
サントリー!
どーもこんばんは
ハタチを超えて初めてガンバが優勝したで pic.twitter.com/8CselOJglk
— RK-3 (@RK3_gsgb) 2026年5月16日
さてさて、シーズン移行に伴い、空白の半年の間に最初で最後の特別大会として出現した明治安田Jリーグ百年構想リーグも地域ラウンドを終え、いよいよプレーオフラウンドを残すのみとなりました。J1は鹿島アントラーズとヴィッセル神戸が、J2・J3はベガルタ仙台、ヴァンフォーレ甲府、カターレ富山、テゲバジャーロ宮崎の4チームが優勝を懸けて争います。
さて、この百年構想リーグの特徴としてはやはり、リーグ戦ともカップ戦とも異なる"特別大会"として位置付けられているところでしょう。要するに、普段のレギュレーションでは発生しない大会という事ですね。後にも先にも今年だけやぞ、という。
ただ……実は"特別大会"って、Jリーグの中で過去に一度だけ前例があったんですよ。それが1996年に行われた「サントリーカップ・チャンピオン・ファイナル」です。
という訳で今回は、過去に一度だけ前例のある1996年の特別大会をプレーオフ前に振り返っていこうと思います。
【北中米W杯観戦ガイド作りました!W杯情報に予想や試合の考察、日本代表や過去のW杯を振り返るコンテンツなど多数の読み物を揃えております。是非お使いくださいませ!】
↓
【オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ!】
↓
【2026年W杯の当サイト的テーマソングを勝手に作りました。】
↓
①1996年の特別大会はなぜ行われた?
元々ファーストステージ、セカンドステージを戦い、それぞれの優勝チームがチャンピオンシップで優勝を決定する2ステージ制の形式で行われていたJリーグですが、1995年までは両ステージでそれぞれホーム&アウェイの2試合を行う、即ち1年間で同じチームと4試合を行うレギュレーションでリーグ戦が行われていた為、チーム数の増加に伴い試合数の極端な増加が指摘されるようになりました。10クラブの1993年は9試合×2を×2とした36試合、12クラブの1994年は44試合、そして14クラブに増えた1995年に至ってはとうとう52試合…更にそこにチャンピオンシップも加算される…と。1995年はとうとうリーグ戦の試合数が50試合を超えた事で、ナビスコ杯を開催しない措置を採るほどの状況になっていました。
そして1996年は新たに京都と福岡が加盟して16クラブに増加し、加えてこの年は日本が28年ぶりにオリンピックに出場するアトランタ五輪の為の代表強化合宿も含めた3ヶ月の中断期間も設けられる事になっていたので、これまでのレギュレーションだと15試合×2を2ステージで60試合のリーグ戦を半年ほどで消化しないといけない事になってしまう…と。そこで1996年は試験的に1シーズン制を導入し、当時はチャンピオンシップがある事が日本では当たり前の時代でしたから、チャンピオンシップの代替大会として設定されたのがサントリーカップ・チャンピオン・ファイナルでした。(ちなみにサントリーは1996年を除いて2004年まで行われたチャンピオンシップの冠スポンサーでもありました)
②サントリーカップのレギュレーションは?
特別大会とは言っても、今年の百年構想リーグのようにシーズン移行の空白期間を埋める大会ではなく…あくまでチャンピオンシップの代替大会という扱いでしたので、全チーム参加ではなく、1996年のJリーグ主催試合で好成績を残したチームが出場権を得る形で開催されました。
出場クラブは4チームで、1996年のJリーグの上位2チーム、同年のナビスコカップで決勝に進出した2チームが出場権を獲得。1回戦はJリーグ優勝チームがナビスコ2位チームと、ナビスコカップ優勝チームがリーグ2位のチームとタイトル獲得チーム側のホームで試合を行い、決勝戦は国立競技場で開催。ただしチャンピオンシップとは異なりサントリーカップはあくまで特別大会でしたので、サントリーカップの結果がどうあろうとも1996年のJリーグ王者はリーグ戦の優勝クラブという前提のレギュレーションでした。
出場クラブはリーグ戦1位の鹿島アントラーズと2位の名古屋グランパスエイト、ナビスコカップ優勝の清水エスパルスと準優勝のヴェルディ川崎の4チームとなり、1回戦は鹿島ホームで鹿島vsヴェルディ、清水ホームで清水vs名古屋という組み合わせで最初で最後のサントリーカップは行われました。
③サントリーカップの結果
かたやナビスコ杯を制した清水と直近の天皇杯を制した名古屋のカップウィナーズカップ的な構図に、かたや鹿島がリーグ優勝を決めた最終節と同じカードかつ1993年チャンピオンシップの再戦となる構図と図らずも因果のあるカードになった1回戦は共にPK戦で決着。名古屋と鹿島が勝利して決勝に駒を進めました。
ジョルジーニョやマジーニョを擁してフリューゲルスと名古屋との三つ巴の争いを制し、1993年にはチャンピオンシップで敗れて果たせなかった初めてのリーグタイトルの獲得で常勝軍団の一歩目を築いた鹿島と、2年目を迎えていたベンゲル監督がアーセナルの監督就任に伴い途中退任しながらも、後任に後にレアルマドリードやポルトガル代表監督を務めるカルロス・ケイロス監督を迎え、最終節で2位に滑り込んだ名古屋。結果的にリーグ戦の1位と2位が顔を合わせる形となった決勝戦は前半からお互いに決定機を得る展開になるも90分では得点が生まれず0-0。しかし延長後半、Vゴール方式が採用されていた当時のルールにより「点取った瞬間優勝」というシチュエーションの中、鹿島のゴールキックを跳ね返したボールを森山泰行が前線に送ると、相手GKとDFがお見合いしたところを見逃さなかったストイコビッチが決め切って名古屋が優勝決定Vゴール!雨中の国立競技場でピクシーの優勝決定弾という実に劇的な結末…史上唯一のサントリーカップは名古屋の優勝で幕を閉じました。
④サントリーカップのその後
あくまでサントリーカップはチャンピオンシップを行わない1996年に限定した特別大会でしたので、翌年からは従来通りに2ステージ制+チャンピオンシップの方式が復活。1995年までは1ステージの中でホーム&アウェイの総当たり方式を行っていたところを1997年からは1ステージごとにホームかアウェイのどちらか1試合というは方式に変更して試合数を削減し、この方式は2004年まで、そして一時的に2ステージ制が復活した2015〜2016年にも引き継がれています。
前述の通り、サントリーカップはあくまでチャンピオンシップの代替大会でありながらJリーグとしての公式記録には含まない特別大会という性質でしたので、その後の立ち位置、歴史に於ける扱いは若干中途半端なものになっています。
まず今回の百年構想リーグはハーフシーズンに相当するだけの試合数を戦う事もあってACL出場権が付与される大会として設定されましたが、サントリーカップでは名古屋が優勝したものの、名古屋は実質的には海外クラブとの親善試合となるサンワバンクカップの出場権のみ付与され、アジアクラブ選手権の出場など1996年のチャンピオンチームとしての活動は基本的にはリーグ戦通りに鹿島が行う事に。しかしながらリーグ戦の締めとしての大会を名古屋が獲った事でなんとなく名古屋が勝って1年を終えた感覚になってしまったりと、名古屋サイドや鹿島サイドにはそれぞれのフラストレーションを残す結果ともなりました。
特に「百年構想リーグで優勝したら星を付けるべきかどうか」という論争がありますけど、それって百年構想リーグ以前に唯一の特別大会と称されていたサントリーカップで優勝した名古屋が、その後のユニフォーム等にサントリーカップ分の星を含めていない事の影響って結構大きいと思うんですよね…。それゆえに今回の百年構想リーグは、後年の歴史の中でどう扱われるんだろう?という疑問点の要因にはなっているんじゃないか、と…。
とはいえ、今年は1996年のように4チームが1週間で優勝チームを決めるトーナメントではなく、ちゃんと半年間の戦いの末に勝ち取った決勝点という性質ですので、どちらかと言えばセリーグとパリーグが最後にぶつかる日本シリーズ的な楽しみ方ができるんじゃないかと思います。
1996年の背景を知る人からすれば、EASTで鹿島の優勝が決まった時にWESTも名古屋優勝の可能性が十分にあったのでざわざわしたりもしましたが。さすがに再戦とまで奇遇は揃わなかったものの、あの時優勝を逃した鹿島と、1997年にJリーグに参加する立場としてサントリーカップを見ていた神戸という組み合わせも運命的と言えば運命的なものなんじゃないかなと。
最初で最後の百年構想リーグ、30年前の特別大会にも思いを馳せながら、その結末を楽しみにしたいと思います。
実際百年構想リーグって歴史の中で前シーズン扱いなのか次シーズン扱いなのか
ではでは(´∀`)