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宇佐美貴史、7番継承!!!!!!! …ところで、遠藤保仁より前にガンバで7番背負ったのって誰?

 

 

 

ガンバ大阪にとって、それはまさしく歴史的瞬間。

歴史的瞬間です。

 

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背番号7

 

 

 

 

 

 

もうね、言葉にならんですわね。痺れましたよ。

まあ、その辺の感想はNoteの方に書いたので…

 

 

こちらでは緩い豆知識ブログを更新していきます。

 

 

 

遠藤保仁が背番号を継いだのは2003年でした。

2001年に入団した遠藤のガンバでのデビューイヤーは19番。翌年は30番へ変更し、3年目から7番に定着。当時は代表での背番号も19番だったり4番だったりしましたが、それ以降No.7はクラブ代表共々遠藤保仁のトレードマークになっていきました。

では、遠藤保仁より前に背番号7を背負ったのは誰?

 

固定番号制が導入されてから、ガンバで背番号7を背負うのは実は宇佐美貴史で5人目です。……という事で今回は遠藤保仁以前にガンバ大阪の7番を背負った選手をご紹介していきます。

 

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

#1 1996年以前

 

背番号が固定制になったのは1997年からです。ナビスコ杯のみの開催だった1992年から1996年までは変動性背番号で、試合ごとに背番号を変更出来るルール…その試合の先発選手の中から1〜11番を割り振り、ベンチメンバーに12〜16番を割り振る形でした(ベンチメンバーは2005年まで5人だった)。

そんな中でもヴェルディ川崎三浦知良の11番やラモス瑠偉の10番が固定的なイメージを作り上げましたが、ガンバでそういうイメージがついていたのは永島昭浩の9番くらいでしょうか。要は、ガンバで7番を背負った事がある選手自体は結構いる事になります。

 

 

 

#2 (1997〜2000.7)

 

生年月日:1973年5月24日

ポジション:DF

ガンバ在籍期間:1992年〜2000年7月

ガンバでのJ1リーグ成績:

ガンバ以外の主な所属クラブ:名古屋グランパスエイト(2000.7〜2002)、清水エスパルス(2003〜2004)、FC岐阜(2005〜2007)

 

ガンバを含む多くオリジナル10クラブにとっての元年となった1992年にデビュー。当初はMFでしたが、ガンバでは主に左SBを務めました。

1995年から出場機会を増やしてレギュラーに定着すると、固定背番号制が初めて導入された1997年に背番号7を着用。いわば初代背番号7というべきでしょう。エムボマの活躍で躍進した1997年など、1995年以降は新井場徹が台頭するまでレギュラーとして活躍。2019年のJ1第32節ベガルタ仙台戦終了後に行われたガンバ大阪OB戦にも参加しています。

 

 

 

#3

 

生年月日:1971年4月18日

ポジション:MF

ガンバ在籍期間:2000年7月〜2001年

ガンバでのJ1リーグ成績:10試合0得点

ガンバ以外の主な所属クラブ:サンフレッチェ広島(1992〜1995.7)、柏レイソル(1995.7〜1999)、大分トリニータ(2000,2003)、ベガルタ仙台(2002)

 

実はヤット大先生の前々の7番が片野坂前監督でした。遠藤が加入したのは2001年ですので、遠藤がガンバに入団した時の7番は片野坂さんだった事になります。2000年の2ndステージから加入し、1stステージで退団した平岡の7番をそのまま継ぐ形になりました。片野坂の選手としての充実期は広島と柏の時代で、ガンバには元々バックアッパーとして来た事もあって出場機会には恵まれず。ただしこの縁は、後にガンバにコーチとして入閣する礎となりました。

ちなみに2001年のチームには實好礼忠山口智森下仁志児玉新松代直樹松波正信、そして宮本恒靖と、後にガンバのトップチームスタッフを務める面々がズラリ。U-23も含めれば2001年のチームからガンバの監督5人も出てるっていう。

 

 

 

#4 (2002年)

 

生年月日:1971年2月1日

ポジション:MF

ガンバ在籍期間:2002年

ガンバでのJ1リーグ成績:21試合3得点

ブラジル代表出場成績:4試合0得点

 

遠藤保仁の前に背番号7を背負っていたのは、サッカー王国ブラジルの歴史の中でも有数のキックの魔術師でした。欧州や代表での活躍には乏しいながらもブラジルサッカーに於けるスーパースターで、西野朗監督体制1年目に行った大型補強の中でも目玉的な存在として7番が与えられました。

開幕戦では芸術的なクロスで吉原宏太のゴールをアシストし、開幕2試合で生まれた全3得点に絡むなど上々の出だしでしたが、その後はコンディション問題しかり、遠藤や二川孝広が絶対的な存在として台頭したこともあってトータル的にはやや期待外れの結果に。それでも「天使の足」とも称された芸術的なプレーは随所に発揮していたとか。

 

 

 

そしてマルセリーニョは2002年に一年限りで退団。2003年を迎えるに辺り、2002年に日本代表デビューを果たした遠藤保仁に7番が与えられる事になったのでした。

 

 

ロマン。

ではでは(´∀`)