RK-3はきだめスタジオブログ

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ガンバ大阪暫定監督、松波正信強化アカデミー部長とは?

J2降格を喫したのが2012年。

あのセホロペ事変が2012年。

あれから9年経つので、ガンバファンだけどあの時をリアルタイムで知らない人はそこそこいると思うので、暫定監督を務める松波正信強化アカデミー部長について少し書きます。

暫定監督とはいえども、既に宮本恒靖監督の後任候補が固まっていて、後は登録と正式契約を交わすのみ…という状況なら1〜2試合程度かもしれませんが、もし新監督をここから探し始めるとなればACLのグループステージも松波さんで行く可能性があるので、ここらで経歴について書いておこうと。

 

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松波さんは1974年11月21日生まれの現在46歳。帝京高校のエースとして全校高校サッカー選手権の主役となり、Jリーグ開幕年の1993年に大型新人FWとしてガンバに加入しました。

2桁ゴールを挙げたのは1997年の1シーズンのみとは言えども、それはそもそも1997年以外は当時のガンバ自体が主に下位を彷徨い続けていたという部分が大きく、その中でガンバ一筋、スーパーサブとして存在感を発揮し、高いキープ力や要所要所の勝負強さを見せ、ユニフォームに襟がない時は無理矢理作ってまで襟立てを徹底し、いつしかガンバサポーターはこの男の事を「ミスターガンバ」と呼ぶようになりました。

傾向として、ガンバの背番号11はMFよりも播戸竜二やファン・ウィジョなどストライカーに与えられる事が多いですが、それは松波さんが…ミスターガンバが付けていたから、という部分もあります。

 

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2005年、現役ラストイヤーを松波さんが長年追い求めていた優勝という形で締めくくり現役を引退。翌年からユースチームのコーチに就任すると、2008年にはユース監督としてJユースカップを優勝。この時の教え子が宇佐美貴史菅沼駿哉になりますね。

 

2010年からはトップチームのコーチに就任し、当時の西野朗監督の下でアシスタントコーチを務めました。

ですが、ガンバ史に残る「事件」とも言われたのが2012年、10年間指揮を執った西野監督の退任に伴い招聘したジョゼ・カルロス・セホーン監督と呂比須ワグナーヘッドコーチの下でガンバは完全崩壊状態に陥ります。結局3連敗で、チームがズタズタになったタイミングで松波監督が担ぎ出される形となってしまい、みんなが待ち望んだミスターガンバの監督就任がみんながマジかよ…ってなるタイミングで実現してしまったのです。

 

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松波監督+實好礼忠ヘッドコーチの体制は前年までの西野監督時代のやり方を踏襲する事でなんとか軌道修正を図りますが、一度ぶっ壊れたものはそう簡単には元に戻らず。レアンドロ家長昭博岩下敬輔を獲得した後半戦こそ持ち直し、後半17試合だけ見れば4位という成績を残して巻き返しを見せましたが、残留を争う大宮と新潟は当時「残留マスター」「オレンジ相助会」「10〜11月の大宮はバルサより強い」とか言われていた時代で彼等も勝点を飛躍的に伸ばしやがった為に降格圏を脱出できず。最終節で磐田に敗れ(ちなみにこの時の磐田の監督が現ガンバユース監督の森下仁志)、クラブ史上初の降格時の監督という汚名を着せられる事になってしまいました。

2018年にクルピ監督から指揮を受け継いだ宮本恒靖監督はU-23とは言えどもJ3、プロリーグでの監督経験がありましたが、松波さんの場合はユースで2年の監督経験のみで、そんな人にあそこまで壊れたチームを建て直せという方がそもそも無茶な要求で、大体ミスターガンバをあんな扱い方で担ぎ出して良かったのか?というのはずっと言われており、西野監督退任プロセスも含めてこの辺りの過程はガンバの負の歴史として記憶されています。

 

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とはいえ、降格決定後の天皇杯では意地を見せて決勝まで進出。決勝では柏レイソルに敗れたものの、松波監督は準優勝を最後に監督を退任。その後は結局何だったのか未だによくわからないガンバサダーという役職を経てガイナーレ鳥取の監督、セレッソ大阪U-18コーチを歴任し、2018年からガンバに復帰。当初はアカデミーダイレクターとしての復帰でしたが、この年にクルピ監督の退任と共に辞任した梶居勝志強化部長の代わりに強化部長に就任しました。

個人的には強化部長としての松波さんは結構良い仕事はやってくれていたイメージです。コネクション云々については松波さんがどうこうじゃなくて何気に昔っからガンバあんまり強くないんで……。

 

 

ちなみに、上でもちらっと書きましたが、松波さんの事を「襟兄」と呼ぶ人がいるのは、松波さんの現役時代のトレードマークが必ず立たせていた襟だったからです。かつてガンバのユニフォームは襟付きだったので、松波さんは必ずそれを立ててプレーしていました。

しかし2003年から採用されたユニフォームはまさかの襟なし。ですが松波さん、こうなればもはや意地です。特注で襟付きアンダーシャツを作成し、それを着る事で審判団に白い目をされつつも襟付き松波は引退のその瞬間までキープしていたとかいう……。

 

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ともかく、次の監督が決まるまでは松波監督に頑張ってもらうしかない訳で、監督選びともども本当に宜しくお願いします。本当に、本当に…。