7月30日……みなさん、何の日かご存知でしょうか?
調べれば色々歴史的な出来事が出てきます。
姉川の戦いだとか、明治が終わって大正が始まったとか、エルヴィス・プレスリーの初ライブだとか、羽生善治が棋聖戦で負けたとか………何と言っても、遡ること92年前、ウルグアイで行われた第1回FIFAワールドカップの決勝戦でウルグアイがアルゼンチンを4-2で破り、晴れてW杯の初代王者となった……そんな日でございます。
そんなカタールW杯イヤーの特別な7月30日、ガンバファン兼サンガファンとしてブログを運営している私にとって特別な試合が訪れます。
GAMBA OSAKA vs KYOTO SANGA FC
……ハイ、7月30日、パナソニックスタジアム吹田にて、私の愛するクラブ同士が再び激突します。
4月にサンガスタジアム by Kyoceraで行われた試合は1-1のドロー。ガンバのダワンが決めたゴールは4月の月間最優秀ゴールにも選ばれ、試合も非常に濃密な、手に汗握る見応えのある引き分けでした。
お互いにとって、残留争いが頭を過ぎる中での大事な大事な一戦。私にとってはまさしく真夏の聖戦です。
だからこそ、このガンバvsサンガのカードの前には、このブログでこの2チームの対戦について取り上げるブログを書いておきたい!そんなところで、以前はガンバvsサンガの名勝負選なるブログを上げました。
…で、今回はですね、選手の往来なども頻繁で距離が近めのこの2クラブ……ガンバ大阪と京都サンガFCの両クラブでプレーした選手ベストイレブンを組みます!!
…とはいえ、この2クラブの間には長らく大きな格差があるので、果たしてこの11人が本当にベストなのか…ってところはガンバでの実績とサンガでの実績のどちらに重きを置くかで変わってくるので一概にベストとは言えませんが、まぁ、その辺の不満は私めの主観という事でご容赦あれ。
それではどうぞお楽しみくださいませ…。
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GK 慶越雄二
生年月日:1963年9月17日
国籍:日本
京都在籍シーズン:1997
背番号:G大阪→21番(1986〜1987)、1番(1988〜1992)・京都→21番
過去の所属クラブ:松下電器/ガンバ大阪(1982〜1992)→ヴェルディ川崎(1993〜1994)→福岡ブルックス/アビスパ福岡(1995〜1996)→京都パープルサンガ(1997)
GKとしては唯一ガンバとサンガの両方でプレーした選手。ガンバ大阪としての在籍はナビスコ杯のみ開催された1992年のみだが、主に松下電器時代は正GKとして活躍したプレーヤーで、当時黄金期だった日産自動車と対戦した1991年元日の天皇杯決勝ではPK戦で相手のキックを2本阻止。松下電器として最後のタイトル獲得に大きく貢献した。
1993年のJリーグ開幕はヴェルディ川崎で迎え、その後は出場機会には恵まれず、福岡でのプレーを経て1997年にサンガへ。公式戦での出場はなく同年限りで現役を引退しており、引退後は長きに渡ってガンバのサテライトや下部組織及び提携クラブのGKコーチを務めた他、2000年からは日本サッカー協会のコーチにも登録されて世代別代表のGKコーチを歴任し、2010年の日本代表戦では原博実氏が代行監督を務めたA代表のGKコーチ代行としてベンチ入りしている。
DF 山口智
生年月日:1978年4月17日
国籍:日本
G大阪在籍シーズン:2001〜2011
京都在籍シーズン:2015
背番号:G大阪→5番(2001〜2002,2008〜2011)、6番(2003〜2007)・京都→3番
過去の所属クラブ:ジェフユナイテッド市原ユース→ジェフユナイテッド市原(1996〜2000)→ガンバ大阪(2001〜2011)→ジェフユナイテッド千葉(2012〜2014)→京都サンガFC(2015)
日本代表通算成績:2試合0得点(2006〜2009)
ガンバ大阪史上最高のDFとの呼び声も高いディフェンスリーダー。2001年にユース時代から過ごした市原より移籍すると、DFとしての守備能力のみならず、ボランチ出身らしいビルドアップ力やセットプレーでの得点力を活かして守れる・繋げる・点まで取れるCBとして西野朗体制での黄金期の中心に君臨。2005年のJ1リーグや2008年のACL制覇に多大なる貢献をし、2006年からの4シーズンはキャプテンとしてチームを牽引した。オシムジャパン、岡田ジャパンでは日本代表の招集も受けており、ベストイレブンにも3度選ばれている。
2011年の西野監督退任と時を同じくしてガンバを退団し、古巣の千葉で3シーズンのプレーを経た2015年にサンガに移籍。キャプテンに任命され、開幕戦ではゴールを決めるなど滑り出しは良かったが、その後はクラブ自体の混迷にも飲み込まれていくように出場機会を失い、同年限りで引退を決意した。
引退後はガンバのフロントを経て、宮本恒靖監督の下でコーチとしてU-23とトップチームを指導。2021年にコーチとして加入した湘南では現在は監督を務めており、リーグ戦に限ればガンバにもサンガにも一敗もしていない。
DF 水本裕貴
生年月日:1985年9月12日
国籍:日本
G大阪在籍シーズン:2008.1〜2008.6
京都在籍シーズン:2008.6〜2010
背番号:G大阪→4番・京都→8番(2008)、4番(2009〜2010)
過去の所属クラブ:三重高校→ジェフユナイテッド千葉(2004〜2007)→ガンバ大阪(2008.1〜2008.6)→京都サンガFC(2008.6〜2010)→サンフレッチェ広島(2011〜2019.7)→松本山雅FC(2019.7〜2019.12)→FC町田ゼルビア(2020〜2021)
現在の所属クラブ:SC相模原(2022〜)
日本代表通算成績:7試合0得点(2006〜2015)
「ガンバとサンガで」という意味では、おそらく一番話題になったであろう選手。シジクレイが退団し、前年には宮本恒靖が海外移籍したガンバは山口智の新たなパートナーの獲得を目論んでいたが、第一候補だったFC東京の今野泰幸の獲得は失敗に終わる(4年後にガンバに来たけど)。そこで当時の五輪代表で主将を務め、将来の日本を背負うDFリーダーとして大いに期待されていた水本を移籍金3億円で千葉から引き抜いた。しかし水本はガンバのサッカーに馴染めず中澤聡太にレギュラーを奪われ、刻一刻と迫る北京五輪に向けた焦りと出場機会確保の為に移籍を希望するようになった。
とはいえ、選手を選手個人の利益の為にみすみす3億円の減価償却がほとんど出来ていないまま放出する訳にもいかない。水本の移籍騒動は夏の一大事件となりかねなかったが、そこで「4億円!」と手を挙げたのが、当時とんでもない金の使い方をしていたサンガだった。結局、ガンバには移籍金収支で約1億円の利益を、サンガにはクラブの顔となれるトッププレーヤーを享受する形になってひと夏の騒動は決着。2009年に西京極でサンガとガンバが対戦した際には、遠藤保仁のヘディングシュートをゴールラインでスーパークリアで阻止した。サンガには2シーズン半在籍し、2010年のJ2降格と同時に広島に移籍している。
DF シジクレイ
生年月日:1972年5月13日
国籍:ブラジル
G大阪在籍シーズン:2004〜2007
京都在籍シーズン:1999,2008〜2009
背番号:G大阪→2番(2004〜2006)、5番(2007)
主な所属クラブ:モンテディオ山形(1997〜1998)、大分トリニータ(2000)→ヴィッセル神戸(2001〜2003)
「2000年代のJリーグでパッと思いつく外国人DF」と聞かれれば、他クラブのファンでも彼の名を挙げる人は少なくないであろう名物DF。スキンヘッドはトレードマークとすら言えて、その壁のような堅守には「残念そこはシジクレイ」というJリーグを代表するネットスラングまでもを生み出した。
当時はJFLだった山形への移籍で初来日すると、そこでの活躍を評価されて1999年にはサンガでJ1に初挑戦。遠藤保仁とはこの時にも一緒にプレーしていた。その後は大分と神戸での活躍で評価を固めると2004年にガンバに移籍し、宮本恒靖と山口智と強力な3バックを形成。2005年のJ1制覇は主将として掴み取った。ガンバでナビスコ杯優勝を勝ち取った2007年を最後にサンガに復帰すると、中盤のアンカーで獅子奮迅の働きを見せてJ1残留に大きく貢献。両クラブのサポーターから今なお愛される選手の一人である。引退後は長谷川健太監督体制のガンバでコーチも務め、2014年の三冠にも貢献した。
ちなみに「残念そこはシジクレイ」はシジクレイ本人にもバレている。
DF 菅沼駿哉
生年月日:19990年5月17日
国籍:日本
G大阪在籍シーズン:2010〜2011.7,2018〜2021
京都在籍シーズン:2015〜2016
背番号:G大阪→28番(2010〜2011.7)、13番(2018〜2021)
過去の所属クラブ:ガンバ大阪ユース→ガンバ大阪(2010〜2011.7)→ロアッソ熊本(2011.7〜2011.12)→ジュビロ磐田(2012〜2014)→京都サンガFC(2015〜2016)→モンテディオ山形(2017)→ガンバ大阪(2018〜2021)
現在の所属クラブ:FC町田ゼルビア(2022〜)
ガンバユースで育ち、「いつかガンバに戻ること」を目標に他クラブで奮闘していた管沼は、熊本や磐田ではレギュラーの時期もあったが、初めて1シーズンを通してレギュラーとしてプレー出来たのはサンガに在籍した2015年だった。同年はチームの低迷もあって残留争いに巻き込まれたものの、2016年にはチームが守備の重心を強めた中で、その中心人物としてプレーオフ進出に大きく貢献。菅野孝憲や染谷悠太らと共に強固なDFラインを形成した。翌年には山形に移籍し、京都と山形でのプレーでJ2屈指のCBとしての評価を高めたことが、2018年のガンバ復帰に繋がる。ガンバでは三浦弦太、ファビオ、キム・ヨングォン、昌子源がいたので出場機会は限られたが、この3人の負傷欠場がかなり多い中で貴重なバックアッパーとしてチームに貢献した。特に2021年の残留成功を管沼抜きで語る事は出来ない。今季からは町田でプレーしている。
ユース時代から山口智に憧れていたが、最下位の地がまさかサンガになろうとは本人も思わなかっただろう…。
DF 児玉新
生年月日:1982年10月8日
国籍:日本
G大阪在籍シーズン:2001〜2005
京都在籍シーズン:2006
背番号:G大阪→13番(2001)、28番(2002〜2003)→17番(2004〜2005)・京都→7番(2006)
過去の所属クラブ:ガンバ大阪ユース→ガンバ大阪(2001〜2005)→京都パープルサンガ(2006)→清水エスパルス(2007〜2011)→セレッソ大阪(2012)→大分トリニータ(2013)
ガンバユースで育った左利きのサイドプレーヤー。鹿島に移籍した新井場徹の穴を埋める活躍が期待され、ブレイクの予感を漂わせる場面がありながらも、二川孝広の左WB起用や家長昭博の台頭もあって定位置を掴むには至らなかった。
そんな中で2006年、出場機会を求めてJ1に復帰したばかりのサンガへ移籍。チームは最下位で、それも万博競技場での余りに劇的な形での降格となってしまったが、個人としては左SB、左WB、左CBと左側のポジション全てでフル稼働。在籍は1シーズンだったが、そのサンガでの1年の活躍が評価され、2007年からは長谷川健太率いる清水に移籍。若手タレントが台頭して上位に食い込むようになった清水の不動の左SBとして、2009年にはガンバとも優勝争いを演じた。
長谷川監督がガンバの監督を務めていた2016年にガンバのトップコーチに就任。2021年を以って宮本恒靖監督体制のコーチ陣は一掃される形となったが、唯一児玉コーチだけ片野坂知宏監督体制でも残留し、現在のコーチ陣では最古参となった。ちなみに、異常なまでの無口・人見知りで有名な二川孝広が心を開いている数少ない人物としても知られている。
MF&FW編は次回!!!!
当日はパナスタ行くやで!
ではでは(´∀`)