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どーもこんばんは
さてさて、いよいよ3月25日に2021年初の日本代表戦、日本代表vs韓国代表の試合がやってきます。久々の日韓戦です。
という訳で今回は完全に独断と偏見で、私が思い出に残っている三大日韓戦をピックアップしてみたいと思います。
【その1】12月の惨劇……ハリル解任にリーチをかけた東京の悪夢
EAFF E-1選手権2017決勝大会第3戦
日本1-4韓国
2017年12月16日19:15@味の素スタジアム
日本得点者:小林悠(3分)
韓国得点者:キム・シヌク(13分、35分)、チョン・ウヨン(23分)、ヨム・ギフン(69分)
MF8 髙萩洋次郎(FC東京)
FW14 伊東純也(柏レイソル)
DF19 初瀬亮(ガンバ大阪)
DF20 室屋成(FC東京)
監督 ヴァイッド・ハリルホジッチ
ロシアW杯への出場権こそ確保したものの2017年は全体的に低調な試合が目立っていた事もあって、国内組だけで挑むE-1選手権はこの閉塞感を打破してくれる選手の登場も含めて期待されていた。初戦の北朝鮮戦、第2戦の中国戦は苦戦しながらも2連勝。最終節では引き分け以上で優勝決定という状況での韓国戦に挑む。だがこの試合の結末こそ、ハリルホジッチ監督にとっての「悪夢」へ引き金を引く事になった。
開始早々に伊東が獲得したPKを小林が沈めて先制にこそ先制した日本だったが、近年の日本代表の中で最も最悪の試合とすら呼ばれる惨劇はここから始まる。先制から10分足らずでキム・ジンスのクロスをキム・シヌクに合わせられて追いつかれると、23分にはチョン・ウヨンの鬼のようなFKが炸裂。前半のうちに更にもう1点失い、最終スコアは1-4。優勝を逃したという事実以上にショッキングな景色がそこにはあった。
2018年4月、衝撃を与えたハリル解任の決定的な瞬間は3月の欧州遠征だったが、解任という劇薬が現実味を帯びたものとして話し合われたのはこのタイミングだったと言われている。この試合以前から漂う閉塞感が可視化されていく中で、日韓戦の大敗により一度本格的に解任が検討されたが、このE-1選手権が国内組だけの大会(=実質的なB代表)だった背景もあり、3月の欧州遠征を最終ジャッジの場とする「消極的続投」、言い方を変えれば解任にリーチをかける事が決まった試合でもあった。
【その2】川島降臨と超速細貝、そして新たな因縁…とにもかくにもアジアカップ決勝進出!
日本2(3PK0)2韓国
2011年1月25日16:25@アル・ガラファ・スタジアム
韓国得点者:キ・ソンヨン(23分)、ファン・ジェウォン(120分)
MF10 香川真司(ボルシア・ドルトムント)
MF17 長谷部誠(VfLヴォルフスブルク)
監督 アルベルト・ザッケローニ
今からちょうど10年前…ザックジャパンとして初めて挑んだ公式戦で、日本は苦戦していた。それでも初戦のヨルダン戦は終了間際のゴールでなんとかドローに持ち込み、続くシリア戦では不可解な判定でGK川島が退場しながらも勝利を収め、準々決勝ではまたしても一人少ない状況から開催国のカタール相手に逆転勝利。当時といえば前年の南アフリカW杯での成功があり、代表人気の高まりや選手の海外挑戦が相次ぐなど、間違い無く日本サッカーにとっては成長期のゾーンに入っていた時代だった。
試合は日本が優勢に進める。17分には遠藤が自ら「パーフェクトなパス」と称したスルーパスに抜け出した長友のクロスを岡崎が合わせるが、これは5年後に川崎に入団する事になるチョン・ソンリョンに阻まれ、逆に23分には今野が与えたPKをキ・ソンヨンに決められて先制を許す。詳しくは書かないが、この時のキ・ソンヨンのゴールパフォーマンスと釈明がスポーツの域を超えた論争の引き金を引いた。それでも36分には本田圭佑のパスから長友が左サイドを抉り、最後は前田のゴールで同点に追いついた。
東アジア選手権を除けば、日韓が公式戦で対戦するのは前回大会の3位決定戦以来。韓国も南アフリカW杯でベスト16入りを果たし、旧世代と新世代のぶつかる丁度いい時期だった事もあって一進一退の白熱した試合展開を見せる。香川が負傷退場するアクシデントはあったが、延長戦にもつれ込んだ97分には岡崎が倒されて得たPKを本田が蹴り、一度はチョン・ソンリョンに防がれたが猛然と突っ込んできた細貝が叩き込むように押し込んで遂に日本が逆転に成功。だが日韓戦はここではまだ終わらない。延長後半、ほぼほぼラストワンプレーに近いところでセットプレーの混戦から押し込まれてしまう。
決勝進出が一転…PK戦に挑むにあたって、流れとしては日本にとって最悪といっても良かったし、逆に韓国としては最高の流れで持ち込んだPK戦だった。日本にとってアジアカップのPK戦といえば「川口のアレ」で通じる2004年のヨルダン戦のおかげで悪いイメージは無かったが、前述の3位決定戦では韓国にPK戦で敗れており、そもそも半年前にはW杯でのPK負けを見てきたばかり。漂う不安な空気…しかしそれを打ち砕いたのは川島だった。本田、岡崎と最初の2人がきっちり決めた日本に対し、川島が怒涛の2本連続セーブ。最後は4人目の今野が決めて2大会ぶりの決勝進出を果たした(ちなみにW杯と同じく3人目のサイドバックが上に飛ばしたナガトーモ)。
余談だが、京都パープルサンガ(現:京都サンガFC)でプロデビューし、マンチェスター・ユナイテッドでプレーしたパク・チソンはちょうど通算100試合出場となったこの試合が韓国代表としてのラストマッチになった。韓国の英雄が一人代表を去った一方、この大会がA代表での公式戦デビューだったのが当時18歳だったソン・フンミンである。韓国にとっては歴史の終わりと始まりの瞬間でもあった。
【その3】ザックジャパン無双
キリンチャレンジカップ2011
日本3-0韓国
2011年8月10日19:33@札幌ドーム
DF2 伊野波雅彦(ハイデュク・スプリト)
FW9 岡崎慎司(VfBシュトゥットガルト)
FW10 香川真司(ボルシア・ドルトムント)
MF17 長谷部誠(VfLヴォルフスブルク)
FW24 森本貴幸(ノヴァーラ・カルチョ)
監督 アルベルト・ザッケローニ
南アフリカW杯での躍進、アジアカップの優勝、当時FCバルセロナが黄金期を迎えていた中でチームとして見せていた攻撃的なパスサッカー……チームとしての充実に加え、選手個々としても香川がドルトムントで大ブレイク。長友は日本人として初のインテル入りを果たし、チャンピオンズリーグで内田vs長友が実現する夢のような瞬間、内田はCLでベスト4まで進み、本田もビッグクラブへの移籍が取り沙汰されていて、2010〜2012年頃の日本サッカーの成長速度は凄まじいものになっていた。そんな中で迎えた日韓戦は親善試合でこそあったが、よく語られる「日本代表史上最高の試合」としても挙げられる試合となる。
押し気味に試合を進めながらもゴールを奪えなかった日本だったが35分、遠藤がG大阪でチームメイトだったイ・グノからボールを奪い中央にパスを入れると、李を介して受けた香川がDF2人を振り切ってシュート。前述の韓国戦以来となる代表復帰を果たした……まさにこの時全盛期を迎えていた背番号10のゴールで日本が先制する。その後、岡崎が負傷した事で代表初招集の清武がデビューを果たすが、この男もまたこの日の主役の一人だった。後半開始早々、駒野のシュートのこぼれ球をワンタッチで冷静に折り返して本田のゴールをアシスト。更にその直後には李、本田、香川のパスワークから右サイドに抜け出し、最後は清武の折り返しをまたしても香川が決めた。3-0……韓国相手に見せたこの試合、この瞬間のサッカーは日本代表史上という表現をしても大袈裟ではなく、韓国にとってもこの試合は「札幌の惨事」と呼ばれている。
ああなつかしの2011
ではでは(´∀`)