独断と偏見による、2020年10月時点でのJ1全監督の現役時代の選手キャリアランキング!(がっつりプレミアリーグトークショーの影響を受けて書いたブログです) 1〜5位編

ガンバの限定ユニええなぁ…。

 

どーもこんばんは

 

 

さてさて、本日は昨日更新したブログの続きです。

ざっくり説明しますと、基本的にはプレミアリーグトークショーというYouTubeチャンネルで行われていたプレミアリーグ監督の選手キャリアランキング」企画のパク……オマージュです。J1の監督のキャリアを独断と偏見でランキングにしようという企画です。

 

 

今回は省略しますので、その辺については前回のブログからご覧頂けますと幸いです↓

 


では、今回はいよいよベスト5!

 

 

 

5位 長谷川健太(FC東京監督)

 

生年月日:1965年9月25日

国籍:日本

現役時代のポジション:FW

主な所属チーム:清水エスパルス(1992〜1999)など

主なチームタイトル:Jリーグ杯(1996清水)、J1ステージ優勝(1999・2nd清水)

J1通算成績:207試合45得点

日本代表通算成績:27試合4得点

主な出場大会:サントリーカップ(1996)、Jリーグチャンピオンシップ(1999)

 

静岡県立清水商業時代には堀池巧大榎克己とのトリオが「清水三羽烏」と呼ばれて一斉を風靡した。JSL時代は日産自動車(後の横浜F・マリノス)でプレーしたが、Jリーグの開幕に合わせて地元の清水に入団。そこからは1999年の引退まで清水でプレーし続け、現役最終年も21試合に出場して2ndステージ制覇に貢献するなど最後までコンスタントに活躍した。ポジションは主に右のウイングで、長谷川監督の上げるクロスボールはその正確性から「ケンタリング」とも称された。ちなみに、1999年に清水のホーム日本平で行われたチャンピオンシップの第2戦が現役最後の試合となった。

日本代表としても27試合に出場し、「ドーハの悲劇」と呼ばれるアメリカW杯予選日本vsイラクの試合に出場した一人。先発出場したが59分に福田正博と交代した為、同点に追いつかれた場面ではベンチに下がっていた。当時の登録メンバー22人のうち9人がJリーグの監督を経験しているが、間違いなく最も監督として成功したのは長谷川監督か森保監督のどっちか。

 

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4位 三浦淳宏(ヴィッセル神戸監督)

 

生年月日:1974年7月24日

国籍:日本

現役時代のポジション:MF/DF

主な所属チーム:横浜フリューゲルス(1994〜1998)、東京ヴェルディ1969(2001〜2004)、ヴィッセル神戸(2005〜2007)など

主なチームタイトル:アジアカップウィナーズカップ優勝(1995横浜F)、天皇杯優勝(1998横浜F)、J1ステージ優勝(2000横浜FM)、アジアカップ優勝(2000、2004日本代表)、コンフェデ杯準優勝(2001日本代表)、天皇杯(2004東京V)など

主な個人タイトル:Jリーグ功労賞(2011)

J1通算成績:318試合45得点

J2通算成績:109試合20得点

日本代表通算成績:25試合1得点

主な出場大会:コパ・アメリカ(1999日本代表)アジアカップ(20002004日本代表)、シドニー五輪(U-23日本代表)Jリーグチャンピオンシップ(2000横浜FM)、コンフェデレーションズカップ(2001、2005日本代表)など

 

現役時代は主にサイドのスペシャリストとして活躍。日本代表に於いて、遠藤保仁の前の右のプレースキッカーと言えば中田英寿よりも三浦淳宏という人はきっと多いだろう。無回転FKといえば本田圭佑のイメージが強いが、日本で最初に無回転FK、ブレ球FKを武器として活用していたのは他ならぬ三浦である。JリーグでFKの名ゴール集を作るなら一つのみならず複数ゴールはノミネートされるくらいには印象的なFKを沈めてきた。

キャリアとしては技巧派揃いの横浜Fの中でもレギュラーとして活躍し、伝説の1998年天皇杯優勝メンバーの一人でもある。その後は横浜FM、東京V、神戸、横浜FCで主力として活躍。トルシエジャパンジーコジャパン時はコンスタントに日本代表にも招集されており、2004年のアジアカップや2005年のW杯最終予選ではレギュラーでは無かったが「アブダビの夜」と称されるエピソードに代表されるように率先してベンチ組を盛り立てつつ、ベテランとして当時の主将である宮本恒靖らの相談役も買って出た。その貢献度はドイツW杯後に「三浦や松田直樹のような選手を招集しなかった事」が挙げられるほど評価されている。

2018年、2019年に監督と強化部長の関係だった吉田孝行とは共に横浜F最後のシーズンにプレーしていた。

 

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番外編 トルステン・フィンク(前ヴィッセル神戸監督)

 

生年月日:1967年10月29日

国籍:ドイツ

現役時代のポジション:MF

主な所属チーム:SGヴァッテンシャイト(1989〜1994)、カールスルーエSC(1994〜1997)、バイエルン・ミュンヘン(1997〜2006)など

主なチームタイトル:DFBポカール(97-98、99-00、02-03バイエルン)、ブンデスリーガ優勝(98-99、99-00、00-01、02-03バイエルン)、UEFAチャンピオンズリーグ準優勝(98-99バイエルン)、UEFAチャンピオンズリーグ優勝(00-01バイエルン)、トヨタカップ優勝(2001バイエルン)など

主な出場大会:UEFAチャンピオンズリーグ

 

トップ3に行く前に番外編。

前述の元ネタの動画がアップされたのが7月下旬だったので、8月にはそれをブログでJリーグ版でやろうという考えはあったんです。その時に間違いなく優勝候補になると考えていたのが前ヴィッセル神戸監督のフィンク監督。ドイツ代表歴こそ無いものの、あのバイエルン・ミュンヘンで長らく主力として活躍し、敗者という立場ではあったにせよ「カンプ・ノウの奇跡(悲劇)」と呼ばれる伝説の98-99UEFAチャンピオンズリーグにも出場した実績の持ち主です。

余談ですが、引退後にレッドブル・ザルツブルクでコーチを務めていた際に選手として同チームに在籍していたのがG大阪宮本恒靖監督でした。

 

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3位 ネルシーニョ(柏レイソル監督)

 

生年月日:1950年7月22日

国籍:ブラジル

現役時代のポジション:DF

主な所属チーム:ポンチ・プレッタ(1967)、サンパウロ(1971〜1977)、サントス(1978〜1982)など

主なチームタイトル:サンパウロ州選手権優勝(1975)など

 

ブラジル代表歴がある訳では無いが、当時は国外移籍が一般的では無かった時代である。そういう時代の中に於いてブラジルの名門サンパウロでレギュラーとしてプレーし、タイトルまで獲得した事は時代的な面を考慮するとポイントは高いと言える。ポジションは右サイドバックを務めていた。33歳で現役を引退した後、35歳の時にECサンバントでの監督業から監督キャリアは始まっている。

 

 

 

2位 宮本恒靖(ガンバ大阪)

 

生年月日:1977年2月7日

国籍:日本

現役時代のポジション:DF

主な所属チーム:ガンバ大阪(1995〜2006)、レッドブル・ザルツブルク(2007〜2008)、ヴィッセル神戸(2009〜2011)

主なチームタイトル:アジアカップ優勝(2004)、J1リーグ優勝(2005)、オーストリアブンデスリーガ優勝(06-07ザルツブルク)など

主な個人タイトル:Jリーグ功労賞(2015)

J1通算成績:337試合8得点

オーストリアブンデスリーガ通算:21試合0得点

日本代表通算成績:71試合3得点

主な出場大会:シドニー五輪(U-23日本代表)FIFAワールドカップ(20022006日本代表)、コンフェデレーションズカップ(2003、2005日本代表)、アジアカップ(2004日本代表)AFCチャンピオンズリーグ(2006G大阪)など

 

2010年代の女性人気No.1サッカー選手といえば内田篤人だろうが、2000年代なら間違いなくこの男。というか今でもスーパーイケメン。天が二物どころかだいぶいっぱい与えちゃった人。持ち前のリーダーシップで各年代別代表からA代表に渡ってキャプテンを務めており、W杯でも日韓とドイツの2大会でキャプテンマークを巻いている。

代表でのハイライトは2002年日韓W杯と2004年のアジアカップ。前者は第1戦の途中から負傷した森岡隆三に代わって出場し、第2戦のロシア戦では守備の中心として見事なパフォーマンスを見せてフラット3の中心として決勝トーナメント進出に大きく貢献した。大会前の練習試合で負った影響で本戦では鼻にノーズガードをつけてプレーしたが、この姿が海外メディアにバッドマンとして報じられ、日本代表の躍進と宮本個人の活躍、そして話題性と元々のルックスの良さで知名度と人気が飛躍的に上昇した。後者のアジアカップでは完全アウェイの非常に厳しい環境の中でキャプテンを務めて優勝を経験。ヨルダンと戦った準々決勝のPK戦では、PK戦途中で審判にエンドの変更を申し入れ、そして実現させるという前代未聞の交渉成功を成し遂げ、結果伝説に残る川口能活の無双状態をアシストしている。川口のは当然として、これも日本代表史に残る名場面の一つ。

ガンバでは1995年にガンバ大阪ユースの1期生としてトップデビュー。早くからコンスタントに出場機会を掴んでいた。ガンバ自体が「良い若手はいるけどいまいち結果が出せない」というチームだったのでチームとしての成績はなかなか残せない日々が続いたが、西野朗監督就任以降は毎年のように優勝争いに絡み、2005年には遂に悲願の初優勝。優勝が懸かった最終戦では自らもゴールを挙げ、試合終了の笛がなった瞬間から人目を憚らず号泣するシーンは印象的だった。代表のイメージ的に少し意外ではあるが、ガンバでキャプテンを務めたのは在籍12シーズンのうち実は2シーズンのみ。その後はザルツブルクでの海外挑戦を経て神戸で引退。FIFAマスター受講を経て、2015年からガンバに指導者として復帰した。レジェンド監督とはファンにとって至高の喜びであり、最大のリスクである。3年目の今季、そろそろツネ様と大きな結果を手にして最高の歴史を掴みたいところ。

 

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1位 アントニオ・カルロス・ザーゴ(鹿島アントラーズ監督)

 

生年月日:1969年5月18日

国籍:ブラジル

現役時代のポジション:DF

主な所属チーム:サンパウロ(1990〜1992)、柏レイソル(1996)、ASローマ(1998〜2002)など

主なチームタイトル:ブラジルセリエA優勝(1991サンパウロ、1993〜1994パルメイラス、2004サントス)、コパ・アメリカ(1999ブラジル代表)、セリエA(00-01ローマ)、スュペル・リグ(02-03ベシクタシュ)など

ブラジル代表通算成績:37試合3得点

主な出場大会:コパ・アメリカ(1999ブラジル代表)UEFAチャンピオンズリーグ(01-02ローマ)など

 

今のJ1の監督勢の選手キャリアで順位をつけるなら、まあ1位は確実にザーゴ監督と言えよう。サンパウロパルメイラスで活躍し、1998年から入団したASローマではアウダイール、或いはワルテル・サムエルらとDFラインを形成して00-01シーズンはセリエAを制覇。共にセリエを制した中田英寿にも言える事だが、この時代のセリエAを主力として制覇した事の方は相当大きい。ブラジル代表でも37試合に出場し、1999年のコパ・アメリカではロベルト・カルロスカフーといった攻撃的すぎるサイドバックセンターバックとして支え、優勝に大きく貢献している。選手時代の実績としては今のJ1監督で間違いなく随一。

1996年は柏レイソルでもプレーした。今シーズン、横浜FCを率いる下平隆宏監督はその当時のチームメイトでもある。

 

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国とリーグと時代のレベルが絡むとこのランキング一気に難しくなってくるよね。

ではでは(´∀`)