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ガンバ大阪新監督、片野坂知宏の経歴は!?出身校は!?なんやらかんやらなんやらかんたら!

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先日、ようやくガンバ大阪の新監督が発表されました!

 

 

 

 

 

 

WELCOME

 

 

 

 

 

…まぁ、大分時代も含めて、片野坂さんのサッカー、俗に言う「カタノサッカー」についてのあれこれは他の戦術系ブログとか、そもそも専門誌でもいっぱい言及されたりしているので、今回は我らがガンバ大阪新監督、片野坂知宏監督のこれまでのキャリアを振り返っていこうと思います。

 

 

 

よくあるアレです。

検索したらよく出てくるアレです。

「高校は!?大学は!?彼女は!?」的なやつです。

サッカー選手です。

ユース上がりでもなければ高校大学時代から割と知られています。

 

…まぁ、ともかく。それこそ私と同い年くらいの人は片野坂監督の現役時代とかほぼほぼ知らない方が多いでしょうから、今一度その辺りを振り返って頭に入れておきましょう。

 

オリジナルアルバムの配信も開始したのでそちらも観てね

 

 

片野坂監督の生年月日は1971年4月18日。無理矢理言えばバルセロナ五輪世代に当たる選手ですね。同い年の元Jリーガーで言えば藤田俊哉名良橋晃といった面々の他、アビスパ福岡長谷部茂利監督、昨年まで鹿島の監督を務めた相馬直樹監督、そして片野坂監督の後任として大分の監督に就任した下平隆宏監督も同い年。海外の名選手では今や世界最高の監督の一人とされるペップ・グアルディオラの他、ロイ・キーンデメトリオ・アルベルティーニといったレジェンドがいますね。芸能人で言えば博多大吉先生、おぎやはぎ西島秀俊竹野内豊GLAYのTERUとTAKURO……。

 

 

 

話が相当逸れましたのでサッカーに戻すと、鹿児島県出身の片野坂監督は、当時の鹿児島の上手い選手がみんな目指す超名門校・鹿児島実業高校に進学。ガンバ的に言えば遠藤保仁岩下敬輔の先輩に辺りますね。

高校卒業後、1990年からはマツダSC(旧:東洋工業サッカー部)に入団しますが、入団当初はサテライトチームであるマツダSC東洋でプレーしましたが、そもそもこのマツダSCは2年後にサンフレッチェ広島としてプロクラブ化するクラブ。広島はJリーグの前身であるJSL時代から育成にも力を入れていた数少ないクラブで、サテライトチームとしてマツダSC東洋が果たした役割は大きく、森保一柳本啓成といった選手がこのサテライトチームからトップチームの主軸にまで育ちましたが、そのうちの一人が選手時代の片野坂監督でした。

1993年に開幕したJリーグで、片野坂監督はスチュアート・バクスター監督率いるチームで、風間八宏森保一前川和也高木琢也といった名選手が揃う中で左SBとしてレギュラーに定着。1994年には1stステージ優勝にも大きく貢献しました。この時の広島って、前述の風間八宏森保一高木琢也の他、松田浩上野展裕、ヤン・ヨンソンなどJリーグ監督経験者めちゃくちゃ排出してるんですよね。

 

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…しかし、1994年シーズンを以って退任したバクスター監督に代わって就任したピム・ヤンセン監督からの評価は芳しくなく、出場機会を大幅に減らしたこともあって1995年途中からは柏レイソルに移籍。ここでは不動のサイドバックとして活躍し、1996年と1997年の上位進出にも大きく貢献するなど、有数のSBの一人として頭角を示していました。

その後、2000年に大分トリニータに移籍した後で、2000年夏から1年半、大分からのレンタルという形でガンバへ。豆知識ですが、この1年半の間で片野坂監督が背負った背番号は7番でした。2001年からガンバは遠藤保仁が入団し、遠藤が2003年から背負う背番号7はチームにとって最も重い意味を持つ番号となった訳ですが、遠藤が入団した時の背番号7は片野坂監督であり、遠藤在籍時に遠藤以外で7番を背負ったのは2001年の片野坂監督、2002年のマルセリーニョ・カリオカの2人だけです。

2002年はベガルタ仙台にレンタルで加入し、2003年に大分に復帰。なので選手としての片野坂監督のピークは広島時代、次点で柏時代といったところでしょうか。大分とガンバでは選手としては強いインパクトは残せなかったものの、指導者としてはこの2チームで大きな存在感を示す事に…。

 

 

 

引退後はすぐに指導者となった訳ではなく、2005年までは大分でスカウトを担当しました。大分のスカウト時代、広島のユース昇格を逃して広島皆実高校でプレーしていた森重真人を大分にスカウトするなどの実績を残し、2006年には大分U-15のコーチとして指導者デビュー。同年にS級ライセンスを獲得すると、2007〜2009年はガンバ、2010〜2013年は広島、そして2014年と2015年は再びガンバで指揮を執り、2016年から大分の監督を務めた…というのが片野坂監督のキャリアです。

 

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大分での監督時代の話はもう皆さん各メディアでいっぱい見ていると思うので…ここではコーチ時代の話を。

上ではサクッと書きましたが、コーチ時代の片野坂監督の成績…ハッキリ言って、もはや異常なレベルなんですよね。

 

【第1次ガンバコーチ時代】

2007:ナビスコ杯優勝

2008:天皇杯優勝、ACL優勝

2009:天皇杯優勝

 

【広島コーチ時代】

2010:ナビスコ杯準優勝

2012:J1リーグ優勝

2013:J1リーグ優勝、天皇杯準優勝

 

【第2次ガンバコーチ時代】

2014:J1リーグ優勝、ナビスコ杯優勝、天皇杯優勝

2015:J1リーグ準優勝、ナビスコ杯準優勝、天皇杯優勝、ACLベスト4

 

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……おかしい。もはや化け物。ちなみに片野坂監督の監督デビューは2016年の大分時代ですが、2015年のACLでは準々決勝で長谷川健太監督が喜びのあまりピッチを走り回るという珍行動をとった為、準決勝で世界の名将ルイス・フェリペ・スコラーリ率いる広州恒大相手に監督代行を務めた事も。

 

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片野坂さんが退任した2010年、2014年、2016年はそれぞれ3回とも無冠に終わった事も相まって、この期間…コーチとしての貢献は相当なものだったはずです。特にガンバも2015年の退任の際には、2016年から始動するU-23チームの監督候補の一人に据えていたそうで、大分への挑戦を選択した後も「将来の監督候補」としてリストには常に入っていたそうで。

 

 

片野坂監督のコーチ時代の凄さの一つというか、監督としての下地を作った要素としては、やはりコーチ時代に様々な名将に師事した事が相当大きいはずです。

ガンバでは西野朗監督と長谷川健太監督、広島ではミハイロ・ペトロヴィッチ監督と森保一監督……即ち、Jリーグの歴代勝利数トップ3の監督と現日本代表監督の仕事を真横で常に見続けたと。こういう経歴や貢献は知っていたからこそ、片野坂さんがガンバを離れて大分の監督になる時は「行かないでェ…」と同時に、少し「満を持して…」みたいな感覚になったのを覚えています。そしてその通り、監督としてビッグになって帰ってきてくれましたしね。

ちなみに、大分時代は3-4-2-1を使用していた辺りにも表れていますが、戦術的にはペトロヴィッチ監督のスタイルに一番影響を受けているとの事。

 

 

正直なところ、1年目からそうそう全てが上手くいく訳はないと思いますし、2022年はガンバにとっては生みの苦しみの一年になってくる可能性が高いです。ただ、例えば2021年で言えば、リカルド・ロドリゲスに率いられた浦和が1年間やり通したように、ガンバとしてはファン・サポーターもフロントも、片野坂監督に時間と環境を与える事はしっかりやっていってほしいところですし、我々もそれを意識して2022年のガンバを見ていきたい所存です。

 

 

補強もじわじわ盛り上がってきましたねぇ。

ではでは(´∀`)