
\日本晴れ/
どーもこんばんは
さてさて、北中米W杯までいよいよ残り2〜3ヶ月です。
森保一監督率いる日本代表はW杯メンバー発表前最後の親善試合として3月28日にスコットランド代表、そして3月31日にイングランド代表と対戦。グレートブリテンを舞台に欧州の実力国と、そして長い長い歴史の中でも最強世代と称される優勝候補国とのテストマッチに挑みました。この2試合が終われば次の日本代表イベントは5月15日の最終メンバー発表ですから、それだけに2026年への冒険は最終局面を迎えたと言えるでしょう。
という訳で、今回からはW杯の日本代表にちなんだ連載企画をば。
「サプライズ選出」───W杯メンバーの発表が近付く度に、様々なメディアで度々耳にするフレーズです。印象的なところで言えば2002年の中山雅史と秋田豊、2006年の巻誠一郎、2010年の川口能活、2014年の大久保嘉人辺りでしょうか。彼らは次の日のスポーツ新聞を賑わせ、次のトピックが来るまでは、選考の話題を独り占めする事になります。
しかしその反面、サプライズと称されるように一人滑り込んだ人間がいるという事は、同時に一人滑り落ちてしまった当落線上の人間がいる…という事になる訳です。しかしながらHOWEVER、W杯メンバーまであと一歩のところまで迫った時点で、その選手は言うまでもなくその時代を代表する名選手であり、日本代表やJリーグにとってのスタープレーヤー。という訳で今回からは、過去の日本代表のW杯メンバーに於いて、当落線上にいながら落選してしまった、或いは出場確実とされながら怪我等で大会参加が叶わなかった選手で11人を組み、各大会の裏ジャパンを作ってみたいと思います。
第5回はブラジルW杯編です。
南アフリカW杯での成功と課題を経て誕生したザックジャパンでしたが、南アフリカW杯で活躍した多くの選手が欧州進出を果たし、名実ともに彼らが主軸となって迎えた代表チームも初陣のアルゼンチン戦に勝利すると、アジアカップ2011でも優勝。長友、香川、本田は少し前までは考えられなかったようなビッグクラブへ移籍し、スペクタクルなポゼッションサッカーを見せた当時の代表チームの完成度・タレント性・人気はまさしく日本代表史上最強と言っても過言ではないものでした。しかし結果は……。
代表メンバーに関しては、2013年のコンフェデ杯まではほぼほぼ同じ11名どころか大体同じ23名が選ばれていたものの、最終予選とコンフェデ杯を終えた2013年7月に国内組だけで挑んだ東アジア選手権を機にメンバーの入れ替えを敢行。ここでロンドン五輪世代が台頭し、一気にメンバー争いに食い込んできた選手が多くいた一方で、これまで準レギュラー格だった選手が次々に外れるなど、メンバー選考はコンフェデ杯以前・東アジア選手権以後が一つのポイントにもなりました。
・2014年ブラジルW杯編
・2022年カタールW杯編(後日!)
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【2014年ブラジルW杯日本代表メンバー】
監督:アルベルト・ザッケローニ
コーチ:ステファノ・アグレスティ
コーチ:和田一郎
GKコーチ:マウリツィオ・グイード
フィジカルコーチ:エウジェニオ・アルバレッラ
コンディショニングコーチ:早川直樹
第1戦 vsコートジボワール●1-2(得点者:本田圭佑)
第2戦 vsギリシャ△0-0
第3戦 vsコロンビア●1-4(得点者:岡崎慎司)

GK1 川島永嗣(スタンダール・リエージュ)
DF2 内田篤人(シャルケ04)
DF3 酒井高徳(VfBシュトゥットガルト)
FW4 本田圭佑(ACミラン)
DF5 長友佑都(インテル・ミラノ)
DF6 森重真人(FC東京)
MF7 遠藤保仁(ガンバ大阪)
MF8 清武弘嗣(1.FCニュルンベルク)
FW9 岡崎慎司(1.FCマインツ)
FW10 香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)
FW11 柿谷曜一朗(セレッソ大阪)
GK12 西川周作(浦和レッズ)
FW13 大久保嘉人(川崎フロンターレ)
MF14 青山敏弘(サンフレッチェ広島)
DF15 今野泰幸(ガンバ大阪)
MF16 山口蛍(セレッソ大阪)
MF17 長谷部誠(1.FCニュルンベルク)
FW18 大迫勇也(1860ミュンヘン)
DF19 伊野波雅彦(ジュビロ磐田)
FW20 齋藤学(横浜F・マリノス)
DF21 酒井宏樹(ハノーファー96)
DF22 吉田麻也(サウサンプトン)
GK23 権田修一(FC東京)
【ブラジルW杯の当落線上で落選してしまったメンバーベストイレブン】
※システムやフォーメーションは当時の代表と異なる場合があります。

GK 林卓人
(サンフレッチェ広島)
生年月日:1982年8月9日
それ以前のW杯出場:なし
その後のW杯出場:なし
日本代表通算成績:0試合0得点(2012〜2013)
★予備登録メンバー選出
2011〜2012年の仙台大躍進の立役者であり、川島が不在の東アジア選手権2013では第3GKとして優勝メンバーに名を連ねたGK。
第4GKの位置は東口順昭、林彰洋辺りが争っていた中で林卓人がその地位を手に入れつつあったが、当時の代表は川島・西川・権田の3人がアジアカップ2011の時点からほぼ固定されており、この3人の誰かが負傷離脱する事も特になかったので招集機会は少なかった。ただ、3人に次ぐ予備登録メンバーには登録されている。
DF 駒野友一
(ジュビロ磐田)
生年月日:1981年7月25日
それ以前のW杯出場:2006年ドイツW杯、2010年南アフリカW杯
その後のW杯出場:なし
日本代表通算成績:78試合1得点(2005〜2013)
★アジア最終予選参加
☆予備登録メンバー選出
レギュラーSBにして欧州トップレベルでも活躍していた長友や内田にも勝るキックの精度を持ち、ザックからも「真のプロフェッショナル」として信頼を得ていたSB。左右両方のSBをこなせる事から両SBの控え一番手として常に招集され、長友か内田が欠場となった場合はいずれの場合も先発起用されるのは駒野だった。実際、最終予選で内田が出場停止となったイラク戦では右SBとして先発し、1-0で勝利した決勝点にも絡んでいる。
しかし2013年に入るといわゆるW酒井が台頭、コンフェデ杯のメンバーから落選。国内組の東アジア選手権こそ主将として優勝に貢献するが、以降は自身もクラブの不調と共にフォームを落とし、序列がW酒井の次の5番手SBの立ち位置になってしまった事から徐々に代表から遠ざかった。酒井宏樹はクロスに特徴を持ち、酒井高徳は両サイドをこなせるなど、奇しくも駒野の持つ長所を若い2人で補えてしまった影響は大きかったのかもしれない。南アフリカW杯は自身のPK失敗がハイライトとなってしまっただけに、ブラジルW杯に懸ける想いは人一倍強いものがあったが…。
なお、ザックはメンバー発表後に駒野、細貝、中村、前田、李忠成の5人に「W杯には連れて行けなかったがザックジャパンを支えてくれた功労者」として通訳を通じて謝意を伝えている。
DF 栗原勇蔵
(横浜F・マリノス)
生年月日:1983年9月18日
それ以前のW杯出場:なし
その後のW杯出場:なし
日本代表通算成績:20試合3得点
★アジア最終予選参加
☆2013年コンフェデ杯出場
ザックジャパン初期の常連メンバーの一人。初陣となるアルゼンチン戦では今野とCBコンビを組み、その後は吉田の台頭で控えには下がったが、今野か吉田の不在時であったり、ザックが当初志向していた3バックを試す際には3バックの一角に入るなど準レギュラーの座を手にしていた。特に吉田の欠場により出場した最終予選の敵地オーストラリア戦ではゴールライン上のスーパークリアから得点、挙げ句の果てに退場まで喰らい"栗原劇場"として伝説にもなっている。コンフェデ杯でもメキシコ戦に先発するなど2013年までは第2CBのポジションを確保しており、その時点では最終メンバー入りする事になる伊野波よりも出場機会は与えられていた。
しかし自身も出場した東アジア選手権で森重が台頭。最終的にはザックがポゼッションへの貢献度も踏まえた事から森重と伊野波が優先される形になり、東アジア選手権以降は招集されないままブラジルW杯への挑戦は幕を閉じた。
DF 水本裕貴
(サンフレッチェ広島)
生年月日:1985年9月12日
それ以前のW杯出場:なし
その後のW杯出場:なし
日本代表通算成績:7試合0得点
★アジア最終予選参加
☆予備登録メンバー選出
当時のJリーグで快進撃を続けていた広島のレギュラーCBで北京五輪日本代表の主将。2008年以降は代表から遠ざかっていたが、最終予選イラク戦で今野と栗原が同時に出場停止となった事で代表復帰。最終的にザックは伊野波を選んだが、イラク戦前の親善試合2試合では伊野波と45分で入れ替える形で吉田とコンビを組むなど、控えCBとして一定の評価は受けていた。
その後の招集は今野、吉田、森重、伊野波が欠場した時のみの散発的なものとなったが、予備登録メンバーには栗原を振り切って名前を連ねており、最終メンバー発表後に長谷部と酒井高徳の状態が不透明になった際には代替選手の候補として挙げられていた。
MF 中村憲剛
(川崎フロンターレ)
生年月日:1980年10月31日
それ以前のW杯出場:2010年南アフリカW杯
その後のW杯出場:なし
日本代表通算成績:68試合6得点(2006〜2013)
★アジア最終予選参加
☆2013年コンフェデ杯出場
★予備登録メンバー選出
コンフェデ杯まではトップ下の2番手として常時招集。特に本田が欠場する事の多かった2011年後半はほぼスタメン起用されており、当時は本田香川共存問題が叫ばれていた中で香川とは本田以上に好連係を見せるなど出場時には好パフォーマンスを見せていた。しかし彼もまた東アジア選手権組に押し出される形で代表から離れて予備登録メンバーに留まっている。
落選メンバーでも最も待望論が巻き起こった選手でもあり、特にサプライズ招集となった大久保とは所属クラブでホットラインを築いていた事から「大久保を呼ぶなら憲剛も…」という声は根強く、中村自身にもその想いはあった模様。また、自身が南アフリカW杯の経験からベンチメンバーの重要性を認識していた事で「呼んでさえくれれば(ベンチのベテラン枠だったとしても)力になれると思っていた」とも語っている。メンバー発表時は川崎が試合に向けた移動中だった事から大久保がサプライズ招集された瞬間のチームバス内の動画を川崎の公式SNSが公開していたが、大久保と大久保を祝う選手のテンションと中村のコントラストは印象的だった。
なおザックの通訳を務めた矢野大輔氏の著書に依ると、ザックは「酒井宏樹のCB起用を試さなかった事」をメンバー選考唯一の後悔として挙げており、酒井宏樹がCBで計算できるようならばMFを一枠増やして中村か細貝を招集できたと語っており、実際に最後まで悩んだ末に落としたのが細貝、南野、中村だったとの事。
MF 細貝萌
(ヘルタ・ベルリン)
生年月日:1986年6月10日
それ以前のW杯出場:なし
その後のW杯出場:なし
日本代表通算成績:30試合1得点(2010〜2014)
☆アジア最終予選参加
★2013年コンフェデ杯出場
☆予備登録メンバー選出
落選に最もサプライズ性があったのが細貝と言える。ザックジャパン発足当初から常に代表に参加しており、アジアカップ2011では準決勝で得点を記録するなど優勝に貢献。それ以降は遠藤と長谷部で固定されていたボランチの控え一番手で、試合終盤の守備固めやターンオーバー的に長谷部や沿道を休ませる場合にはいずれも細貝が起用されるなど、リザーブながらコンフェデ杯終了時点ではリザーブながら当確メンバーの一人と目されていた。
しかし東アジア選手権で青山と山口が台頭し、3人で控えボランチの2枠を争う格好となると、中村や前田とは異なり細貝は最後の最後まで代表活動には参加し続けていたがザックは最終的に青山と山口を選出。結果的に細貝はザックジャパンの4年間で"W杯だけ行けなかった"という形に。細貝は時差や試合の関係で発表を生中継では見ておらず、落選は起床時にプロ野球選手の涌井秀章からのメールで知ったという。ちなみに細貝に絶大な信頼を寄せていた当時のヘルタ・ベルリンのルフカイ監督は「(細貝の落選は)理解できない」と公にコメントしていたが、細貝本人はザックに対しては「感謝しかない」と後に述べている。
なお、最終メンバー発表後の負傷で長谷部と酒井高徳の状態が不透明になった際、田中誠が負傷離脱したドイツW杯で茂庭照幸をバカンス中のハワイから緊急で呼び出す事態になった反省から「長谷部か酒井が間に合わない場合、いずれにしても細貝と入れ替える」という方針を早い段階で固めており、実際に登録期限ギリギリまで細貝にはいつでもブラジルに行けるように待機命令が出ていたが、自身の選出が誰かの怪我と引き換えである事やメンタルを含めたコンディション調整の難しさから「めちゃめちゃ複雑な心境」と振り返っている。
MF 高橋秀人
(FC東京)
生年月日:1987年10月17日
それ以前のW杯出場:なし
その後のW杯出場:なし
日本代表通算成績:7試合0得点
★アジア最終予選参加
☆2013年コンフェデ杯出場
身長184cmの大型ボランチかつ、元々は教師志望で東京学芸大学に進学したキャリアを持つ頭脳派ボランチ。長身のボランチというタイプ自体が日本では稀有だった上に、ハードワークタイプの細貝とは異なるアンカータイプのボランチとしてザックの評価も高く、最終予選の時期にはクローザー的な起用をされるなど2012〜2013年はほぼ全ての代表活動に帯同。世代別代表経験もなくほぼ無名のところから代表に定着した事から"ザックの恋人"と称するメディアもあった。実際にザックはJ1での実績がほぼ皆無の段階から注目していたそう。
だが基本的に出場機会なアディショナルタイム前後での交代が多く、それすらもない試合の方が多かった。スタメンの機会もほとんど無いまま東アジア選手権以降は青山と山口に序列を抜かれる形となり、守備のオプションとして推す声もあったが細貝を含めた最終盤のボランチ争いには絡み切れず。一時は常連メンバーでこそあったが、不憫な立場ではあった。
MF 乾貴士
(アイントラハト・フランクフルト)
生年月日:1988年6月2日
それ以前のW杯出場:なし
その後のW杯出場:2018年ロシアW杯
日本代表通算成績:36試合6得点(2009〜2019)
★アジア最終予選参加
☆2013年コンフェデ杯出場
サイドの切り札として期待されていた宮市亮が怪我の影響で伸び悩み、大津祐樹がロンドン五輪のインパクトから期待されながらもブレイクしきれなかった中で、新たなジョーカーとして白羽の矢が立ったのがドイツで安定した活躍を見せらようになっていた乾だった。2012年の後半から2013年までは代表常連組の一人となり、フランス・ブラジルと対戦した欧州遠征でも控え組の中では多く出場機会獲得。2013年の代表活動には最終予選やコンフェデ杯から東アジア選手権後も含めてほぼ帯同。有力候補の一人と目されていた。
しかしジョーカーの立ち位置もチャンスメーカー枠としては清武、ドリブラー枠としては齋藤が優先され、ザックが奇しくもセレッソの後輩となる南野を評価していた事もあり予備登録メンバーからも漏れた。しかし乾はここからスペインに渡って更なる飛躍を遂げ、次のW杯では主役の座に躍り出る事となる。
FW 前田遼一
(ジュビロ磐田)
生年月日:1981年10月9日
それ以前のW杯出場:なし
その後のW杯出場:なし
日本代表通算成績:33試合10得点(2007〜2013)
☆アジア最終予選参加
★2013年コンフェデ杯出場
「W杯との縁がなかった選手」と言えば悲劇的かつ象徴的な落選を遂げた三浦知良やW杯のタイミングでコンディションに問題を抱えてしまう中村俊輔が挙げられるが、W杯との巡り合わせの悪さ…という意味では前田が最たる例なのかもしれない。
岡田ジャパンでは起用法が折り合わず当落線上から漏れたが、ザックジャパン発足直後のアジアカップ2011ではレギュラーとして優勝に貢献。2011年は新たに台頭した李忠成やハーフナー・マイクが先発に入る事もあったが2012年に入るとスタメンの座を取り戻し、最終予選では消化試合を除く全試合で先発するなどコンフェデ杯まで不動の1トップとして活躍した。前田がワントップを務めていた頃の日本代表はまさしくザックジャパンのピークで、タレント集団と化した2列目を活かすにあたって献身的な守備を厭わず、かつ最前線でのポストプレーに長けた前田がこのチームに与えた影響は大きく、現在の日本代表にも通ずる"2列目が点を取るサッカー"は2012〜2013年頃の前田の働きぶりから確立されたとも言えるほどのプレーぶりであり、単なるレギュラーFWではなく戦術上のキーマンと表現しても決して大袈裟ではなかった。
しかしロンドン五輪世代のFWが東アジア選手権で台頭し、ザックがここで大幅な世代交代を行った事で中村、駒野らと共に代表からフェードアウトしていく形に。所属する磐田のJ2降格などの不振もあってかコンフェデ杯以降は再び代表に呼ばれる機会はなく、その前田からFWの座を奪ったFWが2013年に時の人となっていた柿谷であり、そして前田が確立した役割をその後の代表で担い続ける事となる大迫だった。南アフリカW杯は誰よりも数字を残しながらも戦術上の理由で生き残れなかったが、ブラジルW杯では戦術の要を担いながらより数字を残した選手に追い抜かれてしまう結末はあまりに皮肉なものだった。
だが巡り合わせとは不思議なもので、2020年に引退した前田はその後指導者に転身すると、2023年からは第2次森保ジャパンのコーチに就任。選手としては出場が叶わなかったW杯に、コーチという立場で挑もうとしている。
FW 豊田陽平
(サガン鳥栖)
生年月日:1985年4月11日
それ以前のW杯出場:なし
その後のW杯出場:なし
日本代表通算成績:8試合1得点(2013〜2015)
★予備登録メンバー選出
北京五輪で日本代表唯一の得点者として注目された後は少し伸び悩んだが、再起を図って移籍した鳥栖での大ブレイク。サガン鳥栖史上最高の選手としてチームのJ1昇格&定着に貢献した事を評価され、当時のザックジャパンも李忠成やハーフナー・マイクといったフィジカルに長けたFWがやや伸び悩んだ事から大型FWタイプとして東アジア選手権で代表デビューを果たした。同大会では柿谷や大迫のように得点こそ無かったものの守備やポストプレーで存在感を発揮し、試合後にはザックが名指しでパフォーマンスを賞賛。その後もコンスタントに代表招集を受けていた。本田圭佑は星稜高校の1学年後輩でもある。
W杯時点では鳥栖もリーグで優勝争いを演じるなど絶好調で、高さ不足が指摘されたチームにとっても良いオプションとして選出の期待も高かったが、ザックはパワープレーはプランから除外するという方針を示したことで、ジョーカー枠としてさ豊田より齋藤や大久保が優先される事になり、豊田は予備登録に留まった。本人は後に"周りが自分に合わせて動く鳥栖"と"自分が周りに合わせる側になる代表"という役割の違いにギャップを覚えながらも「たとえピッチに立てなくても、対ドログバの練習台だってやるつもりだった」と振り返っている。
なお、基本的にメンバーに選出される可能性のある選手の所属はJクラブは予め会見をセッティングし落選の場合はキャンセルされる事が通例でだったが、豊田は「セッティングもして記者にも集まってもらってるし、期待してくれた方の為にも自分の気持ちを伝えたい」と自ら会見を行った。
FW 南野拓実
(セレッソ大阪)
生年月日:1995年1月16日
それ以前のW杯出場:なし
その後のW杯出場:2022年カタールW杯
日本代表通算成績:73試合26得点(2015〜)
★予備登録メンバー選出
ブラジルW杯時点でフル代表での招集歴は無く、代表デビューはハリルホジッチ体制の2015年、代表定着は森保ジャパンが発足する2018年まで待つ事となったが、元々若い選手をメンバーに加えて新鮮な風を入れたいと考えていたザックは前年にC大阪でブレイクした南野のポテンシャルを大いに買っており、4月の国内組を対象にした代表合宿でも19歳ながら選出。最終メンバーからは落選したが、予備登録メンバーには名を連ねている。
前述の通訳の著書に依ると、ザックは23人以外でどうしても連れて行きたかった選手に中村、細貝、そして南野の3人を挙げるほど高く評価しており、最終的には南野と齋藤のどちらを選ぶかというところまで考えていた(最終的にはジョーカー適性の観点で齋藤を選んでいる)。もし南野を選んでいた場合、小野伸二以来の10代でのW杯メンバー入り、そして日本代表史上初のキャップ0でW杯メンバー入りとなっていた。
【前回から読む】
ではでは(´∀`)