ぱっぱっぱーっ♪ぱらっぱーっ♪
…あっ、リーガルハイのテーマです。
どーもこんばんは
さてさて、先日から始めましたJリーグ平成ベストイレブン企画、今回は2005〜2018年編です!
今回も独断と偏見で平成最後のブームに乗っかって選ばせて頂きました。お付き合い宜しくお願いしますね。それでは今回も早速参りましょう…!
GK 楢崎正剛(横浜F、名古屋)
J1優勝(2010)
天皇杯優勝(1998、1999)
JリーグMVP(2010)
Jリーグベストイレブン(1996、1998、2003、2008、2010、2011)
日本代表通算77試合0得点(1998〜2010)
FIFAワールドカップ出場(1998、2002、2006、2010)
横浜フリューゲルスに入団し、デビューイヤーの1995年から一気に若くして日本屈指のGKとして頭角を表しました。横浜フリューゲルスの天皇杯優勝とチーム消滅の後は名古屋グランパスエイトに加入。ここでも絶対的守護神として活躍し、1999年には天皇杯、2010年にはJリーグを制覇します。2000年からは14シーズンに渡ってキャプテンを務め、2010年にはGKとして初のMVPも獲得。川口能活と並んで日本史上最高のGKです。
名古屋時代には移籍の噂も多く出ましたが、「『前所属・横浜フリューゲルス』の項を消したくない」と語っていた事は余りにも有名なエピソード。
GKその他の候補選手
DF 岩政大樹(鹿島、岡山など)
J1優勝(2007〜2009)
リーグカップ優勝(2011、2012)
天皇杯優勝(2007、2010)
日本代表通算8試合0得点(2008〜2012)
FIFAワールドカップ出場(2010)
鹿島の黄金期を築いた秋田豊から背番号3とディフェンスリーダーの座を受け継ぎ、オズワルド・オリヴェイラ監督の下で3連覇を達成するなど、鹿島の新たな黄金期を築き上げた中心人物です。
秋田同様にヘディングからの得点力も魅力で、鹿島での文句無しの活躍が評価されて岡田武史監督率いる日本代表で2009年にデビュー。出場機会は無かったものの2010年南アフリカW杯にも招集され、アルベルト・ザッケローニ監督の下での2011年アジアカップでは優勝に大きく貢献しました。
J1優勝(2006、2010)
天皇杯優勝(2005、2006)
ACL優勝(2007)
JリーグMVP(2006)
日本年間最優秀選手賞(2006)
日本代表通算43試合8得点(2006〜2010)
FIFAワールドカップ出場(2010)
2003年に日本国籍に帰化した翌年、水戸ホーリーホックから浦和レッズに移籍。フィジカルの強さから単純にセットプレーでの得点力が高いだけでなく、普通に攻め上がって点を取るなんて芸当もやってしまうほど「超攻撃的センターバック」として一躍浦和を象徴する選手となり、チームが初優勝を果たした2006年にはMVPを獲得し、日本代表にも招集されました。
2010年から移籍した名古屋でも名古屋をリーグ初優勝に導くなど多大なる貢献。挙げ句の果てにはFWで怪我人が続出し、闘莉王をFWで起用したところ1試合で4点取っちゃったなんてとんでもない試合も。2017年から加入した京都では最初の2シーズンではFWで起用されましたが、今季は主に3バックの真ん中に落ち着いています。
J1優勝(2003、2004)
天皇杯優勝(2013)
JリーグMVP(2004)
Jリーグベストイレブン(1999、2003〜2005、2008、2013)
Jリーグ新人王(1999)
日本年間最優秀選手賞(2004)
日本代表通算110試合17得点(1999〜2010)
FIFAワールドカップ出場(2006、2010)
練習生としてのスタートながら努力とアピールで這い上がり、プロデビューの年には新人王に輝くと同時に日本代表デビューも果たした日本史上最高のDFの一人で、マリノスに移籍して以降は日本代表に於いても絶対的な存在となっていきました。
2003年、2004年にはJリーグ連覇を達成し、特に2004年にはJリーグMVPも獲得。187cmの長身を活かした得点力も魅力でしたが、何と言ってもストイックな生活を基盤とした鉄人っぷりが凄まじく、35歳の2013年から続いた連続フル出場記録は40歳の2018年まで実に178試合も続き、中澤本人が大ファンである安室奈美恵の引退と同じ年に現役引退を発表。センターバックながら、警告や退場を受けた事が非常に少ない事も特徴の一つでした。
引退後は様々なバラエティ番組などに出演中です。
DFその他の候補選手
J1優勝(2005、2014)
リーグカップ優勝(2007、2014)
天皇杯優勝(1998、2008、2009、2014、2015)
ACL優勝(2008)
JリーグMVP(2014)
Jリーグベストイレブン(2003〜2012、2014、2015)
日本年間最優秀選手賞(2008、2014)
アジア年間最優秀選手賞(2009)
日本代表152試合15得点(2002〜2015)
FIFAワールドカップ出場(2006、2010、2014)
昨年はJリーグ600試合出場を達成し、既に歴代最多出場記録を保持している日本代表と共にJリーグ最多出場も十分狙えるところに来たJリーグ史上最高とも言えようMFで、2019年時点で横浜フリューゲルスに所属経験のある唯一の現役選手です。
横浜フリューゲルス、京都パープルサンガを経て入団したガンバ大阪では1年目からレギュラーを掴み、西野朗監督就任以降は攻撃を司る要としてガンバをJリーグ屈指の強豪へと導いていきました。2度のリーグ優勝やACLなど、遠藤と共に獲得したタイトルはどれも遠藤抜きでは考えられなかったものばかり。特に2000年代後半の遠藤保仁、橋本英郎、明神智和、二川孝広で構成された「黄金の中盤」を軸にした当時のパスサッカーは多くのファンを魅了しました。
今シーズンもレギュラーとして出場し、第8節大分戦では今季初ゴールを決め、これでプロ入り後22シーズン連続ゴールを達成。まだまだ伝説は終わりません。
J1優勝(2017、2018)
JリーグMVP(2016)
Jリーグベストイレブン(2006〜2010、2016〜2018)
日本代表通算68試合6得点(2006〜2013)
FIFAワールドカップ出場(2010)
恐らく満場一致で川崎フロンターレ史上最高の選手であると共に、今なおJリーグでは屈指の司令塔として、今季はJリーグ3連覇とACL制覇に挑む川崎の14番です。毎年、やべっちFC内の企画「デジっちが行く」でそのシーズンのゴールパフォーマンスを(ほぼ強制的に) 決定する行事はいつの間にか恒例化。
その実力は誰もが認めるところながら、川崎では何度も何度も準優勝に終わるなど「実力はあるけどどこか運がない」とも言われてきましたが、遂に2017年に悲願のリーグ制覇を達成。その際に号泣する中村憲剛の姿は多くのサポーターの涙を誘いました。
2016年に36歳で受賞したMVPは、最年長MVP受賞者という事でギネス世界記録に認定されています。
J1優勝(1998、2000、2001、2007〜2009、2016)
リーグカップ優勝(2000、2002、2011、2012、2015)
天皇杯優勝(2000、2007、2010、2016)
ACL優勝(2018)
JリーグMVP(2009)
日本年間最優秀選手賞(2009)
Jリーグクロニクルベストゴール第3位(2013)
日本代表通算55試合7得点(2002〜2006、2010)
FIFAワールドカップ出場(2002、2006)
本山雅志、中田浩二、曽ヶ端準ら黄金世代として知られるメンバーと共に1998年に鹿島アントラーズに入団。それからというもの、鹿島に於いて欠かせない選手として大活躍し、1シーズンだけ移籍していた海外移籍前は攻撃的、海外移籍後は守備的な中盤の選手として数多くのタイトル獲得に貢献してきました。2001年チャンピオンシップでの優勝決定Vゴールは今なお語り草。
2007年途中にイタリアから復帰すると、大怪我などもありましたがJリーグ3連覇を達成。2009年にはJリーグMVPを獲得し、日本代表としても2度のW杯に参加しています。2018年、鹿島と小笠原に唯一欠けていたACLのタイトルを獲得すると共に現役を引退。ACL優勝セレモニーで昌子源からトロフィーを渡されたシーンは感動的でした。
MF 長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)
J1優勝(2006)
リーグカップ優勝(2003)
天皇杯優勝(2005、2006)
ACL優勝(2007)
アジア国際最優秀選手賞(2018)
日本代表通算114試合2得点(2006、2008〜2018)
FIFAワールドカップ出場(2010、2014、2018)
2002年に藤枝東高校から浦和レッズに入団し、2003年頃から主力として定着。その後は2003年のナビスコカップ、2004年の2ndステージ、2005年の天皇杯制覇に加え、2006年と2007年にはクラブ史上初のJリーグ制覇とJリーグ史上初のACL制覇に多大なる貢献を果たしました。
浦和での活躍が評価された事で2006年には日本代表にも初招集され、その後はなかなか定着とはいきませんでしたが、岡田武史監督就任後は絶対的なレギュラー、そしてキャプテンとしてその後の活躍はご存知の通り。今季はブンデスリーガで34歳ながらキャリアハイとも言えるような活躍を見せています。
J1優勝(2014)
リーグカップ優勝(2004、2009、2014)
天皇杯優勝(2011、2014、2015)
日本代表通算93試合4得点(2005〜2015、2017)
FIFAワールドカップ出場(2010、2014)
2001年にコンサドーレ札幌でデビューし、岡田武史監督の下でルーキーイヤーながら主力の一人として活躍すると、翌年からはすっかりレギュラーに定着。日本代表ではワールドユース、オリンピック、アジアカップ、コンフェデレーションズカップ、ワールドカップと全てのカテゴリーの大会に参加しました。
2004年に加入したFC東京では2度のナビスコ杯と天皇杯優勝に貢献し、2012年にガンバ大阪に移籍。加入から2年は苦しんだものの、ブラジルW杯終了後辺りからガンバに於いて最も欠かせない選手の一人になり、2014年の三冠や天皇杯連覇のキーマンとして大車輪の活躍。ガンバは今や「今野依存症」とまで揶揄されるようにもなっていて、それが一つの課題である事は事実ですが、裏返せば今野がそれだけ凄いという事実でもある訳で。
ちなみに、FC東京の選手として臨んだ2005年の最終節では勝てば優勝が決まるセレッソ大阪からロスタイムに同点ゴール。6年後に自身が移籍する事になるガンバの初優勝に大きなアシストをしていたという過去も。
MFその他の候補選手
Jリーグ得点王(2013〜2015)
日本年間最優秀選手賞(2015)
日本代表通算60試合6得点(2003〜2005、2007〜2010、2012、2014)
FIFAワールドカップ出場(2010、2014)
2001年にC大阪でデビューを飾ると2003年にはジーコ監督の率いる日本代表に初招集。同年のコンフェデレーションズカップではレギュラーとして、翌年のアテネ五輪ではエースストライカーとして活躍しました。
2007年から移籍した神戸ではチーム状況から大久保の役割が増え過ぎてしまって持ち味を発揮し切る事が出来ませんでしたが、中村憲剛など優秀なパサーを擁する川崎に移籍してからは再び得点を取る事に専念出来て3年連続得点王の偉業を達成。昨季途中からは磐田でプレーしています。
短気な性格の部分は度々議論の対象になりますが、2019年時点でJ1最多得点者であり、W杯にも2大会7試合に出場しているなど、実績に文句の付けようはありません。
FW 佐藤寿人(ジェフユナイテッド千葉)
J1優勝(2012、2013、2015)
JリーグMVP(2012)
Jリーグ得点王(2012)
日本年間最優秀選手賞(2012)
日本代表通算31試合4得点(2006〜2010、2012)
市原やC大阪では安定した出番に恵まれなかったものの、2003年に加入した仙台での大活躍が評価されて2005年には広島に移籍。そこで一気に飛躍の年を迎え、2005年には日本人最多得点を叩き出すと共にJリーグベストイレブンにも輝きました。
3度のJリーグ制覇や、J2降格後も他チームからのオファーを全て断って残留するなど広島の象徴として絶大な存在感と支持を集め、実績の面ではJ1通算得点記録では2位につけ、12年連続二桁得点というとんでもない数字を残し、2012年にはJリーグMVPを獲得しました。
広島退団後は名古屋に移籍し、今季からはユース時代を過ごした千葉に復帰しています。
FWその他の候補選手
ロシアW杯直前に急遽日本代表に就任し、本大会で見事決勝トーナメント進出を果たした事から一躍時の人となった西野監督は、アトランタ五輪が終わった後に選手時代を過ごした柏でコーチ、監督を経験。柏では1999年のヤマザキナビスコカップを制し、2000年には年間最多勝点を獲得しました。
西野監督が本領を発揮したのはガンバの監督に就任した2002年から。お世辞にも強豪とは言えなかったガンバに攻撃的なパスサッカーを植え付け、リーグ戦やACLを含めて5冠を達成。西野監督の率いた10年間という期間はJリーグでも最長の任期で、積み上げた勝利数はJリーグの長い歴史の中で最多。まさしくダンディーなレジェンド監督です。
その他の候補監督
関塚隆(鹿島、川崎、千葉など)
森保一(広島など)
こんな感じです!
はてさて、令和最初のベストイレブン、そしてMVPは誰になる事やら…!
ではでは(´∀`)