独断と偏見による、2020年10月時点でのJ1全監督の現役時代の選手キャリアランキング!(がっつりプレミアリーグトークショーの影響を受けて書いたブログです) 6〜14位編

Vゴールをリアルタイムで観てみたかった気持ちはある。

 

どーもこんばんは

 

 

さてさて、今回の企画はですね、発想に関しては……完全にコチラのYouTubeのパクリです↓

 

 

プレミアリーグトークショー」というYouTubeチャンネルで放送された「プレミアリーグ監督の選手キャリアランキング」のJリーグ版をやってみたいと思います。

 

あんまりYouTuber系見てなかったけどプレミアリーグトークショーめちゃくちゃ見てます。

 

 

 

…で、まぁ今回なんですけど、説明としてはプレミアリーグトークショーの方の動画を見てもらえれば一番わかりやすいんですけども……。

要するに、現在プロサッカーで監督を務める人物というのは実際に自身もプロサッカー選手だった方が多くを占めています。で、じゃあ誰がどのクラスの選手だったのか?みたいな事を振り返っていこう…というのが今回の企画です。

 

先に言います。一応ランキング形式でやりますが、順位については完全に私の独断と偏見です。

 

…前述のプレミアリーグトークショーではMCのケニーさんが独自の採点基準を設定し、それに基づいたポイント制で順位を決定していましたが、多分Jリーグでもその要領で進めると本当に頭がショートしそうなので……今回はもう独断と偏見でランキングをつけていきます。なので、誰が何位だというよりは「あ、この人現役時代はこんな感じだったのね」的な感覚でお楽しみ頂けますと幸いです。

 

 

 

まず最初に、今回のランキングでは選外となるプロサッカー選手としてのキャリアは無い選手は以下の4名になります。

 

・大槻毅(浦和レッズ監督)

・浮嶋敏(湘南ベルマーレ監督)

・ピーター・クラモフスキー(清水エスパルス監督)

城福浩監督(サンフレッチェ広島監督)

 

大槻監督はソニー仙台FC、浮嶋監督は後に川崎フロンターレに当たる富士通サッカー部でのプレー経験があり、クラモフスキー監督もオーストラリアでのその辺りのキャリアでプレー経験がありますが、今回のランキングでは選外という事で進めていきます。浮嶋監督よりも前の時代の富士通で活躍した城福監督は少しここに入れるべきかどうか悩みましたが、今回はJリーグ発足以前のプロの基準は「JSL1部」という事にするので選外とさせて頂きました。

 

ではこの4名を除いた14位から発表していきます。

 

 

 

14位 金明輝(サガン鳥栖監督)

 

生年月日:1981年5月8日

国籍:韓国

現役時代のポジション:DF

主な所属チーム:ジェフユナイテッド市原(2000、2001)、カターレ富山(2007〜2010)、サガン鳥栖(2011)など

J2通算成績:37試合1得点

 

プロキャリアのスタートはJ1の市原から始まっているものの、Jリーグでの出場機会はJFL時代から在籍していた富山での2シーズン以外はほぼ皆無に等しくカップ戦のみの出場に留まっているので、キャリアの主戦場はJリーグというよりはJFLが中心だったと言える。

 

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13位 木山隆之(ベガルタ仙台監督)

 

生年月日:1972年2月18日

国籍:日本

現役時代のポジション:DF

主な所属チーム:ガンバ大阪(1994〜1997)、コンサドーレ札幌(1998)、水戸ホーリーホック(1999〜2002)

J1通算成績:66試合1得点

J2通算成績:84試合1得点

 

大卒ルーキーとして加入した1994年はG大阪でいきなり主力としてプレーしたが、G大阪や札幌などJ1では負傷の影響もあり1994年以外はコンスタントな出場機会を得るには至らなかった。札幌で戦力外通告を受けた際に一度は引退を決意したが、それを撤回して当時JFLだった水戸に加入すると同年にチームをJ2昇格に導き、2002年の引退までディフェンスリーダーを務めた。

 

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12位 鬼木達(川崎フロンターレ監督)

 

生年月日:1974年4月20日

国籍:日本

現役時代のポジション:MF

主な所属チーム:鹿島アントラーズ(1993〜1997、1999)、川崎フロンターレ(1998、2000〜2006)

主なチームタイトル:J1優勝(1996鹿島、1998鹿島)、J1ステージ優勝(1993・1st鹿島、1997・1st鹿島、1998・2nd鹿島)、Jリーグ杯優勝(1997鹿島)、天皇杯優勝(1997鹿島)など

J1通算成績:49試合2得点

J2通算成績:111試合0得点

 

名門・市立船橋高校を卒業後、Jリーグ元年となる1993年に鹿島に入団。あのジーコとルーキーイヤーにチームメイトだった。しかし当時の鹿島でレギュラーを獲得するハードルは凄まじく高いのは言わずもがな。1998年に一度レンタルでプレーした川崎に2000年から加入し、2006年の引退までプレーしている。現在は選手と監督という関係となった中村憲剛とは2003年からの4シーズンチームメイトでポジションを争った。

1998年に行われたJ1参入決定戦のアビスパ福岡vs川崎フロンターレの試合は「神を見た夜」「博多の森の悲劇」と呼ばれる伝説の試合となったが、この試合に川崎の選手としてJ1昇格を目指してフル出場している。

 

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11位 ミゲル・アンヘル・ロティー(セレッソ大阪監督)

 

生年月日:1957年6月18日

国籍:スペイン

現役時代のポジション:FW

主な所属チーム:CDムンギア(1976〜1977)、ログロニェス(1978〜1981、1983〜1988)、カステジョン(1981〜1983)など

 

基本的にはスペインの小クラブで2〜3部を中心にプレーしていた。81-82シーズンにカステジョンで、87-88シーズンにログロニェスで1部リーグ挑戦の機会を得たが、前者はクラブ時代がぶっちぎりの最下位に、後者は殆ど出場機会がないまま引退を余儀なくされている。それでもログロニェスに長く在籍して活躍した事から地元ファンからの人気は高かったとの事。

第14節浦和戦後、会見の場においてロティーナ監督自身が「ストライカーで、エリア内で賢いタイプ。ほとんどのゴールは対角へのシュートで、右足でも左足でも蹴ることができた」「仕事量はそんなに多くなかった。いま私が監督として好きな選手とは真逆。これは監督によく起こること」と現役時代を振り返っていた。

 

 

10位 片野坂知宏(大分トリニータ監督)

 

生年月日:1971年4月18日

国籍:日本

現役時代のポジション:DF

主な所属チーム:サンフレッチェ広島(1990〜1995)、柏レイソル(1995〜1999)、ガンバ大阪(2000〜2001)など

主なチームタイトル:J1ステージ優勝(1994・1st広島)、Jリーグ杯優勝(1999柏)

J1通算成績:212試合12得点

J2通算成績:5試合0得点

主な出場大会:Jリーグチャンピオンシップ(1994)

 

鹿児島の名門、鹿児島実業高校からJSL時代のマツダSCに入団し、当初はサテライトチームが主戦場だったがJリーグが開幕してマツダSCサンフレッチェ広島となる頃にはすっかり左サイドバックの主力に定着。スチュワート・バクスター監督の下では不動のレギュラーとして扱われ、1994年の1stステージ制覇に貢献した。1995年には柏で初タイトル獲得にも貢献。柏退団後は大分、G大阪、仙台を渡り歩き、大分に復帰した2003年を最後に引退した。

余談だが、2012〜2013年は広島でチームメイトだった森保一監督の下でコーチとして広島を優勝に導いた。柏で監督と選手の関係だった西野朗監督とは2007年から2009年までG大阪で監督とコーチという関係になり、当時のG大阪には遠藤保仁二川孝広橋本英郎山口智など2000〜2001年のチームメイトも多く在籍していた。

 

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9位 下平隆宏(横浜FC監督)

 

生年月日:1971年12月18日

国籍:日本

現役時代のポジション:MF

主な所属チーム:柏レイソル(1990〜2000、2003〜2004)、FC東京(2001〜2002)

主なチームタイトル:Jリーグ杯(1999柏)

J1通算成績:234試合3得点

 

現役時代の下平監督を指導した西野朗監督が「柏の魂」と表現したほど柏レイソルというチームの歴史に於ける重要人物の一人。前身の日立製作所時代を合わせると実に13シーズン柏でプレーし、チームにとって初タイトルとなった1999年のナビスコ杯では主将としてトロフィーを掲げた。いわゆる守備的MFで、試合出場は果たせなかったが1997年には加茂周監督率いる日本代表招集も受けている。

昨季途中から横浜FCで監督を務めているが、GKの主力の一人である南雄太は柏時代に長らくチームメイトとしてプレーした間柄でもある。

 

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8位 マッシモ・フィッカデンティ(名古屋グランパス監督)

 

生年月日:1967年11月6日

国籍:イタリア

現役時代のポジション:MF

主な所属チーム:メッシーナ(1989〜1992)、ヴェローナ(1992〜1997)、トリノ(1997〜2000)など

セリエA通算成績:31試合0得点

セリエB通算成績:310試合18得点

 

イタリア代表に招集された訳でもなく、キャリアの大半を2部で過ごしていた同氏だが、当時のイタリアサッカーのレベルを考えれば2部通算で310試合出場した事、セリエA昇格に2度貢献した事のポイントは高いと考えて良いと思う。実現したら成功したかどうかはわからないが、1997年には資金力には定評のある名古屋が獲得のオファーを出していたくらいの評価は実際にあった。

長友佑都チェゼーナで指導した時から「日本通の監督」として知られていた同氏だが、そのきっかけは前述の日本からのオファーが来た時だったという。その際に移籍は実現しなかったが、回り回って名古屋の監督を務める事になるとは人生とは不思議なもので。

 

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7位 アンジェ・ポステコグルー(横浜F・マリノス監督)

 

生年月日:1965年8月27日

国籍:オーストラリア

現役時代のポジション:DF

主な所属チーム:サウス・メルボルン(1984〜1993)、ウエスタン・サバーブSC(1994)

主なチームタイトル:オーストラリアリーグ優勝(1984サウス・メルボルン、90-91サウス・メルボルン)

オーストラリア代表通算成績:4試合0得点

 

現在のAリーグの前身にあたるナショナルサッカーリーグ時代の強豪の一つだったサウス・メルボルンで長らく主力としてプレーし、その間主将の大役も務めていた。ポステコグルー監督在籍時にサウス・メルボルンは2度のリーグ優勝を果たしている。ちなみに、1989〜1992年には「プスカシュ賞」の由来にもなった人物であるフェレンツ・プスカシュ監督の下で指導を受けている。

ユース年代ではオーストラリア代表の中心人物であり、A代表にも4試合に出場した。サウス・メルボルンには1996〜2000年に監督として復帰しており、そこでも2度のリーグ制覇を果たしているので、サウス・メルボルンの歴史に於いて優勝を4回経験している唯一の人物でもある。

 

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6位 ミハイロ・ペトロヴィッチ(北海道コンサドーレ札幌監督)

 

生年月日:1957年10月18日

国籍:オーストリア

現役時代のポジション:MF/DF

主な所属チーム:レッドスター・ベオグラード(1976〜1979)、ディナモ・ザグレブ(1984〜1985)、シュトゥルム・グラーツ(1985〜1993)など

ユーゴスラビア代表通算成績:1試合0得点

 

言わずと知れたユーゴスラビアを代表する名門、レッドスター・ベオグラードユースの出身。さすがに「東欧のブラジル」と称されるほど優秀なタレントが揃っていた中でも屈指のチームだったレッドスターでは主力に定着し切れなかったが、U-20ユーゴスラビア代表招集などを経て1978年に移籍したNKオリンピアリュブリャナでは長きに渡り主力としてプレーし、1980年にはユーゴスラビア代表デビューも果たしている。1984年にはクロアチアの名門ディナモ・ザグレブ、1985年からはオーストリアシュトゥルム・グラーツに移籍。グラーツでは最後は少し契約問題も起こったが、その後は和解してグラーツの監督を務めるに至っている。

グラーツ時代は主将を務めると共に、主にリベロとしてプレーしていた。ペトロヴィッチ監督は3バックに強いこだわりを待つ事で知られているが、この時の経験が影響している部分も少しあるのかもしれない。

 

 

 

1〜5位は次回!

 

 

だってVゴールのロマン感すごくない?

ではでは(´∀`)