月見バーガーの季節ですなぁ。
どーもこんばんは
さてさて、以前ちょっとイントロダクションを行いましたが、今回のブログは「もしあの時、特定のJリーグチームをベースに代表チームを組んだらどんな感じになっていたのか」を今となっては妄想に過ぎませんが考えていきたいと思います。
イントロダクションというか、企画概要なるものは全部そこで書いたので、先にそっちを読んでいただけますと幸いです。
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企画概要というかルール的なものについては前回のイントロダクション的なブログで書きましたので、そちらから読んで頂ければとは思いますが……簡単に言うと以下の通り。
・システムはベースチームとして設定したチームのシステムを軸に選手選考をする。
・選手選考の能力基準はベースに設定したチームの当時のものとする。
・怪我人や代表引退等の事情は考慮しない。
・所属チームはその年の12月31日時点のものです。
・せっかくなので背番号も設定してみましたが、これは当時の印象を参考にしつつもほぼ独断と偏見。
そして、ベースチームは私の独断と偏見で4つのポイントから選んでみました。
・Jリーグ内に於ける実力を確かに有しているチーム
・日本人選手の戦力値が高いチーム
・組織的な完成度が高いチーム
・日本代表として成立しそうなベースを持つチーム
…の4点。
この4点で考えた時、該当し得るチームは私の独断と偏見では3チームありました。
それでは初めてみましょう。
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【BASE1】
2002年のジュビロ磐田をベースに日本代表を組んでみた。
【2002年の磐田をベースにした代表招集メンバー】
GK12 楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)
Jリーグ史に残る磐田の黄金期。この時期の磐田と言えば2001年の数試合で採用した「N-BOX」が有名ですが、N-BOXは磐田の選手も習得に時間がかかっており、さすがにそれを活動期間の限られた代表チームで実行するのは無理があるだろうという事で2002年のチームをベースに設定してみました。当時の磐田の外国人レギュラーといえばGKヴァン・ズワムくらいだったのも特徴ですね。
当時の日本には「絶対的」と称するほどのFWはいなかったので、2トップは中山と高原をそのまま使う形で大丈夫でしょう。悩ましいのは中盤をどこまで磐田要素を強くするか。ボランチ構成の相性としては名波+福西になるでしょうが、当時の稲本はキレキレだったのでここは稲本を配置して名波を緩、稲本を急として配置するアジアカップ2000に近い形になるかもですね。また、名波がボランチにいる事で中田英寿が司令塔ではなくアタッカーとして活きた可能性もあるのかなと。3バックに関しては、守備のやり方こそ違えど求められている選手のタイプは当時の代表と磐田は比較的近かったようにも思います。
ただ、後に名波が「当時の契約形態(1年契約が自動更新されていくシステム)の恩恵を受けてメンバーを固定出来た(=レギュラーがほぼ同じメンバーで数年間戦えた)」と語ったように、あれだけのケミストリーを代表活動で生むのは相当困難ではあると思います。結局、2005年以降に順に主力が抜けていってから磐田は崩壊へと進んでしまった訳で…。
【BASE2】
2006年の浦和レッズをベースに日本代表を組んでみた。
【2006年の浦和をベースにした代表招集メンバー】
GK1 楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)
MF6 阿部勇樹(ジェフユナイテッド千葉)
FW9 高原直泰(アイントラハト・フランクフルト)
FW18 巻誠一郎(ジェフユナイテッド千葉)
当時の浦和といえばチーム自体が「日本代表+助っ人外国人」みたいになっていた時代。実際、2006年の日本代表にはジーコ監督時代もイビチャ・オシム監督時代も多くの選手を送り込んでいました。ただし、今回ベースチームに設定した3つの中では最も「個」を押し出す形のチームではあったので、人材配置のバランスは重要になってきます。
2006年の浦和をベースチームとして設定した時、やはり最大のポイントは「ポンテとワシントンのところをどうするか」という部分です。ワシントンのところは当時ドイツで絶好調だった高原直泰がそこにスッと収まりますね。ポンテのところは……2シャドーにはW中村を並べてみましたが、ポンテの役割という意味では中村俊輔より中村憲剛の方が近いタイプだったのかなと。
【BASE3】
2008年のガンバ大阪をベースに日本代表を組んでみた。
【2008年のG大阪をベースにした代表招集メンバー】
MF9 松井大輔(ASサンテティエンヌ)
MF17 長谷部誠(VfLヴォルフスブルク)
当時、遠藤、橋本、明神、二川の4枚が「黄金の中盤」とも称されたほど圧倒的な中盤構成力を誇り、完成度の高い圧倒的ポゼッション力を武器にACLを制覇したガンバ。前述の磐田にも通ずる話ですが、ACLで躍進したのはブラジル人FWのバレーが退団してからだったので、決勝戦やクラブW杯マンチェスター・ユナイテッド戦のスタメンはFWルーカスを除いて全員日本人選手でした。ただでさえ強力なあの中盤の面子の中に、もし中村俊輔や中村憲剛、長谷部誠や松井大輔をプラスアルファとして投入する事が出来たら…それはそれは相当なクオリティになったとも思います。
ワントップに関しては、当時のガンバは中盤にも得点力があったので、どちらかと言えばムービングFWが重宝されていました。それを踏まえると当時の大久保や佐藤辺りは適任で、2008年当時の活躍で言えば柳沢もかなりフィットしたかもしれません。
こんな感じです。妄想の域は出ませんが、こういうのをあれこれ空想してみるのも一興。
しかして最終予選はどう推移していくことやら……。
月見って朝マックもあるのね。
ではでは(´∀`)