今シーズンでは言えば8月の内田篤人に続き、日本サッカーにまた寂しいニュースが舞い込んできました。
中村憲剛、現役引退。
昨日の夜に川崎フロンターレから「記者会見実施のお知らせ」というリリースがあった時点でTwitterでもトレンドに入っていたように、なんとなくその時点で予感をしていた人は私を含め多かったです。中村憲剛が40歳の誕生日を迎えた次の日…というタイミングもあったし。
今年の中村憲剛と言えば、昨年10月に負った大怪我との戦いから始まりました。DAZNのドキュメンタリーを見ても、何も中村憲剛に限った話ではなくとも重傷からの復帰がいかに大変かを思い知ります。ただ、結果的に今季はシーズンが中断した事で中村が復帰してプレーする時間が多く残されていました。第13節清水戦で復帰していきなりゴールを決めてしまい、昨日のFC東京の多摩川クラシコでも決勝ゴール……中村憲剛の復帰は首位を独走している川崎に更なるバリエーションをもたらすなど、40歳にも関わらずバリバリ首位チームの主力ですよ。ヤット大先生の時にも言いましたけど、40でアレって時点でハッキリ言っておかしいですよ。まだ会見で全部を見れた訳では無いですが、本人の意思やこだわりもあったようで。
中村憲剛が異質だったのは、デビューから引退までずっと川崎で過ごした事。Jリーグ初期ならまだしも、これは簡単に言うようで相当な事です。例えば10月から磐田に移籍した遠藤保仁に関しても、仮にガンバで引退していたとしても横浜フリューゲルスと京都パープルサンガでプレーしていたから最初から最後まで一筋だった訳では無いですし、なんなら中村憲剛も生まれたのが北京世代以降なら間違いなく海外に行っていたと思います。そう考えると、あのクラスの実力と実績でワンクラブマンで終わる選手は今後出てこないんじゃないでしょうか。
2000年代の後半といえば、鹿島、ガンバ、川崎辺りが優勝争いの中心にいました。そんな中で鹿島が勝利至上主義軍団なのに対してガンバと川崎はガンガン攻撃力で押していくチーム。その中心にいたのが遠藤保仁と中村憲剛だった訳ですけど、同じ攻撃スタイルのチームの司令塔でありながら2人のスタイルもチームのスタイルも少し違っていて…っていうのが当時子供ながら興味深く感じていましたね。
2017年最終節、……まぁ、ガンバが優勝争いに絡んで無かったからっていうのもあるんでしょうけど、あそこで涙する中村憲剛の姿は川崎ファンでなくても感動したっていうか…なんか込み上げてくるものがありました。これまで後一歩のところでタイトルを逃し続けて、どこか持ってない選手…みたいなイメージを持たれる事もあった中村憲剛にとって、本人の言う「引退を決めてからの5年間」は怪我の事を除けば本当に楽しかった、全てが報われたような5年間だったと思います。最近話題になった、当時小学生だった三笘薫や田中碧と収まったあの写真は川崎というクラブの歴史を映す肖像なんでしょう。来年以降、監督やコーチとして現場に居続けるのか、解説者など一回外に行くのかはわかりませんが、その先の人生にも期待したいです。大好きな選手でした。