めかけることなど、例えば三浦知良が100得点を記録した時のように個人にメモリアルな出来事でもない限り起こらない出来事である。歴史も実績もスターも揃うガンバ大阪、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸がひしめく関西で日陰者の立場を背負うしかなかったクラブが「優勝」という言葉を使える今、サンガはこの言葉の背に乗って露出を図る必要があった。そういう事は優勝を果たしてからやればいい…そう語る人もいるだろう。だが鹿島のようなクラブと比べて、サンガはまだ"来年"を軽々しく語れるクラブではない。優勝という言葉をコアなサポーターに、スタジアムから足が遠ざかったライトなファンに、そしてサンガが浸透しているとは言い難い京都という街に強烈にアピールしていかなければならない。サンガにとっての優勝争いはピッチ内でもピッチ外でも千載一遇のチャンスだった……一兎を追うだけではクラブのスタンダードを変えることなどできない。優勝という一兎を追うことが出来るのは、既に二兎を得ているクラブだけなのだ。
そういう意味では、特にこの9〜10月のサンガの選手やスタッフは途轍もない極限状態に置かれていたと思う。チームは夢を持ち、目標に向かって走っていったが、いつしかそれが使命に変わった瞬間があり、全てがいつも通りではなくなったその瞬間に焦燥へと変わっていった。考えてみればクラブはもちろん、選手個々でも優勝争いの経験を持つ選手は殆どいなかったし、曺監督でさえもその経験はなかったのだ。初めて優勝争いをするということ……それはあまりにも大きなものを背負って走る事に他ならない。"優勝争いのプレッシャー"という言語化し切れないプレッシャーは、じわじわとその身を蝕んでいく。
…そう考えれば、湘南戦は優勝争いで足踏みしたという最も痛い現実を負ったものの、本来であれば賞賛されるべきドローだったのだろう。
相手は降格圏どころか5ヶ月、17試合も勝利のない相手だったが、途中までのパフォーマンスは見事だと称賛されるべきもので、サンガに対する対策のようなものもできていた。その中でサンガは前半のうちに先制点を取られ、PK失敗というダメージを負い、数的不利という状況に陥る…そんな中で見せた同点劇は不屈の魂という言葉以外にあのシーンを表す言葉が思い浮かばない。正直なところ、終盤戦になればチームの総合力自体が劇的に上がったり下がったりする事はないと思っている。であれば、相手に施される対策やその時々の状況にかかるプレッシャーにも揉まれながら、中盤戦までに培った総合力でもって殴り合うしかない。終盤戦とはそういうサバイバルだ。それ自体は残留争いや昇格争いでも同じ事だろう。
更に印象的だったのは同点ゴールを取った後のシーンだ。思い返せば半年前の第8節柏戦、あの試合もアディショナルタイムのラストワンプレーで同点に追い付いたが、あの時は選手もスタジアムも狂喜乱舞と呼ぶべき湧き方をしていた。それは第8節のスタジアムとして間違った姿では決してないのだが、既に勝点1は「足らない」と認識していたチームは得点者の須貝を筆頭にすぐさま2点目を取りに行こうとボールを拾いに行き、実りこそしなかったがもう1プレーでCKにまで漕ぎ着けている。優勝争いのプレッシャーが転化したような焦燥感に追われたサンガは、焦燥感に追われながらも確かに走り続けていた。なんとか先頭集団に、首位・鹿島アントラーズの腰にしがみつき、振り落とされないように走り続けていた。
鹿島との勝点差を詰める事はできなかった。
順位は柏に抜かれて一つ落としていた。
それでも最後に執念でもぎ取った1点はこのチームの夢をどうにか繋ぎ止めてみせた。
3位京都サンガ、勝点61。首位鹿島アントラーズ、勝点66。大一番という言葉は昇格争いや残留争いでしか使ったことのないクラブは、クラブ史上最大の大一番を迎える。
あれは2005年10月22日のこと。J2の首位を独走していたサンガはこの日、J1への復帰を決めた。
この年は自分がサッカーを見始めた年だったからよく覚えている。あの日もずっと、試合前から晴れたり雨が降ったり不安定な空模様。2-1で迎えた終了間際、虹が向こう側に見えたスタジアムで星大輔が決めた昇格決定弾を今もまだ覚えている。その結果で挑んだ初めてのJ1リーグ……小学校低学年だった私は、J2での独走っぷりを見た時に「J1だって普通に勝てるものだ」と信じて疑わなかった。その希望を打ち砕くかのように開幕戦で4失点、第2節で7失点…言うなれば、J1はJ2の向こう側だったけれど、J1にも"向こう側"がある事を知ったのだった。
あれから20年が経った。小学校低学年だった私は30代を目前に据え、サッカーファンとして、サンガファンとしての月日は20年に達した。
2025年10月25日、今はサンガは間違いなく、あの日の少年に絶望を与えた"J1の向こう側"に立っている。クラブは今までに知らなかった歴史の淵に立った。それぞれに心のクラブがあり、どんな状況でもそれぞれが愛するクラブの試合が一番大事…それは間違いない。だがそれでも、この日のJリーグの中心地は間違いなくサンガスタジアム by KYOCERAだった。
2025明治安田J1リーグ第35節、京都サンガFC vs 鹿島アントラーズ。クラブ史上最大の大一番。全ての視線がこのピッチのボールに注がれる。
掛け値なしに素晴らしいゲームだった。
クラブ史上最大の大一番…その舞台で前半、サンガが見せたサッカーはまさしく曺貴裁体制の集大成と呼んでもいいようなパフォーマンス。何が良かったのか?というところは当時のマッチレビューの方を読んで欲しいが、鹿島を自分達のペースに引き摺り込む為の準備とプランを練り、ずっと強調していた強度を押し出し、昨季後半から最も変わったクオリティの部分も示し出す。大一番でいきなり先発出場となった齊藤未月は復活を印象付けには120%の働きだったし、鈴木の出場停止により出番が回ってきたアピアタウィア久はこれまでの悔しさと、その悔しさと共に重ねた努力の全てを見せつけるようなキャリア最高のパフォーマンスを見せる。
36分、左サイドでボールをキープした長沢駿がトリッキーなパスで中央に折り返す。これを受けたマルコ・トゥーリオは巧みなステップワークで一度、二度と相手DFの足並みを翻弄しコントロールショット。先制…!やや重圧に押されて本来の躍動感が出にくいゲームも多かった中で見せたあの躍動感は光り輝いてさえもいた。それもこのシチュエーションでエリアス、福岡、鈴木…FW/MF/DFの主軸を一人ずつ欠く中でこれだけのゲームをやってみせた…我々はこの勝利に値するチームなんだ、そして優勝に値するチームなんだ、かつては妄想だけで叫んだその言葉を、全てのファンに向かって叫んでも何も恥ずかしくない。天候だけが不安げだった亀岡の空模様とは対照的に、スタジアムの屋根の下には晴れ晴れとした高揚感が渦巻いていた。
後半になると前半ほどサンガのゲームという訳にはいかず、むしろ劣勢を強いられるような場面も増えていく。だがサンガも途中出場の中野瑠馬らが起点となりながら、昨季後半からのサンガにとって重要なポイントだった「割り切る時はちゃんと割り切る」という姿勢を見せ、その上で「出ていく時には全力で出ていく」というポリシーを貫いた。一度傾いた流れでも跳ね返し、サンガの目の前に広がる道は確かに勝点3へと繋がっていた。
とはいえ相手は鹿島アントラーズ。鹿島の立場からすれば、優勝を目指すにあたってすぐ後ろに柏、京都、神戸が迫っている。もしこの試合に負けた時…鹿島に勝った勢いで京都が一気に畳み掛けてくるかもしれない、ルヴァン杯決勝を控えていた柏が同大会で優勝すればその勢いを背に走ってくるかもしれない、鹿島が怯んだタイミングで神戸が鹿島しか歴史の中で知らない3連覇を一気に手繰りよせるかもしれない。なにより鹿島アントラーズとして、この試合とこのシーズンを他クラブの栄光史にしてはいけない……あの手この手で交代策を繰り出しては猛攻を繰り出してきた。
サンガは耐えた。耐え続けた。宮本優太は鹿島の決定機の前に何度も立場だがった。出色の働きを見せたアピアタウィアに代わって送り込まれた麻田将吾は彼もまた大怪我から復帰してのビッグマッチだったが、強烈な猛攻を前に何度も身体を張った。
耐えて、耐えて、耐えて………勝てば鹿島との勝点差は2。不安定だった天気は夕暮れ前に雨へと変わる。クラブ史上最大の大一番は、クラブ史上最大の勝利の瞬間はもう目の前まで来ていた。サンガは確かにその手を鹿島の肩にかけていた。アディショナルタイム、掲示の時間は6分。時間は95分50秒を過ぎる。一度エリア内から掻き出したはずの鹿島は再びサンガ陣内へと歩を進めた。それでもここが最後。鹿島のシュートが枠を外れれば、誰かがこぼれたボールを大きく蹴り出せば笛は鳴り響く。その刹那────。
…刹那と呼ぶには、その瞬間はあまりにもスローモーションだった。
右サイドで松村優太がボールを持った時、チャントが鳴り響いているにも関わらず、その声と歌はしっかりと聞こえているにも関わらずどこか全ての音が無音になったような気がした。
なんで、なんで、なんで………………全身の力が抜けていくのがわかる感覚、身体の支柱のようなものが崩れていく感覚…雨足を強めた曇天が覆うスタジアム、伸ばした手を肩にかけようとした時に触れた壁はどこまでも堅く、どこまでも冷たかった。

2026年1月6日、京都サンガFCは2026年シーズンに向けた新体制発表会を執り行っていた。
「待つだけでは優勝では入ってこない。自分達で手に入れないといけない」という想いでスローガンに"Take the Crown"と掲げた曺監督は、その席上でこんな言葉を紡いでいた。
「チームとして、クラブとして、もしくは選手個人として、グループとして、我々スタッフ全員として、"優勝"という気持ちを持って臨むシーズンは、正直僕の監督人生の中で初めてかもしれないです。」
2025.10.25。
あの日、確かに勝利は目の前だった。確かに勝ち筋の上を走っていた。誇るべきパフォーマンスだった。
それらを踏まえた時、2025年という見たことのない景色を見て、歩いたことのない道を走った激動のシーズンの最後にサンガに立ちはだかったのが相手が鹿島アントラーズというこの国で最も結果を勝ち取ったクラブである事も、最後にサンガを突き落としたのがレオ・セアラでもなければ荒木遼太郎でもない、他の誰でもない鈴木優磨だった事も、あの試合を構成した要素の全てが悲劇としてあまりにも出来すぎていた。確かにあの時点ではまだ優勝争いは終わってはいなかったのだけれども、サンガの優勝争いは確かにあの瞬間、今の鹿島のシンボルの手によって終止符が打たれたのである。

「鹿島らしさ」なんて、じゃあ何をもってしてそうなの?というか、言語化できない抽象的な表現だとは思う。
— RK-3 (@RK3_gsgb) 2025年10月25日
だからこそこの大一番で、言葉で表現できない鹿島らしさを突きつけられたような感覚でいる。得点者が他の誰でもなく鈴木優磨だった事も含めて……。 pic.twitter.com/4ytxeAgnTz
「鹿島らしさ」なんて、じゃあ何をもってしてそうなの?というか、言語化できない抽象的な表現だとは思う。
— RK-3 (@RK3_gsgb) 2025年10月25日
だからこそこの大一番で、言葉で表現できない鹿島らしさを突きつけられたような感覚でいる。得点者が他の誰でもなく鈴木優磨だった事も含めて……。 pic.twitter.com/4ytxeAgnTz
間違いなくクラブ史上最大の大一番だった。ある意味で鹿島アントラーズという壁は、このクラブが一回り大きくなる為にぶち当たらなければならないものだったのかもしれない。見たことのない景色を見るという事、それは見たことのない景色が増えるという事と同義である。鹿島戦の後、曺監督は鹿島の勝負強さに触れた上でこう続けた。
「必要な経験だったんじゃないかと思う。タイトなプレッシャーの中での試合は、クラブとして経験がない。これは必ず次つながる。言葉では経験不足ということになるが、経験不足は経験しないと不足分は補えない。」
悲劇も、悲劇に至るまでも、どれもこのクラブがこれまでの歴史の中で知らなかった世界。これまで昇格や残留など形は違えども「J1リーグにいる事」を目標にしていたチームが、初めて「J1リーグを獲る事」を目標に走った中で得た興奮、高揚感、自信、手応え、悩み、困惑、そして突きつけられた痛み。鹿島戦の後、曺監督が言った言葉は今年のサンガが得たもの、足りなかったものの全てだろう。
…個人的に、サンガの優勝が無くなった後のタイトルレースは鹿島に優勝してほしいと思っていた。鹿島を応援していた訳じゃない。柏に優勝してほしくないとかそういう事でもない。だが鹿島が優勝する事で、あの日サンガがぶつかった壁の意味が直接的な教訓になると思っていた。あそこで守りきれなかったからサンガは優勝できなかった。あそこで点を取ったから鹿島は優勝した。宮本優太と福田心之助……彼等なしではこの冒険はなかったといえるような選手さえも弾ききれなかったボールに象徴の伸ばした足が届いた鹿島が優勝した。あの日の鹿島アントラーズはサンガにとって、その実力と執念と、なにより彼等が背負い続けた歴史と矜持でもって壁になったのだ。
2026年2月6日、今、サンガは新たなシーズンを迎えようとしている。
2025年のサンガは最後に壁にぶつかった。だが、壁にぶつかるところまで走れた。それもまた大いなる事実である。優勝争いをする中で掴んだチームへの手応え、高まる実力…それらを自信として備えた。優勝争いを取り巻く非日常的な感覚も、サンガにとってはある意味では見たことのない景色だった。曺さんの言う「経験不足は経験しないと補えない」という言葉……それはサンガが2025年に経験した全てが将来に向けた財産であり、その財産を手にしたのはひとえにこの年に向けたサンガの努力で掴んだ知見なのだ。
2025.10.25が2025年というクラブ史の中での一つの思い出になるのか、黄金時代の草創期として語られる価値を残す悲劇になるのか。優勝争いをしたから、優勝争いのプレッシャーを背負ったからこそ得られた悔しさを血肉として、鹿島のようなクラブは大きくなっていった。それは鹿島に限らず、今のJ1で競合と認識されている多くのクラブも然りだ。
2002年は京都サンガというクラブの歴史の中で"ひと夏の思い出"となってしまった。あの年に記録した「2万人来場」というアンタッチャブルレコードは何度も超えられるようになった。あの年に記録した「5位」というアンタッチャブルレコードも遂に乗り越えた。2025年の京都サンガは決して、クラブ史の中でのひと夏の思い出になってはいけない。鹿島アントラーズという壁はひと夏の思い出の終着点ではなく、その壁がこのクラブが大きくなる歴史の前日譚にしなければならない。
2026年シーズンが幕を開ける。この開幕はこれまでの開幕ではない。見た事のない景色を見る事が次の見た事の景色を作り、その景色の為に歩いた事のない道を歩き、立ちはだかる壁を越えていく。その繰り返しだけがクラブのスタンダードを変えていく手段なのだ。
第36節横浜FM戦の敗北により優勝の可能性が消滅した後、気落ちしたはずのチームは自らもう一度己を奮い立たせていた。曺監督が「今シーズン数々の忘れられないシーンはありますが、一番のメモリアルシーンは優勝を逃したあとの3週間のサンガタウン城陽のトレーニングでした。1ミリもピッチの中での温度を下げずに、素晴らしいトレーニングを作り上げてくれた選手、スタッフを心から誇りに思います。」と激賞したチームは、最後の2試合を見事に勝ち切ってみせる。それもまた、このクラブが一つ大きなものを乗り越えた瞬間だった。3位という大きな成績はその繰り返しで掴み取った快挙だった。であれば、この先を信じる事だって決して不可能ではないし、何よりその権利を今のサンガは持っているはずだ。
日本サッカーの歴史を振り返ると必ず辿り着く"悲劇"があるように、ドラマを辿れば出来すぎた悲劇がどこかにある。日本サッカーはあの悲劇を教訓にのし上がり、あの日からは想像もつかないような景色を見て、その景色の先で新しい景色を望んでいる。前日譚…サンガの優勝争いを語る為には、どうにか残留をし続けたJ1での戦いの日々もそう、J1で戦う為のJ1昇格もそう。曺貴裁京都はこれまで、目標としてきたいくつかのポイントを前日譚として消化し、その上にチームを積み上げてきたはずだ。クラブは今、己のスタンダードを変えるチャンスが目の前に来ている。あの壁もまた、このクラブの物語の前日譚として記憶される未来を願っている。
岡山との開幕戦の後、広島に0-5で負けた時、熊本との入れ替え戦でなんとか生き残った時、千葉で昇格を決めた時、曺監督の就任が発表されたあの時、J1がサンガにとって"帰る場所"とは思えなくすらなっていたあの頃、今日という立ち位置を想像できたでしょうか?… pic.twitter.com/aUfo0290nU
— RK-3 (@RK3_gsgb) 2025年12月6日
【第1話から読む】
【その壁は前日譚〜京都サンガFC 2025シーズン振り返り総括ブログ〜】
第1話 NEW STANDARD
第2話 見たことのない景色
第3話 歩いたことのない道
第4話 2025.10.25
【過去の京都サンガFC シーズン振り返り総括ブログ】