皆様、前回のブログはお読み頂けましたでしょうか。
7月30日、パナソニックスタジアム吹田、2022明治安田生命J1リーグ第23節、ガンバ大阪vs京都サンガFCの試合が迫っております。
なんとか降格圏を抜け出したいガンバと残留争いに引き込まれたくないサンガの大一番、関西対決、PSG戦で受けた試合をこの試合にポジティブに働かせたいガンバ、新型コロナウィルス感染者が複数出る中でどうにか粘って勝点を掴みたいサンガ……語れば見どころはわんさか出てくるこの試合ですが、私と致しましては何と言ってもこの試合、いわゆる贔屓チーム同士の対戦という一面がある訳です。
だからこそ、このガンバvsサンガのカードの前には、このブログでこの2チームの対戦について取り上げるブログを書いておきたい!そんなところで、以前はガンバvsサンガの名勝負選なるブログを上げました。
…で、今回はですね、選手の往来なども頻繁で距離が近めのこの2クラブ……ガンバ大阪と京都サンガFCの両クラブでプレーした選手ベストイレブンを組みます!!
…という事で更新したのが前回のブログ。前回はGKとDFを取り上げましたので、今回はMFとFW、そして監督編となります。
…とはいえ、この2クラブの間には長らく大きな格差があるので、果たしてこの11人が本当にベストなのか…ってところはガンバでの実績とサンガでの実績のどちらに重きを置くかで変わってくるので一概にベストとは言えませんが、まぁ、その辺の不満は私めの主観という事でご容赦あれ。
それではどうぞお楽しみくださいませ…。
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MF 松山吉之
生年月日:1966年7月31日
国籍:日本
京都在籍シーズン:1997
背番号:G大阪→33番(91-92)・京都→30
過去の所属クラブ:早稲田大学→古河電工(1989〜1991)→松下電器/ガンバ大阪(1991〜1996)→京都パープルサンガ(1997)
日本代表通算成績:9試合4得点(1987〜1989)
早稲田大学在学中にソウル五輪アジア予選で日本代表デビューを果たした攻撃的MF。当時は松下電器だったガンバに入団を決めた要因は、1991年から監督に就任した日本サッカーのレジェンド、そして山城高校→早稲田大学と松山と全く同じルートを辿った釜本邦茂監督の誘いだったとか。
いわゆる初期のガンバではチームが低迷する中、攻撃の万能型選手として複数のポジションでプレーし、主力として毎年コンスタントに出場機会を入れていた。ガンバがチーム編成を大きく変革させた事とサンガが積極補強路線に踏み切った時期が重なった1997年にサンガに移籍。ここではボランチも務め、気が付けばMFとFWの代替全部でプレー出来る状態になっていた。
ここで名前を挙げた人物は引退後はすぐにガンバに復帰した人物が多いが、松山は出身が京都だったのもあるのか、引退後はサンガの強化部とコーチを歴任。その後、名古屋での仕事を経て2004年にコーチとしてガンバに復帰し、西野輝監督の下で2005年のJ1優勝と第一次黄金期の確立に多大なる貢献を果たしている。
MF フェルナンジーニョ
生年月日:1981年1月13日
国籍:ブラジル
G大阪在籍シーズン:2004〜2006
京都在籍シーズン:2008.6〜2008.12
背番号:G大阪→8番・京都→10番
主な所属クラブ:清水エスパルス(2007〜2008.6)、大分トリニータ(2009.7〜2009.12)、ベガルタ仙台(2010)、ヴァンフォーレ甲府(2012.7〜2012.12)、ガイナーレ鳥取(2014.6〜2016,2018〜2020)
2000年代以降のガンバは「活躍できるブラジル人選手を自前で連れて来れない」とも言われ、既にJクラブでの実績があるブラジル人選手の獲得を原則としていた中、ガンバへの入団が初来日となったブラジル人選手として数少ないヒットとなったのがフェルナンジーニョだった。当時在籍していた長身FWマグロンを軸にした戦術からテクニカルなパスサッカーに移行するにあたって彼の存在は大きく、ガンバが優勝した2005年にはベストイレブンにも選出。アラウージョ、大黒将志とのトリオはJ史上最強クラスのユニットと言っても過言ではなかった。
2006年の後半戦は出番が減少し、2007年には長谷川健太監督率いる清水に移籍。2008年6月に、長期離脱で選手登録を抹消されたパウリーニョに代わるアタッカーを探していたサンガに加わると、奇しくもデビュー戦は万博でのガンバ戦となった。10番を背負ったサンガでは、特にこの年絶好調だった柳沢敦と良いコンビネーションを築いて残留に貢献。在籍は半年だったが、高い技術とクオリティは示した。
サンガ退団後は数回のブラジル復帰を挟みながらも長期に渡ってJリーグでプレー。特に鳥取では合計6シーズン在籍し、2020年に現役を引退している。
MF 遠藤保仁
生年月日:1980年1月28日
国籍:日本
G大阪在籍シーズン:2001〜2020.10
京都在籍シーズン:1999〜2000
背番号:G大阪→19番(2001)、30番(2002)、7番(2003〜2020)・京都→14番
過去の所属クラブ:鹿児島実業高校→横浜フリューゲルス(1998)→京都パープルサンガ(1999〜2000)→ガンバ大阪(2001〜2020.10)
現在の所属クラブ:ジュビロ磐田(2020.10〜)
日本代表通算成績:152試合15得点
説明不要のNo.7。マスター・オブ・ガンバ。ヤット大先生。遠藤がサンガに在籍していた過去は、当時のサンガが松井大輔、パクチソン、三浦和良とかやたらえげつない面子を揃えていた事と併せて語られる機会も多いので知っている人も多いだろう。遠藤のガンバでの活躍は当ブログで散々書いてきたので、今回はサンガ目線で書いていく。
そもそも遠藤のプロデビューは1998年の横浜フリューゲルスから始まったが、そこでプロ一年目にしてチーム消滅というなかなかハードなプロキャリアのスタートを迎えてしまう。フリューゲルス消滅後の焦点の一つに「選手がどこに移籍するのか」という部分が挙げられる中、フリューゲルスのヘッドコーチ・暫定監督を経てフロントに入っていた木村文治がサンガの統括部長に就任した事により、若手選手を中心に6選手がその流れでサンガに入団する運びになった。そのうちの一人が遠藤であり、他には1999年のワールドユースに参加した手島和希と辻本茂輝、後に山形でブレイクする大島秀夫といった面々がいた。余談だが、フリューゲルスからの獲得人数6人という数字は、合併先である横浜F・マリノスへの入団者数(5人)より多い。
サンガでは2シーズンで3人の監督の下でプレーしたが、加入初年度の時点では10代だったにも関わらずボランチで不動のレギュラーに定着。ワールドユースで離脱した期間と出場停止を除けばほぼ全試合に出場した。同世代が早期に代表に定着し、遠藤の定着は比較的遅かったが為に遅咲きのイメージも持たれているが、Jリーグに関しては2001年に移籍したガンバを含めてデビューからすぐに確固たる立ち位置を築いていたと言える。ガンバ移籍後のキャリアはもはや言うまでもない。
なお、いわゆる黄金世代の1999年のワールドユースに選ばれた遠藤保仁、加地亮、播戸竜二、稲本潤一の4人はガンバのイメージが強いが、同年のワールドユースにガンバ所属で参加したのは稲本と播戸の2人で、遠藤はサンガ、加地はセレッソ大阪の所属選手として参加している。手島と辻本を含め、サンガは同大会に所属選手を3人も送り込んでいた。また、2020年まで遠藤の前所属チーム欄には「京都パープルサンガ」と記載しており、2007年から京都サンガFCと改名されている為、磐田に移籍するまでメンバー表に「京都パープルサンガ」の名前が残っている最後の選手でもあった。
FW パウリーニョ
生年月日:1982年7月16日
国籍:ブラジル
G大阪在籍シーズン:2012〜2013
京都在籍シーズン:2005〜2009.9
背番号:G大阪→11番・京都→10番(2005〜2008)、20番(2009)
主な所属クラブ:ヴァンフォーレ甲府(2010〜2011)、大分トリニータ(2015〜2016)
サンガ史上最高のブラジル人FWと言っても過言ではないほどのアタッカー。アテネ五輪を目指す世代別ブラジル代表に選ばれた経験を持って来日した2005年、いきなり22得点を挙げてJ2得点王に輝き、アレモンとの破壊力抜群の2トップでサンガをJ2独走優勝に導いた。2006年もサンガが苦しむ中、パウリーニョ個人は14得点を挙げ、同年のオールスターでも敢闘賞を受賞。ガンバの優勝とサンガの残留の可能性が消滅の危機にあった2006年の伝説の試合ではガンバから2ゴールを決めている。2007年には再びサンガを、2010年には甲府をJ1昇格に導いた。2011年のJ1でも、ホーム&アウェイの両方でガンバから得点を挙げている。
2012年には兵役の都合で退団したイ・グノの代わりを求めていたガンバに移籍。開幕2試合で連続でスーパーゴールを叩き込み、最終的に降格を喫するほど苦しむチームの中で8得点を記録。長谷川健太監督が就任した翌年も5〜6月頃はレギュラーにも名を連ねるなど試合に出れば一定の活躍は見せた。しかし、ガンバ時代は怪我が多すぎて稼働率が悪く、個人的にもパウリーニョのガンバでの挑戦は嬉しい限りだったので、今でも惜しい気持ちが否めない。尚、Jリーグでの生活が長きに渡った事もあって日本語はペラペラ。ガンバTVでたむらけんじと対談を行った際には、殆どの質問に日本語で応対していた。
ちなみに、甲府時代も含めて絶妙にタイミングが合わず、パウリーニョがサンガ退団後にサンガと戦う機会は2013年開幕戦のほんの数分のみだったが、僅かな出場時間でPKを獲得し、劇的な同点劇に貢献している。
FW 大黒将志
生年月日:1980年5月4日
国籍:日本
G大阪在籍シーズン:1999〜2000,2002〜2005
京都在籍シーズン:2014〜2015,2017
背番号:G大阪→29番(1999〜2000)、16番(2002〜2005)・京都→31番
過去の所属クラブ:ガンバ大阪ユース→ガンバ大阪(1999〜2000)→コンサドーレ札幌(2001)→ガンバ大阪(2002〜2005)→グルノーブル(2006.1〜2006.8)→トリノFC(06-07〜07-08)→東京ヴェルディ(2008.6〜2009)→横浜FC(2010.1〜2010.6)→FC東京(2010.6〜2010.12)→横浜F・マリノス(2011〜2012)→抗州緑城(2013)→京都サンガFC(2014〜2015)→モンテディオ山形(2016)→京都サンガFC(2017)→栃木SC(2018〜2020.6)
日本代表通算成績:22試合5得点
ガンバユースが生んだ職人肌のストライカー。2002年まではレンタル先の札幌を含めて殆ど出番に恵まれなかったが、西野朗監督にFWでの出場を直訴して迎えた2003年に10得点を記録すると、翌2004年には20得点を叩き出して大ブレイク。そして今なお振り返られる2005年ドイツW杯予選での大活躍で、一躍その名は全国に轟いた。ガンバでもアラウージョと2トップを組んだ2005年は2人で49得点を叩き出してJ1優勝。2006年からの海外挑戦は名実ともに「機は熟した」と言えるタイミングでの挑戦となった。
フランスとイタリアでの挑戦を終えてからは多くのJクラブで移籍を繰り返し、当時岡田武史監督が率いていた中国の杭州緑城でもプレー。そして2014年にサンガに入団すると、苦しむチームの中でも大黒はその類稀なる得点能力を発揮し、2014年には26得点でJ2得点王。2015年もチームはJ3降格の危機に陥ったが、大黒自身は16得点を挙げている。
引退後はガンバユースにストライカーコーチとして復帰。ストライカーとしてはかなりの理論派だった事もあり、その職人技術を若いFWに伝授している。その教え子でもある坂本一彩は憧れの選手として大黒の名前を挙げているが、大黒がガンバで最後にプレーした時の坂本は2歳だった為、ガンバよりもサンガで活躍したFWというイメージらしい。
監督 實好礼忠
生年月日:1972年10月19日
国籍:日本
京都監督:2020
過去に監督を務めたクラブ:ガンバ大阪U-23(2016)→ガンバ大阪ユース(2017〜2018.7)→ガンバ大阪U-23(2018.7〜2018.12)→京都サンガFC(2020)→愛媛FC(2021.4〜2021.12)→大阪学院大学サッカー部(2022〜)
先に言うと、ガンバとサンガの両クラブで、トップチームの監督を務めた人物は一人も存在しない。だが、2016〜2020年までJ3に参加していたガンバ大阪U-23を含めると、唯一の該当者となるのが實好監督である。
選手としてはガンバ一筋でキャリアを終え、引退後も後に監督を務める松波正信と共に西野朗監督の下でコーチを務めた。西野監督が名古屋の監督に就任した際は同行して名古屋のコーチを務めたが、西野監督退任のタイミングでU-23チームが発足し、その初代監督に就任。堂安律らをU-23で指導し、ガンバに復帰した2016年以降は主に育成部門で仕事をしていた。
2019年になるとサンガのコーチに就任し、2020年には監督に昇格。サンガスタジアム by Kyocera初年度の監督を任されるも、新型コロナウィルスの流行によるシーズンの乱れもあってピーター・ウタカ依存症が深刻化し、昇格に失敗。サンガでの挑戦は1年で幕を閉じたが、ガンバで長く育成を手掛けた事もあり、川﨑颯太や若原智哉を主力に抜擢するなど、翌年のJ1昇格に繋がる足跡も残している。
尚、暫定監督だった為にカウントはしていないが、實好監督退任後にガンバU-23を率いた森下仁志監督も、バドゥ監督解任に伴う新体制への移行前に2試合分だけサンガの監督を暫定で務めていた。實好監督も森下監督も、選手としてのサンガ在籍歴はない。また、ガンバとサンガの両方に所属し、サンガの監督になった人物としては美濃部直彦監督が挙げられる。
【その他の主なガンバ・サンガの両方に所属した選手】
DF 美濃部直彦(ガンバ:1984〜1993・サンガ:1994〜1995)
DF 安藤正裕(ガンバ:2002.1〜2002.6・サンガ2003.10〜2003.12)
DF 手島和希(ガンバ:2006.1〜2006.4・サンガ:1999〜2005,2006.4〜2009)
MF 森岡茂(ガンバ:1992〜1998,2002〜2005・サンガ:1999)
MF 山口貴之(ガンバ:2000〜2001.8・サンガ:1996〜1997)
MF 横谷繁(ガンバ:2006〜2007,2010〜2012・サンガ:2013〜2014)
MF 佐々木勇人(ガンバ:2008〜2012・サンガ:2015)
FW 佐藤慶明(ガンバ:1992〜1993・サンガ:1995.7〜1996)
FW 山口敏弘(ガンバ:1993〜1996.5・サンガ:1996.5〜1997)
ちなみに余談ですが、関西4クラブのうちの3つに所属した選手は少なくないけど、4つ全部に所属した選手は未だにゼロ!
パナスタ行くわよ
ではでは(´∀`)